(3)ルチア
日が落ちるまでに何とかユズールの街へ到着し、馬小屋を併設した宿屋を見つけて部屋を取る。
部屋に入ったその足でエイジャは部屋の四隅に触媒を配し、内鍵を掛けた扉にも自身の髪の毛を一本巻き付けて、短い詠唱を終えた。
キィン、と澄み渡った小さな音が部屋に響き渡る。
「部屋に結界を張った。これで話し声を盗み聞きされる事もないし、窓から覗き見される事もないよ」
淡々と行われた行為を見守っていたルチアが、「そうか」と返事してローブを脱いだ。
……最初に目に入ったのは、眩いばかりの金髪。
まるで一本一本が光をたたえているかのように輝く髪を、ぞんざいに左手でかきあげて頭を振るった。
「……ああーー、やっと脱げた。鬱陶しい」
そう呟いてエイジャの方に向き直ったルチアの顔を見て、エイジャは文字通り、凍り付いた。
(な……なんだ!?この人!?)
すらりと通った鼻筋と優美な曲線を描く唇、引き締まった輪郭。
切れ長の瞳は、男性にしては長過ぎる睫毛に縁取られている。
まるで神話の挿絵に描かれた女神図のような、神がかりとも呼べるほどの絶対的な美貌。
そしてその瞳の、燃えるような深い紅色は……
「その瞳……お、王族っ!?」
今度こそ、エイジャは絶句した。
広い大陸アイサルには、様々な瞳の色をした人種がいる。
だが深紅の瞳は、アストニエル王国の王族にしか遺伝しないというのは、貴族はもちろん、ある程度の教養をつんだ人間なら皆知っている。
エイジャも話に聞いた事があるだけで、実際に見たのは初めてだが。
「ああ……、遠い親族というだけだ。何代も前に降嫁した血筋の末裔でな。今は王族でもなんでもない」
「え、そうなの?そういうもんなの??」
いまだに混乱状態にあるエイジャは、とりあえず落ち着くために、ルチアの言葉をその通りに受け取ってみる。
それにしてもこの美貌は……
「た、旅しにくい!」
「なんだ、それは」
「だからっ、超極秘の使命を受けて旅をするのに、目立ちすぎ!」
エイジャ自身も、肌の色が周りと違うからか(自分の容姿にあまり自覚のないエイジャとしてはそう考えているのだが)人々の注目を集めがちな事は自覚している。
秘密裏に進めたい仕事が多いエイジャのような職業では、それがほとんどの場合足を引っ張る要因になってしまうのだ。
いつにもまして慎重さが求められるこの旅で、こんな絶世の美形、しかも王族と同じ瞳の人間が一緒では、「さあ皆さんご注目!」と珍獣を連れて歩くようなものだ。
「まあ、貴族の多い王都ではこの目の色は何かと鬱陶しいがな。この町まで来ればそれもないだろう」
「そっ、そんなわけにいかないよ!そりゃ、その目の色が王族縁のものだっていうのは、普通の町民や農民は知らないけど……っていうかそれ以前に、その金髪も顔も人目を引きすぎるの!」
(この人、自分の容姿が尋常じゃなく目を引くって自覚がないわけ?まあ、王宮の麗人達の間では目立たなかったんだろうけど……いやいや、王宮の中でも目立つだろうこれ!?)
頭を掻きむしるエイジャを、ルチアは不思議そうな目で見る。
「できればずっとローブを被っててほしいけど……それ、剣士にとってはすっごく動きにくいよね?」
先程の戦闘で、深く被ったフードに邪魔されて、立ち上がった敵に気づくのが一瞬遅れていた事を思い出す。
「ああ、動きを制限されるし視界が狭くなる。さっきはお前に助けられたからな……相手方も次はもっと腕の立つものを寄越してくるだろうし」
さっきの相手。
そこで、エイジャの頭がすっと冷える。
普通の魔術師では不可能な、空間転移の術を使って姿を消した襲撃者達。
「あれって……やっぱ、王宮関係のやつらなの?」
「聡いな。まあ、そういう事だ」
「だって、空間転移なんて、王宮の研究所で研究されてるらしいって噂で聞くぐらいで、普通はお目にかかる機会もないもん……」
不安に駆られて押し黙る。
「だが、お前まったく押し負けていなかったじゃないか。むしろ相手の術を全て打ち消して、その上で攻撃魔法をぶっぱなして」
「魔術使いでは負けてなかったよ。でも空間転移なんて、伝説の秘術を使ってくるような連中を相手にした事、なかった……」
柄にもない。未知の力に、腰が引けるなんて。
悔しくて唇を噛んだエイジャに、ルチアが暢気に声をかけた。
「大丈夫だ、ま、秘術っつったってあれぐらいのもんだろ。他に怪しげな研究をしてたって話も聞いてないしな」
「……なんかすっごく身内の話、語ってるような素振りだね……っていうか、あっちも王宮関係者なんだから、身内同士って事か」
「ん……、ま、ざっくり話すと、俺や、お前に話をしたヤツは、さる方から内々に命を受けて動いてる。でも、王宮内にもいろんな人間がいるからな。俺の主とは正反対の考えを持ってる奴らは、俺達に、書簡を届けてほしくないと思ってる」
「王宮お抱えの冒険者を使わなかったのも、それで?」
「そうだ。身内を動かすと、すぐに足が付くからな」
ルチアの口調はやけに軽い。
「奴らの裏をかいて出発したつもりだったが、どこから付けられてたんだろうなぁ……。ま、俺もお前も人相は割れてないし、背格好しかバレてないんだから、身なりを変えてしまえばしばらくは見つからないだろう」
エイジャは思わず、ため息をついた。
灯りを落とした部屋の中で、ルチアは腕を頭の後ろに組んだ格好でベッドに仰向けになり、窓から入る月の光に照らされた天井を、ぼんやり眺めていた。
あの後、宿屋併設の食堂で夕食をとろうと部屋を出ようとしたら、「食事は持ってくるから、部屋を出るな」とエイジャにたしなめられた。
ルチアの容姿が人目を引きすぎるというのだ。かといってローブは襲撃者達の返り血でひどく汚れており、その姿で食堂に現れていらぬ警戒心をもたれるのははばかられた。
「ローブの代わりは、明日何とかするから。とりあえず今晩は部屋から出ないでよ」
エイジャは薫製肉やチーズを挟んだパンと野菜のスープ、葡萄酒を差し入れると、隣にもう一部屋をとり、自室にひきあげていった。
男同士、別に同室でも構わなかったのだが、というか、だいたい民間の冒険者は旅費節約のために一部屋を分け合う事が多いはずだが。
何でもエイジャの一族はたとえ家族でも寝室は別にするのが常識なのだとかで、そこだけは長年の習慣もあり譲れないのだと言っていた。
(まあ……その方がいいかもなぁ……同室の男が睡眠不足に陥りそうだ、あれは)
今回の計画がもちあがり、今日明日にでも出発した方が良いという話になった時、供に連れる人選に困った。
王宮抱えの冒険者達や王宮兵隊にも信頼できる者はいたが、敵対する勢力に勘づかれずにその者達を動かす事は難しかった。
最近、王宮からの案件を度々引き受けている腕の良いフリーの冒険者が冒険者組合にいると聞いて王宮に呼んだが、部屋で膝をつき礼を執っていたその人物が顔を上げたのを見て、ルチアは言葉を失った。
……女の子じゃないか。
しかも、とびきり可愛い……
だが彼は、自分の事を「俺」と言った。慌てたように「私」と丁寧に言い直してはいたが。しかしその声は男の声にしては高く、甘やかに聞こえた。
王都を出発してからもしばらくは疑わしい気持ちでいっぱいだったが、襲撃者達との戦闘での振る舞いは、やはり女の子とは思えない堂々としたものだった。
元々アストニエル王国は移民に寛大で、様々な民族が入り乱れて暮らしている国。肌の色や容姿から言って、エイジャも異民族からの移入者であるのだろう。遥か遠方には、男女で見た目がほとんど変わらない、エルフのような一族もいるという。きっと、エイジャの一族もそういう類に違いない。
それならば、いくら見た目があんなでも、ちゃんと男扱いしてやらなきゃな。とルチアは思う。彼自身、幼少の頃は「女の子みたいだ」と散々言われて、面白くない思いをしてきたのだ。例えそれが好意をもって寄せられる言葉だったとしても、まっとうな男ならば、「女の子みたいで可愛い」と言われて嬉しいわけはない。
それにしても、自己紹介をしてきた時に見せた、花が開くような笑顔。襲撃者達の使った空間転移術に戸惑って、不安を見せた時の憂いを帯びた表情。王宮の内情を聞かせた時の、ため息をつく横顔……
いや、あれは可愛い過ぎるだろう!どうしたって!
ただでさえ困難になるだろうこの旅が、何やら別の意味でも気苦労の絶えないものになるのではないかという予感に、ルチアは頭を抱えたまま目を閉じた。