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法令と現実

「くっ」


「大丈夫?」


 ハンモックの上で横になったレナの傷口に軟膏を塗った。

 先ほどの騒ぎは、パーカー海尉の介入で収まった。事の次第を目撃されてゴードン達は拘束されて取り調べを受けている。

 押さえつけられていたレナとカイルは、事情を話すと直ぐに解放されたが、残りは捕まって取り調べを受けている。

 そして候補生室に残ったカイルはレナの治療を命じられた。


「もっと優しくやりなさいよ」


「精一杯やっているよ」


 そう言いつつ、腫れ上がったレナの臀部に軟膏を広げて行く。


「全くエロガキに傷薬を塗って貰うなんて屈辱」


 酷い言われようだったが、カイルは気にしなかった。

 転生前の中学で虐めに遭ったときの事を思い出した。学校に訴えても我慢しなさいとか、ほっとけばいずれ止めるとか言っているが、止まなかった。

 何より、虐めを受けても虐めた側が処罰される事無く、ノウノウと登校しているのが許せなかった。

 頭を押さえつけて殴られてもクラスメイトは笑うだけで担任も見て見ぬ振り。学校外なら暴行罪で逮捕されるような案件でも、学校では笑いのネタ。

 人権なんてあったものじゃない。

 そんな事が目の前で起こって、我慢できなかった。

 だからレナを助けたのではなく、カイル自身の怒りでゴードンに歯向かっただけだ。


「……ありがとう」


「え?」


 レナが小さく呟くのを聞いてカイルは振り返った。


「私はゴードンみたいなクズじゃないから。ちゃんとお礼を言っておきたい」


「……どう致しまして」


 カイルが返事をしたとき、レナは気が付いた。


「そういえば、あなたもゴードンにやられたのよね。大丈夫?」


「大丈夫だよ」


「嘘言いなさい! 私より激しくやられていたのに! 一寸見せなさい!」


 レナはハンモックから降りるとカイルを抱え上げる。


「大丈夫だって」


「なら見せなさい」


 カイルの抗議にもかかわらずハンモックに俯せに寝かせると、ズボンを脱がせ始めた。


「って、なにやっているの」


「脱がさないと傷が見えないでしょう」


 カイルの抵抗を排して、レナはズボンを脱がすと


「何これ」


 厚手の皮の下着が見えた。


「乗馬用のパンツだよ。尻の皮が剥けないように付けていたんだ」


 高専でのカッター実習の時、何時間も椅子に座ってオールを漕ぐのだ。その時、尻の皮が剥けるので、スノボ用のパンツで防御していた。

 今回はその応用だ。


「……あんたこうなることを解っていてやったの?」


「用心の為にね」


 意地悪な候補生が精神注入棒で虐めることが予想されたので準備しておいた。そういう事があったと英国海軍の本とこちらに来て噂話や経験談で知った。


「あんた。本当に用意周到ね。未来を見通しているみたい」


「そうでもないよ」


 だが、ゴードンがやって来るのは想定外だ。流石に二十才を越えて不合格になって候補生に逆戻りとはカイルも思いも寄らない不出来な奴だ。

 どうも、何度も落ちていて、やけになって勉強に身が入らないらしい。失敗する度に怒りで暴れ、憂さ晴らしに根城にしている候補生の溜まり場にやって来て、暴行を働いたようだ。

 エドモントが三ヶ月しか乗艦していないのに怯えているのは試験前のイライラを解消しようと、候補生の溜まり場に時折やって来て標的にされたから、という事をカイルは後で知った。


「ねえ、あたしに貸してくれない?」


 自分の不出来を嘆いているとき、レナが尋ねてきた。今後、同じ目に遭ったときの用心に使うつもりだろう。


「いや、それは」


 唐突な願いにカイルは躊躇した。


「ケチなの?」


「いや、履ける? 僕のを」


 カイルに尋ねられてレナは怒った。


「馬鹿にしないで」


 カイルの乗馬パンツを剥ぎ取ると自分が履こうとした。が


「いてててて」


 腫れ上がった尻に当たって激痛が走った。


「今度の上陸の時に買えば良いよ」


「……そうするわ」




「どうも君たちは、海軍の規則について知識が不足しているようだね。特にミスタ・フォードは試験とともに軍法の知識も落ちたようだ。今一度覚え直した方が良いだろう」


 騒ぎを起こした候補生全員にリドリー艦長はそう言い渡し、集中講義が行われることが決定した。他にも暴行加害者には関与に応じて両舷直――四時間交代の当直任務――が命令された。

 ちなみにレナとカイルは、お咎めなしだ。

 翌朝、士官候補生全員が甲板に集められ艦長の下で軍法についての講義を行い始めた。

 昨夜のケンカ騒ぎの罰として全員に集中講義と実習が命令され、実行された。

 副長や海尉達が代わる代わる講義を行い、候補生達に質問をしていく。

 そして午後には各自、課題を与えられ、勉強することになる。


「あー、さっぱり解らない」


 下甲板の教室でレナが法令集を前に頭を掻いていた。


「どうしてこんなにあるのよ」


「必要な規則だから作られたんだよ」


 そう言ってカイルは説明した。乗艦前に必要な法文を覚えているため、教師から教わることはないと言われて、レナの指導を命じられてマン・ツー・マンで教えている。

 海軍には多くの規則がある。艦内の規律を維持し、船を確実に運営する必要がある。規律が乱れれば、船はまともに進むことが出来ない。

 船は正しい知識と技術を適切な時に活用しなければ動くどころか、沈没しかねない。

 だからこそ、規則が必要となる。


「まあ必要そうだけど、なんで国際法も必要なのよ」


「外国と交渉するときに必要なんだよ。互いに外交儀礼を理解していないと戦争になりかねないからね」


 交渉窓口がないと交渉さえ出来ない。そして、互いに同じルールで動かないと交渉は成立しない。長い時間を掛ければ、一から交渉を成功へ導けるかもしれないが、有限な時間を無意味に浪費しかねない。

 過去の戦争で学んだ人類の叡知だ。蔑ろには出来ない。


「わかったけど、どうしてあんたはそんなに知っているの?」


「コツがあるんだよ」


 転生前に、交渉や手続きの書類作成にウンザリしたが、それらのルールを一から作ることになると考えると非常に気が滅入る。

 だから、航平は自分に役に立つ規則や手続き、条項から覚えて仕事の役に立てた。覚える度に仕事が出来るので、より一層勉強に励むことが出来た。

 この世界でカイルとなってからも、同じで想定される状況に使える条項や遣り取りから覚えた。


「自分に関係のあるところから始めよう。そうすれば覚えられる」


「最初から?」


「最初に全部読んでみて気になったところがあったら説明するよ」


「解った、じゃあ規則集から」


 そう言ってレナは読み始めたが、ある行で止まった。

 カイルが覗き込むと、一緒になって固まる。


「ねえ」


「レナ、この条項を読んでみて国際法のここは必要だよ」


 レナの問いかけを無視するようにカイルが、違う法文の説明を始めた。


「これは信号の遣り取りに関する条項で、相手と交信するために必要な手順が決められて」


「ねえ」


 レナが尋ねてくるがカイルは無視して続けようとする。そんなカイルを無視してレナが尋ねる。


「同性愛禁止ってどういう事?」


「……」


 カイルは黙り込んでしまった。

 カイルもその条項がある事は読んで知っていたし、英国海軍の規則にもあることを知っていた。


「ねえ?」


「……それだけ溜まっているんだよ。何ヶ月も女抜きだから。そっちに走ってはけ口にするんだよ」


「……どうやって?」


「ここは飛ばして、こっちを読んで」


 カイルは無視しようとしたが、性に興味のある年頃なのかレナは食いついてきた。


「男に無いのにどうやって?」


「……尻の穴に一物を入れるんだよ」


「……それで良いの?」


「当人は気持ちいいらしい」


 違反者の聴取があったのでカイルは読んでしまったが、読んだとき顎が外れかけた。

 なので他の条項に移ることにした。


「さあ、こっちの条項に」


「……ねえ」


 更にその条項の続きを読んだレナが尋ねる。カイルは無視して進めようとした。

 その先の条項も知っていたからだ。


「この獣姦禁止ってなに?」


 尋ねてきたが無視しても良かったが、このままでは埒が明かないと考えてカイルは説明した。


「前条項で禁止されて動物の穴で満足させようとする奴がいたので作ったんだよ」


「動物って……それで良いの?」


「そうでもしないと我慢できなくなるらしい」


 数ヶ月女性抜きというのは結構辛いらしい。草食系で船の事で頭がいっぱいの青春時代を過ごした転生前の航平には少し解りにくいが。


「何でこんな事が」


「それだけ多かったからだよ。規律の乱れになるからね。もっとも禁止しても生理現象で我慢しても欲求が高まるから吐き出す術を与えないといけないが」


 そこまで口にしたカイルは後悔した。


「航海中は我慢するにしても錨泊中は? しょっちゅう上陸できないでしょう?」


 ボートで二人が乗艦したので解るように普通、軍艦は港についても桟橋に着けることはドックに入るとき以外ない。

 何故なら、水兵が脱走するからだ。休暇、陸への上陸が許されるのは脱走の危険の無い信頼できる水兵だけだ。それも少人数だけ。大半は、入港中も艦の中で、入隊以来ずっと艦の中で過ごして次に上陸したのは海軍を辞めるときだった、などという水兵の話しに事欠かない。


「そういうときは水兵の奥さんに乗艦して貰うんだ」


「なるほど、下のらんちき騒ぎはそういうことね」


 着飾った大勢の女性が入って来て賑やかだったのはそういう意味だったのか、とレナは納得した。


「でも、他の港だったらどうするの?」


 レナの質問にカイルは目を逸らした。


「答えろ」


 ジト目でレナは尋ねた。答えなければ殴るつもりで右手の拳を固めた。


「……港ごとに妻がいるからね」


「重婚しているの!」


「女性が某の妻と申告してくるからね。そのまま通すんだよ」


「申告するって、どうして」


 そこまで言ってレナは気が付いた。


「娼婦なの?」


「そうだよ」


「いいの?」


「本当は良くないんだけど。黙認しているんだよ……」


「……そんなんで良いの?」


「規則があっても、適用が難しい場合が多いんだよ。さあ、これで終わりだ。こっちの国際法の条項を覚えて貰うよ」


「……酷いところね」


「そうだね」


「我慢できなくなっても、私のはあげないわよ」


「何の話し?」


「解っているんでしょうエロガキ」


「何を持ってそう言うんだ」


 二人の話がエキサイトしかけたが、寸前でリドリー艦長に咎められ、二人とも海軍条例を一条から書き写す作業を命令されてしまった。


「絶対に私は許さないわよ」


 作業中そう呟いたレナは、自分は厳しく取り締まろうと心に誓ったが、上官の海尉に止められた。

 それどころか乗艦してくる女性が豚の膀胱で作った袋に隠し持ってくる酒を探すための身体検査係に任命されてしまい、寧ろ現状を肯定するような任務に就くことになった。

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