(23)来訪者-2
「……それをご存知である以上、このままあなたをお帰しするわけにはいきませんね」
表情を変える事なく落ち着きはらって告げたルチアに対し、ロミーナは口をつぐみ、大きな目に力を込めて視線を返す。
「どうされるおつもりですか?」
ルチアが続けると、ロミーナはとうとう堪えきれなかったように表情を崩した。
「……私も……愛する人を裏切る事はできません……どうか……何も気付かなかった振りをして、すぐにこの街を出て下さい……!」
ぽろぽろと両眼からこぼれ落ちた涙を目にして、ルチアはひとつの確信を得た。
「全てお話し下さった方が御身の為ですよ。ラヴィスを罪人にしたいのですか?」
ルチアの言葉に、ロミーナが目を見開いた。
「そんな……あの方を罪人になどと……!」
「では質問を変えましょうか。あなたはラヴィスに何を言われてここに来たのです?」
ロミーナは手を口に当て、嗚咽をこらえるように目を閉じた。
はあ、と息を吐き、ルチアに視線を戻すと、観念したかのように口を開いた。
「……エイジャを、連れてくるようにと」
「エイジャを?」
ラヴィスの目的は自分だと考えていたルチアは、拍子抜けしたように聞き返した。
「王子派がシアル公国に密使を送ったという事は、ラヴィス様達王女派の貴族の方々も早々に把握していたそうです……。でも、それが誰なのか分からず、後を追う事ができなかった。ラヴィス様は王宮内の人間にそれらしき人物がいなかった事から民間の人間を使ったのだと察しをつけられて、冒険者組合へ圧力をかけ、王宮に呼ばれたのがエイジャだという事を突き止められたのです。
私は以前から、ラヴィス様によくエイジャの事を話していました……ちょうど、私がモーブルで公演中だった事から、きっとエイジャは私の元を訪れるはずだとお考えになって、昨日この街にいらっしゃったのです……」
「それで昨夜、あなたにエイジャを自分の元に連れてくるように言ったと?」
ロミーナは弱々しく頷き、涙に濡れた顔を上げた。
「ラヴィス様は、あなたの事は気付いていらっしゃいません。気付いているのは私だけ。ですが、この事はラヴィス様には決して話しません。だから、今すぐにこの街を出て下さい……!」
「そうしたら、あなたはどうされるんですか?」
ルチアが尋ねると、ロミーナはまた俯いた。
「私は……エイジャはすでに昨夜街を出たようだと……ラヴィス様に報告いたします。昨夜のうちに出発していれば、早ければ今頃にはすでに国境を越えているはず。そうなれば、あの方もこれ以上あなた方を追う事もないでしょう。
ですから、あの方へのお咎めは、どうか……」
「確かにラヴィス自身が国境を越えて来る事はないでしょうが……なぜそうまでしてあの男をかばうのです?あなたもシアル公国との開戦を望んでいるのですか」
ルチアの責めるような口調に、ロミーナは声を震わせて頭を振った。
「そんな、開戦など……!」
「しかし、あの男……ひいては、王女派に付くという事は、そういう事ですよ」
ロミーナはしばらくルチアを見つめた後、俯いた。
「……あの方は、私の命の恩人なのです……」
遠い記憶を遡るように、ロミーナは静かに話し始めた。
「あの方と出会ったのは……私がまだ、旅芸人の一座にいる頃でした。
この街の小さな劇場で歌劇公演を行ったのをご覧になられていたのです。
ちょうどその時、一座の座長をしていた男が何か悪い事をしたようで、捕まってしまって……子供達ばかりだった団員は皆、路頭に迷う事になってしまった。
これからどうすればいいのか、皆で不安に押しつぶされそうになっていた所に、あの方が訪ねていらしたのです。
数日前の公演で、主役をつとめていた娘はいるかと」
「それがあなただったと?」
ロミーナはルチアの質問に肯定するように無言で見つめ返すと、先を続けた。
「……あの方は私を連れ帰り、女優としての道を開いて下さいました。他の団員達にも、この先に必要な援助を施して下さったと仰っていました。
今、私があるのはあの方のおかげなのです。彼がどんな事をしようとしていても、私には彼を裏切る事はできないのです……」
ルチアは黙って話を聞いていたが、ロミーナの話が途切れたのを機に問いかけた。
「ラヴィスを愛していると仰いましたね」
「……はい」
「それは、身寄りのなかったあなたを身請けしてくれた事への恩義ですか。それとも……」
「もちろん、その事には返す事のできない恩義を感じています……でも、それだけでは……。
私は、あの方を……お慕いしています」
「妻も子もある男ですよ。当然ご存知でしょうが」
ルチアは冷たい口調で言い放った。エイジャがいたら、またそんな言い方をしてと怒られるだろうな、と思いながら。
「それは……分かっております。奥様を迎えられる時、あの方は私に仰いました。お家の為、国のために妻を迎えるが、心は私にあると……そう約束して下さいました」
公爵家から妻を迎えるよりも前からの関係なのか。
ルチアは意外な事実に内心で驚いた。
「王宮では大層な愛妻家だと評判ですよ。あなたの存在などまるで無いかのように。それであなたは幸せなのですか?」
「それは……。でも、あの方は、今回の件がうまくいけば、もう公爵家の後押しも必要ないと。奥様をお返しして、私と一緒になって下さる事も可能だと。そう言って下さいましたわ。その為に、力を貸してほしいと……」
ロミーナの言葉に、ルチアは顔をしかめた。
「他人の色恋沙汰に口を挟むつもりはないが、愛情を盾に取引をさせるような真似、愛する人にさせる所業とは思えませんね」
ロミーナは黙り込んだ。
「大切な人なら、敵対する相手の元へ一人で向かわせたりなどしない。まして、自分へ向けてくれる想いを利用するなど、俺には信じられない」
ルチアは自分の中から湧き出てきたラヴィスへの怒りに驚きを感じていた。
これまではただ政敵の一人だというだけの認識だった男。だが今は、恋人に対する不実な振る舞いが許せなかった。
目の前で、涙に顔を濡らすロミーナ。
大事な人にこんな顔をさせる事が愛だというのか。
自分のいない所でこんなふうに悲しみにくれているなんて、想像するだけで胸が締め付けられる程辛いのに。
「……大切な、方が……いらっしゃるのですね」
ロミーナがぽつりと呟いた。
ルチアは不意打ちとも言える問いかけに、返事に窮して視線を泳がせる。
ロミーナは一瞬泣き笑いのような表情を見せた後、はあっとためいきをついた。
「そうね。
私のような人間には、そうやって取引のように与えられる愛情しか相応しくないのだわ、きっと」
ロミーナの口調がいくらか変わった事に気付き、ルチアは目を眇めた。
「どういう事ですか?」
「あの時……選ばれるはずだったのは私ではなかった……あれは……」
その時、ロミーナの言葉を遮るように、バタバタと足音を鳴らして近付いて来る者があった。
「ルチア!!」
「フェルダ!?どうした?」
駆け寄ってきたフェルダの取り乱した様子に、ルチアは嫌な予感がして尋ねた。
フェルダはルチアの前にいたロミーナを見て一瞬言葉を詰まらせたが、涙に濡れたロミーナの表情から状況を把握したのか、息を整える事もなく告げた。
「エイジャがラヴィスの手の者に連れ去られたわ」
ロミーナがあげた声が遠くに聞こえた気がした。