(25)少女の犯した罪
「私ね……もう20年近く前に、子供を授かった事があるの。あの方譲りの黒い髪に、私によく似た白い肌の、天使のように可愛い坊やだったわ」
ロミーナの発言に、一同は驚きを隠せずに目を見張った。
「もちろん、ラヴィス様が認知して下さる事はなかったけど……それでも、月に数度は顔を見に来て下さって……お子として可愛がって下さっていると思っていたわ。
でも……もともと……身体の丈夫な子ではなくて。
……二歳になる前に、亡くなってしまったの」
ロミーナは視線を床に落とした。
「私はもう一度子を授かりたかったけれど……それは叶わなかった。
そのうちに、公爵家から身分の高い奥様を迎えられて……
……お子様もお産まれになって。
私は、何も望む事はできなかった……
もし私の坊やが生きて育っていたら、どんな子になっていただろう。
どんなにか立派な男の子になっただろうって、いつも考えていたわ」
顔を上げ、ロミーナはエイジャを見つめて寂しそうに微笑んだ。
「エイジャを初めて王都の大通りで見掛けた時は、本当に驚いたわ。
……坊やが育っていたら、きっとこんな少年になってたんじゃないかって……夢に見ていた男の子が、目の前にいるんですもの。
黒い髪に、白い肌をして、天使のようにきれいな男の子。
すぐに身元を調べさせて、冒険者組合に仕事を依頼したの」
エイジャは初めて聞く真相にただただ驚いていた。
ロミーナが自分の事をとても良く想ってくれている事は分かっていたが、亡くした子の影を自分に見ていたとは、想像もしていなかった。
「ラヴィス様にも、よく話していたの。エイジャという、坊やによく似た冒険者の男の子に、ボディガードを頼んでいると……
どんなに私がエイジャを大切に想っているか、何度も何度も話したわ。
そのエイジャにあんな仕打ちをしたのを見て……分かったのよ。
あの方にとって、私の大事な人などなんの意味もないんだって。
私の坊やの事も、あの方は愛してなんていなかったんだわ。
あの方が愛しているのは、ご自分の身だけ……
20年以上もお側にいて、きっと分かっていたのに、見ないようにしていたのよ」
ロミーナは声を震わせた。
「……誰だって愛した男の悪い面は、見ないようにしてしまうものですわ」
フェルダが慰めるように声を掛ける。
「身寄りをなくしたあなたを引き受けて下さった方というのが……ラヴィス侯爵の事だったんですね」
「知ってたのか、フェルダ」
「そういう方がいるっていう事は、聞いたわ。まさかそれがラヴィスだとは思わなかったけど」
「そうだな……あの男が歌劇場に足を運ぶ姿など想像もできないからな」
ルチアがつぶやく。
「普段はお芝居など、興味はないという方でしたわ。
私達のお芝居をご覧になったのも、貴族様方のお付き合いという事でしたし……」
ロミーナが答えた。
「そこでロミーナさんを見初めたってわけね」
フェルダがため息を付く。
行き場をなくして路頭に迷っていた少女に差し伸べられた救いの手。
愛しく思ってしまうのも当然だろう。
「……それが、私の罪なのですわ」
「罪って……?」
問いかけたエイジャに視線を返して、ロミーナは一つ息を吐くと、椅子に座って話を聞いていたベルに顔を向けた。
「ベルさん……
……ラヴィス様が見初められたのは、私ではないの。
あの日、主役を努めていたのは、あなたのお母様。
私の親友、マリエルだったのよ」
ベルは思いもよらない告白に、驚きを隠せないように立ち上がった。
「……どういう事ですか!?」
「私とマリエルは、交代で主役をつとめていたの……
ラヴィス様がご覧になったのは、マリエルが主役だった日なのよ。
私は、それを分かっていて……・・
あの日、主役をつとめたのは私だと……嘘を付いて……」
ロミーナは顔を両手で覆った。
「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……
ずっと、マリエルに謝りたかった……大切な親友を、私は裏切ってしまったのよ……!」
肩を大きく揺らして泣き崩れたロミーナを、ベルは唖然として見つめていた。
「しばらく一人にしてほしいって……。
鎮静効果のある薬草茶を飲んでもらったから、少し落ち着いたはずよ」
ロミーナを隣の自分の部屋に置いて戻ってきたフェルダは、ソファに腰を降ろすとため息をついた。
ベルが入れた紅茶を一口飲み、背もたれに身体を預けて軽く目を閉じる。
「20年以上もの間、ずっと自責の念に苛まれてきたのね……」
「あんな辛そうなロミーナさん、初めて見た……」
エイジャも次々に明かされる真実に、ショックを隠しきれずにいた。
「一目惚れした相手を間違えるというのがよく分からん」
ルチアが言うと、フェルダは苦笑いを返した。
「舞台上では濃いお化粧をするし、衣装も髪型も変えてしまうものね……。
ラヴィスのように普段舞台を見慣れていない人間なら、間違えてもおかしくないわよ」
そう言うと、フェルダは黙り込んだままのベルに向き直った。
「ベル、ロミーナさんを憎んでる?」
「……えっ……、どうして?」
ベルの返答に、フェルダは言いにくそうに続けた。
「だって……もしかしたらあなたのお母様が、今のロミーナさんのような大女優になっていたかもしれないじゃない?」
そう言われて初めて気が付いたように、ベルはパチパチと瞳を瞬かせる。
「……そっか」
「まあ、もしそうなっていればお前は産まれていないがな」
ルチアが言うと、ベルは椅子の上でもぞもぞと膝を抱えた。
「……何か、ピンと来ないっていうか……。
ロミーナさんは罪だって言ってたけど、それって罪なのかな。
母さんは……いい死に方はしなかったけど、でもそれまでは幸せだったはずよ。
そりゃ、ロミーナさんみたいな大女優じゃない、家族だけの小さな一座だったけど……ラヴィスみたいな男の愛人になるより、ずっと、ずっと」
「ベル……」
気遣わし気に掛けられた声に、ベルはエイジャに顔を向けて笑顔を作った。
「だから、謝られても困る。母さんの人生を否定する事になるもの。
私、ロミーナさんに話してくる」
ベルは立ち上がって部屋を出て行くのを、誰も止める事はしなかった。
「ロミーナさん」
ドアをノックしたが、返事はなかった。
「ロミーナさん、ベルです。少しお話がしたいんですけど……開けてもらえませんか?)
(一人にしてほしいって言ってたもんな……開けてくれないかな)
しかし、しばらくしてドアは静かに開かれた。
まだ青ざめたままのロミーナの横顔が、ドアの隙間から見える。
「ありがとうございます」
俯いたまま歩いて行くロミーナの背を追って、ベルも部屋の中へ歩みを進めた。
ロミーナは今まで座っていたのだろう、一人掛け用ソファに腰掛ける。
ベルは斜め向かいに置かれた椅子に腰を降ろし、何から話し始めれば良いか考えていた。
「『薔薇と王冠』のあの歌はね……」
ロミーナが先に口を開いたのに驚き、ベルは顔を上げた。
「マリエルと私が、二人で作った歌なの」
「母さんと、ロミーナさんが!?」
ロミーナは口元だけを少し緩ませて頷いた。
「遊び半分に、二人で歌い合いながらね。
そのうち、きちんと伴奏を付けて、舞台で歌おうって話し合っていたの。
いつか、王宮に呼ばれたら、王様の前で歌おうなんて盛り上がっていたわ」
遠い昔を懐かしむように、ロミーナは穏やかな口調で話し続ける。
「それから何年も経って、私は王宮でお芝居をする事になって。
劇作家が書き下ろした『薔薇と王冠』という新作のお芝居をする事になって、是非この歌を劇中で歌いたいって提案したの。
マリエルと私の夢を、やっと叶えられるって思って……」
「……そうだったんですか……」
ベルは、母の姿を思い出していた。
小さな旅回りの芸人一家に置いておくのは惜しいと、大きな劇団からスカウトを受けるほど美しい歌声の持ち主だった母、マリエル。
子守唄がわりに聞いてきたあの歌が大好きで、ベルも弟のノエルも、よくせがんでは歌ってもらっていた。
母さんはどんな気持ちであの歌を歌っていたんだろう。
「あの……」
ベルはおずおずと口を開いた。
「母さんは……幸せだったと思うんです」
ロミーナが顔を向ける。
「あの……最後はいい死に方ではなかったけど、それは運が悪かったっていうか……。
でも、母さんの顔思い出すと、いつも笑ってるんです。
父さんの隣で、幸せそうに。
私、母さんは後悔なんて絶対してなかったと思うし、ロミーナさんの事恨んだりもしてなかったと思うんです」
ロミーナは黙ったまま、ベルを見つめた。
ベルはしっかりと目を見開き、視線を返す。
「だいたい、母さんがラヴィスの恋人で大女優なんて、柄じゃないし。昔はどうだったのか知らないけど、私の知ってる母さんてもうほんっと肝っ玉系で。父さんなんていつも尻に敷かれてて。
あんな母さん、もしラヴィスに出会ってても恋に落ちるわけないですよ」
ベルはそう言うと腕を組んで椅子の背もたれに体を預け、天井を見上げた。
ロミーナはぽかんとしていたが、あっけらかんと話すベルに、固く凍り付いていた表情がじわりと緩んだ。
くすっと漏れた小さな笑い声に、ベルがロミーナに視線を戻すと、ロミーナは視線に気付いて微かな笑顔を向けた。
「ほんと……あなたってマリエルにそっくり」
「ええっ、そうですかぁ!?」
「しっかりしていて、明るくて。昔からそうだったの、マリエルは。私はいつでもマリエルの後ろに隠れて、後を付いてまわっていたの。血のつながりはなくても、私にとってはお姉さんのような存在だったわ」
「……なんか分かります。姐御っぽいっていうか」
「お父様のお名前は……?もしかして、レミーというのではない?」
「えっ、そうです!ご存知なんですか!?」
「やっぱり。マリエルったら、あの人と一緒になっていたのね」
ロミーナは微笑んだ。
「レミーは、同じ劇団で楽器を弾いていたの。実はね……私はちょっと彼に憧れていたのよ。
でも、レミーはマリエルが好きだったの。マリエルは好みじゃないだなんて言って、つれなくしていたのだけど」
初めて聞く若かりし頃の両親の話に、ベルは身を乗り出して瞳を輝かせた。
「もっと聞かせて下さい、父さんと母さんの話」