イーサーが救い。
(4) イーサーが救い。
「エンジュちゃん。メチャメチャ負けたね」
不意に声がかかった。
エンジュが振り返ると虚ろな目をした少女が経っている。少女の顔は醜く溶けかかり、身体には焦げた形跡が見られた。口を半開きにした表情には生気は無い。
「どお? クラリスは、相当に強いでしょう」
滑る光沢を放つ身体を揺らし、死体のような少女はエンジュに気さくな言葉を向ける。
「イーサーだろ? お前」
エンジュは少女に向かって言った。
「キタねえから、触るなよォ」
「酷ーい。エンジュちゃん」
溶けかかった少女は不満の声を上げる。
「もっと、優しくしてよ。死にかけたんだから」
「死にかかっているのは、お前じゃ、無い」
ちがうちがう、とエンジュは掌を揺らす。
「その、溶けている奴だろ」
「うん。このコは相当に参っているね」
少女の身体が痙攣を始めた。半開きだった口は裂かれる程に開かれ、眼窩からは目玉が転がり落ちる程に飛び出した。そして、激しい吐しゃ音と共に、少女の口から大量のゲル状の物資が噴き出る。
噴き出たゲル状物資は瞬く間に、立体的な姿へと変わっていった。
「ハイ。エンジュちゃん!」
体内に残る全てを吐き出した少女は音を立てて倒れた。代わりに、エンジュの前に全裸のイーサーがいる。
エンジュは眼前の青髪、緑瞳、白い肌の少女に尋ねた。
「イーサー。聞いていいか?」
「何かなー?」
あられもない姿でもイーサーは平然としている。
「何故、裸?」
「あんな制服、着ていられ無いよ。ベタベタして臭いし。気持ち悪いから脱いじゃった。いやあ、気持ち悪かったー」
「だからと言って、すっぽんぽんはマズいだろ。他人の目もあるし」
「エンジュちゃん、他人目を気にするヒトだっけ?」
「事に依ってはね。俺だって一応、女子なんだぜ」
エンジュは顔を赤らめた。イーサーの裸体を見ているエンジュの方が恥ずかしくなってくる。
「そうだね。また、ギャラリーも集まって来たみたいだし。皆、懲りないね。命知らずの連中だなあ」
エンジュは自分のケープをイーサーに渡した。
「オイ。これで身体を隠せよ」
「どうしたのー? エンジュちゃん、妙に優しい」
イーサーはエンジュのケープを受け取る。
「おい、芋虫みたいのが、集まっているぜ」
目を逸らしたエンジュはイーサーの足元に集合する芋虫を見つけ、指さす。
「ん? 芋虫? ああ、なんだ。これね、アタシの肉片だよ」
「肉片?」
イーサーの応えにエンジュは眉をしかめる。
「うん。エンジュちゃんにブッ叩かれた時、散っちゃったんだ。それらが、集まってきたの」
「グロいな。見た目はヒトでもヤッパリ、スライムの化物だ」
「仕方ないよ。この美少女姿はコピーだから」
「コピーってなんだ?」
「真似したって、コト」
散らばっていた肉片は一つ、また一つとイーサーに貼り付き、一体化していく。
「グロといえば、あの大食い植物も気持ち悪かったね。メチャメチャ、グロだったよ」
「言うな」
エンジュはイーサーの言葉を遮った。
「その件に関して俺は非常にショックを受けている。手の掛かる奴ほど可愛いっていうじゃないか」
「でも、あの気持ち悪い子、初登場じゃん」
「まあ、必殺の奥の手だったのサ」
「ふーん。でも、アッサリ、バッサリだったね」
「言うな」
エンジュは再度、イーサーの言葉を遮った。
「従順で愛嬌も有ったのに。第一、めちゃ、値が張った」
「従順だった? 全然、そんな雰囲気無かったけどな」
「有ったんだよ」
「ふーん、初登場なのに? まあ、いいや。でも、愛嬌は無かったね」
「有ったんだよ」
「絶対無かった。食べられるの凄く嫌だったもん」
「イーヤ。キュートな食べ方で、俺は愛おしさすら感じたぜ! むしろ、お前の方がキモイ。ゲロ化した脱出で汚れているんじゃねぇか? なんか、臭いぜ」
「臭くなんか、ないもん」
「とにかく俺に触るな。でも、なあ、おい。自分が喰われる経験って、どうだ?」
「キモ怖いかな。でも、慣れるよ。お互い様だもん」
「慣れるって、なんだよ」
「慣れるって、慣れるって事だけどなあ」
イーサーは首に手を当て、あれ? と表情を曇らせた。
「ま、とにかく、スゲー再生能力だ」
エンジュの目の前に有るイーサーの傷一つ無い身体が、とてつもない再生能力を証明だった。
― 想像以上だ。
しかも、何回か、喰われた事も有るらしい。
― ひょっとしたら、イーサーは排泄物になっての復活も経験済みではないのか?
エンジュは臭さが気のせいでは無いように思えた。
― まあ、想像したくは無いなァ。
穴から出て来る様子を述べられてもかなわない、とエンジュは頭を掻いた。
「ねえ、エンジュちゃん。ペンダント見なかった?」
あれあれ、と首周りを気にしながら、イーサーは周囲を見渡している。
「ペンダント?」
「うん。あれ、大切な物なの」
「へー」
エンジュは周囲を探した。そして、きらり、と反射する光に気が付く。
「あれか? キタネエ肉片が引きずっているぞ」
イーサーはエンジュが示す方向に目を向ける。
「おっと、あれだ。良かったー」
肉片が引きずってきたペンダントをイーサーは大事そうに掌に包み、首に掛けた。厚みのあるペンダントトップがイーサーの心窩の位置に収まる。小柄なイーサーには不釣り合いな程の大きさだった。
「妙にデカいな。それ」
「うん。でも、良いの」
「思い入れでもあるのか?」
「分から無い」
イーサーはぎゅっとトップを握りしめる。
「でも、だから、むしろ、とても大切な物」
「へー」
大切な物、大切な人。そう言い切れる存在がエンジュには無い。第一、自分自身にその価値があるのだろうか。
「……。 」
イーサーのそんな姿を見て、エンジュの胸が少しだけ傷んだ。
― 煙草。
エンジュは無性に煙草が吸いたくなった。ぐるり、と投げたライターを探すが周囲には見当たらなかった。
「イーサー。俺のライターがその辺に転がっていないか?」
「無いみたいだよ」
見渡す周囲に転がっているのは破砕され、焦がされた植物の破片と、溶けかかった少女だけだった。
「そんなことよりさ。このコ、どうするの?」
イーサーは倒れた少女を足先でつついた。
「どうすっかなァ」
エンジュは腕を組む。本当はとっくに為すべき事は理解している。
「考える事、無いじゃん。保健室へ運ぼうよ。結構、ヤバい状況だしね」
「んー。ヌメッていて、触りたくないんだよ」
「エンジュちゃん。結構、鬼畜だね」
「そうかぁ」
エンジュはワルぶって見せた。
「この程度は普通だろう」
「嘘、嘘。ナンデも有りの修羅場な学園だからって、そんなにクールに振る舞わなくてもいいんじゃない」
「嘘じゃない。コレが俺の地なんだよ!」
「意固地になってヘンなの。ちょっと病的。根暗かも」
「いいか、ヒトは立場によって鬼にも畜生にもなる。立場が変われば見方も変わる。そうやってこの世界は成り立っているのだよ」
「エンジュちゃん。若干、十六歳で悟っちゃった? そんな事じゃ、あっという間に白髪のおばあちゃんだね」
うるせい、とエンジュは足元のススカスを蹴り飛ばした。
「それに、ワルの振りもバレバレ。似合わないもん」
ムスリ、とエンジュは煙草を取り出し、咥えた。イーサーはニタニタ、と笑う。
「ライターも無くし、珍種も黒焦げ。ついでにほっぺた、叩かれる。今回は損失おおきいねー。エンジュちゃん」
「全く、散々だった」
反論することもなく、心底思った。
エンジュは煙草を噛んだ。湿ったフィルターはぐちゃりとした歯応えで、しみ出した液体は他人の唾液のように口内の粘膜に絡みついた。
― 煙草、吸いたい。
そして、その紫煙に見たく無い自分、見せたくない自分を包み隠したいと思う。
エンジュは痛みが残る頬に手を当てた。当てた手の平が少しだけ熱かった。