カイルの決意
「父上、お話しがあります」
領地から帝都へ来たある日、カイルは父親である公爵家当主ケネス・クロフォードに頭を下げて頼み込んだ。
「かしこまる必要は無いぞカイル。私とお前は親子だ」
精一杯の優しさと、カイルを尊重する気持ちを込めて伝えた。
「はい。ですが、自分の今後の事でご相談があります」
「どのような事だ」
「海軍に入隊させて下さい」
カイルが口にするとケネスは困惑すると共に、来てしまったかと観念するような表情となって尋ねた。
「どうしてだ?」
白髪交じりの銀髪の中年男性であるケネスは、老いを感じさせうることのない張りのある声を響かせた。
「私が家督を継いでも他の貴族からの畏怖や恐怖から家への有形無形の攻撃を受けるであろうからです」
「そのような心配をする必要はない」
まだ気にするなと言いたいのだろう。
「跡取りはお前で他の者では無い。誰が何と言おうと皇帝陛下でさえも他の貴族の継承に口を挟むことは許されない」
封建社会の規範が残るアルビオン帝国は、貴族は王国に忠誠を誓い軍役に加わる代わりに領地の安堵、独立を許されている。その中には当主の継承も含まれており、お家騒動になり、帝国に訴え出ない限り、そのまま継承されるのが普通だ。
当主がエルフと言うだけで継承を否定する事は出来ない。
だが、カイルは分かっていて、あえて言った。
「はい、ありがとうございます。ですが何より私が海に出たいのです」
「私が元提督だからといって必ず海軍に行かなければならない理由にはならんぞ」
「いえ、これは本心です。私の持つ能力ならきっと海軍で役に立ち、受け入れられるでしょう」
「ふむ」
カイルの指摘にケネスは考え込んだ。
確かに海軍は才能ある人間を優遇する。自然の驚異が人間のつまらない関係など考慮せず襲いかかってくるからだ。
そのため、能力のある人間は出自に関係なく次々と抜擢される傾向にある。
それはエルフであっても同じだ。
数は少ないが、エルフでも昇進し活躍した海軍軍人はいる。
なので有望な進路と言えた。
何より、カイルが幼少の頃からボートを巧みに操っている事はケネスも知っていた。
「家はどうする?」
「クレア姉様がいます。姉様なら必ず家を守ってくれます」
まだ十四歳ながらも魔術師として名を馳せている姉さんなら、どこかから婿を取ってきて家を守ることは出来るハズだ。今は魔道学院にいるが卒業すれば、婿の話は引く手あまただろう。
唯一と言って良いほどカイルを心の底から大切にしてくれる姉さんだが、何時までも甘える訳にはいかない。
なので、家を出て行くべきだとカイルは考えていた。
「そうか」
ケネスもカイルの考えを酌んで、許しを与えた。
「わかった、ならば海軍に行くが良い」
カイルは第一段階を突破出来たことを内心喜んだ。だが次の言葉は予想外だった。
「知り合いの戦列艦の艦長に頼んで今週中にも士官候補生のリストに入れて貰おう。直ちに乗艦するように」
「え?」
カイルは、最後の言葉に思わず素っ頓狂な声を上げた。
確かに十才から海軍への志願は認められている。
だが、あまりにも幼すぎるため、リストに記載するだけで実際に乗艦するのは十四才と言うことが多い。経歴が長い分、昇進で有利に立てるからだ。
そのことは書庫の資料や新聞、父親の会話からカイルは知っており、十四才からの乗艦を臨んでいた。
「いや、直ぐに乗るのではなく名簿に記載だけして貰えれば」
流石にカイルも驚き、父に翻意するよう求めた。
体力勝負が多い帆走船の生活では、十才の体格では出来ることが少なく、ハンデとなると思ったからだ。
カイルも名前だけどこかの艦の乗組員名簿に載せて貰い、四年の間に体力を付けて成長した状態で乗艦しようと計画していた。
「そのような不正は私は好かん」
だが父親であるケネスは潔癖症で、そのような不正をさせず直ちに乗艦させようとしていた。
「まあ、良いのですが、今乗艦して良いのでしょうか?」
前世では航海士だったこともあり、航海術に関しては間違いのないレベルに達しており十分に活躍出来るが、十才の体格で海に出るのは、かなり力不足といえる。
士官の端くれである士官候補生であり、水兵ほど力仕事はないが、力はあった方がよい。
エルフは非力だが、それでも四年も経てば力を付けることが出来る、はずだ。
しかし、父ケネスはそのような事を許さなかった。
「自ら決めて行きたいというのなら、行け。私は止めない。そのための協力はする。だが不正の手伝いだけはしない」
「は、はあ」
何とも豪快で、スジの通った父親だ。
だが、前世の記憶で船の仕事を知っている航平改めカイルには、無謀なように思えて黙り込んだ。
勿論、海に出たいという気持ちは揺らいでいない。いや、大切な決意だからこそ上手く成就させたいと思い、良いと思った手段を取ろうとして抵抗した。
使えるものは何でも使った方が良い、使える物を使ってこの世界を生き抜いてやると決意したからだ。
だからこそ、昇進に有利になるように名簿に載せて貰うだけ、という行為を求めた。全ては海軍での生活を有利にするためだ。
だが、ケネスは断固とした態度でカイルに乗船するように命じた。
「では、十四才になったときに入隊すると言うことで」
仕方なくカイルは、計画を変更して、十四才で入る事にした。
これなら多少は体格が良くなり、艦隊勤務に支障は無いはず。経歴で多少不利になるが、完全に失敗するより良い。
だが、ケネスはそれも許さなかった。
「ダメだ。今出ていった方が良い」
「どうしてですか」
「クレアがいないからだ」
カイルの四歳年上の姉の名前をケネスは言った。
現在、帝国魔道学院に通っており、魔術師になるための勉強をしている。
素質は十分であり、将来はきっと、いや今でも十分に魔術師としては有能だと、客観的に見てもカイルは評価している。
昔からずっと一緒にいてくれたのでよく知っている。それだけに次の父の言葉の意味をよく知っている。いや、父以上に理解していた。
「クレアがいたら入隊できるか?」
「直ちに入隊します!」
父ケネスに尋ねられて、カイルは脊髄反射で答えた。
姉は、控えめに言って病的なほどカイルに甘い。と言うか事あるごとに抱きつき、それ以上の事をしようとしてくる。
そんな姉がいるときに入隊するなど不可能だ。
幸い今は、魔術師の資格を取るために魔道学院に嫌々通っているため、屋敷にいない。これほどのチャンスは無い。
普通、魔道学院はあと数年、二十歳前後で魔術師の資格を得られるのだが、クレアの場合優秀すぎて短縮される可能性が有る。と言うより、既に飛び級を行っていて最年少記録を更新しそうな勢いだ。下手をすれば四年後どころか二年後に魔術師となり、学院から出て来てしまう。
そうなればカイルに四六時中ベッタリ付き、海軍行きを反対するに決まっている。
いや、下手をすればカイルと一緒に付いてきてしまう。
それだけは避けたかった。
なのでカイルは、父の進めに従ってその日のうちに入隊することを決めた。
ケネスは直ぐに動き古い知り合いであるリドリー海佐に話しを通すと二つ返事で了承された。
こうしてカイルは、エリオット・リドリー海佐指揮する三等戦列艦フォーミダブルへの乗艦が決まり、早速数日以内に乗艦する事となった。