白い部屋で2人~抜き打ちテスト事件~
これは俺たち──紅希と礼菜──がまだ高校二年生だった頃の記憶だ。
中学の卒業と同時に礼菜の想いを知り、交際に踏み切るまで紆余曲折あったがそれに関して、今は置いておこう。
実際のところ、他の奴の事は興味なかったから合っているのかは分からないが、俺は高校二年生にして早くも志望校が決まっていた。今まさに在学している皇秦大学だ。
目標があったうえに、成績がギリギリ合格圏内に収まっていたため、俺は気楽に……しかし猛勉強に励んでいた。
そして礼菜。彼女も俺と同じ大学の、それも同じ学部に余裕で合格してくれた。
しかし、そんな彼女は一つの事件を起こしてくれたのである。……いや、数えたらキリがないほどに大なり小なり事件を起こしてくれているのだが、それについても今回は置いておこう。
これは、俺が礼菜に対して、色々と諦める原因となった事件である。
先に言っておくが、礼菜は天才だ。
本人は大いにその言葉を嫌っているが、ド天然と言う欠点を補っても余りあるほどの才能を持っていると、俺は思っている。
何故か、って?これは礼菜が初めて、俺より低い点数をとった事件だからだ。
いやいや。俺は別にナルシストじゃないし、自分が頭良いとなんて思ったことはない。良くて中の中って所だろうか?三十点は基本的に取る事がないものの、八十点を超えることもそうない。
そして礼菜は、全教科で俺より一点だけ多く点を貰ってくる。
教師には何故か俺が、カンニングを疑われる。
礼菜にはバカにされているのかと頭に血が上ったものだ。
「私の方が点数高くないと紅希に勉強を教えてあげられないの。でもね、私は点数だって紅希と一緒じゃないといや」
との超理論を言われた。当時はそりゃ解せなかった。よく話を聞いてくれるバカな担任に愚痴るくらいには理解できないことだった。愚痴る相手を盛大に間違えている辺り俺も馬鹿なんだが。
「じゃあ少し実験をしてみようか」
この担任……橋本先生は随分とやんちゃな人だった記憶がある。まあ、それもどうでもいいか。橋本先生は礼菜に対して抜き打ちでテストを行った。俺がテストを受けていない以上その点数である程度の実力は分かるはずだ、と。
伸ばすのは好きじゃないから言ってしまうが、結果は、例菜は二教科で一問ずつケアレスミスをしていたが、その二問以外の点数を掻っ攫ってきた。これには橋本先生も苦笑い。
「ま、まだ実験できることはあるはずだ!」
こいつはバカなんだろうな、と思った。実際それはその通りなんだが。
その次の日に、俺と礼菜はテストを受けさせられた。万全を期すために別室で同時に始めたらしい。
内容は礼菜が昨日解いたものとまったく同じ……つまり礼菜はまた満点確実、俺は軽く問題を見たものの一切覚えていないためホンマもんの実力テストとなった。救いは皇秦大学向けの難易度となっていることだろうか?
さて、結果。
俺は英語が赤点、その他の教科が五十点代という最悪な結果だった。橋本先生には普段から勉強しておけと説教をされた。
これでも毎日、礼菜に勉強を教えてもらいながら復習をしてるんだが……?
例菜はと言うと、なぜかぴたりと俺の一点上の点数に揃えてきた、それも全部の科目で、だ。
その日の夜には礼菜に後ろから抱きしめられ、悪戯されながら勉強をすることとなった。
この時こそ、世界には理不尽が溢れているんだと悟った瞬間でもある。
また後日、橋本先生の実験は続いた。
昼休みに入ると同時に俺だけが生徒指導室に呼びつけられた。礼菜が当然のように着いてきたが、橋本先生に何事かを言われると、死地に赴く様な顔で教室へと戻っていった。
……礼菜と離れたのなんて、トイレ以外だといつぶりだろう?あ、昨日のテストでも離れたか。こめかみをぐりぐりと揉み解し、無駄な思考を放棄した。
「またテストしようと思うんだよ、紅希くん」
「はぁ……?」
それならなぜ礼菜を追い払ったんだ?と探るような目をしているだろう俺に、笑いながら橋本先生は続ける。
「今度は難易度を一気に大学レベルにしようと思う。というか皇秦大学の定期テストで行えるレベルにする予定だ」
「それなら流石の礼菜も点数調整できないって?」
「そうだ。……そして、紅希くんには高得点、もしくは満点を取ってもらいたいんだよ」
「いーや、無理っすね」
にべもない態度の俺に苦笑いしながら橋本先生が言葉を紡ぐ。
「今回は一問二点で五十問、それもマークシートにしようと思ってるんだ」
「そしたら一点だけ上は無理だと?」
「それもあるさ。それもあるが、君も答えが分かりやすいだろう?」
何を言ってるんだ、という顔をする俺に橋本先生は続けた。真面目な君は嫌うかな、と。
「あー……つまりアレですか」
「みなまで言うな」
「八百長」
苦笑いされるが、今更過ぎる気がする。呆れた。
「だって気になるじゃないか!習っていない問題!必ず偶数になるマークシート式!十択という類を見ない難易度!目標点が未知数ではあるが高得点だとしたら!……そんないくつもの難関を越えられるとしたら、私は礼菜さんしか知らないんだよ」
「……バレたらマズいんじゃないですか?」
「バレたら、ね。それにこれは成績に関係ある実際のテストじゃない」
学校の制度を細かく知っているわけではない。だからこれが問題に当たるのかは……判断出来ない。
さて、どうするか。
こんなとき、俺はおそらく間違えた選択肢を選ばない天才の、礼菜がするだろう行動を考える。落ち着け、礼菜の側に一番いたのはあいつの両親ではなく俺だろう、礼菜の予測なんて簡単だ。簡単なはずだ。
「や、にしても嫌です。俺に利点はないんで」
断る。これが正しいはずだ。よし、昼飯を食べに帰ろう。昼飯は礼菜の手作り弁当だ。
……あいつの手料理を食べて早いこと半年か。段々と美味しくなってきて胃袋を掴まれる、ということを実感している。悪いこととは言わんし他の男に譲る気は無いが。
「もし、このお願いを聞いてくれたら、皇秦へ推薦入学できるように掛け合ってみよう」
……俺の聞き間違いでなければ、悪魔が囁いていた気がする。
「……それこそ、不味いんじゃないですか?」
「内部情報だけどね、元々、紅希君は推薦に選ばれる候補の一人なんだ。お姉さんの事があったとは言え、傍から見たら学園生活は大人しく問題など起こしていない。成績も優秀がコーチがいるから当然とはいえ、上がる一方。そして今のところ落ちる気配は見られない。……今回の、『教師のお願い』も嫌な顔せず、聞いてくれたとなると、逆になぜ推薦しないのかを疑うね。……ほら、問題ない」
その発言が問題だと思う。
……しかし、だ。志望校である皇秦大学に入学出来る可能性が高まるのはいいことだ。安心感が変わることで心に余裕が生まれる、そうすると、少しは姉のことを受け入れられるのではないか……?
「まるで、悪魔のささやきですね」
つい、口に出た言葉。……俺らしくはない、取り戻せない言葉。
「ははは!そうだね、そう聞こえるかもしれない!」
「……それに、俺が推薦で受かったとしても、礼菜が受かるかは分からないじゃないか」
「それこそテストをしてみれば分かることじゃないかい?……と、いうよりも。私には礼菜さんと一緒の大学へ行く事が確定に聞こえるのだけれど?」
そっと目を逸らす。
「礼菜なら、きっとついてきますよ」
「ふぅん?愛されているんだね」
橋本先生の言葉を遮るように、少し大きめの声を出した。
「今回の!テストの話は受けます。でもその結果はどこにも公開しない、そして大学は自分の力で入学してみせます」
俺も、どこか礼菜の本気を見てみたかったんだと思う。先生の実験に協力することにした。
しかし、カンニング、八百長なんてことをしてしまうという罪悪感がどこか心に残った。推薦を蹴ったくらいで、その罪悪感は消えてくれるのだろうか。
「君は真面目だねぇ……まぁ、それくらいは分かった」
「お前が不真面目なんだ」
「聞こえているよ?……テスト範囲くらい教えておこう。円周率は出るよ、よく覚えておくように」
ふいに頭によぎる嫌な考え。数秒ほど、思考が止まっていたようだが、その間、橋本先生はニヤニヤと楽しそうに笑っていた。してやったり、と顔に書いてある気がして、ひっぱたきたくなる。
「選択肢なんだよな?……マークシート式なんだよな?」
「そうだね」
「選択肢の個数って、確か十択って言ってたよな?」
「案外聞いてるんだね。〇から九までの十択にするよ」
「●ァック」
「それも聞かなかったことにしておこう」
手をシッシッと振られる。どうやら帰っていいらしい。
「紅希!……やっと帰ってきた」
生徒指導室を出て、教室に入る。するとタックルされたのかと思うほどの勢いで礼菜が飛びついてくる。ふんばって止めようかと思ったけど……そんな気力も無くなったあげく、昼飯食ってないから腹減ってて無理。
礼菜が痛みを感じないように、しっかりと抱きしめて倒れる。代わりに俺はめっちゃ痛い。
「……どうしたの?なんか疲れた顔してる」
「いつも通りの顔だよ」
「泣いちゃう?なでなでしてあげるよ?」
「いらない」
疲れたし、礼菜の言うとおり気を抜くと泣いてしまいそうな心境だった。礼菜を騙していること、先生に期待されていること、不正をするという罪悪感。……そして、礼菜にかかっているだろう、重い期待。
俺への期待は良い、裏切ったところで傷つくのは身勝手な相手とでき損ないの俺だから。
でも。
でも、礼菜は、潰れてしまわないだろうか?
礼菜まで、自殺してしまったら。俺はどうすれば良いんだろう、両親にも、礼菜の両親にも、どんな顔をして会えば良いのだろう。
一度考えると、思考は止まらなかった。逃げ出したい。
「……紅希?」
気づくと、礼菜の頭を撫でている俺がいた。
「辛くなったら甘えてきても良い、どれだけの愚痴でも聞いてやる。──だから」
「紅希」
礼菜の睨むような目に、俺は動けなくなる。
「お弁当は机の上にあるから、一人で食べて」
礼菜は倒れたままの俺から退くと、廊下をずんずんと歩いていく。礼菜が遠く離れていくのを見ながら、俺はそのまま廊下で倒れていた。
近くの女子が心配そうに声をかけてくれるが、生返事するのさえダルい。スカートの中が見えそうになったから腕で目を覆った。けして涙が出てきたからじゃない。
「──屋島くんを保健室まで──」
「紅希──」
「──大丈夫?──」
誰かに引っ張られる感覚、無理矢理に両脇から持ち上げられ、歩かされる。
支えられないと倒れる足取りで向かわされる先。
ドアを開けた先に、姉が──│希美が、笑っていた。
姉の記憶。
両親からの大きな期待を小さな身に背負う俺たちは、姉弟喧嘩も多かったが、その分姉弟仲もよかった。
小さい頃は俺と礼菜と希美の三人でいるのが当たり前だった。……礼菜は希美を苦手としていたようだが。
俺と希美はよく両親に隠れ、遊び耽っていた。
ゲームをしたり、漫画を読んだり、アニメを見たり。その遊びは多岐に渡ったが、基本的に室内で済ませられて音が出ない、もしくはイヤホンで抑えられるものに限定されていた。
希美から勉強を教えてもらうという口実で部屋に籠って遊ぶのが基本だったからだ。
希美がゲームしてる時は俺が見張り、両親の寝てるときなどは見張りが必要ないからゲーム画面を覗き込んだ。
そして代わりに、俺がゲームしているときは希美が見張りをしてくれた。
最初こそ順番を守らずに喧嘩したものだが、喧嘩の声で遊んでるのがバレると理解してからというもの。
『ルールを守る』
と言うことが暗黙の了解となっていた。ただの利害の一致だったのかもしれない。でもその関係は、悪くないものだった。
俺が言いたかったのはそんなことじゃない。
俺の知ってる姉は……希美は、いつも朗らかに笑っていた。
俺が怒っては「変な顔」と笑いだす。
泣き始めると「男の子っぽくない」と笑った。
幼心に嫌な思いをたくさんした姉の笑顔は、確かに俺の救いでもあった。
俺よりも重い期待を背負って、弟の世話までしているのに笑顔で、面倒見の良い姉。
礼菜が俺にべたべたとくっつくのを笑いながら見守り「お姉ちゃんにもー」とねだっては逃げられて少し悲しげではあるものの笑っていた。
「紅希は愛されてるなぁ。……私も好きだよ?」
その、言葉は、今でも思い出せる。人生初の告白だったんだ。
──希美。なんで自殺なんてしたんだよ……!
部屋に遊びに行ったら首を吊って死んでいて、初めて見る希美の苦しそうに泣くその顔に、俺は恐怖を抱いた。
そこから葬式までの記憶はない。何を話しかけられたのかまったく覚えていないが、生返事を返していたことはかろうじて覚えている。
そして、俺を救ってくれたのは希美の遺書と、礼菜だった。
「貴方達の期待は、私には重過ぎました。親より先に死ぬ我儘をお許しください」
教育方針を間違えていると、希美は、自分の命を使って教えた。その結果、俺は両親の期待から解放された。まったく嬉しくないのに涙が出た。遺書を濡らさないように、必死に堪えては泣いた。
礼菜はそんな俺の頭を撫でてくれた。そして思ってることを、愚痴や姉への想いや両親への恨みを全て話した。
……その上で礼菜は、俺を受け入れてくれた。酷く泣き叫び、誰かに受け止めてもらい、自分は生きていても良いと思えるまで寄り添ってくれた。心の整理が、できた気がした。
「──気がした、だけなのかもな」
「夢、見てたの……?」
独り言のつもりだった。
それでも俺が寝ていたベッドの横には礼菜がいて、俺の手を握っていた。不安そうで、私のせいだと自分を責めているかのように感じた。
「希美の夢。……最近見てなかったんだけどさ」
「その……紅希、ごめんなさい……」
「お前のせいじゃないよ」
これはきっと俺の責任だ。ずっと味方でいてくれた彼女に嘘を吐く、その罰なんだ。
「ごめんな、礼菜……」
泣き出してしまった礼菜をなんとか泣き止ませて、家に帰ったらすでに夜の九時を回っていた。お義母さんは大体の事情を聞いたらしく、ほぼ何も聞かずに温め直したご飯を出してくれた。この親にも、頭が上がらない。
次の日、朝学校に来て早々、橋本先生に呼び出され、放課後にテストをする旨を聞いた。
「……酷い顔だね」
「お前のせいでな」
携帯で円周率を調べてみる。ふと気になったから、覚えた方とかあるのかな、計算で出す方法とかあるのかな。
そんな建前で調べてみる。
ギネス記録が十万桁だの、円周率は間違えていてすぐに割り切れただの、覚えるには語呂合わせしかないだの、四桁ずつ覚えるのが最適だの……。知りたいことは対して分からなかったけれど、少なくとも二十五桁を覚えられた。カンペを書くことを思いついたが、これ以上裏切りたくない一心で、テストに挑む頃には四十桁までなんとなく覚えられていた。
語呂合わせは最強、それが分かった。
教師の「始め」の声でマークシートを塗りつぶしていく。四十七個、そこまで不自然なほどにすらすらと解けた。礼菜は別室、今この部屋にいるのは橋本先生だけだから何も言われはしないが、実際ならカンニングで即退場だろうな。
さて、あと三問。少しは自力で解いてみるか……。
三十分かけても答えの足がかりさえ掴めないんだが。ていうか大学だとこんなん勉強するのか?急に行きたくなくなったんだが。
もういいや、適当に塗って寝てしまおう。
「紅希君。寝るくらいなら退室してもいいよ?別に正規なテストというわけではないのだし」
「こんな問題礼菜でも解けないだろ……」
「それを確かめるんじゃないか。礼菜さんは隣の空き教室で受けてるよ、どうせ待つんだろう?」
「悪いか?」
「睨まないでくれよ……ただ仲睦まじいな、と思っただけだよ」
解答用紙と問題用紙を先生に渡す。そしたら先生が皇秦大学の予想問題(手作りだろう)を渡してくれた。模範解答もあったし問題を解くヒントまである。これを参考にすれば幾分かは楽になりそうではある。
「なんだよ、これ」
「娘から聞いたオススメのデートコース」
「あんた娘いたのかよ」
結婚していたことは流石にきいたことあったが。それにデートコースを教えられるほど歳も重ねてる、と。カバンに貰った紙束を仕舞いながら、今週末にでも礼菜を誘おうと決意した。
そして十数分後の俺は、礼菜を抱きしめている。その抱きしめられている礼菜だが、子供みたいにわんわんと大泣きしていて、その礼菜に向けて担任の橋本先生が廊下なのに構うことなく土下座している。
……なんだこの状況。
廊下で待つこと五分くらいまで、時間を巻き戻そう。
スマホで友達から来た連絡に返信し、ソシャゲでも起動して遊ぼうかと思ったとき、人影が飛び込んできた。
──礼菜か!?
壁に寄りかかってたしこのままだと衝撃がダイレクトで腹に来ぐはぁっ!
「いってぇ……!」
「紅希!紅希ぃ!嫌だよ……どう、しよう……」
俺を殺す気かと思うほどの衝撃と、その礼菜が泣いている衝撃。は?なぜ泣くことになる?てか礼菜のせいでスマホ落とした。
「紅希と同じ学校いけない……離れ離れに、なりたくないよぅ……うえぇぇん!!」
流石の礼菜でもあの難解な問題は解けなかったか、とどこか安堵している自分がいた。しかし。
しかしだ、問題が解けなかったからといって同じ大学に行けないに繋がるだろうか?
「礼菜が六十二点も取れてるのに……私はたった六点なんて……!」
すごいな、自力で三問も解けたのか。俺なんて一問も分からなかったのに。
てかスマホ取りたいのに礼菜が邪魔で取れないんだが……!
「礼菜、どいてくれ。邪魔だ」
「えっ……」
「スマホ、お前に抱きつかれてると取れないだろ」
なぜだかすごく悲しそうな顔してる礼菜だけど、頭を撫でたら離れてくれた。俺に縋るようにしていた礼菜はそのまま重力に引かれてへたり込んだ。
「どうかしたかい、紅希君?」
「あー、いや。橋本先生、俺六十二点なんだって?」
「は?……いや、まだ採点してないけど……」
「え、でも礼菜が……?」
もう一度礼菜を見るが、へたり込んだままで泣き続けるだけだった。というか、礼菜が泣いてるのを見るのって二回目じゃないか?
「せんせぇ……紅希、こうきが……」
「え、なんで礼菜さんは泣いてるの!?」
「俺が知るかよ」
あーあ……スマホの画面割れてじゃん、買い替えか?これ買って1年も経ってないんだがなぁ……。
「れ、礼菜さんどうしたんだい?」
「紅希が……私を、捨て、て……ぐすっ。どっかへ、行っちゃう……」
「ああ、なるほどね……。実はね礼菜さん、今回はちょっとした実験だったんだ」
「実験……?」
行っちゃって良いのかよ、バレたらうんたらを忘れてるのか、問題ないと判断したのか……。
画面の罅は全面に渡っているものの、亀裂に対して正面で画面を覗くと意外と見えるものだった。あーあれだ、覗き見防止フィルターみたいなかんじだ。
「じゃあ、紅希と、一緒の学校に行けるの……?」
「も、もちろんだとも!僕も紅希君のサポートをしているからね!大丈夫さ!」
サポートされた記憶はないが。ていうか先生がなんとか泣き止まそうとして空回りしているように見える。
「先生の、ばか」
「すいませんでしたぁ!」
確か礼菜のファンクラブを名乗る男も礼菜に「ばか」って言われて土下座をしていたな。この先生もそこまで堕ちたのだろうか。
この後礼菜は再び俺に抱きついてきて、撫でていたら泣き疲れたのか子供のように眠った。
先生は最初の方こそ土下座をしていたが、途中で「今日はありがとう……」と力なく呟くとふらふらと│巣穴へと帰っていった。おでこが赤くなっていたのが地味に面白かった。
礼菜をおんぶしようと背負うと寝惚けながらに首を締め上げるほど抱きついてくるが、いつものことだと割り切って歩く。苦しい。
結局、なぜテストを受けた教室から出たばかりの礼菜が採点もされてない俺のテストの点数を知っていたのかは分からないまま。だが、俺は耳元で聞こえる礼菜の寝言に溜め息を返して考えるのをやめたのだった。