(45)朝帰りってなに?
ずいぶん遅れて朝食の席についたエイジャは、向かいの空席を目にしてきょろきょろと食堂を見回した。
「ルチアは後で食べるんですって。何か、急ぎの仕事を思い出したとか言ってたわ。昨夜は寝てないみたい」
すでに食事を終えていたフェルダが言う。
「……そうですか」
少しほっとする。でもそれはつまり、エイジャを避ける行為である事は明らかで。
やっぱり、怒ってるんだ。
ううん……ただ怒ってるとかそういうレベルじゃなく……本当に、嫌われたのかもしれない。
ルチアはしょっちゅうベルと口喧嘩のようなやり取りをしているけれど、それを翌日まで持ち越すなんて事はない。ベルの方が怒りをおさめていなくても、ルチアのほうは気にせず飄々としているのが常だ。
じわりと瞼が熱くなり、エイジャは瞬きで涙をやり過ごした。
(昨夜は寝てないって……あの後、俺が部屋に戻ってからも、ルチアは起きてたんだ……)
いつ眠りについたのかは覚えていない。
寝不足ではあったが、いつもの習慣で目が覚め、顔を洗おうとして鏡に写った自分の顔に驚いた。
枕に顔を押し付けて泣きながら眠ったせいで、すっかり瞼が腫れ上がっていた。
「ヒロア・イスラル」
洗顔用に用意された水を手に取り詠唱する。水滴は小さな氷粒へと形を変えた。瞼に当て、腫れが引くのを待つ。
こんな顔を見せたら皆心配するから、と自分自身に言い訳をしながら、その実、食堂へ行ってルチアと顔を合わせるのが怖くて、なかなか部屋を出る事ができなかったのだ。
「エイジャ、今日はなんだか瞼が腫れてるみたいよ」
ベルが顔を覗き込んでくる。エイジャはベルの視線から逃れるように、瞼に指を添えて少し俯いた。
「……そう?変な寝方をしたのかも」
フェルダが一瞬顔を上げてこちらを見たが、すぐに何もなかったように読んでいた本に視線を戻した。
どうやら昨夜の事には気付いてないような二人の素振りに、エイジャは胸を撫で下ろした。
ルチアとの仲が険悪になってしまっても、この旅は途中で投げ出せるものではない。フェルダとベルに余計な心配を掛けるのは嫌だった。
改めて、昨夜の事を思い出す。
ルチアはなぜあんなに怒ったんだろう。
俺が宿を抜け出した事に気付いて、ああして外でずっと待っていてくれた……
機嫌は悪そうだったけど、最初はまだ、いつものルチアだった。
でも……そうだ。
首元のキスマークを見られた時からだ。
纏う雰囲気がガラリと変わった。
表情は冷たく、瞳は激しい怒りをたたえていて……
とても怖くて、でもどうしても視線をそらせなかった。
月明かりを受けて輝く眼差しを思い出し、エイジャは身震いした。
なんだろう。
心臓のあたりがざわざわと気持ち悪かった。
ルチアが怒った原因をちゃんと考えて謝ろう。
ずっとこのままなんて……嫌だ。
「はい、おまちどう」
目の前に朝食の皿を置かれ、考えに没頭していたエイジャははっとして顔を上げた。
腰にエプロンを巻いた男が、忙しそうに次のテーブルへ向かって行く後ろ姿が目に入る。
「……あれ、キーラは?」
ベルが怪訝そうな顔を向けた。
「キーラ?あの女なら今朝はいないわよ。私達の給仕も、あの人がやってた」
「彼、ウエイターじゃないわよね。厨房の料理人でしょう。すっごく忙しそう」
「……どうしたんだろ、今朝はキーラが入ってるはずなのに」
エイジャが言うと、ベルとフェルダは顔を見合わせ、さあ、というように首を傾げた。
嫌な胸騒ぎがする。
エイジャは立ち上がって、男の元へ駆け寄った。
「すいません、あの、今朝はキーラは……?」
男はエイジャを一瞥すると、厨房へ向かう足を止めずに答える。
「なんだい、あんたキーラの知り合い?」
「はい、今朝は彼女が入ってるって聞いてたんですけど」
「そうなんだよ!なのに来ないんだよ!おかげで俺が厨房とウエイター両方やってんだよ!まいったよもう!」
ガンガンガン、と乱暴に鍋を振る音が厨房に響く。
「こんな事今までなかったんだがなぁ、あの子。あ、その瓶取ってくれ」
顎で指し示された瓶を慌てて手に取り、男に手渡しながら尋ねる。
「俺、家に行って見てきましょうか」
「ああ、そうしてくれると助かるなぁ。病気でもしてんならそう伝言してくれりゃ助かるのに!とりあえずもう少ししたら他のウエイターの子が来るから、まあ今日はもういいよ。ゆっくり休んで治してくれって言っといてくれ!」
エイジャは急いでテーブルに戻った。
「ベル、ごめん……今日の予定なんだけど、先にちょっと、ロメオさんのお屋敷に行ってもいい?」
「ロメオの?……なんで?」
エイジャの提案に、ベルは訝し気に顔をしかめた。
「今日、キーラが無断欠勤してるみたいなんだ。お店の人の話だと、こんな事今までなかったって……ちょっと気になって」
「ええ〜っ!?なに、それっ!あの女の様子見にわざわざ行くっていうのっ!?」
ベルが立ち上がり、信じられないといったように目をむいて憤慨する。
キーラの事をベルが良く思っていない事は分かっていたし、こういう反応が返って来るのは予想していた。
「ほんとに、ごめん……ちょっと様子を見るだけだから。お店の人も、体の調子でも悪いなら、今日はゆっくり休んでいいって言ってたから、それを伝えたいんだ」
「もおっ、エイジャのおひとよし」
ベルはおもしろくなさそうに口をとがらせたが、諦めたようにためいきをついた。
「分かった、ちょっと寄って様子見るだけね!?」
いかにも嫌々といった様子で承諾する。すると、フェルダが手にしていた本をパタンと閉じた。
「あら、じゃあアタシも一緒に行くわ」
「フェルダさんもあの女に用事でもあるの?」
ベルの問いかけにフェルダは含みのある笑みを返す。
「アタシはロメオさんの方。ちょっと聞きたい事があって、これから行くつもりだったのよ」
「ロメオに?何を?」
「な・い・しょ」
口元に人差し指を当てて微笑む。こういう時のフェルダはルチアが問いつめてもはっきり答えないくらいだから、ベルやエイジャが何を聞いても無駄だ。
昨夜の事を考えると身動きが取れなくなりそうだった。エイジャは今はキーラの所在を確かめる事が先決と、無理矢理に頭を切り替えた。
鉄の門は昼間は施錠されておらず、フェルダが扉を軽く押すと、ギィと音を立てて内側へ開いた。
門の外側から見れば、手入れのされていない木々が好き放題に伸びきった、昼尚暗い主無しの庭。しばらく歩みを進めると、少しずつ視界が開けていく。
屋敷の玄関に辿り着きドアノックを鳴らすと、すぐに扉が開いた。
「あら……あなたは」
出てきたメイドは昨日お茶を入れてくれた女性だったが、エイジャの顔を目にして気まずそうな表情を浮かべた。
「? あの……朝早くからすいません。キーラは……?」
「えっ……?奥様は、あなたとご一緒なのでは……?」
メイドの返答にエイジャはきょとんとして目を瞬かせた。
「奥様?」
その時、メイドの後ろからロメオが顔を出した。
「誰かと思えば……朝帰りの詫びにでも付いてこられましたか」
昨日の穏やかな物腰とはまるで雰囲気が違う。
不機嫌さを隠そうともせずに告げられた言葉に、エイジャは事の次第がまるで分からず困惑の表情を浮かべた。
「どういうこと?朝帰りってなに?」
横に立つベルの目がつり上がっていく。
「キーラが昨夜あなたを訪ねたでしょう。こんなに日が高く昇ってから、一人で家に帰すのはさすがに気が咎めましたか」
ロメオは憎々し気に言い放った。
またもやギリギリ、8月中に更新できました……
ちょっと中途半端な所で切ってしまってすいません。
次話、できるだけ早く更新できるよう頑張ります。




