トモダチ。
(10) トモダチ。
「ゴブリンズが相手か。アイツが治るまで半年間、必要らしいしなァ」
その間、どうすっかな、と紫煙の中でエンジュは悩んでいた。
「そもそも、完治するのかさえ疑問だ。あのまま、死んじまう可能性もあるしなぁ」
第一、檳榔樹って医者も信用できないぜ、とエンジュは思った。
「あそこまで溶けたんだぜ。あー、思いだしただけで悪寒がする」
エンジュは残ったフィルターをぽい、と投げた。次第に薄くなる紫煙。
「奴が死んじまったらゾンビになるかもなァ。ゾンビとの再会ってのは御免だぜ」
溶けかかった顔、焦げた躰に追われる自分を想像してエンジュは溜息をつく。だが、ゾンビになるのにも、それ相応の条件が必要で、簡単に成れる訳では無い。
「どうすっかなァ」
考えがまとまらないエンジュはバニーに呼ばれて顔を上げる。
「そろそろ、お悩みの解決法は見つかった? 」
「まだですねェ」
エンジュは正直に答えた。
「弱気じゃない」
「そりゃ、そうっスよ」
エンジュは困惑の原因を口にした。
「相手はゴブリンズですよ」
押忍押忍押忍と暑苦しい輩をエンジュは思い出す。
「個性的な連中よね」
「アクが強すぎっすよ。あれじゃあ、漫才師だ」
「巧いこと言うわ」
「白T、デブS、チビN、笑H、メガネM、喋らんK、阿保A、雌Y、狂R、涙W、暗黒Z。全員そろって、『てなもんや11小鬼』だとさ。なんて奴らだ! 」
エンジュは図々しいぜ、と天を仰ぐ。
「バニーさん。『てなもんや』って、何? どういう意味? 」
暫く聞き役だったイーサーが訊ねた。
「諸説あるわ。調べてみて」
バニーはイーサーを揶揄うように微笑む。
「えー。めんどくさい」
「『みたいなモン』ってことだ。覚えておけ、イーサー」
エンジュもそれなりに物知りである。
「じゃあ、その『手長エビ11匹』は強いのかな? 」
「『手長エビ』じゃ無くて『てなもんや』だ。『11匹』で無くて『11小鬼』だよ! 」
エンジュの突っ込みは結構激しい。
「メンバーに強い奴もいるわよ。でも、殆どがヘタレね」
「じゃあ、平気じゃん」
悩む事無いよ、とイーサーはエンジュと向き合う。
「エンジュちゃんはきっと勝!」
ガッツポーズと笑顔のイーサーを前に、エンジュとバニーは頭を振った。イーサーはゴブリンズを知ら無いのだろう。
「イーサー。『ゴブリンズ』は厄介なのよ」
「そうだぜ。奴らは滅茶苦茶、厄介者なんだ。あいつ等はクドイ、煩い、面倒臭い」
「ふーん。あのヒトとかぶるネ」
イーサーの言葉にエンジュとバニーはブツ、と噴き出す。
「ああ。いるな」
「確かに。『彼』もくどいわね」
イーサーも、そうだよね、と頷いた。
「確かにゴブリンズは厄介だわ。でも、怖いのは複数だからよ。だから、一人じゃ無ければナントカなるんじゃない? 共闘するなら勝率は上がるわよね」
バニーのアドバイスは珍しい。稀に見るバニーの親切心にエンジュは少しだけ希望を持つ。
「姐御。ひょっとして、手伝ってくれるんスか?」
バニーが共闘するなら、勝率は格段に跳ね上がる筈だ。
「その気は無いわ。さっき、言ったでしょ」
「何だよ。期待させといてヨォ」
エンジュがキレた。バニーは動じる事無く言った。
「エンジュには、アテが有るじゃない」
「自慢じゃ無いスッけれど、ありませんね」
エンジュはいくつかの顔を思い浮かべるが、どれも好意的な関係を築いていない。
「顔を合わせた途端に、躍りかかって来る奴らばかりッス」
「それも身から出た錆よね」
「否定はしません」
憮然とエンジュは吐き出した。
「エンジュちゃん。見境ないから」
エンジュに降りかかる厄災の原因は、この一言で説明できる。
「なら、彼等のウイークポイントを攻めるのね」
「また、適当なアドバイスだな」
憮然としたエンジュの態度は変わらない。
「で、そのウイークポイントってどこです? 」
「さあね」
「ほら見ろ、適当事ばっかりじゃねーか。姐御の腹は真っ黒だな」
「本当に、失礼な後輩ね」
バニーは再び、イーサーを捕まえ、頭を撫でる。
「エンジュには“仲良し”がいるでしょ」
「仲良し、ねェ」
確かに、イーサーとは毎朝、喧嘩する程仲が良い。
「ううーん」
だが、それを容易く認めたくはないエンジュだった。
エンジュがうーんうん、と悩む様を見ていたバニーは突然、耳を動かした。ぴくり、ぴくり、と何かを感知した耳が動く。
「あー。そうだ。じゃあ、バーイ」
バニーはイーサーを手放し、二人の元から離れた。前触れも無くいきなり放り出された二人は、その成熟した後ろ姿を見送る事しか出来ない。
「なんだ? 姐御、唐突だな」
エンジュは新たな一本を咥える。
「エンジュちゃん。バニーさんって素敵だよね。優しくて、美人で、物知りで、強くて、スタイルも良い」
ほう、と溜息をつくイーサーを横目にエンジュは思った。
― イーサーと共闘してぇなぁ。でも、どう切り出すべきか。
イーサーに『一緒に闘って』が言えないエンジュだった。
「そうだ、エンジュちゃん」
「あ? 」
イーサーはエンジュの正面に立った。視界の全てを全身で遮る。
「アタシのコト、どう思う」
エンジュはイーサーの全身を眺める。。
「随分とボインちゃんになったと思うゼ」
咥え煙草をしながらエンジュは乱れた髪を直した。撥ね回った髪を撫でつけて整える。ポケットから大きめのヘアピンを取り出し、ショートボブな金髪を留めた。
「朝に比べると、まるで別人だ」
パンパンに張ったイーサーの胸元を煙草で示した。テヘヘ、と照れるイーサーだったが、ちがうちがう、と首を振る。
「エンジュちゃん!」
「だから、何だよ。おい、まさか、再戦かヨ」
「違うよ。そうじゃ、無い」
勘違いがスゴイよ、とイーサーはエンジュの手を取った。冷たく、滑らかな感触がエンジュの掌を包みこむ。
「アタシ、関係を訂正しても良いよ」
「ナニソレ?」
驚き、エンジュは咥えていた煙草を落とした。
「不倫の清算みたいだなぁ。本指名もマダだぜ。意味解んねェなぁ」
とぼけた言葉で気持ちを濁すエンジュに、イーサーは近寄った。エンジュの鼻息が荒く当たるほど、イーサーの顔は近くにある。
「エンジュちゃん。困っているんでしょ。そんで、悩み、助けを求めている」
「そんな露骨に言われると、なんか、殴りたくなるな」
コノヤロ、とエンジュは拳を握るが、イーサーはその手を放さない。
「アタシ、努力するわ」
「ほ?」
「理解するための努力が友達の証よ」
「リカイスルタメノドリョクガトモダチノアカシ? 」
「そう」
イーサーは頷く。
「考えてみれば、アタシも無関係では無いの」
「何の事? 」
「消化未遂の女子学生の件だよ」
「今頃分かったのかよ。初めから無関係じゃねーっ、て言っていたダロ。聞いとけ」
「主犯はエンジュちゃんだけれどね」
「うるさい」
「でも、弱気なエンジュちゃんなんて、ヤダよ」
エンジュはイーサーの手を振り解き、落とした煙草を拾った。咥えてみると、火が消えている。エンジュは再びマッチを擦った。
シケモクも味がある。それが、今の心境にぴったりだった。
「でもよ、弱気にもなるぜ」
ふー、と煙を吐き出し、エンジュは本心が言えた。感謝すべき、ニコチンの効能である。
「平気だよ。アタシが一緒に居てあげるよ」
「……。 」
ふーふー、と煙を吐き出し、エンジュは潤んだ目を拭った。感謝すべき、煙の効果である。
「ゴブリンズだけじゃない。その他の悪者も、エンジュちゃんと一緒にやっつけるよ」
「……。 」
ふーふーふー、とエンジュは煙を吐く。エンジュは煙の中に身体を隠した。感謝すべき、煙草の存在である。
エンジュは咥えた煙草の先端から上る煙を見つめる。揺れる煙が、zxcvbんm、言葉に出来ない気持ちのようだ。
「肉団子にされて喰われるかもな。ゴブリンの胃袋はデカいゼ。奴等は何でも喰っちまう」
「平気だよ。あの子からも出てこれたし」
「経験者か。大人だな」
「うん」
「でも俺は未経験だ。しかも、挽肉にされたり、喰われたらそれでオシマイ」
「可愛そうなエンジュちゃん」
「そうだよ! 」
エンジュはイーサーの顔を見つめた。
「俺は、可愛そうな存在だ。危険な海を漂う小魚ちゃんだ。誰よりも小さく弱い存在なんだよ」
「そんな風にはみえないけれどなあ。ガラ悪いし」
「違う! 」
エンジュの告白が始まった。
「俺はか弱い小魚ちゃんだ。今まで必死に強がった。そして今、俺の頭に稲妻が走った。こんな経験、イーサーにはあるかよ? 」
「あるよ。サタナキアの稲妻はすごかった」
「違う! リアルな電光じゃない! 目の闇が晴れる感覚を、お前は経験したことがあるのか、と聞いたんだ! 」
「そんなの無いよ。あのさ、エンジュちゃん。ひょっとして、この話長くなる?」
「ああ。チト、長い」
「分かった。覚悟する」
「よろしい。で、俺は頭の中に保管された文献を漁った。半端な量じゃねえぞ。そして、見つけた」
「エンジュちゃんの頭の中に本があるの? へーんなの」
「違う! たくさん勉強した事を比喩的に、格好良く言ったんだ! 」
「カッコよく無いよ。むしろ、ヘンだよ」
「ほっとけ! ま、とにかくだ。俺は文献を探り、そして見つけた。おい、イーサー。この話、知っているか?」
「知んない」
「そりゃそうだ。まだ話してないしぃ。……って、ボケに突っ込む間が惜しい。とにかくだ。俺は、ある小魚ちゃんの生涯が記された一冊を見つけたのだ。イーサー、この文献を知っているか? 」
「知んない」
「無教養だな」
「話、長いよ~。早く終わらせてよ」
「待て。あと、もうちょいだ。で、文献には、その赤い小魚ちゃんは敵だらけの大海を生き抜く術が描かれている」
「へー、スゴイ。で、どうしたの? 」
「うん。小魚ちゃんはお友達と一緒に居る事にしたのサ。いっつもな」
「へー。それから? 」
「これで、お仕舞い」
「なんだ、それ? それで食べられなくなったの?」
「なった。メチャ、安全、安心を手に入れた」
「ふーん。じゃあサ、エンジュちゃんもアタシと一緒に居れば、食べられないね」
「その通り! 」
策士策に溺れると言うが、この小魚は何とか泳ぎ切ったようだ。
「くたびれたなあ。まどろっこしいんだから、エンジュちゃんは」
イーサーはあーあ、と欠伸をした。ついでに、オイチ、ニ、っと腕を振り、背筋を伸ばす。
「『友達になって』の一言で済むじゃない」
「照れるだろ。それに、拒否られたら嫌じゃんか」
「大丈夫だよ! 」
イーサーは屈伸運動を終え、満足したかのように深呼吸で呼吸を整えた。
「アタシね、エンジュちゃんの事、大好きだもん!」
言い終わると、おりゃ、とイーサーはエンジュに飛び掛かった。その身体を受けきれずにエンジュは後ろに倒れた。イーサーも一緒に抱き着いたまま倒れ込む。
「エンジュちゃん、エンジュちゃん、エンジュちゃん」
「はいはいはい」
「エンジュちゃん、エンジュちゃん、エンジュちゃん」
「分かった、分かった。もう十分だ。離れろよ」
「ヤダ。もうちょっと」
「俺にはそっちの趣味は無いんだヨ」
「何を言ってんの? これは友情の証でしょ」
「行き過ぎで無いか?」
「この位じゃ、足りないくらいだよ」
「そりゃ、どうも」
エンジュは空を仰いだ。そして、空が青い事に気が付く。当たり前だが、その当たり前の事が妙に嬉しい。これをイーサーに教えたいと思った。
― こんな気持ちは初めてだ。
「見ろよ、空が青いぜ」
「青いね。雲もあるよ。アタシさ、なんだか嬉しいんだ」
「うん。イーサー」
「なーに? エンジュちゃん」
「俺とさ、友達になってくれるか」
赤面しながら、告白するエンジュ。
「うん。うん。エンジュちゃん」
ばたばた、とエンジュの隣でイーサーは転がりまくる。
「アタシ達、今日から友達だね」
「やべーな」
エンジュは鼻頭を掻いた。込み上げてくるのは恥ずかしさだけでは無い。
「ストレートな表現は照れるぜ」
「でもさ、でもさでもさ、で・も・さ」
イーサーはエンジュの顔を覗き込んだ。
「アタシはそっちの方が、何倍も、何十倍も嬉しいよ」
「そっか」
エンジュは半身を起こした。
「よろしくな、イーサー」
「うん。アタシ、とーっても嬉しい! 今日は最高の気分だよ! 」
とう、とイーサーは再びエンジュの半身に飛びついた。触れあった頬の感触をエンジュは忘れたくないと思った。