ゴードン・フォード
「ど、どのようなご用件でしょうか? 海尉心得」
エドモントが尋ねると、ゴードンは睨み返した。
「海尉心得じゃない。試験に落ちたんだ。こうしてゴードン・フォードは候補生に逆戻り、皆宜しくな」
そう言うと、候補生室にいた全員が黙り込んだ。
「ねえ、あれ誰?」
レナが小声でカイルに尋ねた。
「アレはゴードン・フォード。フォード本家の嫡男で海尉心得、いや候補生に戻ったんだ」
「どういうこと?」
「士官、海尉に任官するにはいくつか条件があってね。まずは海尉心得になるんだ」
候補生として最低二年過ごした後、その候補生が技量十分かどうか艦長が判断し海尉心得に任命する。
その後、海尉心得は海尉の見習いとして海尉と同じ職務をこなす。
そして海尉心得として半年過ごしたら、海尉任官試験を受ける資格が得られる。
三人の海佐が試験官となり傍聴人の前で口頭試問を行い、試験官の過半数から合格判定を得れば晴れて海尉になれる。
カイルの転生前の英国海軍と似たようなシステムだが、英国は不合格ならそこで候補生に落とされる。
だがアルビオン海軍ではその後、一年以内に二回受けることが可能だ。で、一年以上経つか、二回不合格だった場合、候補生に落とされて、再び海尉心得となれるよう最低半年以上、候補生として勤務を続ける。
「じゃあ、試験に失敗してここに?」
「そうだよ」
二人がひそひそ話をしていると、ゴードンがカイル達の方を向いてきた。
「どうも小僧が来ていると思ったら、カイル・クロフォードじゃないか」
「お久しぶりですゴードン・フォード候補生」
カイルは敬礼して返事をした。
「知り合い?」
「フォードの本家で会ったことが何回かね」
クロフォード公爵家はフォード公爵家の分家で時折一族の集まりがあり、そこでカイルはクロフォードの公子として父親に紹介された。その時にゴードンとも会っていた。
「覚えているとは、大したものだな。だがお前のようなエルフが海軍に入れるとはよほど人が不足しているらしい」
「はい、幸運にも恵まれました。何より最初にフォード候補生と会ったときの海尉心得の服が格好良く是非入隊したいと思いましたので、夢が叶い感謝しています」
その言葉で、ゴードンの額に血管が浮き出た。
カイルはマズった、と思ったが心の中がスカッとした。
「ねえ、最初に会ったのって何年前?」
空気を読めないレナがカイルに尋ねてきた。
「……五年か六年前だね」
幼少の頃から一族の交流を活発にしようというフォード家の方針から分家の子供達が集まることが多い。その中にカイルと、当時海尉心得だったゴードンがいた。
「えーと、海尉心得は一年半までなのよね。その時海尉心得って事は前にも一回降格されたって事?」
「二回だよ」
カイルはレナの過ちを訂正した。
最初に会ったとき、海尉心得として一回目の試験に不合格となっていた。その後二回落ちて、候補生へ降格。更に半年後に再び心得に昇進したが、一年半後に不合格となり降格。その半年後に心得に昇進したが今また降格してきた。
「フォードって海軍軍人を輩出する名家よね。ぱぱっと合格できないの? 裏から手を回したりとか」
「海軍の事に関しては完全に実力主義だからね。試験に手を回すことなんてしないよ。傍聴人もいるしね」
頓珍漢な答えを言った候補生を合格させては、試験官自身の評判に傷が付く。そのため、厳正に判定せざるを得ない。
初代フォード公爵が今の任官試験の方式を採用したと言われており、その機能はキチンと果たされているようだ。
だが二人の話を聞いてゴードンは怒りで険しい顔となった。しかし、怒りを抑えてカイルに話しかけた。
「ふん、どうもエルフというのは礼節を知らないらしい。怒るのも人としてどうかしているな」
無礼な言い方をゴードンはしたが、カイルは気にしなかった。こういう人間だと出会った時から知っているからだ。
慇懃無礼にゴードンは言った。
「おい、お前ら。折角俺様が帰ってきたんだ。祝えよ」
ゴードンのこの一言で、候補生全員が再び祝いの席を設けた。
だが昨日のような明るさはなく、全員がお通夜みたいな表情となった。
そして、食事の最中にそれは起きた。
いきなりレナの食事をゴードンが取り上げたのだ。
「何するのよ」
「俺の食事だからな、取って食ったんだ」
「どうして」
「エドモント、新人に教えてやれ」
指名されたエドモントは、怯えながら答えた。
「フォード候補生は我々の最先任だ。彼が一番良い肉を取る権利がある。一番良いシャツを着る権利がある。そして、彼の命令に従わなくてはならない」
「横暴よ!」
レナがまくし立てるが、それがゴードンのカンに触った。
「どうも新人は海軍の仕来りを知らないようだな。お前ら教えてやれ」
「ちょ、何をするのよ」
周りに居た候補生、ゴードンの取り巻き達が、レナを取り押さえると共にテーブルを片付け、そこに腹ばいにさせた。
手足を押さえられたレナはもがくが数人がかりでは、どうしようもない。
「貴様には、海軍精神が足りないようだ。たっぷり注入してやろう」
そう言うとゴードンは細い木の棒を持つと両手で握ってレナの尻に向かって叩き付けた。
「きゃんっ」
レナが悲鳴を上げるが、ゴードンは止めず更に叩く。
「よし、これでいいだろう」
「うう……」
痛みと恥辱で顔の歪むレナにゴードンは更に命じた。
「レディーファーストだ椅子に座れ」
「え?」
今叩かれたばかりで尻は腫れている。そんな状態で椅子に座ったら激痛が走る。
「座るんだ」
レナが躊躇していると、ゴードンが怒鳴って無理矢理、座らせた。
「ぐはっ」
痛みでレナは声を出し、直ぐに椅子から飛び上がった。
「着席して直ぐに立ち上がるのは非礼だぞ。立ち居振る舞いがなっていない。まだ海軍精神が足りないようだな。お前ら、もう一度、テーブルに押さえつけろ」
再び数人の候補生がレナをテーブルに押さえつけた。
「止めろ!」
その時、思わずカイルが叫んだ。
「いくら先任でもやり過ぎた!」
カイルが抗議の声を上げてようやくゴードンは手を止めた。獲物を変更したからだ。
「ここにも一人、海軍精神が足りない奴がいるようだな……やれ!」
残りの候補生が、迫ってきたが、カイルは巧みに距離を保つ。不用意に手を伸ばしてきた候補生に逆に突進してすり抜ける。背は低いが、そのため足の間をすり抜ける事が出来る。低身長のため足を狙える。足を狙って叩く。
「いて」
「そっちに行ったぞ」
床には先ほどテーブルから落ちた皿や燭台が転がっており、それを使って臑を叩いたり、投げたりした。
そして隙を見てゴードンにグラスを投げつけてやった。
「生意気な!」
叩き付けられたゴードンが頭に血を上らせる。
「お前らも見てないで捕まえろ!」
だが、これでレナを抑えていた候補生達もカイルを取り押さえようとして力を緩めてしまった。
「はあっ」
拘束をふりほどいて、レナは暴れ出した。
陸軍の名家出身で身体を鍛えているせいか、身体の使い方が良く、適切に打撃を与え、甲板に沈めて行く。
「てめえら、さっさと二人を捕まえろ! 掴みかかれ!」
ゴードンの命令で、数人の候補生がレナに一斉に襲いかかった。
幾らレナでも複数の人間を相手に立ち回りは出来ない。
甲板に押さえつけられた後、更に数人が乗りかかった。
「レナ!」
そっちに気を取られて、カイルも次の瞬間捕らえられてしまった。エルフは素早く動けても筋力は無く、振り払うことは出来ない。
「クロフォードをテーブルに載せろ」
ゴードンの指示でカイルはテーブルの上に腹ばいとなった。
「お前にも海軍精神が足りないらしい。たっぷりとたたき込んでやる。特に薄汚いエルフには強く必要なようだ」
そう言ってゴードンは更に大きく振りかぶって、カイルを叩いた。
「ぐはっ」
「おら! おら! おら!」
「止めて!」
カイルの苦悶とゴードンの怒号、レナの叫びで候補生の溜まり場は混沌とした。
「そこまでだ!」
それを止めたのは騒ぎを聞きつけてやって来た当直将校のパーカー海尉だった。