航海術
「さて、法令の方は大丈夫だろう。今度は君らが航海術を蔑ろにしていないか確認する」
三日間にもわたる法令の講義が終わった後、リドリー艦長は候補生達に命じた。
法令集でクタクタとなっている彼らには、辛かった。
更に騒ぎを起こした罰としてそれぞれ両舷直――四時間毎に休憩と当直を繰り返す――が命じられているため、小刻みな休憩しか取れないため疲れ切っている。入港中では夜中は大半の人間が夜眠れるのだが、彼らは出来ず疲れたまま講義に参加する。
講義の間は両舷直が免除され全員参加だが、事実上休憩なしのため過酷だ。
その中で、難しい航海術の問題を解かなければならない。
船の現在位置を出すには太陽の位置、月の位置から緯度と経度を割り出さなければならない。太陽と月の位置は毎日違うので、その分も考慮に入れる必要がある。
難しいが、これを出せなければ艦の現在位置を出せないために必要な事だ。
「さあ、諸君。君らが今どこにいるか見せたまえ」
そう言って、各自が持つ黒板の数値を確認した。
「すごい」
リドリー艦長はゴードンの答えを見て言った。
「諸君、ミスタ・フォードが新たな水路を発見した。彼の凄まじい悪筆を判読する限り、艦の現在位置は大陸のど真ん中だ。我らの進める場所が増えたぞ」
最後に外れだ、と言って黒板を返すと、リドリーは次にエドモントの黒板を受け取って、答えを見た。
「ミスタ・ホーキング。これでは君は太陽に向かって航行中だぞ」
次にレナの答えを見た。
「ミス・タウンゼント、君は根本から計算方法を間違っている。三角法を習い直したまえ」
そう言って黒板を返すと、最後にカイルの元にやって来て黒板を受け取る。
リドリー艦長は黙り込んだ。
「……素晴らしい。ミスタ・クロフォード、君の答えは正解だ。途中計算も間違いは無い。誇って良いぞ。その年で、素晴らしい叡知を持っているのであれば、ほんの数年でここに居る誰よりも高い地位に就くことが出来るであろう。そのためにも研鑽を怠らぬように」
「はい」
カイルは、謙虚に答えた。
転生前に高専でしっかりと基礎を身につけ、商船の現役航海士として当直の時も半ば趣味で六分儀を使って船の位置の割り出し計算を行っていた。
故に、これくらいの計算は簡単にできる。
月距法が難しかったが、こちらの世界に来てから学んで簡単に出せる公式や手順を作っている。だから簡単に短時間で計算できる。
ゴードンがこちらを睨み付けているが、無視することにした。
ここしばらくは両舷直で、休めていない。カイルを虐める時間が有ったら寝ていたいというのが本音だ。最大で四時間未満しか眠れないのは、成長期の身体には辛い。
しばらくはゴードンの虐めも大丈夫だろう。
全員に対する講義と試験が終わった後、個別の試験に移った。
「あー、もう、解りにくい」
レナが再び頭を掻いた。ここ数日ずっとこのような調子なので女性なのに禿げにならないか心配になった。
「けど、このやり方を覚えないと位置が不明だよ」
「どうして、目的地に着けば良いじゃないの」
「海には何の道しるべもないからね」
「船の進路と速度で割り出せるでしょう」
「出来るけど、誤差が多いよ」
船は真っ直ぐ進んでいるつもりでも、風や海流の影響で流されている。特に帆船はその傾向が強い。真っ直ぐ進んでいるつもりでも、風下に進んでいると考えた方が良い。
「それに嵐に巻き込まれたら四方八方から風や波が来て、正確な記録なんて無理だ。だから観測による現在位置の計算が必要なんだよ」
「うーっ」
「そう呻かないで、ゴードンのように三回も降格したくないだろう」
「よし、頑張るぞ。カイル、教えて!」
カイルが小声で言うとレナは俄然やる気になった。
無理もない。ゴードンは先ほど見たように航海術の技量に著しく問題がある。
最初に行われた推測航行の問題でも間違いを犯した。
「出港して二十四時間、艦の速力が平均五ノット、進路一三五として、太陽の観測結果を加味して現在位置を出したまえ」
一見難しいが解き方を知っていれば簡単にできる方法だ。
速力×時間で航行距離がわかり、√2で割れば緯度上と経度上の移動距離が解りそれを出港地の緯度と経度に加えるか除くかすれば正解が出てくる。
あるいは、太陽位置から現在の緯度を計算し、出港地の緯度の差を求めて、その数値を使って経度の移動距離を割り出すという方法もある。
多少の誤差が出てくるが一日程度、嵐がなかったのなら問題無い。
簡単な問題を答えられるかどうか確認する、と言うより、どのように答えを出すか調べるのが目的の問題だった。
その簡単な問題でさえ、ゴードンは間違った答えを出した。
計算能力以前に、根本的に航海術の基本とその必要性を理解していないようだ。
フォードの嫡男と言うことで、慢心して勉強を怠っている。
これではこの後何回も任官試験を落としても不思議はない。
合格できなくて候補生のまま、三〇近くになってしまった人もいるから十分あり得る。
まあ、自業自得と言えなくもない。
「頑張って、覚えてくれよ」
ただレナには、そんなことにはなって欲しくないと思った。女性なのだから結婚という道もあるが、同じ士官候補生としてゴードンのようなことは避けたいと思った。
「けど、どうして同じ位置なのに緯度と経度を別々に出すのよ」
「出し方が違うからだよ」
緯度は比較的に簡単だ。南中した時の太陽の角度と、暦に応じて、その数値を増減させれば出せる。
太陽は、高くなったり、低くなったりするが、その周期と増え方は判明しているので簡単に出せる。
だが、経度の場合は簡単ではない。ハッキリと出せる基準も算出方法も無いからだ。
月食を使った方法が提案されたが、月食は頻繁に起きず使えない。
木星の衛星を使った方法が過去に使われ常用された。
観測できる木星の四つの衛星の食を観測して、経度を割り出す方法が使われていたが、船上で木星の衛星を観測できる装置がなかったので陸上のみで使用された。
そこで現在使われているのは月距法だ。
月と恒星の角度を計算して割り出すのだが、二分の一度ほどのズレ、距離にして五十キロ以上のズレに収まる。
とんでもないが、無いよりマシだ。
速力と針路で割り出す方法があるが、風と波による誤差が大きい。特に一月以上、陸から離れる事が多いので、余計に誤差が大きくなる。
地図の東西方向が異常なのは、経度を割り出す術が未熟だという理由だからだ。
クロノメーター、正確な時計、波の揺れに左右されず時を正確に刻める時計さえあれば、経度が簡単に求めることが出来るが、無い物に頼っても意味が無い。現在懸賞金を出して経度を割り出す方法を募集しているが、いずれも決め手がなく、有用な手段は未だに見つかっていない。
そのうち、正確に位置を割り出す方法を探そうとカイルは決意していた。
だが、その前にレナに航海術の基礎を教え込む必要があった。
「兎に角、この公式を覚えて。あとは、星暦表を利用して出せる。上が緯度、下が経度だから」
こうしてカイルの指導で、どうにか三〇度、四五度、六〇のサインコサインをレナは覚えることが出来た。
それ以上の事は無理だった。