やすらぎの時。
〈12〉 やすらぎの時。
ワルぶってはいるが、聖女である。
悪鬼同士の営みを間近で見て、毒気に当てられぬわけがない。
ぷっつん。
エンジュは何かが途切れた感触を受ける。そして、そのまま意識を失った。
白い肌に長い黒髪の美しい女性。
細身の身体をフィットした黒いスーツが際立たせている。
何やら、慌ただしい様子。
隣にいる金髪の男性が心配そうな表情を見せる。
その表情に笑顔を返す黒髪の女性。
視界に、小さな手が映る。
気が付いた女性は笑顔を向ける。
そして、優しい笑顔で、手を広げた。
その胸に飛び込む幼いエンジュ。
女性の柔らかさ、温もりがエンジュを包んだ。
女性の茶色がかった瞳に自分が映っている。
そこから感じる安らぎと微かな不安。
エンジュは力を込め、女性にしがみつく。
― お母さん。
エンジュが目を開けた時、正面にイーサーの顔が有った。
「イーサー? 」
エンジュが声を掛けるとイーサーは目に溜まった涙を拭った。
「エンジュちゃん。気が付いた? 」
「うん」
「良かった」
エンジュは自分がイーサーの膝で寝ていた事を知る。
「そっかぁ。どうりで、寝心地が良い筈だ」
「ナニナニ? 」
「イーサーの膝枕が気持ちいいって言ったのさ。ずっと、していてくれたんだ? 」
「うん」
「ありがとう」
エンジュの言葉にイーサーは目を丸めた。
「いいよー。そんなに長い間じゃ、なかったし。それに、エンジュちゃんはちっとも重くないから平気だった」
「そうか。俺はどの位、寝ていたのかナ?」
「ちょっぴりだよ。どう? 気分は? 」
「うん。良くなった」
半身を起こし、フウとため息を吐く。未だ、本調子では無い。
「エンジュちゃん。無理しないで」
「そうだな」
労わる事、労われる事。親友関係とは良い物だ。エンジュは再びイーサーの膝に頭を載せた。
「そうだ。バフォメットたちは? 」
エンジュは悪寒の元凶となった悪鬼を訊ねる。
「二人ともバニーさんを探しに行ったよ」
イーサーはエンジュのヘアピンをいじくりながら答えた
「そうか」
「何用だろうね」
「さあな。姐御も面倒な奴だからねぇ。想像もつかん」
「そうだねぇ」
「しかも、相手がバフォメットとサタナキアかよ。あの悪鬼カップル相手じゃ、姐御も苦労するぜ」
「だよねぇ」
軽く笑いながらも、髪をいじくるイーサーの指はぎこちない。その違和感にエンジュは目を上げる。
「どうかしたのか? イーサー? 」
エンジュを見つめる緑色に戸惑いの色を感じる。その眼はエンジュに何かを訴えていた。
「イーサー? 」
エンジュはもう一度訊ねた。その一言がイーサーの背中を軽く押す。
「エンジュちゃん。あのね、あのさ、どう思う? 」
「何を、だ? 」
「サタナキアだよ」
以前、イーサーはサタナキアと親しかった。イーサーがアビアス学園に編入出来たのは、M・J・クラリス、サタナキア・ウエストランド、デル・ツヴァイリヒト・ボロックスの活躍に依るのだ。
当初、それら三人と行動を共にすることが多かったイーサーだが、次第に疎遠となり、今では挨拶程度の関係へとなってしまった。
「サタナキアは、なんだか、こう、ヘンになった」
イーサーは言いにくそうだ。
「クラリスもツヴァイリヒトもそうだよ。もうほとんど一緒に遊ばないんだ」
あんなに仲が良かったのにな、とイーサーの呟きにエンジュは少し寂しさを感じた。この寂しさは悔しさとも云える。
エンジュはむくり、と半身を起こした。
「そんなもんじゃねぇ? 初めは皆、張り切るもんさ。進学とか、進級の時期に良く有るじゃん。ひとつ、大人の階段上がってサ、新しい扉の向こう側に期待しちまうんだな。で、舞い上がって我を忘れる。でも、暫くするとフト、正気に戻る。大人への道なんて、この繰り返しだろうゼ」
「そうなのかなぁ」
「そうなんじゃねぇ? 知らんけど」
答えて、エンジュは思った。慰めようとしたのか、悔しくての意地悪なのか、分から無い。だが、半分以上は本心だ。
「イーサー。そんなに肩を落とすなよ。未だ、俺達は階段を登り切った訳じゃ無いんだぜ。一旦、踊り場で足踏み状態ってとこよ」
「上から目線のお言葉。エンジュちゃん、マジだね」
「そだよ。それにな……。 」
「あ! 分かったその続き」
イーサーはエンジュの半身を引き戻し、押し倒す。
「『俺がいるから寂しくはない』でしょ! 」
「ま。そんなトコだ」
「やっぱり、エンジュちゃーん。大好きー! 」