カビキラー。
(3)カビキラー。
エンジュは少女を拘束するタイミングを計る。既に、拘束用の蔓は少女の背後に忍ばせてあり、行動はいつでも可能だった。
― まず、囮。
エンジュは多方向からの攻撃を早めた。唸る枝、撥ねる棘を少女は破壊していく。
― んで、アタック!
エンジュは念を送り、攻撃を緩めた。一瞬だけ攻撃か止む。あれ、と少女は怪しんだが、その瞬間をエンジュは見逃さず、蔓を動かした。
少女の背後から一気に伸びた蔓は少女を拘束する。最初、脚を固め、次いで腕が取られた。少女がはっ、とした時点は既に遅く、四肢は蔓に巻かれ、グルグルと身体ごと拘束されていた。
「単調すぎだ。馬鹿牛」
捕らわれた少女に向かって、言い放つ。
「んで、俺はカウガールって訳だ」
攻撃の最中、エンジュは眼鏡少女の頭部に小さな角を見つけていた。有角は多々いるが、エンジュは少女の正体にすぐ気が付いた。福音の印は伊達では無い。
「ウシならあの馬鹿力もタフさも納得できるぜ。ホントに、モー烈。なんつって」
エンジュは指を鳴らし、蔓の拘束を強化させた。幾重にも巻き付いた蔓が少女の身体に喰い込んでいく。
「だけど、雌牛のくせに貧乳なのが笑えるぜ」
ケタタ、とエンジュは笑う。
「鈍間な雌牛はこれで終わりだ。負けキャラはお前の方だったなァ」
少女の姿は蔓に覆われてしまって確認が出来ない。だが、隙間や凸凹から黒髪がはみ出ていて、少女がその中である事は確実であった。
「さてと」
エンジュは胸ポケットから煙草を取り出した。
「窒息させるか、括り殺すか、それとも打殺かな。まあ、簡単なのはこのまま窒息死だけれどナ」
― ナンバー13を使うまでも無かったか。
脳裏に浮かんだ考えを、それもいいさ、とエンジュは打ち消す。そして、慣れた手つきでライターを鳴らした。
カチリ、と耳慣れた金属音と脳奥に突き刺さる悲鳴を同時に感じた。
― ん?
なんだ、とエンジュが顔を上げた瞬間、繭状に丸まった蔓が弾け飛ぶ。
「うりゃ! 」
一閃の気合と共に少女が姿を現した。
少女は身体を震わせ、巻き付き、喰い込んでいた蔓を振り落とす。緩み切っていた幾本かの蔓が地面にどさり、と落ちた。続けて少女は肩周り垂れ下がった蔓を剥がし、粘って絡みつくものを引き千切り放り投げ続ける。
「マジか!」
大きく広げたエンジュの口から煙草が飛んだ。
「お前。やるねェ。半端なく、強いんじゃねー」
ヒトは半端なく驚かされると、喜び、感激の口調に変わる。
「面白れェ。マジ、面白れェ」
狂喜のエンジュに対し、少女は冷静だった。表情を変える事無く、歪み、ひび割れた眼鏡を手で押さえている。
「続けます? エンジュさん」
だが、言葉には凄味が有った。押し殺した、穏やかともいえる少女の怒りを言葉の節々に感じ、エンジュは更なる満足感を得る。
「当然じゃ! 」
エンジュの表情は輝き、目は力強さを増した。
「ねえかヨ!」
エンジュは植物系の生物を操ることが出来た。ただ、それは植物を奴隷のように扱える能力という訳では無い。植物にエンジュの望み、願いを叶えてもらう能力だと云った方が適切であろう。
つまり、エンジュの意に従わない『輩』もいるという事だ。
― マウ タンバハ ラギ……。
エンジュは自身の能力の欠点を理解していた。だから、普段は従順なヤツしか用いる事は無い。そいつらの手に余る時にだけ、エンジュは『輩』を使った。
エンジュにとって『輩』は必殺技では有るが、諸刃の剣なのだ。
エンジュは念を続ける。それに伴い、微かな変化が起こり始めた。二人の周囲には砕かれた枝や、投げ捨てられた蔓が転がっていた。それらから白い糸状のモノが溢れ出てきたのだ。
糸状のモノは波のように広がり、破砕された植物片、組織片に絡みつき、それらを飲み込んでいく。
― カビ?
眼鏡少女の歪んでぼやけた眼鏡でも、その変化が見えはじめた。その頃になると、飲み込まれた組織片は菌床となり、それらを宿主にして糸状のモノは更なる変化を開始する。
互いに折り合いながら音を立てて成長し、球状の形体を作り上げた。その間のスピードはすさまじく、成体株への成長までは数分の時すら必要では無かった。
「必殺技ナンバー13はいかがですかな?」
にたにた、とエンジュは笑う。
「これも技じゃ無いです」
片手で眼鏡、もう片手で口元を覆い、少女は言った。
「オカタイネェ」
「しかも、さっきのより気色悪いです。これも危惧種なら、いっそ絶滅させた方が皆の為だと思います。でも、まあ、いいや。それでコレからどうなるのですか?」
少女の表情は硬く、視線は鋭い。眼鏡の奥の瞳は一時もエンジュから反れる事はない。
「さぁて、どうなると思う?」
「分かりません。でも、私に破壊される事は間違いないと思います」
「オモローだよ、お前! 」
エンジュも視線を逸らさずに睨み合った。視界を掠める煙が邪魔で、エンジュは足元でくすぶる煙草を踏みにじった。
現状はエンジュが優勢である。武器や子分として働く植物は多く、それらを活用した攻撃は確実に相手に届いている。
一方、少女は己の拳だけで戦っており、その攻撃はエンジュの頬を掠った程度だ。
― だけど、ねェ。
牛系の獣少女がエンジュに傷を負わせたことは間違いが無い。何よりも、少女の瞳は未だ、強い光を放ち続けている。
エンジュは頬に手を当てた。頬の傷はすでに塞がり、血は止まっている。
― そういやあ、このタイプとヤッた事、あったなあ
エンジュは中断した思考を呼び戻す。
「ようよう。牛娘!」
エンジュが叫んだ。
「お前の名前を教えろヨ。俺、エンジュっていうんだ」
「そんな事、当然、知っていますよ」
「あ? そうだったなァ」
エンジュは少女の口から何度も呼ばれた事を思い出す。
「俺はお前が遅刻魔である事と、貧乳である事しか知らん。不公平だろ」
「それは不公平と言いません。失礼というのです」
「オカタイネェ」
「ええかげん、馬鹿けるのも止めが! 似た手ばっかりヤリおってしゃん!」
イキナリの発破音で打ち消され、少女の声はエンジュには届かなかった。成長しきった球状の株が弾け、破裂音を響かせる。破裂音は連続して響き、破裂口から霧状のモノが吐き出される。
「タイムリミット! 」
内容物を吐き出す巨大な成長株にエンジュ自身が若干の焦りを見せた。
「オイ」
エンジュは少女に言った。
「俺は戦略的撤退をする。続きはお前が生きていたらな」
エンジュは地下から有節植物を伸ばし、それに掴まった。
「ま。気張れヨ」
有節植物はエンジュを乗せ、グン、と伸びた。その間も成長株から吹き出る内容物は周囲に撒かれ、存在している全てに付着していった。
濃い霧のように漂う内容物は、ゆっくりと確実に眼鏡少女や野次馬達を包み込んでいく。
「んじゃ、ツーステップ!」
パチリ、十分な距離を取ったエンジュが指を鳴らした。
『霧』が付着したあらゆるモノから白い糸資が激流の勢いで溢れ出る。激流は自身と宿主を飲み込み、広がり続ける。
白い激流に呑み込まれたモノは、さらに惨状を広げる為の源となる。絡まり、膨らみ、弾けるを繰り返した。
繰り替えされる激流の中、悲鳴が止まない。隔離された空間から飛び出して来るヒトは皆、身体の至る所に菌糸を喰い込ませていた。
やがて激流は止み、霧が薄れてきた。霞の中、身体の至る所を菌糸に包まれた生徒がうずくまり、右往左往している。
「馬鹿だね、早く逃げていれば良いのに」
身を蝕むモノを排除しようと躍起になる生徒達の足掻きを、助けを求める叫びを聞いてエンジュはしょうもない奴らだ、と思った。
― 隣人に助けを求めたって、どんなに願ったって、無駄、無駄。
絶対的なピンチ時になれば、救いなど来ない。
― 弱い奴は、喰われるだけなのさ。
巨大株に潰された男子学生や、全身を白い糸で覆われ、狂ったように腕を振り回す女子学生。その他にも、泣きつづける男、泣く事も忘れ、立ちすくむ女。自身の状況を理解できずに唖然とする男女。
― 『運』が良ければ、助かるだろうぜ。
エンジュはそう思う。あの時の自分は『運』が良かった。だが、今は、これからはどうだろうか?
『運』は気まぐれなモノだ。そんな不安定なモノにエンジュは頼りたくなかった。顔も知らない奴等の気分で右往左往させられるのは、もう御免だ。
― 奴等に懇願しても無駄なのさ。そんなモノ、鼻先で笑われるだけだ。
だからエンジュは強さを求めた。雑種多様な生物の中、これ以上明確なモノ、確実なモノがあるだろうか?
答えは否。それしかない。
― そのくせ、俺は福音者だ。
額に有る印は『福音者』の証だ。そして、『福音者』には使命があった。
エンジュは頭を振り、弱気を払った。そして、霧に中から現れた少女を見つめた。牛系獣人の少女も白い糸状の生物に寄生されている。ただ、他と違い少女には混乱が無い。
少女はエンジュに歩み寄った。浸食が進む身体でも臆することなく、一歩、一歩と確実にエンジュとの距離を縮めてくる。
エンジュは少女の雰囲気が変わった事に気が付いた。眼鏡の奥にある瞳が今迄と異なる色を放っている。
「相当、悪趣味ですね」
歪んで、いびつな眼鏡をずり上げ、少女は言った。
「これじゃあ、手加減なしです。少しだけ、頭にきています」
「この程度は序の口さ。まだままだぜ」
エンジュは少女の角が一回り大きくなった事に気が付いた。白カビに蝕まれているが、身体も同様だ。
― うへぇ、パワーアップかよ。底なしだなァ。
エンジュは舌を巻いた。
これまでの少女のパワーと強靭な肉体は驚愕する程の代物だった。しかも、それが更に上昇したとなると、相当な厄介なものになっている事は間違いが無い。
「でも、これから、これからだぜ」
エンジュは愛用のライターを取り出した。
「その、筋っぽい肉をウエルダンにして喰ってやるサ」
エンジュは歩み寄る少女に言った。
「世の中、タフなだけでは勝て無いんだぜ」
ちよい、と連中に命令を出した。途端に成体株が弾けた。
大小、様々な株が次々と弾け、内容物を吐き散らす。周囲に広がる胞子は先程とは比較にならない程の濃さだ。
胞子は白い塊となり、その場に存在するすべてを隔離した。
少女の姿も隔離され、その姿は見えない。
「オラッ!」
エンジュは叫んだ。
周囲に待機させていたすべての植物を動かし、塊に攻撃を仕掛ける。枝が、蔓が、棘が音を立てながら、闇雲に突っ込んでいった。
「オラオラオラオラッ」
エンジュは植物群の攻撃を止めなかった。濃霧の中で見る事は出来ないが、確実に手応えは感じる。
― 頃合いだ。
エンジュは手にしたライターを点火する。
「ローストビーフは美味そうだ!」
ホラヨ、とエンジュは点火したライターを放り投げた。ライターは放物線を描き、霧の中へ消える。
チカリ、と火線が奔り轟音と爆風が生じた。
「ヒャホー」
エンジュは熱い爆風に制服をはためかせる。爆風は周囲に広がり、校舎の窓ガラスを砕き割った。
「火力は十分。出来は期待できそうだ」
エンジュの顔に熱い風と巻き上がる砂埃がぶつかる。エンジュは顔を反らし、傍の有節植物につかまった。やがて、爆風は止み、エンジュは閉じていた目を開いた。
「マジ……」
顔を上げたエンジュは自身の目を疑った。ジャリ、と地面を踏みしめる音がはっきりと耳に届いた。その途端に、エンジュは腹部から激しい衝撃と痛みを感じる。
「がっ」
見開いた眼に、少女の左拳が映った。左拳はエンジュの腹部に深々と突き刺さっている。耐え切れない嘔吐感に襲われ、エンジュは口を開いた。
「げぇえええ」
口から黄色い胃液が溢れた。胃液は糸を引きながら滴り、垂れていく。
「ぐぅうー」
少女の腕が抜かれた。エンジュは胃液が溢れる口を押え、膝を折った。
「げ、げ、げげげえええ」
呻きと胃液を吐き続けるエンジュの髪を少女は掴み、乱暴に引き起こした。ぷちり、と数本の金髪が切れた感覚がエンジュに伝わる。
「手加減したの、分かりますか?」
う、うう、とエンジュは呻く。
「エンジュさん。このカビを止めてください。出来ますよね?」
少女の制服は煤け、焦げ付き、引き裂かれている。露わになった肩には未だ活動を続ける菌糸があり、少女の身体を広く、深く、蝕み続けている事が分かった。
「なんで、へいき?」
少女はエンジュの頬を払った。パシリ、と乾いた音が周囲に響く。
「出来ますよね?」
「へっ、知るかよー」
乾いた音が再度、エンジュの言葉を遮る。
「出来なきゃ、続けるまでです。このまま、死にますか?」
顔を近づける少女の瞳は細く赤い。割れたレンズの奥から覗く瞳にエンジュは少女の本気を知った。
― 怖い。
恐怖はエンジュから争う気力を奪い、気力を失った途端、全身から力が失せた。
エンジュの脳裏に泣き虫だった頃の自分がよみがえる。
「ゴメン。勘弁してくれ」
頬から、唇から流れる血をそのままに、エンジュは呟いた。途端に地面や壁、生徒の体に喰い付いていたすべての植物、菌類が枯れ始め、崩れ落ちていった。
少女は自身の身体から剥がれ落ちたカビを眺め、エンジュの顔を覗き込んだ。
「今朝はこれでオシマイ。良いですよね」
うんうん、とエンジュは弱々しく頷いた。
よろしい、と敗北の意思を確認した少女は掴んでいた手を離す。エンジュは糸の切られた人形のように力なくその場に崩れた。
「始業時間前に済んで良かった。私はこれで失礼」
少女はエンジュに背を向ける。
「待てよ」
エンジュは少女を呼び止めた。
「名前は? まだ、聞いていなかったよな」
「M・J・クラリスです」
チラリと横顔を見せ、少女は言った。
「クラスメイトの名前ぐらい、憶えていてくださいね」
「そう云えば、アンタと以前もヤッた事あんなぁ」
エンジュは胡坐をかき、地面に座り直す。そして、煙草を取り出した。ポケットを弄りライターを探すが、無い事に気が付きその手を止めた。
「良い機会です。禁煙したらいかがですか? エンジュ・バルボッサさん」
「そりゃ、無理だ」
エンジュは少女を見上げる。
「死ぬまで止めないつもりだ」
「……。 では、ご勝手に」
少女は歩き出した。
― やっぱり、強い奴だな。
エンジュはクラリスを見送る。これ程の実力差のある相手だとは思いもしなかった。新しく入手した必殺技を使っても、全く歯が立たなかった。。
― しかし、アイツ、マジだったな。
赤い光を放った瞳には真の殺意が有った。
エンジュは手にした煙草をくるくると回す。だが、そんな事を続けていても仕方が無い。エンジュは立ち上がり、煙草をポケットに仕舞った。
― にしても、アイツは何処へ行くんだ?
『始業前』と言っていたクラリスだが、彼女の向かう方向に教室は無い。
― また遅刻だな。
エンジュは教えるつもりはない。可愛い程度の報復だ。
― にしても散々な朝だぜ。
エンジュは思考を放棄する。今のエンジュには推測すら億劫だった。