士官候補生
「じゃあ、案内するぞ付いてこい」
「はい」
エドモントは二人を候補生室に案内するべく近くの階段を降りていった。
艦内は狭く、壁は真っ赤に塗られている上、窓が少ないので薄暗く不気味だ。天井が低く、梁が幾つも飛び出ているので背の高い人は気を付けないと頭をぶつける。幸いまだ小さいカイルはぶつける心配は無かったが、同時にこの後の事を考えると気鬱になった。
「どうしたの?」
「いや、何でも無い」
レナに尋ねられたが、カイルは、ごまかした。
更に追撃しようとしたレナだが奥の方から聞こえてくる女性の声に耳を傾けた。
「他にも女性がいるの?」
「敬語を使え」
「他にも女性が乗艦しているのでしょうか。ミスタ・ホーキング」
レナは不承不承で言葉を改めて尋ねた。
「いや正規の乗員は君だけだよ。彼女たちは乗員の妻達だよ。寄港中は艦内に入れることになっている」
「そうなんですか」
レナは納得したが、どうもそうとは思えない声が響いてきている。
カイルはその意味を知っていたが、黙ることにした。
「さあ、ここが俺たちのねぐらだ」
そう言って、エドモントが案内にしたのは、吃水線上に近い最下層甲板の一角に設けられた候補生の部屋だった。
帆布による間仕切りがあるだけの区切られた場所だが、候補生の部屋と言うことになっている。
「ここで寝食を共にする。何人かは当直で出ているが、後で紹介する」
そう言って候補生室にいる候補生をエドモントは紹介した。大体、全員が七、八年の海軍歴を持っているが、例によって何人かが数年名簿に載せていただけの候補生もいる。
「本日付で候補生として着任しましたカイル・クロフォードです。宜しくお願いします」
それでもカイルにとっては上官にあたるので、丁寧に挨拶をした。
しかし、カイルの姿を見て恐れおののく者が多かった。やはりエルフというのは恐怖を感じるようだ。素直に怖がって目を背ける者も居れば、必要以上に高圧的になって恐怖を見せないようする者も居る。
前途多難だとカイルは心の中で思った。
「本日付で候補生となりましたレナ・タウンゼントです。宜しくお願いします」
カイルに続いて、レナも自己紹介した。
こちらも女性と言うことで戸惑う者も多いが、美人と言うことで好意的に見る者も多い。女子ってそれだけで有利なんだな、とカイルは思った。
二人の挨拶が終わると案内役のエドモントが、レナに話しかけた。
「さて挨拶が終わったところでミス・タウンゼント。君の為に一角に部屋を設けさせて貰った。自由に使いたまえ」
「ありがとうございます。ところでミスタ・ホーキングの部屋は?」
「俺たちは候補生だからな、部屋なんて与えられないよ。この候補生の溜まり場にハンモックを吊すんだ。仕切りなしでね」
候補生は一応士官の内に入っているが待遇は下士官レベルのため正規の海尉のように部屋を与えられる事はない。そのため、士官候補生室に全員で集まってハンモックを掛けて眠ることになっている。
プライバシーなど殆ど無い。
だが、レナには特別に仕切りを与える事となった。
「ならば私も同じ扱いを要求します」
「しかしだな」
「何ですか。女と一緒にいたくないというのですか」
そうだよ。
レナの言葉に他の候補生全員が心の中でツッコンだ。
女性にも門戸が開かれているが、一緒に暮らすというのは結構しんどい。着替えの時など、特にだ。だから仕切りを設けて彼女、レナをそこに入れようと候補生全員が決めた。
だが、彼女はそれを差別だ、過保護だと考えて抗議した。
(レナは自分が女性と言うことを理解しているのか)
そうカイルは考えたが、先ほどからの態度などを見て軍人の家で産まれながら軍隊の事をよく知らないようだ。
カイルも前世は商船に乗っていたので軍隊の事はよく知らないが、帆船時代の船の本や映画、海自出身の乗組員から聞いたり見たり読んだりしているので一通りの知識はある。
どういう教育をしていたのだろうか。
そういえば、エルフである自分に恐れを抱かず積極的に触って来ていた。どうしてだろうかと思い、尋ねようとした。
「心配するな」
その時エドモントが解決策を伝えた。
「ミス・タウンゼント。君はそこの仕切りの奥をミスタ・クロフォードと一緒に使いたまえ」
『どういう事です?』
思わぬ言葉にカイルもレナと一緒に口を揃えて尋ねる。
「女性と言うことでミス・タウンゼントには配慮が必要だ。同時にミスタ・クロフォードも年少なので配慮が必要だ。だから、二人が円滑に艦内生活を過ごせるよう、二人で協力するんだ」
「なんで……」
「ミス・タウンゼントは女性だが身長が高いし見たところ力もありそうだ。ミスタ・クロフォードは知識と常識はあるようだが年少で背が低い。互いに長所短所を補い合うには同じ部屋に入れるのが良いのでは考えた」
確かに筋は通っているとカイルは思ったが、同時にこじつけにも思った。
あと、カイルがエルフと言うことで、一緒にいたくないのだろう。三等艦の士官候補生の定員は二四人で、この艦はほぼ定員一杯だ。エルフを怖がる候補生もいるのだろう。だからと言って隔離するのは、どうかと思う。
「それでも、このちんちくりんと一緒にいるのは」
「酷い言い方だね。ミス・タウンゼント」
ちんちくりん呼ばわりされたカイルが抗議の声を上げた。だがエドモントに遮られて最後まで言えなかった。
「兎に角命令だ。従えないなら抗命罪で軍法会議に掛けるぞ」
艦内には規則があり、それに従うように求められている。そして、上官への不服従は重大な規律違反であり、軍法会議の対象になる。適用は乗艦と艦長の裁量なので、性格や個人的な意見に左右されるが、処罰が降ればどんなことになるか。
最悪の場合、死刑もあり得る。
死刑は滅多にないが見せしめのために、晒し者になったら水兵達に舐められてしまう。
二人は黙ってエドモントに従った。
「ちょっかい出したら、ただじゃ置かないからね」
「しないよ」
意識の高いレナに、ウンザリした表情でカイルは答えた。
二人は、衣装箱を水兵に頼んで仕切りの奥に入れて貰うと早速候補生の服に着替えた。
制服は基本的に士官は紺色の上着だが、階級によって装飾や縁取り、肩章などが違う。
士官候補生は最下級の士官なので、紺色だが、最低限の装飾、一列に並んだ金のボタン、左右の袖の三つの金ボタンしか許されていない。
ちなみに帝国海軍では女性も同じ制服を着る。下着に関しては特に規定はない。
「よし」
カイルは服を着てから確認した。
入隊前に仕立屋で作って貰った服だ。
服装に関する細かい規定があるが、基本的に士官は装備は全て自弁、自費で揃えなければならない。
多少大きめだが、成長期と言うことで大きめに作って貰っている。服に着せて貰っているような感じだが、致し方ない。
「そっちは大丈夫?」
カイルが振り返ろうとしたが、直ぐに向き直った。
「……見たわね」
「見ていない!」
巨大な双丘など、それを支える大きめの下着など見ていない。カイルは大声で、伝えたかった。
「……まあ、こういうことは狭い艦内であるだろうと思っていたから我慢するが、ワザと覗きに来たら……ただじゃおかないからな」
ドスの効いた声でレナが言うことにカイルは唯々、頷く以外無かった。
「おい、二人とも準備が出来たか」
そう言っていると仕切りの向こうからエドモントが話しかけてきた。
「はい、着替え終わりました」
返事をすると、何処か懐かしい匂いが漂ってきた。
「なんだ? この匂いは?」
レナも匂いに気が付いた時、仕切りが開いて正解が登場した。
「歓迎会だ。食べてくれ」
目の前のテーブルには、様々な料理が並んでいた。卵や鶏肉、豚肉、牛肉の焼き物、中でも異彩を放っていたのは、黄色いシチューだった。
「インディアって知っているか? そこで香辛料をたっぷり使った料理をカレーと言うんだが、その一つを再現できる粉が手に入ったんだ。そいつをふんだんに使ったシチューだ。さあ食べてくれ」
そう言って二人にエドモント達がご馳走した。
レナが恐る恐る食べると。
「辛い、でも美味しい」
辛みの中にも甘みや苦みが合って中々美味しかった。
ただ、カイルには物足りなかった。
前世でカレーライスを食べているだけに、とろみがなく、出汁が豚肉と牛肉だけ野菜はキャベツのみというのは物足りない。
「人参やジャガイモ、タマネギを入れないんですか?」
カイルが尋ねると、全員がギョッとしてカイルを見た。
「あんなの貧乏人が食べる物だろう」
「地面の中に生える物なんて食えるか」
「俺たちの事を馬鹿にしているのか」
「い、いえ違います。前に食べたとき入っていたので。普通なのかなと」
「変わり者だな」
何とか誤魔化せてカイルはホッとした。
文化の違いというか思考の違いだ。地面に近い食べ物は下品、地面から遠いと上品という考えが貴族階級の間に多い。
転生前に食べているだけに、そんなつまらない考えで美味しい物を食べないと言う残念さにカイルは哀れみを覚えた。
「おい、文句でもあるのか」
「いいえ」
「あんまり文句を言うなよ。お前だって懐が寂しいだろう。ああ、大貴族の息子だったか」
「まあ、それなりに持っています。キチンと出しますよ」
「? どういう事だ?」
レナの疑問に答えたのはカイルだった。
「士官の食事も自弁なんだよ。だから、皆で金を出し合って共同で購入するんだ」
「そうなの?」
「ああ、今回はお前達の歓迎会だから取らないが、毎月キチンと払えよ。でないと食わせねえからな」
エドモントが大げさに言った。
他にも士官は自分が使用する装備を自弁する規定だ。
かつての騎士階級と同じ慣習を残しているためだ。候補生も下士官待遇とはいえ、士官の端くれであるため、食費も自弁する。しかし、少ない給金でやりくりする候補生では、育ち盛りの身体に見合う食事が出来るほどの金額を出せない。
なので、こうした歓迎会といった名目で、他の士官や艦長からカンパを貰って食事を豪勢にするという、知恵を働かせているのだ。
歓迎会はやる事の無い候補生達の気晴らしと言うこともあり盛大なものとなった。
ただ、レナが食べすぎのためか、船酔いのためか気分が悪くなり、後半はバケツを抱えることとなり、カイルがその面倒を見ることになったので自然散開となった。