(4)エイジャの秘密
食堂で調達してきた簡単な夕食を済ませ、エイジャは寝る準備を始めた。
上着を壁に備え付けられたハンガーに掛け、シャツを脱ぐ。
上半身に何重にも巻いたサラシを、ぐるぐると外していく。
胸を押し潰し、細い腰をごまかす為に巻かれた白い布。
寝間着に着替えてベッドに倒れ込むと、やっと人心地がつく。
どんな貧乏旅でも、必ず同伴者とは別に一部屋を取る理由がこれだ。
エイジャは女性だった。11の頃から性別を偽り、もう7年になる。
初めのうちこそ、男装するだけでもごまかしが効いたが、15を迎えた辺りから体つきはどんどんと女らしさを増し、体型を隠すためのサラシは必須となった。
髪の毛を短くすればもう少し男らしさが出るのかもしれないが、エイジャの一族は魔術を使うとき、髪に魔力をのせて増幅させる。
武術が得意でなく、魔術で戦うしか術のないエイジャにとって、髪の毛を切る事は自殺行為と言えた。
王都を拠点にして冒険者稼業で身を立て始めてからは、実績を積むにしたがって「女のように見えるが、男だ」という認識が定着していった。
そのうち、エイジャの性別を疑う者がいると、エイジャを慕う女性達の猛烈な反感を買うようになり、結果的に秘密はそういった女性達に守られる形となっていた。
だからこそ、彼女達への心遣いは忘れないようにしていた。探索で入った洞窟で女性の好きそうな宝石を見つける事があれば、金に変えるより土産として持ち帰る。
思い詰めたように恋心をしたためた手紙を人づてに寄越してくる少女。
人目もはばからず頬にキスしてくる酒場の女主人。
冒険者組合に大金を払い、数時間の話し相手を依頼してくる伯爵夫人。
店に寄れば必ず果物をおまけしてくれる商店の一人娘からは、以前本当に好きなのだと告白された事がある。
丁寧に断ってからも、想い続けてくれている彼女。他にも多くの女性達が、エイジャを慕って優しくしてくれる。
彼女達を騙している事はエイジャにとって気が重く、優しさに触れる度に罪の意識にさいなまれていた。
誰の想いも受け入れてあげる事ができないからこそ、彼女達の理想の男でい続ける事しか、してあげられる事がないと感じていた。
いつか宿願を果たす為、王都を去るその日までは。
その日は何年も、もしかしたら何十年も先の事になるだろうと考えていた。
思いがけず、因縁の相手に近づく機会を得た事に、エイジャは困惑していた。
まだ、まだ、自分の力は未熟だ。近づいても、きっと何もできない。どうすればいいんだろう、どうすれば……。
ルチアが携えている書簡の内容は分からないが、王宮内の反対勢力に命を狙われる程、アストニエル王国にとって大きな意味を持つものである事は間違いない。
自分の宿願と今回の案件を一緒くたに考えていては、大事な所で選択を誤るかもしれない。
まずはこの依頼を完遂する事を考えよう。これまでの案件とは比べ物にならないほど、危険な旅になる。
今日の戦闘を見る限り、ルチアはかなりの剣の使い手であるようだ。ローブを着込んでいる時には分からなかったが、細身ながら鍛えて絞り込まれた体付き。
王宮の中でも身分の高そうな主にかなり近い存在である事がうかがえたし、王宮騎士団に所属する騎士か、もしかしたら王族の近衛を務めているのかもしれない。
だが視界を遮り、動きを制限するローブを着た状態では、その本領を発揮できていないようだった。
出し惜しみをしている場合じゃない。使える物は全て使わなきゃ。
エイジャは決心して、鞄に手を伸ばした。
翌朝。
身支度を整えたエイジャは、隣室の扉をノックした。
「起きてる?朝食の前にちょっと中に入れてほしいんだけど」
扉の向こうに声を掛ける。
程なくして、ギィィ、と扉が内向きに開き、寝起きでも豪勢な美人が顔を覗かせる。
いや寝起きだからこそ、乱れた髪や虚ろな瞳がまるで女達が読む絵物語の主人公みたいだなぁ、などと考えていたエイジャに、眠そうにルチアが声を掛ける。
「朝食は食堂で食っていいのか?」
「いいよ。その前に準備があるから、ちょっと部屋に入れてほしいんだけど」
「あー、んー」
朝が弱いのだろうか、ぼうっとした様子でエイジャを部屋に招き入れる。
エイジャは扉に結界を貼り直して振り返り、ぎょっとして凍り付いた。
「なっ、何っ!ストップ!」
「へ?何が?」
さっきは確かに寝間着らしきシャツを着ていたはずなのに、すっかり脱ぎ捨てて上半身を晒している。
「だから着替えストップ!部屋出てるから!着替え終わったら呼んで!」
ルチアの方を見ないように注意しながら、慌てて部屋を出た。
「……あのー、着替え済みましたけどー」
扉を開き、廊下に立っていたエイジャに声を掛ける。
「あ、ハイ」
そそくさと部屋に入ってくるエイジャ。
何だよさっきの態度。
昨夜はこいつに対して「男扱いしてやんなきゃな!」と決心した所だったのに。
まるっきり乙女みたいな態度じゃないか。
「お前の一族じゃ、他人の着替えを見るのは非常識なのか?」
「えっ!?あ、そう。そうなんだ、あはは……」
慌てたように答える。しかし色々とややっこしい一族だなぁ、とルチアは呆れを通り越して感心する。
実はエイジャだって長年冒険者稼業をしていれば、同伴者の上半身裸を見る事だってよくあったし、何も狼狽える事でもなかったのだ。
だがルチアのような美人の着替えを目にするのは、どうも神様の裸を見てしまうようで耐えられなかったのだった。
「で?準備って?」
「あ、これ。ちょっと掛けてみて」
そう言って、エイジャがルチアに手渡したのは、黒縁の古めかしい眼鏡だった。
「眼鏡?俺、目は悪くないけど」
「度は入ってないよ。まあ、変装道具っていうか。とりあえず、掛けて鏡を見てみてよ」
言われた通りに眼鏡を掛け、壁に備え付けられた鏡を覗き込んだ。
「えっ?うわ、何だ、これ」
鏡にうつったルチアの瞳の色は、深紅からありふれたアンバーに変化していた。
眼鏡を外すと、やはり深紅。
「眼鏡に、瞳の色を変えて見せる幻視の術を固定させたんだ。これで瞳の色は変えられるし、眼鏡一つでも顔の雰囲気変わるだろ。あと、ちょっとその椅子座って」
ルチアが言われた通りに椅子に腰掛けると、エイジャは背中に回った。
起きてから軽く手櫛を入れただけだったルチアの髪を取り、櫛を入れる。
緩いウェーブの掛かった輝く金髪を、首の後ろの辺りで結って紐で縛り、目を閉じて短く詠唱した。
「はい、出来上がり」
ルチアは立ち上がり、再度鏡を確認する。
鏡の中には、落ち着いた栗毛を緩くまとめ、黒縁の眼鏡を掛けた男がうつっていた。一見、学術をおさめる文官にでも見えそうな雰囲気だ。
「へえ、すごいな、別人みたいだ。髪の色も変えられるのか。こんな魔術は初めて見た」
「眼鏡と結い紐は、魔道具なんだ。俺のじいちゃんが作ったんだけど、それだけしか作ってないから。よそで目にする事はないと思う」
ちょっとだけ明かした、自分の過去。
形見でもある眼鏡は、今まで人に預けた事はない。じいちゃんの想いが詰まった、魔術的にも貴重な品。
人に貸すような事はこれまでなかったが、打てる手は全て打たなければ今回の依頼は完遂できないと考えた。
「うん、これなら剣も存分に振るえるな。ありがとうな、エイジャ」
ふいにエイジャの頭の上に手が添えられて、くしゃくしゃと頭を撫でられた。
突然の行動に戸惑って、言葉の出てこないまま口をパクパクさせているエイジャを見下ろして、ルチアはふっと顔を崩した。
「なんだその表情。おもしろいな、おまえ」
そう言うと、ルチアはどこか満足そうに、機嫌良く食堂への階段を降りて行く。
エイジャは何となく気持ちの置き場所が見つからないまま、憮然とした表情でその後に続いた。