先任序列
「ひっ」
艦長室を出たカイルは耳を触られ、悲鳴を上げて一歩下がった。
「本物のようね」
触ってきたのは、一緒に乗艦したレナ・タウンゼントだった。
「いきなり何するんだよ」
「いや、本物かと思って」
好奇心に満ちた瞳でレナはカイルを見た。
「ってその言い方は無いんじゃ無いの? 私は年上よ」
「断り無く人の身体に触れる常識の無い人にかける敬語は無いよ」
「そうね。ごめんなさい。では改めて、触らせてくれない?」
「え……」
頼み込まれてカイルは固まった。たかが耳では無い。
耳はカイルの弱点の一つで、性感帯みたいなものだ。下手に触られると非常に弱い。エルフの種族的弱点か、カイル個人の弱点かは、エルフの知り合いがいないので、分からない。
だが弱いことだけは、これまでの体験から知っていた。
「いや……」
断ろうとしたが
「……」
期待に満ちた眼差しで詰め寄られると、断りにくい。
「……ちょっとだよ」
「ありがとう」
そう言ってレナは、カイルの笹のように長い耳を触った。
「ひゃっ」
触れた瞬間、カイルは小さな悲鳴を上げたが、直ぐに口を閉ざし堪える。
「気持ちいいわね。でもどうして身をよじらせているの?」
「よ、弱いんだよ」
笹のように長いカイルの耳だが、どうも触られると弱い。何度も姉に触られたりしているのでよく知っている。
「へー、どんな風に? こう?」
「ひゃん!」
思わず大きな声を出してしまった。立哨している海兵隊員も、どうすれば良いのか、既に階級が上となった士官候補生同士の事に介入できず、戸惑うのみだ。
「何をやっているんだ?」
呆れるように金縁のないネイビーブルーの制服を着た士官候補生の少年、といってもカイルより年上の候補生に尋ねられた。
「失礼しました」
これ幸いにとカイルはレナを振り払って敬礼した。
「本日付で、着任しましたカイル・クロフォード士官候補生です」
「同じく本日付で着任したレナ・タウンゼントよ。よろしくね」
「士官候補生のエドモント・ホーキングだ。君らを案内するが、ミス・タウンゼント、君の態度はあまりよくないな」
「まあ、スキンシップが行きすぎましたが」
「違う、私に対する態度だ」
「なによ。同じ士官候補生でしょう」
同じ候補生から上から目線をされてレナは怒った。
「私の着任は二五八八年の四月で君らは本日。つまり私の方が先に着任している。先任序列では私が上だ」
アルビオン海軍の階級は帆船時代の英国海軍と似ている。具体的には
提督 数隻の軍艦からなる艦隊を指揮する。
海佐 軍艦の指揮を取る
海尉 艦長指揮の下、命令を実行する。一部は等外艦の指揮を任される事がある。
准尉 海尉の命令を受けて、実際の作業を計画する
下士官 水兵をまとめ上げ、実際の作業を監督し実行する。
水兵 下士官の監督を受けて実際に作業を行う。
以上が階級と大まかな役割分担だ。
階級の中でも、細分化されている部分はあるが、事実上、上の六つしか階級がない。
通常なら大佐、中佐、少佐の階級に位置する海佐も、任官して三年未満の准海佐か海佐しかなく、大尉、中尉、少尉にあたる海尉など、海尉の一階級のみだ。
そして、大型艦となると隅々まで目を光らせるため、複数の海尉が必要となる。
フォーミダブルも艦長の下に六人の海尉が配属されている。
だが、同階級の者が多いと命令に支障を来す。誰が命令を下し、誰がそれを受けるのか。何より、もし艦長が指揮不能になったとき誰が、代わって指揮を取るかが解らなくなる。
そこで出てくるのが先任序列だ。
同階級の者でも、その階級に昇進した日時が早い方が上位となるというルールだ。例えば同じ年の一月と四月に海尉になった士官が居たとしたら一月に昇進した方が先に昇進しているので上位となる。
こうして、一等から六等までの海尉を決める。
ちなみにフォーミダブルの三等海尉パーカー海尉の場合は、三等海尉が艦長や副長などと同じ役職名で、海尉は海佐や准尉などと同じく階級で別物だ。
故に、何時その階級に着任したかを確認するのが士官の慣習になっている。その場で上下関係をハッキリさせるために必要なシステムだ。
「失礼いたしました。ミスタ・ホーキング。よく言って聞かせます」
敬礼しながらカイルはホーキング候補生に言った。
「なによ。私が年上なんだから私の方が上でしょう」
レナにカイルがムキになって言う。だが、カイルも負けない。
「僕の方が先に名簿に記入されたし艦長も認めていただろう」
同日に着任した場合でも、その中で優秀と思われる士官の順に名簿に記載され、記載順で序列がキチンと決まっている。
先ほどの艦長との面接、事実上の任官試験でキチンと答えたカイルがレナより上になった。
「やはり、ミスタ・クロフォードの方が先任として良さそうだな。ミス・タウンゼントの指導に苦労するだろうが、しっかりやってくれ」
「はい、頑張ります。ミスタ・ホーキング」
「一寸、勝手に決めないでよ!」
レナは抗議するが、それを無視して二人は進めた。
「まあ、二人の面倒を見るように言われているから。解らないことがあったら何でも聞いてくれ」
「ありがとうございますミスタ・ホーキング。この艦には長いのですか?」
「……うん。まあ、この艦には三ヶ月前に着任したんだが、その前は三年半レナウンにいた」
少しぎこちなくエドモントは答えた。その様子を見てカイルは確信した。
入隊したのは三ヶ月前だな。
レナウンには名簿に名前を入れていただけで乗船していないのだろう。艦に乗ったのは三ヶ月前にこのフォーミダブルに乗った時が初めて。
その証拠に、服が少し新しい。成長期で古い服と交換したにしても寸法が合いすぎている。
「何か言いたそうだな」
「いいえ、何もありません。ミスタ・ホーキング」
エドモントに睨まれてカイルは、そう答えた。
自分も同じ事を計画したが失敗した身だ。強く非難できる訳がなかった。
寧ろ失敗した自分の方が惨めだった。
なので何も言わず、カイルはエドモントの後に続いた。