(37)そういう態度、大好きですよ
「……すっごい豪邸……」
男の身長よりもはるかに高さのある鉄の門扉を開け、石畳のアプローチを歩きながら、ベルはきょろきょろと首を回して辺りの景色に目を丸くしていた。
遠目に見える屋敷はまるで貴族のもの。いや、王都でもこれほどの豪邸に住んでいる貴族はなかなかいないだろう。
門扉の外からはただのうっそうとした森にしか見えなかったのが、個人の邸宅だったとは、何度もこの街を訪れているフェルダも知らなかった。
敷地の奥へと足を進めるほどに、周りの景色は美しく手入れされた庭へと様子を変えていく。街の喧騒もここまでは届かず、聞こえるのは小鳥のさえずりと、どこかに噴水でもあるのか、水の流れる小さな音だけ。
この街に来てから、砂と石と煉瓦、今にも崩れ落ちそうなボロ家ばかりを目にしてきたせいか、心が洗われるような気持ちだった。ベルでもそうなのだから、美を愛するフェルダなら尚更だろう。
丁寧に刈り込まれた生け垣のむこうには、季節の花々が咲き揃っている。石畳を歩きながらふとその奥に目をやると、黒のワンピースに白いエプロンをつけた若いメイドが、掃除用具を抱えて歩いていた。
「旦那様、お帰りなさいませ」
こちらに気付いたメイドが男に声を掛ける。
「ただいま。不自由はないかい」
男が優しい声でそう返すと、メイドは微笑んで首を振る。
「ありがとうございます。皆さんによくして頂いてます」
「そうか、何か困った事があったら言いにおいで」
フェルダとベルは首を傾げた。使用人と主人の関係にしては何だか妙な雰囲気だ。
ようやく館の玄関に辿り着く。間近で見るとますますその絢爛さに驚く。
白く塗られた屋敷の外壁は輝くばかりに磨き上げられ、梁や庇は意匠を凝らしたレリーフで飾られている。
男が重厚な扉を開くと、そこには先程のメイドと同じお仕着せを着た女性が立っていた。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「ただいま。お客様をお連れしたから、お茶を入れてくれるかい。君の入れたお茶は特別おいしいから」
「かしこまりました」
メイドが去って行く。その後ろを、違うメイドが花束を抱えて歩いている。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「ただいま。きれいな花だね、どこに飾るんだい」
「旦那様のお部屋に。どうですか?」
「君の見立てはあいかわらず素晴らしいね、ありがとう。それ、重くないかい」
「大丈夫です」
客間へ向かうまでの間だけで、10人近くのメイドとすれ違った。そしてその全てに男は声を掛け、必ず褒め言葉を入れる。
フェルダとベルは客間に通され、ソファに腰を下ろす。男はすぐに戻ると断って、部屋を出て行った。
上半身が沈み込みそうな程、弾力のあるソファに身体を埋め、フェルダとベルは呆れを通り越して感心さえしていた。
「女たらしもここまで来ると才能ね」
ベルがつぶやくと、フェルダが苦笑した。
「ほんと。聞いてて楽しくなってきちゃう。ルチアも少し見習ってくれればいいのに」
「それにしてもすごい家ね……」
二人はあらためて周囲を見渡す。王宮の客間だと言われてもおかしくないほど贅を尽くした部屋だ。
ただ、実際の王宮の客間と違うのは、この部屋の趣向だった。
壁紙も絨毯もピンクを基調にした花柄。先程通ってきた庭を一望できる大きなアーチ窓には上部にステンドグラスがはめこまれている。
部屋のあちこちに置かれた優美な曲線を描く猫足の家具にも、手の込んだ花の紋様が彫刻されている。貴族の婦人達の間で流行しているものだ。加えて、部屋中に飾られた薔薇の香りで室内はむせかえりそうな程だった。
「これほど全力で乙女趣味をまっとうしている部屋も珍しいわね。まさかあの男の好みだとは思えないんだけど」
フェルダがくすくすと笑う。
そこに男がメイドを従えて戻ってきた。手にはケーキの乗った盆を持っている。
「お待たせしました。彼女のお茶はおいしいですよ」
男は笑って向かい側のソファに腰を下ろす。
「自己紹介が遅くなりました。俺はロメオ。この街で、まあ、いくつかの店のオーナーをやってます」
握手を求められ、フェルダが応じる。
「フェルダですわ。こちらはベル」
「……よろしく」
目の前に置かれた、クリームがたっぷり乗ったケーキに目を奪われていたベルも、慌てて手を差し出した。
「この街にこんなお屋敷があったなんて存じませんでしたわ」
フェルダが言うと、ロメオはおかしそうに笑った。
「街の雰囲気とは随分違うでしょう。この街には、着いたばかりですか?」
「ええ、昨日来たばかりですわ」
「アストニエルから?それとも、シアル?」
「……アストニエルから。それがどうかしまして?」
「では、シアルに入る身分証明書はお持ちで?」
ロメオの言葉に、フェルダが口元だけを動かして笑う。
「……それを聞いてどうされるんですか?ロメオさんには関係のない事でしょう」
「そうですね」
ロメオは背もたれに身体を預け、胸の前で両手を組む。
「ただ、身分証明書をお持ちなら、すぐにこの街を出発した方がいい。今日、明日にでもね。
もしお持ちでないなら」
フェルダとベルは黙って言葉の続きを待つ。
ロメオはカップを口に運び、お茶を一口飲むと口を開く。
「この館でお暮らしなさい。彼女達のようにね」
傍らに控えていたメイドを振り返りながら、そう告げた。
「何、それ!?私達に、あんたのメイドになれって言うの!?」
ガタンと音を立てて立ち上がったベルが声を荒げた。
ロメオは微笑みを絶やさず、ベルを見上げる。
「彼女達はメイドではありませんよ。ただ、この家の家事を手伝ってくれているだけです」
「それがメイドっていうもんでしょ!?同じお仕着せを着て、これがメイドじゃなければ何だっていうのよ!」
「まあまあ、ベルちゃん。落ち着いて、ちょっと話を聞きましょうよ」
フェルダがベルの袖を引き、ベルはロメオを睨みつけたまま、鼻息荒くソファに座り直した。
「いいなぁ、そういう態度、大好きですよ」
ロメオはベルの不機嫌をまったく意に介していないように笑うと、姿勢を正してフェルダに顔を向けた。
「この街に、女性がまったくいないのには気付いたでしょう」
「ええ、そうね。前から少なかったけど、ほとんど見なくなったわ」
「この街には、人攫いがそこら中に潜んでいます。犠牲になるのは、主に女性」
ロメオの言葉に、フェルダとベルは目を見張った。
「彼等は言葉巧みに、あるいは力づくで、女性をどこかに連れて行ってしまう。この街には、アストニエルのような王宮兵も、シアルのような大公軍もいない。皆、自分で自分の身を守るしかないんです。
彼女達がいったいどこへ連れ去られたのか、今はどうしているのか、誰も分からない」
ロメオは一言一言を噛み締めるように話して聞かせる。
「アストニエルからシアルへ、シアルからアストニエルへ、旅をする途中に立ち寄っただけなら、悪い事は言いません。できるだけ早く、この街を去る事だ。
ただ、そうではなく、逃げてきたのなら。国を出ては来たものの、行く所がないのなら。
ここにいなさい。私の屋敷の中にいれば、安全です」
フェルダとベルが言葉を失っていると、ふいに部屋の外でガタガタと物音が聞こえた。
メイドの声と人の足音。男女の話し声が聞こえる。
「あら?この声」
フェルダが気付いて扉に顔を向けたのと同時に、ノックの音が部屋に響いた。
ロメオの横に付いていたメイドが扉を開けると、先程すれ違ったメイド達のうちの一人が立っていた。
「ご来客中に申し訳ありません。旦那様、キーラ様がお客様をお連れになりました」
「キーラが?」
ロメオが聞き返す。フェルダとベルは目を見合わせた。
「ロメオ、会わせたい人がいるんだけど」
部屋に入ってきた人物を目にして、ベルが立ち上がる。
「あんた……!」
「!……なんであなたがここに!?」
ベルの姿を見たキーラも、顔つきを険しくして足を止めた。
「……なるほどね、さっそく連れてきたってわけ。いつもながら手の早いこと」
皮肉な笑みを浮かべ、キーラがつぶやくように言う。
「キーラ、お客さんが来てるなら、後で……」
「エイジャ!?」
キーラの後ろから顔を出したエイジャを見て、今度はベルが声を荒げた。