(27)愛の歌
ルチアの部屋に招待状が届けられたのは、その日の午後だった。
「ルチア様、エイジャ様、フェルダ様。是非今晩お越し下さいますようにと、伝言を申しつかっております」
金で縁取られた高級そうな手触りの封書を手渡すと、使者はルチアの部屋を後にした。
「……ロミーナさんから招待状か」
ルチアはフェルダの部屋の扉を叩く。
「フェルダ。ロミーナさんから、今晩の舞台の招待状が届いたぞ」
言い終わる前に勢い良く扉が開き、ルチアは鼻を打ち付けそうになったのをすんでの所で避ける。
「舞台の招待状ですって!?ロミーナさん、今夜の舞台に立つのね!?」
「ああ……あれから三日か。まだ辛い時期ではあるだろうがな……」
「それでも舞台に立ち続ける、このプロ魂!やっぱりあの人は真の大女優よ!行くわ!絶対!
ルチアももう今晩は出られるんでしょう?」
「どちらにせよ、明日の出発の前に一度ロミーナさんには挨拶に行くつもりだったしな。ただ、招待状は三通だけ、俺とフェルダ、エイジャ宛になってるんだが……」
封書の表裏を再度確認し、ルチアが困惑の表情を浮かべたのを見て、フェルダは何かを察したようだった。
「……なるほどね、了解。ベルは用事があるってさっき出て行ったし、連れて行かなくて大丈夫よ」
「おまえ……何か知ってるんだろう。何を隠してるんだ」
「べっつに?さあ、はりきって用意しなくっちゃ♪エイジャー、ロミーナさんから招待状よ〜」
フェルダはうきうきとした足取りで部屋に戻って行った。
日が傾いた頃、エイジャは先日の観劇の際に買ってもらったタキシードに着替えた。
「やっぱり似合うわね〜、ステキよ、エイジャ!」
「あ、ありがとうございます……フェルダさんこそ、すごくきれいです」
「もうやだ、エイジャったら!」
フェルダは前回以上に気合いの入った真っ赤なイブニングドレスに、上質の毛皮のコート。高く結い上げた髪に宝石のちりばめられた髪飾りをあしらい、襟元の大粒のダイヤモンドのネックレスが輝きを放っている。
「エイジャ、いるか?髪を頼む」
扉が開き、顔を覗かせたルチアを目にして、エイジャは思わず息を飲んだ。
「きゃあっ、ルチアったらもう、やっぱり超絶いい男ね〜!ひさしぶりにそんな格好見たら、惚れ直しちゃう」
ルチアはフェルダが嬉しそうに腕にまとわりつくのを気にも留めない様子で、エイジャの方を向き直った。
「眼鏡の片レンズに魔術が効いてないんでな……右目だけ紅に戻っているのを、なんとか髪で隠せないか?」
つい見蕩れていたエイジャは、はっと目を瞬かせる。
「う、うん、やってみる」
結い紐を受け取り、椅子に座ったルチアの後ろに回る。
きっちりと着込んだ深黒の燕尾服と、しどけなく垂らした髪のアンバランスさはどことなく背徳的で、エイジャに軽々しく髪に触れる事を躊躇させた。
(やだなあ、なんか……緊張する)
動揺から手が震えてしまうのを気付かれないように祈りながら、エイジャは金色の髪を手に取った。
「魔道具専門の修繕職人を探さなくちゃいけないわね。たぶん、次の街にいると思うんだけど……」
「そうなんですか!?こんなの、直せる人がいるんだ」
祖父が作り出した魔道具を、直せる人間がいるという事実に、エイジャは驚いた。
「ええ、ちょっと探し出すのが難しいかもしれないけど……たぶんね」
「良かった、大事な物を傷つけてしまったのを悔いていたんだ」
ルチアがほっとしたように言う。
「ま、それまでは何とかうまく髪で隠すしかないわね。
分け目を変えてこっちの髪を前に持ってきたら?ほら、ちょっと髪の影になるから、瞳の色が分かりにくいでしょう?」
フェルダに手伝ってもらいながら髪を整え、仕上げに手を添えて詠唱する。
髪色が見慣れた栗色に落ち着くと、エイジャの動悸も少し治まったようだった。
「じゃ、行きましょうか。今日はアタシが両手に花ね。嬉し〜い!」
フェルダが上機嫌で二人の腕を取った。
三人が招待された劇場の最上席に座ると、程なくして幕が上がった。
前座をつとめる女性歌手が二人、しずしずと舞台の中央に歩み出てきたのを見て、客席がざわつく。
二人とも目元を仮面で覆い、口元は扇で隠している。スカートが大きく膨らんだ優美なドレスは、体を揺らす度に、縫い付けられたクリスタルに舞台照明が反射して輝きを返す。
「変わった趣向ね。仮面の貴婦人というところかしら」
興味津々といったふうに、フェルダが身を乗り出した。
音楽が始まり、扇をひるがえすと二人は歌い始めた。
愛する貴方へ私は歌を贈る
私の魂を貴方に捧げる
貴方の幸福がとわにあること
それが私の願い
座席に背を預けていたルチアが、驚いたように体を起こした。
フェルダがおもしろそうに小さな笑い声を上げる。
「えっ、あれ?この声……?」
エイジャがきょろきょろと両側のルチアとフェルダを見ると、ルチアが呆れたようなため息をついた。
「こういう事か」
「すごいじゃない、ベルちゃん。とってもきれいな声」
フェルダが感心したようにつぶやく。
「!やっぱり、ベル?で、横にいるのは……ロミーナさん!?」
主旋律をベルが歌っているため、ロミーナは普段歌う事のないコーラス部分を歌っているのだが、周囲の客達も、ロミーナの声に気付いたようだった。
たとえ長い時が二人を分っても
想いが消える事は無いでしょう
私の命がある限り
いつまでも いつまでも
仮面をしているため、二人の視線がどこにあるのかは分からないが、ルチアにはその歌がエイジャに向けて歌われている事がはっきりと分かった。
「ここのところ、ベルがちょくちょく出掛けていたのはこれの為か」
「ロミーナさんと練習してたんだね、ベル。すごいなぁ……」
瞳を輝かせて舞台を見つめるエイジャの横顔を、ルチアは少し苦い気持ちで眺めていた。
本公演が終わり、やっぱり泣いているエイジャを連れ、ルチアとフェルダはロミーナの楽屋を訪ねた。
「エイジャ!……やっぱり泣いちゃったんだぁ」
最初に駆け寄ってきたのはベルだった。すでに衣装を着替え、いつもの姿に戻っている。
「うう、ごめん……二度目なのに……情けないんだけど……」
「いいの、いいの。そんなエイジャが……好きなの、なーんて」
どさくさに紛れてさらっと告白したベルに、ルチアはぎょっとして目を見張った。
「ね、私の歌、聞いてくれた!?エイジャ」
「うん、すごくきれいだったよ!ベル、あんまり歌がうまくないなんて言ってたけど、あれ嘘だったんだね」
どうやらベルのさりげない告白はあっけなくスルーされたようだったが、ベルは負けじとエイジャの腕を取る。
「ぜーんぜん、やっぱりヘタクソで、ここんとこロミーナさんから特訓受けてたの!
あれは、母さんとロミーナさんの想い出の歌なのよ。ロミーナさんが一緒に歌いたいって言ってくれて」
そこで、化粧を落としたロミーナが顔を見せた。
「来てくれたのね、ありがとう、皆さん」
「ロミーナさん!もう、驚きましたわ。ロミーナさんのコーラスが聞けるなんて、絶対にない事ですもの。主演女優が自ら前座をつとめるなんて、客席も皆とても喜んでましたわ!」
フェルダが興奮したように話すと、ロミーナは嬉しそうに微笑んだ。
「喜んでもらえたのなら嬉しいわ。私もこんな試みは初めてで、とても楽しかったのよ」
「私も!ひっさしぶりに舞台に立ったけど、やっぱり最高だった!」
ベルとロミーナは顔を見合わせて笑った。
ロミーナの表情からは、三日前に見られた憂いはもう感じられなかった。
「……私、これまでずっと、ラヴィス様の愛を失う事をいつも恐れていたの。
子供も失ってしまって、私にはもうあの方しかいないのだと、思い詰めていたから」
劇場地下のバーに場所を移し、ロミーナは葡萄酒のグラスを手に静かに話し始めた。
「あの方を失って、自分の存在意義まで覆ってしまったような気がしたわ。
でも……違ったのね。
私には、体を張ってまで守ろうとしてくれたエイジャも、親友の忘れ形見のベルもいる。女優としての私を愛してくれる、フェルダさんやファンの方達もいる。
幻のような愛情にすがっていた時には、それ以外の何も見えていなかったわ。
今は、ラヴィス様しかいなかった時よりも、ずっと自由で満たされた気持ちでいるの」
ロミーナと目が合ったエイジャは、ロミーナが元気を取り戻した事が嬉しくて、はにかむように微笑んだ。
「私も、母さんと父さんの事を昔から知っている人に会う事なんてなかったもの。親戚なんてのもいなかったし……だから、すっごく嬉しい」
ベルが声をはずませる。
ロミーナにとって、親友の娘であるベルに出会えた事は、衝撃的な事件の傷を癒す、何よりの薬だろう。
長年の罪悪感からも解放されて、やっと心安らかになれたのかもしれない。
事件に巻き込んでしまった事に心を痛めていたが、これで良かったのかもしれない、とルチアは胸をなでおろした。
「エイジャの事……くれぐれも、よろしくお願いします」
バーを後にしたその足で、ルチアに駆け寄って来たロミーナが告げた。
「本当は、このような危険な任務につくなんて、心配で今すぐにでもやめさせたい気持ちでいっぱいですわ。でも、エイジャはあなたに付いて行く事を選ぶでしょう。私にはそれを止める権利などありません。
あの子は、自分の身の危険を顧みないというか……人のために自分を犠牲にする事をいとわない所があるのです……
それがあの子の良い所なのかもしれませんけれど、心配で……」
やはり気付いていたのか。
一瞬の判断が求められる場面で、エイジャは常に自らを犠牲にまわりのものを守る事を選択してしまう。
まるで自分の存在する意味が、そうする為にあると考えているかのように。
仕事としてロミーナや貴族達のボディガードをしていた中で身に付いた癖なのかと思っていたが、それよりももっと根が深いものに思えていた。
エイジャが詳しく語ろうとしない、自らの過去に関係しているのかもしれない。
「それは俺も、いつもあいつに言い聞かせている事です。もっと自分の身を大事にしろと。でも……そう簡単に変わるものでもない。まわりにいる人間にとっては心臓に悪いが、注意して見ていてやるしかないと思っています」
「あの子のこと、よくお分かりですのね」
少しほっとしたように、ロミーナは表情を崩す。
「あの子にとっては……たとえ危険な目に合う事があっても、あなたのお側にいる事が良い事なのかもしれません。
ただ……いつか……あの子に、本当の事を話してやって下さいませんか」
訴えるようなロミーナのまなざしに、ルチアは静かに頷いて答えた。
「分かっています。……時がくれば、きちんと話をするつもりです」
ルチアの返答を聞いたロミーナは、一息ついて眉を下げた。
「申し訳ありません……勝手な事を言って」
「いえ、当然です。ロミーナさんの大事な息子さんをお預かりしている気持ちで、大事にしますから」
ロミーナはふふっと笑い声を漏らした。
いぶかしげな表情を浮かべたルチアに、ロミーナは口元に手を当てて笑いを噛み殺す。
「すいません。なんだかまるで、息子というよりも娘を嫁に出すみたいだと思って」
「嫁……って」
口ごもったルチアを見上げ、ロミーナは悪戯っぽく笑う。
「いえ……失言でしたわ。
娘だなんて言ったら、エイジャに怒られてしまいますわね」
ロミーナは後方のエイジャとベルを振り返ると、また視線をルチアに戻した。
「私にとっては、ベルももう娘のようなものですわ。
娘の恋路を応援してやりたいですけれど、こればかりは当人達の心の問題ですものね。
なかなか骨が折れるかもしれませんけれど、どうか仲良くしてやって下さいな」
(どこまで気付かれてるんだ……?)
にっこりと微笑んだロミーナに、ルチアは口元だけをぎこちなく動かして、薄い笑みを返した。