(31)恋人なのか?
キーラと過ごした日々を回想していたエイジャは、ふと廊下を歩く足音に気付いて耳を澄ませた。
足音はエイジャの部屋の扉の前で止まる。
(そういえば、部屋の鍵も締めてなかったな……)
ベッドシーツに顔を埋めたまま、エイジャはぼんやりとそう思った。
扉のむこうの気配はその場を動かず、かといって扉を叩く様子もない。
「エイジャ。食事を持ってきた。食べられるか」
しばらくしてエイジャを気遣うように掛けられた声は、ルチアのもの。
どう返事を返せばいいのか分からず、エイジャが言葉を探していると、再び声が掛けられる。
「……入っていいか?」
声色から自分の事を心配してくれているのを感じて、胸が詰まった。
「……開いてるよ」
やっとそれだけ絞り出す。
扉が開かれたのを、ふわりと体を撫でる風の動きで知った。
静かな足音が近付いてきた後、俯せに倒れたままのベッドにわずかな振動を感じる。
ルチアが自分の体の側に腰掛けたのだと気付いて、エイジャはゆるゆると顔だけをそちらに向けた。
「……なんて顔してる」
ルチアに言われて、エイジャは困惑する。
「なんて、って……どんな顔?」
どんな顔って。
ルチアは答えに窮して視線を逸らせた。
しっとりと潤んだ瞳、辛そうに歪められた眉。
漆黒の髪は肩からシーツに流れ落ち、一筋の細い束が微かに開かれた唇にかかる。
その眺めは、見る者の理性を狂わせるには十分で。
陶器のように滑らかな白い首筋に指を添わせたくなるのを必死で抑え、ルチアは自制心を奮い立たせるように咳払いをすると、手にしていた皿をエイジャの顔の前に置いた。
皿の上にはハムとチーズを挟んだパンが置かれ、いくらかの野菜が添えられている。
「とにかく食え。倒れたいのか?」
「食欲、ないよ……」
「冒険者がそんな事言っててどうする。しっかり働きたかったら食え」
最後の一言は効いたようだった。エイジャはおずおずと体を起こした。
なぜかベッドの上にきっちりと正座し、目の前に置かれた皿を手に取る。
パンを口にするエイジャを眺めながら、ルチアは組んだ足の上に肘をつき、ため息をつく。
キーラの「彼女」発言の後。
ルチアが気が付くと、いつの間にかキーラは姿を消していた。
「……よね、ルチア!?」
ベルに顔を覗き込まれたルチアは、しばらくの間自分が放心していた事を知る。
「ああ、え、何だ?」
「ちょっとなによ、聞いてなかったの!?
あのキーラって子、エイジャの彼女だなんて言ってたけど、エイジャの話し方だとだいぶ前に勝手に王都を去ったまま行方知れずだったみたいじゃない!?そんなのって彼女って言える?言えたとしても元カノよね!?っていうかそんな女、元カノとも呼べないわよ!きっと、あの女が勝手にそう言ってるだけよ!」
一方的にまくしたてると、ベルは勢いにまかせて椅子に座り込んだ。
「……あの女は?」
ルチアが尋ねると、ベルは怒りが治まらない表情のまま、顎で厨房のほうを指す。
「とっととどっか行ったわよ。交代の時間ですって」
しばらくして違うウエイターの男が料理を運んできたが、正直、ルチアも食事をする気分ではない。
無理矢理咀嚼して飲み込んだが、味はよく分からなかった。
「……エイジャにあの女の事、聞きたいけど……怖いな」
ぽつりとベルが漏らした言葉を耳にして、ルチアは目だけをそちらに向ける。
「お前の口からそんな気弱な言葉を聞くなんてな」
「あのね。あんた私の事なんだと思ってるわけ!?」
食って掛かってくるベルも、いつもに比べて勢いが弱い。
重い空気の中食事が済んだ頃、ウエイターが新たに一皿を運んできた。
「なに、頼んでないわよ?」
ベルが言うと、フェルダが皿を受け取った。
「アタシが頼んだのよ。エイジャの分」
そして皿をルチアの前に置いた。
「こういう時は男同士のほうが良いでしょ。持っていってあげなさいよ、ルチア」
「……俺に聞き出せっていうのか」
「そういうわけじゃないけど。ちゃんと食事が喉を通るくらいには、話を聞いてあげてね」
すました顔でフェルダが続ける。
何か言いたそうにベルが唇を動かしたが、そのまま言葉を飲み込んだ。
聞くのが怖いと言ったのは本心だったようだ。
食事を終えたエイジャはルチアから葡萄酒の瓶を受け取って口にする。
悲痛だった表情はいくらか弛み、少し気分が落ち着いたようだった。
「ごめん……。あんな状態で、部屋に戻っちゃったりして」
正座を崩さないまま、肩を落として詫びたエイジャを見て、ルチアはエイジャが自分の行動を情けなく思っている事に気付いた。
「気にするな。あの女もあの後すぐに立ち去ったし(放心してて気が付かなかったが)、ベルもフェルダも逆にお前の事を心配してた」
エイジャはうな垂れたまま、自分の膝頭のあたりを見つめて黙り込んでいる。
ルチアは意を決して切り出した。
「あの……キーラとかいう女は、お前の恋人なのか?」
「キーラがそう言ったの?」
「ああ」
「……そっか……」
否定しなかったエイジャに、ルチアはスーッと意識が遠のきそうになるのを堪える。
二人の間に流れる沈黙。
「キーラはさ……」
エイジャが口を開き、ルチアはどこかへ去っていきそうだった意識を慌てて掴む。
「夜道で……酔っぱらいに絡まれてて。俺が偶然そこを通りかかって、すごく困ってたから、酔っぱらいを追い払ってやったんだよ。
それが、最初」
聞きたくないような、聞いておきたいような。複雑な思いで、ルチアはエイジャの語る「カノジョ」との馴れ初めに耳を傾けた。
「それから、なんだか懐かれちゃってさ。俺の事……好きだとか、恋人にしてほしいとか、いつも言ってくるんだ。
俺は、そんな、恋人なんて作る柄じゃないし、第一、冒険者として修行中の身で、そんな余裕ないし……いつも、断ってたんだけど」
当然、キーラの誘いを断り続けていたのは、本当は自分が女性であるからなのだが、そこはもちろんルチアには伏せて、エイジャは話を続けた。
土曜日に更新できなくてすいませんでした。短めですが更新しました。
詳しくは活動報告にて。