ハンモック
「さて、まずは寝床を作るわよ」
バケツから解放されたレナが元気よく言った。顔色が悪く、空元気だと解るが、カイルはそっとしておくことにした。
ようやく会が終わったのは、つい先ほど、既に日が落ちていた。
最下層甲板には日の光は届かず、ランプの蝋燭―火が飛び散らないようにガラスで仕切られた容器の中に火の付いた蝋燭が入っている―の光だけが灯りであるため、気が付きにくかった。
そのため、二人は眠い目を擦って寝床を作ることになってしまった。
「さて、とりあえず箱を使って並べますか」
上着を脱いでラフな格好になったレナは、置いてあった箱を指して言った。
「え? これを?」
「そうよ。丁度良い大きさだし、並べてベットにするの。何か文句がある?」
「うん、これは武器庫だよ」
候補生の部屋には幾つもの箱がある。
候補生の私物を入れる箱もあるが、大半は銃や剣を入れておく武器庫だ。
「武器って、どうして置いてあるのよ」
「武器の管理も士官の役目の一つだからね」
海戦となれば斬り込んだり斬り込まれる事が多い。その時のために武器を用意しているが、キチンと管理していないと水兵達が不満を持ったときに武装して反乱を起こす可能性がある。
そのため、反乱防止の為に通常は士官が武器を管理している。士官室がガンルームと呼ばれるのは武器を管理する部屋に士官が居住したからだ。
アルビオン帝国海軍では今でも士官室に武器を置いており、士官候補生も士官の一員とし武器の一部を任されていた。
「その上に寝るのは不味いわね」
「そういう意味じゃないんだけど」
そう言ってカイルは、縄で縛られた大きな布を広げた。
「それは?」
「ハンモックだよ」
元々は南国の島の住人が使っていたのだが、便利と言うことで船乗り達が取り入れたのだ。
「これを梁と梁の間に吊してその上で寝るんだ」
「大丈夫なの? 綱とか切れない?」
「キチンと調べておけば大丈夫だよ」
そう言ってカイルは吊るし方を教えながら、レナにハンモックを整えさせる。
「ねえ、こんなのが必要なの?」
「濡れずに済むからね」
甲板は湿っており、身体が濡れると体力を奪われる。体力を温存するためにも濡れないと言うことは大事だ。
空中につり下げるハンモックは、濡れた床に付かない点で優れている
「でもベットでも濡れずに済むでしょう」
「揺れが少ないんだよ」
船員達がハンモックを愛用するもう一つの理由が、甲板に直接寝るより揺れが軽減されるからだ。
錨泊中でも艦は揺れる。航海中だとこの比ではない。だが、ハンモックだと吊されて不安定だが、自由に動けるため一定の位置に保とうとするので艦より水平を保てる。
先ほど、醜態をさらしたレナには丁度良い寝床なのだ。
「固定用の棒はもっと丁寧に入れて」
「何でよ」
「そこで寝心地が良いか悪いかが決まるからだよ」
ハンモックを広げるために木の棒で両端を固定するのだが、これが上手いか否かで寝心地が変わる。固定したらその上に毛布を敷いてレナは何とか二人分のハンモックを作り上げた。
「……ってなんで私がやらなくちゃいけないの?」
「僕ができないからだよ」
そう言ってカイルは、ハンモックに登ろうとしたが
「……」
出来なかった。身長が低すぎて、ハンモックに届かなかった。梁にハンモックを吊すことが出来ないのも、身長が低いからだ。
一応ハンモックのやり方を知っているのは、家で特別に低い場所にフックを作って貰って練習したからだ。
「うわっ」
何度かジャンプして登ろうとしたが、足を滑らせて床に転んでしまった。
「しょうが無いわね」
そう言って、レナは転がったカイルを抱き上げた。
「……」
「ほら、お礼ぐらい言いなさいよ」
黙り込んだカイルを見てレナは怪訝に感じた。先ほどまで上官のように振る舞っていたのに失態を見せたから恥じているのか、顔が紅かった。
「!」
だが、その視線がチラチラと何処に向いているか解るとレナは力一杯、腕を上げて、カイルをスピンさせつつ放り投げて梁にぶつける。
凄い音がして梁に跳ね返り身体が半回転したカイルを受け止めるとカイルのハンモックに放り投げた。
「このエロガキ!」
「酷いな……」
頭を両手で押さえながらカイルが呟く。
「欲情したガキには躾が必要だ」
「僕は紳士だ」
「どうだか」
そう言ってレナはハンモックに入ろうとしたが、不安定で中々入れなかった。
「片方の足を入れてから残った足で甲板を蹴って身体を半回転させれば入るよ」
ハンモックの上で頭を抑えながらカイルが教える。
言われたとおりにレナがやるとすんなりとハンモックの中に入れた。
「……ありがとう。でもどうして?」
「僕の方が先任だからね。知らないことを教えるのは当然だよ」
そう言ってカイルは毛布を被って寝てしまった。
その姿を見て腹が立ってレナは小突いてやろうと手を伸ばしたが、不安定なハンモックの上でバランスを崩してしまう。
「わっ」
「ぎゃあ」
丁度、カイルのハンモックに手が掛かり掴んだが、カイルのハンモックもバランスを崩して、二人とも甲板に落ちてしまった。
「いたたたた」
「いてて」
先にレナが落ちたお陰でカイルは、助かった。レナの豊満な胸部の上に落ちたからだ。
「何しているの」
自分の谷間に後頭部を当てているカイルにレナは拳骨を浴びせた。
「って、人のハンモックをひっくり返しておいて言う台詞か!」
立ち上がろうと身体を捻って起き上がろうとしたが毛布に足を取られて、再び転んでしまうカイル。思わず手を伸ばして立て直そうと手を伸ばしたが、その片手がレナの双丘に触れた。
「……本当にこのエロガキが」
「ち、ちがうこれは」
「お前ら五月蠅いぞ」
余りに騒がしすぎてエドモントが注意しに仕切りを開けてきた。
「……」
そして目の前の光景を見て絶句した。
「済まなかったな。君たちも息抜きが必要なようだ。出来れば仲間の事も考えて欲しいんだが」
「違います!」
「上手くやれよ。ただ身ごもったら退艦して貰うからな。出撃前ならともかく、出撃したら何年も帰れないからな。その間、子供が不憫だ」
「な、何を言うのよ」
レナは真っ赤になってエドモントに抗議の声を上げる。
「あまり騒ぐな。水兵達の妻達とは違うんだ。上品にしろ。仲間内の仲というなら俺たちが口出しすることじゃないからな」
そう言って、エドモントは仕切りを直した。
「妻って、どういう意味だよ」
「思っているのと違う意味だよ」
そう言うとカイルは毛布をかたづけてハンモックに戻して
「……」
固まった。
「あのさあ、レナ。済まないんだけど」
「お休み」
レナは一人で寝てしまった。
「……やれやれ」
カイルは武器庫を並べ始めて寝床を作り始めた。甲板には寝ない。湿っていて身体を冷やすからだ。だから船乗り達はハンモックを知って真っ先に取り入れた。身体が濡れずに済むからだ。
そうして寝床を作った時に気が付いた。
「……箱を足場にすれば良いじゃないか」
転生して初めての海上勤務で咄嗟に機転が利かない事をカイルは身を以て知ることとなった。
そして、非力な腕で重い武器箱を動かして何とかハンモックを吊して寝床を作った後は、疲労困憊で失神するように眠ってしまった。