(26)恋敵
ルチアの言うところの「面倒な残務処理」と、仕える主を失ってしまったラヴィスの元私兵達を王宮兵へ再就職させる手続き諸々のために、エイジャ達一行はその後三日間をモーブルで過ごした。
ラヴィスの元私兵達はルチアの提案に色めき立った。主に裏切られた上に当人が死んでしまい、これからどうすれば良いのか途方にくれていた所に、命を救ってくれた恩人からの再就職の話だ。
しかもその恩人は武人なら誰もが憧れる王宮騎士団の元筆頭、現在はカルニアス王子の近衛をつとめる剣の達人である。
一度は敵対し、ルチアに傷を追わされた者でさえ、その剣さばきを身を以て体験した事に誇りさえ感じているようだった。
「どうもよく分かんない世界だわ〜。こないだまで敵だった男に、すぐに忠誠を誓えるなんて。しかも、本心からそう思ってそうだし、あの連中」
ベルが呆れたようにこぼす。
自分の部屋で仕事をしているルチアを除き、ベルとエイジャはフェルダの部屋に招かれてお茶の時間を過ごしていた。
ベルの言葉を受けて、フェルダが苦笑する。
「武人っていうのはそういうものよ。力が正義だもの、自分より強い者にはおのずと憧れてしまうんでしょ。それが自分の命を救ってくれた相手なら尚の事よ」
「ふーん、そうなの?わっかんないわー、男って。
エイジャはその気持ち、分かる?」
「え!?あ、気持ちって!?」
急に話を振られ、ぼんやりと窓の外の景色を眺めていたエイジャは、慌てて聞き返した。
「ラヴィスの私兵達の気持ちよ。なんか、ルチアの事崇め奉ってるっていうか、憧れの眼差しで見てるっていうか……」
「あ、憧れ?んー、そうだなぁ……うん……俺も憧れるよ、やっぱり」
「何それ!?エイジャも憧れてるって、どういう事!?」
キッとベルの顔つきが険しくなったのを見て、エイジャはうろたえた。
「えっ!?あ、そういう事じゃなくて!?俺、なんかまずい事言った?」
「そういう事もどういう事もないわよ、エイジャはルチアに憧れなんてもたなくていいのっ!」
「ええっ、だってほら、剣も強いし、頼りになるし……俺もあんなふうになりたいなぁって、やっぱり、思うんだけどな……」
エイジャに詰め寄っていたベルは、告げられた言葉に、少し表情を緩めた。
「なんだ、そういう事。いいのよ、エイジャはそのままで!そのままのエイジャが私……」
ベルはそこで言葉を切った。不思議そうに言葉の続きを待つエイジャの視線に耐えられなかったように体を離し、後ずさった。
「あ、私、用事があるんだった!ちょっと出掛けてくる!」
パタパタと部屋を出ていくベルを見送り、エイジャが首を傾げる。
「……ベル、怒ったのかな?俺、悪い事言った?」
「さーーねぇーーー。アタシにはわっかんない」
フェルダはどこか楽しそうに紅茶を口にした。
部屋を出たベルが廊下を進んでいると、目の前でルチアの部屋の扉が開いた。
「……ベル。出掛けるのか?」
顔を覗かせたルチアには、書類仕事続きで少し疲れた様子が見えた。
「ちょっとね。なにか用事?」
「ああ……。少し話があるんだが……」
「……話?なに?」
ルチアは前髪をかきあげ、周囲を伺った。
「ひとに聞かれちゃ困る話なの?」
ベルがつっけんどんに問うと、ルチアは少しきまり悪そうに視線を落とした。
「……ああ、まあ、大した話じゃないんだが……」
ルチアにしては歯切れの悪い話し方だ。
自身の部屋で話したそうな素振りだったが、ベルはためらった。
相手の陣地で話すと強く出れないような気がして、ベルは廊下の奥へ足を進めた。
「こっち来なさいよ。人はこないでしょ」
ルチアは素直に後に付いて来た。
人通りのない廊下の突き当たりまでやってくると、ベルは振り返り腕を組んで壁に背中をもたれさせた。
「で、何」
「お前に言っておかないといけない事がある」
「だから何」
「……何怒ってるんだ、お前は。まだ何も言ってないだろう」
「何も言われてないけどなんかイヤな予感がビシビシするのよ」
ルチアはため息をつき、睨みつけてくるベルに視線を合わせた。
「お前の言う通りだった」
「……何が?」
「………エイジャが好きだ」
ベルは表情を変えず、ただルチアを睨みつけていた。
「前に、俺はエイジャに対してそんな感情を持つ訳はないと言った。
だが、それは誤りだった。俺はあいつが好きだ。
それをきちんとお前に言っておかないと、フェアじゃないと思ってな」
「……ふうん、やけに律儀なのね」
ベルは口元だけで皮肉っぽく笑った。
「じゃあ私も宣言しておくわ。私もエイジャが好き。絶対、あんたには渡さないから」
「ああ……。そう言うと思った」
ルチアの言い方に、ベルは眉をつり上げた。
「何、その余裕な言い方。言っておくけどね、アンタがどんなによこしまな気を起こしても、エイジャはお・と・こ!だから!女の私の方がずーっとずーっと有利なんだからっ!!」
「分かっている。エイジャをどうかしようなんて事は考えてない」
「プラトニックを貫くってわけ?」
「……そうだ。気持ちを伝えるつもりもない。あいつを困らせるだけだ」
「何よそれ。そんなの、分かんないじゃない。エイジャだって……」
まるでルチアを応援しているような言い方になってしまったのに気付き、ベルは口をつぐむ。
「……エイジャが……男で、良かったと思っている」
ルチアの言葉に、ベルは怪訝な顔をした。
「はぁ?何言ってんの?あ、やっぱり王宮騎士団って男色、」
「違う。まったくお前は……なぜそう話がすっ飛ぶんだ」
「うるさいわねっ、だってそういう事でしょ、男で良かったなんて……」
「エイジャが女だったら、俺は何を捨ててもエイジャを望んでしまう。それは許されない」
ベルはきょとんとして瞳を瞬かせた。
「……俺には婚約者がいる事は話したな」
「知ってるわよ。なに、その婚約者に操を立ててるってわけ?」
「この婚約は破棄するわけにはいかない。俺は必ずその相手と結婚する。
妻として迎えるからには、彼女を愛してやらなければいけない。形だけの夫婦は、不幸な人間を増やす」
ベルは視線を落とした。
「……わかんないけど。うちの親達は仲が良かったし……。でも、そういうのって愛してやらなければいけないって言って愛せるもんなの?」
「俺も分からない。……だが、そうするしかない。
エイジャが男だから、友人としてずっと側にいる事ができる。それで良かったと思っている。
ただ、エイジャの相手がお前というのはやはり納得できないが」
「うるさいわねっ!そんなの私の勝手でしょ!困らせるからなんて言ってエイジャに気持ちも伝えないようなやつに言われたくないわよ!」
牙を剥いたベルに、ルチアは何も言い返さなかった。
「とにかく。そうと決まればもうマジ、手加減しないから。私とエイジャがめでたくラブラブカップルになっても、あんたには文句言わせないわよ」
胸をそらせたベルに、ルチアはため息をついた。
「……正直、おまえが羨ましくはあるよ」
ベルはぎょっとして体勢を崩した。
「なに、ちょっと、気持ち悪いんだけど。
だいたい、なんでわざわざ私に言うの?フェアじゃないなんて言ったけど、あんたがそこまで私に気を使う義理ないじゃない。私の事なんて、邪魔な小娘だと思ってるくせに」
「そうだな」
「そこ否定しないわけ!?」
間髪入れず返ってきた答えに、ベルは憤慨した。
「……誰かに、聞いてもらいたかったのかもしれない。
胸の内に閉まっておくには、大きくなりすぎた。
こんなに人を想って胸が苦しくなるのは、生まれて初めてだ」
思いがけず告げられた言葉に、ベルは思わず顔を赤らめて言葉を失った。
「……それ、本人に言えば。私に言ってどーすんのよ」
そこでルチアは初めて、苦く微笑んだ。




