バフォメットが現れた 2.
(11)バフォメットが現れた 2。
「これーは、これは。エンジュ。運命の出会いだねぇ、これぞカミサマのお導き。言い逃れは出来ましぇーん」
とぼけた声がした。
この声は! とエンジュとイーサーは転げ回る事を止める。見上げた先に双角の頭があり、魔系と分かる男子が立っている。
「授業中の筈だぜ。この学園の奴は不真面目だなァ」
知らん、無視、無視、と、しがみ付くイーサーをどかし、エンジュは立ち上がった。キング・バフォメットに冷ややかな視線を向けると、さーて再開すっかな、とエンジュはカチカチを手にした。
「授業など無意味じゃん。青春時代には不要だよー。アナタもアナタも同じでしょう! そんなお気嫌いはノーサンキューね。僕達の仲じゃ、アーりませんか」
「長い青春だな。一体、何年学園に居るつもりだヨ? 」
「望まれるだけいます。アナタ達も望んでいる、でしヨ」
「誰も望んでねぇよ。やっぱり、キング・馬鹿メットか」
「そんな事無いーっ、と断言できますよぅ」
本気の屈託のない微笑みに、エンジュに疲労感が現れる。
「分かった。十分だ。消えてくれ、バフォメット。お前なんか用無しだゼ」
「冷たいなあ。でも、ソレって本気じゃ無いね」
「本気だよ。死ね」
「エンジュって、相変わらずクール、クール」
バフォメットは左右の指でエンジュを指す。
「それは、恥ずかしがり屋さんの裏返し。さあ、言葉にする勇気をもって! 」
「喧しい! 馬鹿がうつる。近寄るな! 」
図星のエンジュはムキになった。
「とにかく、消えな、消えてくれ」
「オー。そんなに毛嫌いすんなよおぅ」
「無理だね」
エンジュはあくまで冷徹に接した。だが、イーサーにはそのようには見え無い様だ。
「エンジュちゃん。キングと仲良しだねぇ」
横でイーサーがエンジュの脇腹を突っつく。
「馬鹿な! バフォメットは痴人なだけだよ」
「わー。エンジュちゃんが動揺している。珍しい」
「していません」
「おやおや~? 」
イーサーは突っつきを止めない。
「おんやぁ。君はイーサーじゃないかーつ! いつ来たの?」
「お前は何処に目を付けているんだよ」
「アンタより先に居ます。ずーっと此処に居ました」
バフォメットは一瞬で二人の元に駆け寄る。
「おんやぁ。キミはこんなに巨乳だったかーい? 」
バフォメットは収縮性に富む布を膨らませたイーサーに手を伸ばす。その手をエンジュが払い除けた。
「さっき、巨乳になったんだ」
エンジュの脇腹に鋭い痛みが走った。
「おうっつ! イテーじゃねーか!」
「エンジュちゃん! 余計な事は言わないの! 」
「お前、何を言ってんだよ、欲望まみれの悪の手から守ってやったんだぜ! 」
「それは感謝しているけれどね」
二人の間にバフォメットが割り込んだ。
「ふたりとも、僕の為に争わないでくれよ」
「コイツ、マジでキング馬鹿だ」
「学園有名人NO.1は伊達じゃないよね」
へー、と二人の関心にバフォメットは満足な顔をする。
「それだけじゃ無いんだよう」
バフォメットはオーバーアクションを止めない。
「僕は、アビアス学園でキングの称号を最長期間維持しているんだぜぃ」
「そうだよな、お前は強いよな。そんで、馬鹿だよな」
「その通りだよ、エンジュ」
バフォメットは黒髪を掻き上げ、流し目を向ける。
「こんな僕を理解してくれるかい? イーサーちゃん」
「うん」
アテられたイーサーは頷く事しか出来ない。
「ねー、エンジュちゃん。バフォメットはどのくらいの間、キングなのかな? 」
「想像もつかねぇなあ。聞いてみれば? 」
イーサーはバフォメットをまじまじ、と見る。
「あのさ、バフォメットはどのくらいの間、キングなの ?」
イーサーの問いにバフォメットは手を開き、指折り数え始める。
「んんーっつ。両手両足じゃあ、足りないなあ」
「げげげ。学園設立より古いのかよ」
「キング。あのね、生きる場所は学園だけじゃないって、思わない? 考えてみようよ」
「イーサーちゃーん。君は優しいねぇ」
バフォメットはイーサーの前に膝間付く。
「感謝感激! 」
バフォメットはイーサーの手を取り、流れる動作で唇を近づけた。触れる寸前にイーサーの手が変形し、それを躱す。
「ブチューゥ。オンヤァ? な、なんじゃ、こりゃーぁ」
驚くバフォメットをエンジュが笑った。
「逃げられたな」
「超ビックリー! いったい、何を、どうした? イーサーちゃーん」
「だって、アタシの手、食べようとしたじゃない」
「オゥ、マイ、ガッド! シナイよ、そんな事。これでもジョーシキ人よ。ワターシ」
「嘘だー。絶対、嘘だ」
バフォメットを振りほどき、ぶんぶん、と振り回す手は次第に元通りになっていく。
「心底ラブ・コミュニケーションなのにぃ! 誤解、アーンド、ビックリ。そして、がっかり」
「エンジュちゃん。バフォメットってクドイよね」
「しかも、馬鹿だ」
「うおおおお! なんだか、悔しいぞ。こんなことは初めてだぃ」
バフォメットが意味無く喧しい。
「バフォメット。イーサーがスライム娘ってことを、お前は知っていた筈だろう?」
カチカチ、カチカチ、とエンジュはカチカチを鳴らす。
「あんとき、あそこに居たじゃねえか」
「あの時? スライムガール? どーでしたかなぁ。まあ、超有名のスライムガールがこんなにプリティ&グラマーだったとは! ラッキーでワイナ」
バフォメットは手を叩き、ワイナワイナ、と喜んでいる。
「エンジュちゃん。アタシ、このヒト、怖いんだけれど」
「それが素直な感想だな」
二人の言葉をみみにした、バフォメットは髪を掻き上げる。
「ヒーローと有名人は誤解も多いモンだよん」
「ヒーロー? もしかして、バフォメットは助けに来てくれたの? 」
「そんな訳ない。痴呆症の徘徊だ」
エンジュと違い、イーサーには免疫が無い。しかも、素直な性格は希望を持たずにいられない。
「僕はね、困っているヒト、助けを求めているヒト、すべてのヒトを救いますよほー」
「すごーい。やったー! 良かったね、エンジュちゃん」
素直な気持ちがあれば、どんな些細な事にも目を輝かせ、喜ぶことが出来る。だが、それは只の幼さなのかもしれない。
「嘘っぱちだよ。奴の言う事なんか、聞くな」
「え! 嘘だったんだ。ショック! 」
誰しも幼いままでいたいと願う。だが、それは不可能だ。時が止まらぬ限り、世界が滅亡せぬ限り、ヒトはあらゆる場で世知辛さを知り、瞳の輝きを失っていく。
成長とは老化の事では無い。知る事が成長なのだ。
そして、現在、イーサーは新たな成長の場を迎える。
「バフォメットはな、女王様が鞭で叩かないとナニもセン」
「え! ムチって?」
ひゅんひゅんって、ヤツでしょう、とイーサーが身振りで表すと、エンジュがウンウンその通り、と頷いた。
「酷ーい! 逃げればいいじゃん、バフォメット!」
「ホワーイ? 何故、逃げる必要があるのだーい?」
何故なんだぁ? と、バフォメットは意味不明、理解不能の表情をする。何故かしらぁ? と、イーサーも意味不明、理解不能の表情だ。そして、エンジュが回答をする。
「バフォメットは鞭の虜だぁ」
「鞭の虜? 」
イーサーはエンジュの言葉に首を傾げる。
「なんでも『愛のムチ』なんだとさ。そりゃ、勘違いだヨ。バフォメットは無恥だから」
「分かったような、分からないような。とにかく、可哀想なヒトなんだね」
「イエッス、イエス、イエス。そのとおーり。なんて可哀想なんだーっ。愛、愛、愛、アイ。求められるすべてに応える事が出来ないボクはーっ。こんなにも想って、想われているのに。ああ、痛すぎる、マイハート」
「少なくともアタマは可哀想だ」
エンジュは手を休め、煙草を咥えた。ポケットを探り、マッチを擦った。邪魔者の出現と小休憩ばかりで作業は殆ど進んではいない。
「季節無く発情している黒山羊はキモイーのナ」
エンジュは煙草の灰をぽとり、と落とす。
「そだねー。病気だねー」
指を組み、イーサーも同意する。その瞳に新たな色が加わっていた。
「さらにだ。コイツは自称『鬼畜系』だ。喧しくて間抜けな鬼畜系なんて、冴えねえぜ」
「ぜんぜん、似合わないよ。バフォメットにお似合いなのは鬼畜系じゃなく『家畜系』だよね。山羊角もあるし」
「おっと、巧いコト言うじゃん。コイツ、マジで飼育されているしな。鞭を鳴らす女王様のペット魔だぜ。ケケケケ(笑)」
「ワーッ。調教済みだ。良いの? こんな所でオイタしていると鞭でたたかれるよ」
「『ぺしん、イタイ、イタキモチイイー』とか、言っちゃう?メチャお似合いじゃねーか」
「それがバフォメットの幸福なんだね」
「『痛い』幸せか。多様の幸福の中、相当『イタイ』幸福を得たって事だナ」
「うん。流石はチャンピオンだ。オンリーワンだね」
「ぶっつ!」
その拍子にエンジュの口から煙草が飛んだ。それを意にせず、エンジュはケタタタ、とイーサーと笑い合う。
「イイかーい、キミタチ。愛にスタイルやアイテムという、微小なモノは全くもって、意味なーい」
いくら揶揄われても、全くもって、バフォメットに動揺は無い。
「鞭が有ろうと無かろうと、ヒールだろうがスリッパだろうが平手だろうが、あれもこれもすべてが情熱的愛情のスタイルなのだ。ワッカールかい?」
「分かんねーよ」
「ごめんなさい。アタシもサッパリ」
笑われてもらった、と二人は乱れた衣服を見合わせる。転がっていた名残の、ススカスやら土屑やらが至る処に付いていた。パパパン、とイーサーはエンジュのそれを払い、エンジュも同様にイーサーの埃を払った。
「じゃあな、邪魔メット。俺達仕事がある蚊らさ、消えてくれ」
「十分に笑わせてもらいました。じゃね、バイバイ」
「オゥ―。なんてこったい。そんな、冷たいじゃないーか。もうすこーし、一緒にネ。おんやぁ? 」
バフォメットはエンジュとイーサーを見比べた。
「エンジュとイーサーちゃんはそこはかとなく似ている。しかも、何だか、誰だか、似ているようで、似ていない。特に胸だけ。嗚呼、僕を助けてくれ、ミューズ! プリーズ」
「イイから消えろ!」
「しつこいねぇ」
「そう云われてもさ、僕にも用件が有って来たんだよぉ。あれ? 何故いないーっ」
「はあ? 」
何、言ってんだ、と二人は首を傾げた。
「シマッタ。つい、ツイツイツイツイ、ユーたちとの会話が弾んでしまい、オー。アイアムミスティク!」
バフォメットは頭を掻きむしり、屈みこむ。ショックな様子だが、どこかしら胡散臭さがあった。信頼は日頃の行動の堆積物である。
「お前は生まれて来た事がミステイクだぞ」
エンジュは足元に有ったススカスを拾い、ぽい、とバフォメットに投げた。
「それに弾む会話なんか、なかったよ」
ぽいぽい、とイーサーもススカスを投げる。
「オッケー。冷静に、クールになれ。だが、情熱だけは失うな。オウ、猛烈」
うつむき、うなだれるバフォメット。その様子を見ているのもツマラなくは無い。だが、バフォメットの相手はもう十分である。二人はゲップが出る程、バフォメットを堪能した。だから、無視する。
「さーて、さて。イーサー、お前も手伝えよ。友達だろ」
「いいよ。じゃあ、カチカチ貸して」
「コレか? まあいいや。ほいよ」
「んじゃ、カチカチっと終わらせてランチにしようよ」
「早弁か、イイね。そうすっか」
エンジュはその場にしゃがみこみ、煙草に火をつけた。
「あれ、エンジュちゃんは何すんの?」
「監督だ」
「えー、ずるいー」
「ズルイって、そりゃ、こっちのセリフだ。お前、さっきまで何もやっていねーじゃ、ねえかよ」
「仕方ないよ。さっきまでバニーさんが居たんだから」
「仕方ないだぁ? そのくせ、随分と楽しそうでしたねぇ」
「あー。なんだ、エンジュちゃん、妬いているんだ、そうでしょ?」
「ゼンゼン違います」
「エクスキューズ、きみい。へいへいへいへい。チョットイイかい? 」
バフォメットが復活の兆しを見せる。
「その、バニーさんは何処に行ったのかなー? 」
暫く無視をしていたが、バフォメットだからしつこい。エンジュとイーサーは根負けする。
「馬鹿メット」
エンジュは腕を組む。イーサーも真似て腕を組んだので、明確な違いが確認できた。
「んー? 」
イーサーの胸部を凝視するバフォメット。エンジュは握った拳を懸命に堪えた。
「お前さ、姐御に要件があるのか?」
「そうだよ」
バフォメットは視線を逸らす事も無い。
「なるほどな。だから此処に来たんだな」
「まーねー」
「なら、早くバニー先輩を追いかけなよ。アタシのオッパイばっかり見ていないでさ。イヤラシイなあ」
「誤解―、じゃないね」
「当たり前だ! さっきからガン見し放題じゃねーか! 」
エンジュが投げたススカスがバフォメットの髪に引っ付く。やめろよ、と、黒い長髪をさらりと流し、バフォメットは言った。
「愛の狩人として僕は終焉まで突き進む事を約束する」
「コイツ、一体、何を言い出す気だ?」
「そんな事、予測不可能ですよー」
そりゃそうだ、と納得するエンジュ。
「もうどうでもいいや。バフォメット、姐御の行方なんか、知らん」
「そんな、ここが愛の終焉地。そして、新たなスタート地点。あれ、そーいえば、エンジュも僕を望んでいたじゃあーりませんか」
魔法に捕らわれたように動かなくなるエンジュ。そして、膝下からがっくりと崩れ落ちた。
「げ、ホントなの? エンジュちゃん?」
イーサーは駆け寄り、エンジュの方に手を掛けた。
「う、嘘に決まってんじゃん」
エンジュは震え、吐き出すように答える。
「わ―。ホントなんだ! 本当なんでしょう? エンジュちゃん。そっか、だから『恋バナ、恋バナ』だったんだね」
イーサーの指摘にエンジュは顔の色を変える。
「違う。新歓コンパで居合わせただけなんだ。その雰囲気に呑まれただけなんだ」
済んだ事、過去は変えようが無い、と歯を食いしばり、後悔に耐えるエンジュ。だが、イーサーはそんな美徳に無関心だ。
「えー! 新歓コンパ! アタシは誘われなかったよ! 」
「俺達、その頃は親しくなかったしな。ま、済んでしまった事だよ」
「ブー、ずっこい、ずっこい」
イーサーはむくれて、カチカチを放り投げる。
「エンジュちゃんは親友のアタシに隠し事をしていたんだね。親友でも、やってはいけない事もあるよ! 」
「プリッティ、イーサー。それは違うんだぜ」
バフォメットが口を挟んだ。
「隠す事もアーイ。裏切りの行為も愛が存在する。本当に愛の形は多種多様の多面体なのさ。何年もこの学園で学ぶ身体でいるが、未だ不可解。ああ、僕は暗闇の中にいる盲人だーっ」
「不可解なのはお前だよ」
バフォメットの奇声交じりの主張は少しだけエンジュの胸に応えた。イーサーも目を丸めているのだから、少なからず影響があったのだろう。
「えーっとさ、バフォメットって何学年なの? で、何歳? 」
イーサーがバフォメットに訊ねた。
「は、は、はーっ。結論や答えを求め急ぐ事は若人の悪しき点だ。先は長いぞ。この先、とてもとても長く生きるのだから何も焦ることは無―い」
「それは違うわ」
鋭利な声がバフォメットの言葉を遮った。顔を向けたエンジュ達はサタナキアの姿を見つけた。
「ヒトによってはとても短い人生もあるわよ」
長い黒髪を羊角に絡ませ、サタナキア・ウエストランドは言った。
「突然に幕が下りる事は少なくは無い」
「サタナキアじゃないーか、何故ここにいるんだい?」
サタナキアは静かに言った。
「それは、私の勝手」
サタナキアは静かにバフォメットに歩み寄る。
「バフォメットこそ、あのコトは終わったの?」
「まっだデース」
「そう」
いきなりサタナキアが拳を振り上げた。その拳はバフォメットの顔面を捕え、派手に吹き飛ばす。
「はうっ」
バフォメットは気持ちよく吹き飛んだ。
「バフォメット」
グーの拳を振り下ろした少女は再び、おとなし気な姿に戻りバフォメットを見下ろす。
「立場をわきまえているの? あなたはペット。従順で居るから可愛がって貰える只の家畜よ」
「オー、サタナキア。ゾクゾクしちゃうよ。そうさ、それが僕達の愛のスターイルさ」
「なら従順でいて。で、バニーは?」
サタナキアの手にはいつの間にか鞭が握られていた。そして、ぱちり、と音を立てる。
「狩った?」
「未だデス。はうっつ」
空を切って、バフォメットに向かって鞭が飛んだ。
「ボク―が来たときは既に去ったあとダッタンダー。居なかった。ホントウダー。此処にはそこの二人だけが居て、僕に好意を持って迎えてクレタンダー。そして、僕らは愛についてカタッタノサー。はうっつ」
ペシ、ペシ、とその間にも頻繁に鳴る鞭の音に、傍観者となった二人は浮足立つ。
「や、ヤバそうな雰囲気だナ」
「アタシには、これ、刺激が強すぎるー」
エンジュとイーサーは突如始まったSMショウにドン引きだった。