(35)会わない方が良かった
翌日。
いまだ元気のないエイジャを宿に残し、ルチア、フェルダ、ベルの三人は、魔道具職人を訪ねてマーケットの裏通りを歩いていた。
エイジャ自身はもう大丈夫だと言い張ったが、それが虚勢である事はルチアの目には明白で。
そんな状態で物騒な裏通りに連れてはいけないと、ルチアに部屋に押し込められたのだった。
日中でも薄暗い裏通りは道幅も狭く、人通りはほとんどない。表通りのざわめきが遠くに聞こえるのみで、不気味に静まり返っている。
隙間なく立ち並ぶ建物はどれも相当の年代物らしく、まっすぐに建っているものは見当たらない。お互いに支え合ってやっと持ちこたえているような有様だった。
そのうち、一軒の建物の前でフェルダが足を止めた。
入り口には腕組みをした男が扉を隠すように立ち、ルチア達に牽制するような目線を投げかけてくる。
「ここか?」
ルチアが尋ねるとフェルダは軽く頷き、懐から出した銅貨を男に手渡した。
男は黙ったまま身体を横にずらして扉を開き、三人を中に入れる。
背後で扉が閉まる音を聞きながら、ギシギシと音を立てる古い階段を上っていくと、薄汚れた絨毯敷きの廊下が現れた。
小さな木製の扉が並ぶ。一番奥の扉を、フェルダがノックした。
「どうぞ」
無愛想な声が中から聞こえ、扉を開く。
壁一面をぐるりと天井まで届く高い棚に囲まれた、窓一つない狭い部屋。膨大な数の本や何かの標本らしきオブジェ、得体の知れない道具などが所狭しと並べられている。
ベルがあっけにとられてきょろきょろと見回していると、部屋の奥から先程の声が響く。
「お客さんか?」
「アタシよ。フェルダ。」
フェルダの返答を聞いて、声の主が棚の向こうから顔を出す。
「おお、あんたか」
背の低い、瓶の底のような度のきつい眼鏡を掛けた老人だった。
「今日はなんだ。情報か、道具の売り買いか」
「魔道具の修理を頼みたいの」
フェルダはルチアから眼鏡を受け取ると、老人に手渡す。
「へえ……こりゃ……」
老人は物珍しそうに、手渡された眼鏡を眺めた。
「どう?直せそう?」
フェルダの問いに、老人は難しい顔をした。
「あんた、これどこで手に入れた?」
「出所は聞かない主義じゃなかったの?」
「そりゃそうだがこれは……儂が今まで扱ってきた魔道具とは種類が違う。ここ数年に作られたもんじゃないか」
「あんた達みたいな魔道具職人が作ったんじゃないのか?」
ルチアが口を挟むと、老人は歯のない口を大きく開けて語気を強めた。
「馬鹿言え。儂らは古代魔法の時代に作られた魔道具の、ほんの少しのほころびを修繕するだけだ。新しく魔道具を作り出すなんて、できるもんかい」
興味深げに眼鏡を眺める老人に、フェルダが顔を近づける。
「で、直せるの?直せないの」
「儂には無理だ」
「誰なら直せるの」
「……こりゃあ難しいな。いくらこの街でもこれを直せるやつは……」
老人は言葉を濁し、ちらりとこちらに視線を送る。フェルダが銀貨を一枚テーブルに置いた。
「クラウディオ。奴なら直せるかもしれんな」
「聞いた事ない名ね……どこにいるの?どんな人?」
「今はどこにいるのか分からん。数年前まではこの通りの向こうで店をしとったがな。顔を隠しとったからどんな奴かもよく知らん。陰気な男だよ、それだけ分かっとる」
フェルダが手を出すと、老人は名残惜しそうに眼鏡を返した。
受け取った眼鏡をルチアが掛け直していると、老人がその様子を見ながらにやりと笑った。
「それはそうと旦那、いい色の瞳をしてなさるな」
フェルダは額に手を当ててため息をつく。
「んもう、嫌な人ね。はい、これでいい?」
銀貨をもう一枚テーブルに置き、フェルダは老人を睨んだ。
「へっへっ、まいどあり。また情報がほしけりゃ来なよ」
建物を後にして裏通りを歩きながら、ベルが不思議そうに尋ねる。
「あのお爺さん、ルチアの瞳の色を褒めたの?なんで銀貨を渡したの?」
「なんだお前、エイジャから聞いてなかったのか?」
ルチアに言われてベルが怪訝そうな顔をしたのを、フェルダが苦笑して振り返る。
「紅い瞳はアストニエルの王族だけに遺伝するものなの」
「お、王族!?」
「まあ、俺の場合は遠縁というだけだがな」
「ま、あの爺さんは口止めしといた方がいいわ。情報屋でもあるからね。
うっかりしてた。魔道具職人って知識だけはあるから、ルチアの瞳の色の意味を知ってて当然だわ」
フェルダはルチアを振り返る。
「というわけだから、クラウディオはアタシとベルで探すわ。ルチアは宿に帰ってて。眼鏡だけ置いていってちょうだい」
「お前達だけで大丈夫か?」
「ルチアが一緒じゃ銀貨がいくつあっても足りないもの」
ルチアは眼鏡を外してフェルダに渡す。
「一般人にはその瞳の色の意味を知ってる人間もまあいないとは思うけど、気を付けて帰ってね」
フェルダに言われ、ルチアはひらひらと手を振って来た道を戻って行った。
留守番を命じられたエイジャは、宿のベッドに仰向けになり、ぼんやりと天井を眺めていた。
情けない。一晩寝れば気持ちを切り替えられるだろうと思ったのに、今朝になっても重い気分は変わらなかった。
それを隠そうと明るく振る舞ったつもりだったが、ルチアにはカラ元気を見透かされてしまった。
(こんな所を見たら、キーラなら……しっかりしなさいよエイジャ、って怒るだろうな)
昨夜、二年ぶりに再会したキーラの顔を思い出した。
元気そうだった。髪がずいぶん伸びた。背も少し高くなってたな。
はきはきと良く通る声はあいかわらず。気の強そうな瞳も、つんと尖った小さな鼻も、そのまま。
ただ、纏う雰囲気だけがすっかり大人びていた。
あの別れから、どんな経験を経てこの街に辿りついたんだろう。
ひどい目にはあっていないと言っていたけど……
ふいに扉を叩く音が部屋に響き、考え事に没頭していたエイジャは驚いて肩を跳ねさせた。
廊下を歩く気配にも気付かなかった事に焦りながら、返答を返す。
「誰?」
「……私。キーラ。」
エイジャは手元にあった枕をぎゅっと掴んだ。
「ちょっと話がしたくて……入れてくれないかな」
心臓がばくばくと音を立てる。しばらく逡巡した後、エイジャは立ち上がり、扉を開けた。
睫毛を伏せていたキーラが、開いた扉に気付いて顔を上げる。
「……ありがと」
はにかむように薄らと笑う。二年前には見た事のなかった、憂いを帯びた微笑みだった。
壁際に置かれていた小さなスツールに腰掛け、キーラはスカートの上で手の平を握り締めて床を見つめていた。
お互いに、何から話し始めれば良いのか分からないといった状況だった。
「……昨夜はごめんね。急に部屋に戻っちゃったりして。……この部屋、なんで分かったの?」
キーラと向き合う形で、ベッドに腰掛けたエイジャが口火を切ると、キーラは顔を上げた。
「ここの食堂で働いてるから、宿泊客の名簿は見れるの……」
「そっか」
また沈黙が続く。
「「あの」」
言葉が重なり、二人とも口をつぐむ。
「なに?」
エイジャが尋ね、キーラが話を繋げた。
「ほんとに……あの時はごめんね」
「すごく心配した」
エイジャの返答を聞き、キーラは下を向く。
「でも……元気そうで良かった」
エイジャの言葉に、キーラは顔を上げないまま、鼻を啜った。
「私……どうしてもエイジャには言えなかったの……」
「なんで?俺は言ってほしかったよ。一緒に借金を返す事だってできたのに、どうして」
「……借金のこと、誰かに聞いたの?」
下を向いたままのキーラの表情は見えないが、こんなしおらしい彼女を見るのは初めてで、エイジャは口調を和らげる。
「キーラに言いよってた男達がいただろ?あの人達にちょっと聞いた」
「……そう……」
しばらく黙ったあと、キーラが再び口を開く。
「最初から……あそこには、長くいれない事は分かってたの。王都に行けばいい仕事が見つかって、お金を返せるかと思ったけど……そんな簡単に大金なんて作れっこないもんね」
「そんなに大金だったの?俺だって一生懸命働いてたんだよ。頼ってくれたら良かったじゃないか」
頼りにされなかった事への不甲斐なさと、大事な事を話してくれなかったキーラを責める気持ちがないまぜになって、エイジャはつい口調を強めた。
「そんなに、俺は頼りなかった……?」
「違う、そうじゃないの……!」
キーラの声が震えた。
「違うの……私あの時、エイジャの事……、
本当に好きになっちゃったの。だから、言えなかったの」
エイジャはぎしっと身体を強ばらせた。
あの頃、何度も何度もキーラに言われた言葉。エイジャが好き、彼女にして、いつも挨拶のように言われていたのに、なんだろう?
どうして今は、こんなに胸が痛むのか。
「エイジャが優しくしてくれる度に、辛かった。私、エイジャが冒険者として名を上げてるって知って、この人なら借金を助けてくれるんじゃないかって、そう思ったのよ。だから、近付いたの。そういう人間なの、私は」
何も言う事ができず、エイジャはただ嗚咽を漏らすキーラを見つめる。
「でも、エイジャは優しくて。男なんて、女の身体だけが目当てだって思ってたのに、何もしないで、ただ、手を繋いでくれるだけで、そんな人、今までいなかった。どんどん……好きになっちゃって、借金の事なんて、知られるのもイヤだった。私がそれまでどんな事をして生きてきたかも知られたくなかった……!」
「キーラ」
「あのまま、会わない方が良かったよ……」
ガタンと大きな音を立てて、キーラの座っていたスツールが倒れる。立ち上がったキーラが扉を開けて出て行くのを、エイジャは慌てて追った。
「待って、キーラ」
「やだっ、もう話したくない!」
部屋を走り出たキーラは、エイジャに腕を引かれて振り返った。
初めて見る泣き顔。
エイジャは思わずキーラを抱き締めた。ほとんど変わらない身長。身体をよじって抵抗するキーラを拘束するように、腕に力をこめた。
「もう、やだ……。ほっといてよ、エイジャ……」
肩口で鳴き声を上げるキーラの髪を、なだめるように撫でる。
放ってなんておけない。あの頃、必死で依頼をこなす毎日を支えてくれたのは、紛れもなくキーラだった。
本当の事を言えなかったのは、自分の方なのに。
その時、廊下のむこうでガターン!と大きな音が鳴り響いた。
驚いて顔を上げたエイジャとキーラは目を見合わせ、何事かとそちらに足を運ぶ。
そこでエイジャが目にしたのは、階段で足を踏み外したらしいルチアが、踊り場に倒れこんでいる姿だった。




