(8)旅は道連れ、世は情け-1
「えっ、フェルダさんは馬は使わないんですか?」
エイジャが驚いてフェルダを振り返った。
「馬に乗ってるとガニ股になるからイヤ」
キッパリと言い切ったフェルダは、これからまた旅に戻るとは思えないような裾の長いドレスを纏っている。
「じゃあ、どうやって……?」
また自分の知らない魔術や魔道具を使うのだろうかと、エイジャの魔術師としての好奇心が疼いたが、その横からルチアが口を挟む。
「フェルダの移動手段は聞いても教えてくれない。あきらめろ。一旦別れて、次の町で合流する」
「そうなんですか……じゃあ、しばらくお別れですね」
「寂しそうな顔しないの。一緒に連れていってあげたくなっちゃうじゃないの」
「おい、じゃ、俺はどうするんだ」
「一人で馬に乗っていけば?」
フェルダの冷たい言葉に、ルチアががくりと肩を落とした。
「お前の中で、すでに俺よりもエイジャの方が優先順位が上になってないか?」
「だぁーって、ルチアったら、ちっとも誘いにも乗ってくれないし、おもしろくないんだもの。
アタシだっていつまでも振られっぱなしじゃ、他に心が動いちゃうわよ」
「だからお前、オッサ……」
「そういう事言うところが一番キライ!」
ギロリと凄まじい気迫でルチアを一睨みすると、フェルダはエイジャを振り返って微笑んだ。
「一緒に連れていってあげたい所だけど、ルチア一人で旅させるのも心配だから、付いて行ってあげてちょうだいね」
「はい、分かってます。それが俺の仕事ですから」
エイジャが姿勢を正す。昨夜のフェルダとの会話を思い出した。
そんなエイジャに、フェルダは優しい表情を向ける。
「じゃあ、またね〜」
館の前で手を振るフェルダに手を振り返し、ルチアとエイジャは馬を出発させた。
森を抜けた後は、延々と続く荒れ地があるばかりだ。
植物の育ちにくい地質らしく、人の手の入っていない風景が続く。
北の方角に向かえば、確か小さな村があったはずだが、今回は目的地の方角からは大きく外れている。
「日が落ちる直前までは馬を進めよう。できるだけ距離を稼ぎたい」
フェルダと落ち合う約束の街まではかなりの距離があるので、しばらくは野宿になる予定だった。
食料や燃料は、館に備蓄されていたものを馬に積んである。
エイジャの方は、いつもの探索依頼では宿などないような場所を廻る事も多く、野宿はお手の物だが……
「ルチア、野宿って似合わないよねー」
「そうか?」
「うん。王子様が寝るような、こーんな天蓋付きのベッドで寝てるイメージだよ。
それか、神話に出てくる空の上の神殿の、祭壇みたいなベッドとか?アハハッ」
身振り手振りで説明しながら、想像して笑い転げているエイジャを、ルチアが軽く睨む。
「勝手に想像して笑うなよ……」
「フフッ、ごめんごめん。でも本当に野宿なんてした事もないようなイメージだからさ」
「しばらくしてないが、昔は騎士団にいたからな。魔獣討伐で遠出する事も多かったし、しょっちゅう野宿だったぞ」
「へー……やっぱり王宮騎士団にいたんだ」
思った通りだなぁ、とエイジャは心の中で納得する。
王宮騎士団に所属するのは、王宮兵の中でも一握りの精鋭だけ。
貴族の子息達の花形職だが、完全な実力主義で、どれだけ力のある貴族でも縁故で入団させる事はできないという話だった。
「昔は、って事は、今はもう退団したの?」
「……ああ、今はカルニアス王子の近衛みたいな事をやってる」
(わーっ、やっぱりーー!!)
昨夜考えた通りだ。
近衛といえば、王宮騎士団の騎士の中でも更に選りすぐり。少なくとも、騎士団で一、二を争うぐらいの剣の腕が必要な上、王族の相談役としての役目もある為、しっかりとした身分と高い教養が求められる。
「……き、聞かない方が良かったかも」
「なぜ」
「だってなんか……そんな偉い人だと思うと、喋りにくくなっちゃうし。タメグチもどうかと」
「態度を変える必要なんてない。敬語はいらないっていうのは最初に言っただろう。
正直、貴族のまわりもった話し方は性に合わない。騎士団なんて言ってもそんなお上品なやつらの集まりじゃないんだぞ」
「フーン……」
確かに、騎士団には平民出身の剣の達人もいるし、町の酒場で飲んでいる騎士団の様子は、そこいらの男達と変わらないものだった。
中には地位を傘に着て横柄な態度を取る輩もいたが、総じて気のいい連中という印象だ。
「ルチアがいいって言うんだから、気にしなくていいか」
「そうだ。お前に敬語で喋られると、こっちが落ち着かん。お前は自分の好きなように振る舞え」
ルチアの言い様は、自分の今の立場に居心地の悪さを感じているようにも思えた。
「でも、カルニアス王子の近衛として、立派な服を着て王宮に仕えている姿は、すごく似合うと思うな。
この任務を無事に終えたら、ご褒美に一回だけでいいからその姿を見せてよ」
ニコニコと無邪気に笑いながら言うエイジャに、ルチアは一瞬表情を強ばらせた。
「……そんな事で褒美になるなら、いくらでも見せてやるが」
「ほんと?やったっ。楽しみだな〜」
きっと、カルニアス王子に負けないぐらい、キラキラに輝く高貴な姿が見られるはずだ。
(街の女達にも話してやろう。カルニアス王子には、神様みたいにきれいな近衛がいらっしゃるんだよって)
妙に楽しそうなエイジャを横目に、ルチアはエイジャの言葉の意味を反芻し、きっと何の意味もないのだろうと結論付けてため息をついた。
太陽が真上を通り過ぎ、少し日が落ちかけた頃、進行方向に人影を見つけた。
「何だ……?馬も連れないで」
人影は小さい。女のように見えた。
「倒れてる。どうしたんだろう」
馬を速めようとしたエイジャを、ルチアが静止する。
「一応、警戒しろ。ゆっくり近づくんだ。お前は守りの術を頼む」
カチリと、ルチアが剣を抜く音がする。エイジャも、自分とルチアに守りの術を施す為詠唱した。
静かに近づく。やはり女だった。俯せに倒れているので顔は見えないが、服装から成人前の少女に見えた。
エイジャとルチアは顔を合わせる。「俺が行く」とエイジャが目で合図し、ルチアが頷いた。
「どうかされたんですか。お怪我は?」
馬から降りたエイジャが女に近づき、声を掛けた。
返事はない。生きているのかも分からない。エイジャはゆっくりと少女を仰向けに起こした。
肩にかかる黒鳶色の髪は土ぼこりで汚れ、目を閉じた顔には血の気がない。だが、耳を寄せると確かに息はあった。
「大丈夫、生きてるよ。気を失ってるだけみたい。でも……」
身体のあちこちにできた擦り傷、衣服もところどころが破れている。まるでどこかから、着の身着のままで逃げ出してきたかのようだった。
その様子が、まるでかつての自分の姿を見るようで。
エイジャは、馬上のルチアを見上げる。
先を急ぐ旅で、厄介者に関わるなと、ルチアは言うだろうか。できるだけ距離を稼ぎたいと、さっき言われたばかりなのに。
何も言わなくても、表情からエイジャの言いたい事を察したらしい。
「そんな顔するな。もう少しいけば少し陰があるだろう。連れて行って介抱してやろう」
ルチアの言葉に、エイジャはほっと胸を撫で下ろした。
岩陰に少女を横たえ、エイジャは水筒から水を手に取り、少女の唇に含ませた。
カラカラに乾いていた唇に水分が触れると、程なくしてうっすらと瞳が開いた。
「……あ……」
何か言おうとする少女に、エイジャは怖がらせないよう微笑んで見せた。
「大丈夫、ゆっくり水を飲んで?焦らないで」
目線の定まらない様子の少女に、少しずつ水を飲ませる。少女は朦朧としながらも、必死で水を喉に送り込む。きっと何日も水分を摂れていなかったのだろう。
少女はいくらか意識がはっきりしたようだった。エイジャの顔を、不思議そうに見ている。
「あの……あなたは……?」
「俺は、エイジャ。東に向かう旅の途中なんだ。こっちは、相棒のルチア」
横で様子を見守っていたルチアを紹介する。
「君は?どこから来たの?どうしてあんな所に倒れていたのか、分かる?」
「……わ、わたし……」
問われて、少女は突然記憶が戻ったようだった。
「私、村の外で野盗に攫われて……アジトに運ばれて監禁されていたけど、隙をついて逃げてきたんです……!」
ダムが決壊したように、少女の両眼から涙が溢れ出した。
「ずっと走って……ここまで来れたけど、何日も食べてなくて……気を失ってしまったみたいで……」
「そうだったのか……辛かったね。もう大丈夫だよ。村はどこなの?」
「トープ村です」
「ああ、確かここから北にある村だったか。訪ねた事はないが……」
ルチアが答える。
「そこはここからだいぶ遠いの?」
エイジャがルチアに尋ねる。言いたい事は分かっていた。
「馬で行けば半日程だろう。行くぞ」
ルチアの返事に、エイジャが表情を綻ばせた。
最後の最後に人名を打ち間違えるというミスをしていました(汗)
その周辺をちょこっと修正しました。(9月26日)