転生前 杉浦航平の一生
さてとりあえず自己紹介から始めようか。
僕の名前は杉浦航平という日本人だった。
まあ、どういう事かは追々分かるだろう。
両親共に日本人で平均的な家庭に生まれたんだけど、不景気とかで教育の競争が激化して塾やら習い事やらをやらされてね。中学の頃、勉強に付いていけなくて引きこもりになってしまった。成績も悪化して虐められやすくなったというのも原因だった。
三年になって殆ど登校できなかったが、母親は何とか一流の高校、良い高校に行くように勉強を無理強いしてきたが、当然やる気にはなれなかった。
何より一流とか良い高校と言っても抽象的でピンと来なかった。というより母親も全く決められず、PTAの集まりでなんとなく評判の良い高校を列挙しているだけで、文系も理系も体育系も脈絡無く列挙するだけ。
塾も入学実績が多いと言うだけで選んだだけ。
そんなのに付き合う気が無かった。
習い事も高校入試で試験に加算される事をやっておいた方が良い、と考えて塾と一緒に通わされた。
当然、やる気にはなれず、ただその場にいるだけの日々が続いて嫌気が差し、引きこもると共に辞めた。
ただ、横浜の日本丸の展帆体験だけは良かった。
係留されている初代日本丸のマストに上り帆を広げるというものだが、実際に行えるのは興奮した。
元々乗り物が好きだったこともあり、一回では飽き足らず何回もやりたかったが、高校入試の為に特別な経験があった方が有利と考えていただけの母親が許す事はなかった。
だが、これのお陰で道が開けた。
高校進学を控えたある日、僕はある高校に入学願書を出した。
国立商船高等専門学校。
航海士を育成する国立の高等学校だ。五年半の履修機関を過ごすことで三級海技士と一級小型船舶操縦士の免許を取得することが可能だ。特に三級海技士は必要な乗船履歴や実技試験、筆記試験が免除され、口述試験と身体検査だけで合格できる。つまり、簡単な面接と身体検査だけで民間大型船の士官になれるのだ。
それを知って願書を出して、頑張って試験勉強をして合格して乗り込んだ。
母親は普通科全日制の高校を受けさせたが、ボイコットして全て白紙解答した。
結局、合格したのが商船高等専門学校のみだったので、そこしか高校へ進学できないようにしてやった。
中学の卒業式にも参加せず、商船高等専門学校への勉強を進め、進学した。
結論から言うとはじめの数週間、引きこもりのために人見知りの激しさによる摩擦はあったが、徐々に慣れて行く。船の知識が豊富で乗り物好きということから、学校の仲間に受け入れられた。
生徒のみならず教師全員が、どんな形であれ船が好きと言うこともあり、船の話しで盛り上がり、学校生活は楽しく過ごせた。
時に厳しいこともあったが、船に乗る以上必要な訓練だと双方が解っているので、熱が入る。時代遅れやおかしな所があっても、躊躇わず指摘して互いに持論を開陳し、仲がこじれるどころか更に深まっていった。
何より楽しかったのが、二回ある航海実習だった。
航海訓練所が主催する高専向けの実習船を使った航海実習なのだが、どちらかで帆走船に乗る。勿論、航平は二回とも帆船への乗船を希望していたが、規定により一回しか認められなかったが、実際の航海を経験して大きな励みとなった。
やがてあっという間に五年半の履修期間が済み、卒業することになる。航海訓練所に入り航海実習で使われた日本丸の乗員として働きたかったが、募集されておらず、大手船会社に三等航海士として入社した。
海外向けのコンテナ船やタンカーに乗船し、世界中に船を走らせる日々が続いた。
寄港時に多少の外出は出来るが、殆どが積み込みと次の航海の準備で潰れている。コンテナの積み込みが迅速な上、それぞれのコンテナが定位置にあるか、それに応じて船のバランスの調整をどうするか、入港前と入港中に計算し荷役を監督しなければならないのだ。
寧ろ航行時の方が余裕があり、船員と船や海のことを話して過ごした。
海上自衛隊出身の人もいて船会社の違いを聞けたのも楽しい。
他にも釣りをしたのだが、大体アジを取るのがやっとだったが、上級者の船員がいてマグロを釣り上げた事もあった。しかもその日の献立はステーキでマグロと一緒に並ぶという滅多に見られない光景が広がったこともあった。
そうした日々を過ごし、順調に乗船履歴を更新して、二等航海士へ昇進目前となったある日、そいつに出会った。
中学時代の同級生で、僕を虐めてきた奴だった。
大学に進学したものの、学力が無くてついて行けず、退学。教育界から奨学金を受け取っていたが、返済するだけの能力も無くて厳しい取り立てに心身共にやつれ果て、アパートも取り上げられて放浪していたとき出会ってしまった。
中学時代格下であり、専門学校に逃げ込んだ航平が、船会社で二等航海士となり前途洋々なのに対して、中学で上位だったのに大学を中退し、部屋を追い出され、奨学金という借金しか残らなかった自分。
その状況に耐えられず、理不尽と劣等感、嫉妬、それらが混じった感情が急激に殺意を生み出し、そいつは僕にナイフを突き刺した。
「てめえ調子にのんじゃねえ!」
ただの敗北感と無意味なプライドと優越感の喪失から生まれた歪んだ逆恨みの感情で殺される。
単に自分が優位だと思い込んでいただけの哀れな敗北者に、何の道理も無く殺される。
ただ、ムカついたから、杉浦のくせに、調子に乗っているから。
ただそれだけで航平は殺された。
こうして僕は、杉浦航平の生を終えた。
いや理不尽に閉ざされた。