(36)最も嫌いなタイプの男
「……えっと、彼は今、一緒に旅をしてる、ルチア。
ルチア、彼女はキーラだよ。まあ、二人とも昨日、会ったと思うけど……」
エイジャの部屋で、ルチアとキーラはエイジャから紹介を受け、握手を交わす。
「初めまして……キーラです」
「ルチアです。昨夜はどうも」
お互いの手の平からピリピリと静電気が伝わってきそうなほど、部屋中に緊張感が漂っていた。
「お怪我……大丈夫ですか?」
キーラが尋ねる。
「ええ、大丈夫です。大した傷ではありません」
ルチアはこめかみをひきつらせながら微笑む。
宿に戻ってきたルチアは、階段を上る途中で、扉を乱暴に開ける音とエイジャの声を聞いた。
何事かと急いで階段を上ったところで発見したのは、キーラを抱きしめるエイジャの姿。
頭では分かっていても認める事のできなかった事実を目の前に突きつけられ、衝撃のあまり足を滑らせて五段下の踊り場に転落するという、ベルとフェルダが見たら一生ネタにされそうなあまりの失態も相まって、さすがにうまく笑顔を作る事ができない。
「本当に大丈夫?頭打ったんじゃない?」
ルチアの様子がいつもと違う事に気付いたのか、エイジャが心配そうに瞳を覗き込みながら、手の平を伸ばしてくる。
額を柔らかく撫でられ、ルチアは身体を強ばらせた。
「大丈夫だ。心配するな」
「そう?」
一瞬視線が絡み合って、勝手に頬の筋肉が緩んだ。それがエイジャを安心させたようで、ほっとしたような笑顔を見せる。
その表情の愛くるしさに、ルチアの身体を支配していた緊張がふわりと解けた。
「階段を踏み外して落ちるなんて、ルチアらしくないね」
「ちょっとな。足が滑った」
言葉を交わしながら、エイジャがベッドに腰を降ろす。
ルチアが当然のようにその隣に座ったのを見て、スツールに座りかけたキーラの目つきが鋭くなった。
「ルチアさん、こっちにお座りになって下さい」
キーラは立ち上がり、スツールをルチアに勧めた。
「ああ、いや……キーラさんがどうぞ」
「いいえ、私はこっちでいいですから」
そう言うと、キーラはエイジャを挟んでルチアの反対側に腰を降ろす。
ベッドに三人が並んで座っているというおかしな状況にルチアが負け、スツールに場所を移した。
(……昨夜も思っていたが、どうもベルを思い出す女だな……エイジャのやつ、やはりこういうのに弱いのか)
小さなスツールには余りすぎる足を組み、キーラを眺める。キーラの方もどこか挑戦的な視線を送ってくる。
エイジャだけが気が付かないまま、二人の間に静かな火花が散っているようだった。
「ルチア、眼鏡は?他の二人はどうしたの?」
エイジャが少し声を落とし、向かいに座るルチアに顔を寄せて聞いた。
「フェルダの知り合いの魔道具職人を訪ねたんだが、他の職人を探せと言われた。挙げ句、瞳について口止め料を請求されてな。フェルダに俺は宿に帰ってろと言われた。
エイジャ、クラウディオという男の名を聞いた事はあるか?そいつなら直せるらしいんだが」
ルチアの問いかけにエイジャはふるふると首を振る。
「フェルダも初めて聞く名前らしい。今ベルと二人で探しまわっているはずだ」
エイジャは軽く頷いてルチアから離れる。
キーラはその様子をじっと見つめていたが、おもむろに口を開いた。
「ルチアさんも、エイジャと同じような冒険者?あんまり、そんなふうに見えませんね」
「そうですか?初めて言われました」
本当の事を言うつもりはないらしいルチアを、エイジャがちらりと見る。
「アストニエルを出てこんな所まで来るなんて、大変な依頼なんですね」
「ああ……ここにはちょっとした用事で立ち寄っただけですから。用が済めばすぐに立ちますよ」
「……そうなんですか」
キーラが少し残念そうに眉を下げたのを見て、ルチアはつい険のある言い方をしてしまった事を後悔した。
(何を張り合ってるんだ、俺は……)
こんな、年若い女の子に対して。情けない。
「キーラさんは、ここの食堂で働いてらっしゃるんですか?粗暴な客も多いから、大変でしょう」
空気を変えようと、ルチアはキーラに話を振った。
「ええ、嫌な客もいますけど。でも、給金はいいので、そんな事言ってられないです。早くお金を貯めて、出て行きたいし」
エイジャが目を見張る。
「キーラ、ここでお金を貯めて、アストニエルに戻るの?」
「うん……そうしたくて、頑張ってるんだけど……」
「そっか……」
エイジャの嬉しそうな微笑みが、ルチアの胸をざっくりと刺す。
「いつになるか、分かんないけどね。借金の分と、アストニエルに入る身分証明書も買わなきゃいけないし」
「身分証明書って、買えるんだ」
「偽造品だけどね。すごく高いの」
ルチアの眉が歪む。偽造証明書での入国は、本来は重罪だ。
それを知っているエイジャも、少し不安そうにルチアの方を見たが、ルチアが「分かってる」というように目配せしたのを確認してキーラに視線を戻した。
「でも、いい仕事が見つかって良かったですね。この街では、女性がまっとうな職を得るのは簡単ではないでしょう」
ルチアが言うと、キーラは頷く。
「ここのオーナーは、この街では顔役って感じなんです。ここの他にもいくつか店を持ってるし、人脈も広いので」
キーラの返事を聞いて、エイジャが手を叩いた。
「そうだ。キーラ、俺達いま人を探してるんだけど。そのオーナーさんなら、もしかしたら知ってるんじゃないかな」
エイジャの言葉に、同じ事を考えていたルチアは同意するように軽く頷いた。
ルチアを宿に返したフェルダとベルは、魔道具職人のクラウディオを探して裏通りを歩いていた。
心当たりのある他の魔道具職人や、情報屋をいくつも訪ねたが、皆「今はどこにいったのか知らない」と首を振る。
「もう足取りもおぼつかなかったからなぁ。どっかで野たれ死んだんじゃないか」と言う者もいた。
どうもクラウディオという男は相当の偏屈だったようで、ある日ふらりとこの街にやってきて店を構えたものの、他人との関わり合いを極端に避け、目深に被ったローブを人前で脱ぐ事は決してなかったらしい。
ローブから唯一覗かせる手の平は青白く筋張っていて、ぼそぼそと喋る声は力なく、その時点でかなりの年を重ねている事が伺えたという。
いつのまにか姿を見なくなってからすでに数年が経つというから、この街にはもういないと考えた方が良いのかもしれない。
魔道具職人達には眼鏡を見せてみたが、最初に訪ねた男と同じ反応が返ってくるばかりだった。
ただ、「こんなものは見た事がない、譲ってくれ」と金貨を積み上げた男がいたのを見て、魔力を持たないベルにも、この何の変哲もない古びた眼鏡に相当の価値があるのだと分かった。
「こんな眼鏡に、そんな価値があるなんてな〜。これって、エイジャのおじいさんの形見なんでしょ?」
ベルが手にした眼鏡をしげしげと眺める。
フェルダは、以前ルチアに聞いた話を思い返す。たしか、エイジャのおじいさんが「作った」と、エイジャがそう言っていたという話だったはず。
フェルダ自身、これまでに見てきた魔道具は、千年前の戦争よりも以前の古代魔法時代に作られたというものだった。その多くは王家に伝わる宝物として扱われていたり、闇市場に出回って法外な値段が付けられていたりで、決してそこらの店で気軽に売られているような類いのものではない。
エイジャのおじいさんが作った、と聞いた時は、そうした魔道具を何かしらの方法で改造したものなのかと考えていた。
しかし、何人かの魔道具職人の反応を見てきた感じでは、これはそれよりもさらに不可解な代物。すなわち、「完全に新しく作り出された魔道具」。
そんな事が、果たしてできるものなのだろうか。
「お嬢さん達、こんな所で何してるんだい」
ふいに背後から声を掛けられて、フェルダとベルは振り返る。
長めの赤髪を後ろに流し、仕立ての良いスーツを着込んだ、壮年の男が立っていた。
日焼けした肌に映える、はっきりとした目鼻立ち。目尻の笑い皺が人なつこい印象を与える。首元と指に光る金の装身具が、羽振りの良さを示していた。
「何もしてないわよ、ほっといて」
あからさまに敵意を見せたベルに、男はにっこりと微笑む。
「まあまあ、そんな怖い顔しないでよ。美人が台無し。いきなりこんな怪しい奴に声掛けられて警戒するのは当然だけど」
なんて軽い奴だ。最も嫌いなタイプの男だ。
牙を剥いて唸り出しそうな勢いのベルの肩に軽く手を置き、フェルダが半歩前に出る。
「なんの用かしら。まさか貴方みたいに女に不自由のなさそうな人が、ナンパじゃないでしょう?」
人差し指を唇に添え、優雅に微笑む。
男は白い歯を見せて笑った。
「美女にそんなふうに言われちゃ、いえナンパしました、なんて言えないなぁ」
「あらやだ、美女だなんて、お上手」
あっはっは、うふふと笑い合う大人二人を見ながら、ベルがウンザリとした顔をする。
「ゴージャスな美女と、かわいらしい美少女が何やら危ない場所を歩いてるって聞いてね」
「まあ、どこからそんな情報が廻ったのかしら。不思議」
「人探しをしてるとか?」
ベルは、男が口元の笑みはそのままに、目の表情だけが微かに鋭さを増したのに気付く。
「ええ、ちょっと」
フェルダは完璧な微笑みを崩さない。
「クラウディオの事を聞きたいなら、俺の家に来るといい」
男の声のトーンが、ほんの少しだけ下がった。
フェルダは黙ったまま男を見つめる。
「歓迎しますよ」
男はもう一度、白い歯を見せて笑った。