第3話 偽り
泣いた次の日、つまりは今日なのだが、失敗に対していつも引き摺ってどんよりとした気分なはずなのに今朝は妙にスッキリしていた。
「これもアデムさんのおかげかな」
前とは明らかに違う心境の変化。私は半信半疑だったメンタル・レンタルの存在を、効果を確信した。
私はベッドから跳ね起きるとすぐさま着替える。洗面台で歯磨き等を済ませ、リビングへと向かった。
「お母さん、おはよう」
水の流れる音ともに台所に立つお母さんの姿が見えた。お母さんは私のほうに振り返るのだが直ぐに前と向きなおす。
「おはよう、朝御飯出来てるわよ」
おそらく目の腫れに気付いたのだろう。その事に触れないでいてくれるのが嬉しいような悲しいような複雑な気分になる。
朝食を食べたらもう一度顔を洗おうと心に決めた。テーブルの上を見ると1人分の朝食、私の分しかないということは既に父は仕事に行ったらしい。
「美味しそう! いただきま〜す」
味噌汁と焼き鮭、ご飯に納豆と典型的な和の朝食。時計を見ると少し危ない時間だったので急いで掻き込み家を出る。
「行ってきます!」
「美月!」
母は呼び止めるような声で私の名前を叫ぶが私は立ち止まらずに家をでる。
走った。それも全速力で、体力のない人間なので直ぐに走るのを止めたが気持ちよかった。
いつも通りの速さで歩いて通学する中、一つの疑問が頭に過る。アデムさんは『雨宮様と付き合うまで』と言っていた。それがものの見事に玉砕。しかも彼女がいるからっていう努力しても無駄という止めの一撃。
私はずっとこのままなのか?
「それでもいいか」
理想の自分になれたのだ。確かに雨宮君とは駄目だった。だけど人生まだまだこれから、前向きなのか、楽観的なのかわからなくなって一人苦笑する。
「おっはよ〜!」
教室に着き、元気よく第一声。教室の時間が止まる。
「……あれ?」
摩訶不思議な力で実際に止まった訳ではない。クラス中のみんなが驚いて固まっているのだ。
しかしそれも一瞬、直ぐに騒がしくなった。
「やっぱりあれ本当っぽいな」
「昨日までとは別人じゃねぇか」
「眼鏡掛けてないね、イメチェンかな? それとももう吹っ切ったって事かな!?」
「あれ? 可愛くね?」
友達同士で話してるつもりらしいが聴こえる聴こえる。教室の入り口から動いていない私を陽子は引っ張って席に連れていってくれた。その途中、雨宮君と目が合い、手を振ってみる。雨宮君も手を振り返してくれるが、雨宮君の隣にいる男子まで手を振ってくる。
「頑張れよ」
何故かその男子に応援され意味がわからない。陽子に引き摺られ席に付く私。机を挟んで目の前にいる陽子が目をつり上げていて少し怖い。
「吐け」
「……はい?」
「お〜けい、しらばっくれるつもりだな? もっと明確にしよう」
両手を左右にやれやれ、と呟く陽子。何故私はここまで緊張しなければならないんだ。
「告ったな?」
「パードゥン?」
「告白したんでしょ!」
机をバンと叩かれて少しビクつく。陽子はそのまま溜め息を吐き、机に寄りかかるように座り込んだ。自分で焚き付けておいて何様なんだこいつわ。
「何よ〜、陽子が言ったんでしょ」
「半分どころか九割方冗談だったんだけどね。まさか本当にやるとは……それに今日はやけに明るくない?」
心臓が高鳴る。言うべきなのか、メンタル・レンタルの存在を。実際に訪れたことを。
「美月、もしかしてーー」
ハッとする表情、これはもうバレてる。もう言うしかない。
「あのね、実はメン「振られたから無理に明るくしてるわね」」
「……えっ?」
「いいのよそんなことしなくたって、そんな貴女に朗報が」
「う、うん」
少し安心する。別に無理して言わなくたっていいじゃないか。信じてくれるかも怪しいし。心配を掛けないよう、怪しまれないように『前の』自分に少しだけ近付けよう。
「雨宮君に彼女がいるのは知ってるよね。でもその女かな〜り嫌な人らしいよ。」
「何でそんなこと知ってるの? てか彼女いるの知ってて告白しろとか言ったの!?」
陽子は首を横に振ると指を指す。その先を見てみると先ほど頑張れと言ってきた男子生徒。
「情報提供者の片山君」
「なるほど」
応援されたのもこれで合点がいく。親友が辛い目にあってるのは見過ごせないぜ! みたいな男の友情だろう。
「ちなみに噂が広まった原因も彼」
殺意が湧いてきた。
「まぁ細かい話しは後でね。学校が終わった後片山君と待ち合わせてるから」
「ん、了解」
まだチャンスがあるかも、と淡い期待を持ちながらその日は何事もなく学校が終わる。何故か待ち合わせ場所に直行ではなく、私服集合なので一度家に帰り、待ち合わせ場所に向かった。
待ち合わせ場所は駅近くの喫茶店、まだ誰も来ていない、部活をしているのは知っていたので一人紅茶を飲みながら待つ。暫くすると陽子と片山君が一緒に入って来た。何かを探すような素振りをすると私に気付き、一緒の席に座る、片山君は向かいの席だ。この二人、出来てる?
「部活が一緒なだけ」
心を読まれた!? 少し焦りながら紅茶を飲む。片山君を見ると細かく震えていた。具合でも悪いのか心配すると。
「あん……た……キョドりすぎ」
笑いを堪えているだけだった。片山君は深く呼吸をし始める。そうすると落ち着いたのか震えが止まる。
「悪いな、笑いの沸点が低いんだ。俺は片山 健次、よろしく」
「橘 美月です」
自己紹介を済ませると店員を呼び、それぞれアイスコーヒーとカフェオレを頼んだ。会話の切り口が見つからないのか、無言のまま片山君の視線をやたらと感じる。
「橘ってさ、可愛いな」
突然の不意打ちに紅茶を吹き出してしまう。
「あ、悪い。いつも眼鏡掛けてて地味なイメージしかなかったからさ、ギャップというか何というか、春人が放って置けないのも納得だわ」
「雨宮君が?」
「そっ、まぁ順序だてて説明する」
そう言うとアイスコーヒーを一口飲む。
「あいつさ、中学の頃人間不信になって引きこもってたんだよ。今とは全然違うだろ?」
確かに想像も付かない。私と陽子は無言で頷く。
「人間不信だった春人を変えたのが今の彼女なんだよな。カウンセラーとして訪れて、そのまま付き合ったらしい」
私はガックリと肩を落とす。何それ敵わなくね? 私は淡い期待を持ちながらここに来たのに何故そんな話し聞かされるの?
「話しは最後まで聞けって、俺も最近までは良い人だと思ってたんだけどな。その彼女を外で偶然見掛けたら男と歩いてやがる。心配性な俺は調べてみた訳よ」
そう言って片山君はファイルを取り出すと私に手渡す。中を見ると二十代後半の綺麗な女性と高校生っぽい男が二人楽しそうにしている笑って歩いている写真だ。捲っていくとどれもいかにもなカップル写真。しかしどの写真も同じ女性なのに男性はどれも違っていた。最後の方は男性達のプロフィールのようだ。
「探偵って凄いよな。それが春人の彼女、男は全部彼女の元患者、それが手口らしいね」
片山君がどうやって調べて何故こんな写真を持っているかはどうでもよかった。哀しみと怒りが沸き上がる。陽子は既に知っていたようでさして驚いた様子もなく、私の背中を擦ってくれた。
「春人にはまだ何も言っていない。言うつもりもない。完全に壊れる可能性があるからな」
「……何で私に?」
私の知らない雨宮君が一杯いた。表面しか見ていなかった。自然と涙が込み上げてくる。
「支えが必要なんだよ。彼女に代わる新しい支えが……」
一呼吸にも満たない間。
「お前は春人と付き合いたい、俺は女と春人を別れさせたい。目的地点は違えど通過点は一緒じゃねぇか」
右手が差し出される。私は迷わずその手を取った。
「話しが早いな。短期決戦で行く」
片山君は胸ポケットから紙切れを取り出すと、テーブルの上に置く。誰かの電話番号が書かれていた。
「その女の携帯番号、ここに呼び出して話しを付ける」
その時、ずっと黙っていた陽子が立ち上がる。
「私帰るわ、何か場違いっぽいし。陰ながら応援してるよ」
何で? と言いたかった。だけどよく考えたら陽子は全く関係ない、故に付き合う必要もない。
「そっか、わかったよ。ここまで手伝ってくれてありがとね陽子」
「美月ーー頑張ってね」
何を言い掛けたのだろうか、陽子の笑った顔は何処か苦しくて、悲しそうだった。私はそれに気付かないフリをして見送る。今は目の前のことからだ。
「陽子も帰っちゃったけど、私は何すればいい?」
「帰れ」
きっと私は今凄くマヌケな顔をしていることだろう。それほど迄に予想外の言葉だった。
「俺と橘の接点は隠しておいたほうがいい。後々面倒になるかもしれないから。橘はあいつの支えになってさえくれれば」
「嫌、一発殴るまでは絶対に帰らない」
その他にも失敗する可能性は少しでも減らしたいや冷静でいられない等色々言われたが私は譲らない。
結局、折衷案として絶対に大人しくしているという条件で残った。殴るのは我慢しよう。
「んじゃ、掛けるぞ」
私が掛けるわけでもないのにドキドキする。
「もしもし、片山と申します。雨宮の友達と言えばご理解頂けますか?」
耳を澄ますが電話越しでは相手の声が聴こえない、聴こうと身を乗り出すが片山君に手で払うような仕草をされ、大人しく電話が終わるのを待つ。
「ええ、はい、わかっています。雨宮には言っていません。直接話し合いましょう、場所はーー」
そうして電話は終わった。緊張していたのか、電話を切ると深い溜め息を洩らす片山君。
「とりあえず呼び出しには成功した。1時間で来るっぽい」
そこからは話しもせず無言だった。片山君はただ、お前のやりたいようにやれ。その一言だけ発すると腕を組み、窓の外を見る。私はこの後のことを考える。彼女が来たら私はどうすればいいのか、終わったら雨宮君とどう接しようか。
色々考えた、けど結局考えるのは止める。いくら考えたって、いくら想像したって本当の答えはわからない。今私の正直な気持ちをぶつけよう。心が軽くなった気がした。
誰かの入店を告げる軽快な音楽が流れる。見た瞬間緊張が走る。あの人だ、あの写真の人だ。あの人のせいで雨宮君は騙され、あの人のせいで私は振られたんだ。自分の中のワガママな部分が憎悪を、自分の中の雨宮君を想う部分が哀しみと怒りを生んだ。理性が何処かへと飛ぶ。
乾いた小気味の良い音が店の入り口で鳴る。いつの間にか私は入り口まで歩いて行き、頬を平手打ちしていたのだ。目の前の頬を打たれた女性はわけがわからないと表情で表していた。もう1発やろうかな。不意に後ろから肩を掴まれる。
「いきなり過ぎるだろ。それにもう止めとけ」
自分の息が荒くなっているのに気づいた。今は少しだけ冷静だが、この女の声を聴くだけでも感情を抑え切れる気がしない、悪いとは思うが、全てを任せることにした。
「ごめん、やっぱり帰るね」
帰ろうとするが一つ気になったことを聞いてみる。
「何で片山君は雨宮君のことをそんなに?」
「……友達だからかな。よくわかんね、気付いたら動いてた」
親友じゃないんだ。と割りと関係のないことを考え、目の前の憎い女性を無視して店を出る。この答えを深く考えることはなかった。
「申し訳ないですね。感情の起伏が激しい子なので」「本当に踏んだり蹴ったりだわ、いきなり平手打ちされるし、貴方のような子に脅されるなんてね」
「交渉術と言って下さいよ。ちゃんと断る選択肢だってあるんですから、それでは始めましょうか。交渉を……ね」
母とはまだ気まずい関係だがそのうちいつも通りになるだろう。家でゴロゴロしていると携帯が鳴る。片山君からのメールだった。
[成功した。今日中に別れるらしい、俺にやれるのはここまでだから、後は任せる]
嬉しさが込み上げてくる。後は私が頑張るだけ、不思議と不安はない。
[頑張るよ!]
それだけ打つと私は明日に備え寝た。
結局は明日の予行練習を頭の中でイメージしてたら寝れず、やっと寝れたかと思えば遅刻スレスレ。教室に着くと私は雨宮君をちらりと見たが遠目からだといつもと変わらない、むしろ明るく見えた。
そういえば学校に来ない可能性もあったんだよね……とifを考えながらその日の午前中を過ごす。
決戦は昼時。意を決して雨宮君の所へ向かう。
「雨宮君」
「橘か、どうしたんだ?」
ぎこちない笑顔、昨日の私もこんなだったのかな。近くで見ると目の周りが赤くなっているのがわかった。
「ちょっと具合悪いから保健室までついてきてくれないかな?」
「ん〜、いいよ」
雨宮君は迷っているようだったが片山君が笑って背中を叩くと立ち上がり来てくれた。
保健室の中に入り体温計で測る。雨宮君は帰ろうとはせず隣に黙って座っている。
「昨日、私告白した……よね」
「……あぁ」
「その日はずっと泣いちゃって、泣いて、諦めようって思ったんだけど……さ」
雨宮君の顔は気まずくて、恥ずかしくて見れなかった。
「でもやっぱり、雨宮君の顔が浮かんで来てさ、無理だった」
「彼女とは別れた、っても一方的に別れを告げられただけだけどな。これで俺が断った理由は消えた訳だ」
知ってるとは言えない。どういう顔をしていいのかわからず、私は俯く。
「だからといって俺は今すぐ付き合うとかは無理だ。橘のこと良く知らないし、心の整理もしたい」
「それじゃあ……待ってる」
これは騙しているんじゃないのだろうか? 無理だったと言ったが私は吹っ切っていた。ほとんど何もしてないとはいえ別れた原因にも関わっている。頭の中が渦巻く中、自然と言葉が出てきた。
「彼女の代わりになれるともなりたいとも思わない。彼女の幻影じゃなくて私を見て欲しいから、だから整理がつくまで待ってる」
そこで始めて雨宮君の顔を、ちゃんと見た。雨宮君は、泣いていた。本当に好きだったんだなと痛感した。心が色々な意味で痛む。
「あ! 待ってるって言ってもアピールはするからね、覚悟してよ〜?」
「……お前まで泣くことないじゃないか」
「気にしな〜い!」
それから一ヶ月後、私達は正式に付き合うことになった。今では春人君と片山君、私と陽子の四人で遊ぶようになった。私は今凄く幸せです。アデムさんとは会っていない。料金とか大丈夫なのか不安だが何かあれば向こうから来るだろう。
「美月ってさ」
「どしたの陽子?」
しかしーー。
「変わったよね」
「ん〜、確かに明るくなれた気がする」
何故だろうか?
「違う、何かこう……根本からというか?」
「何それ〜! 私は私です〜」
「だよね〜、何言ってるんだろ私!」
笑うのが辛い、ううん、気のせいだよね。私は私、本当に、心から幸せ。




