(19)観劇
夕食を済ませた後、一度宿に戻ったエイジャとベルは、フェルダの部屋へ呼ばれた。
「観劇に行くんですもの、うんとドレスアップして行くのが礼儀ってものよ」
そう言ってフェルダは、トランクから、次々とドレスを取り出す。
「えーと、ベルちゃんはこれがいいわね。それから、エイジャは……この赤いドレスなんてどうかしら〜?」
「フェルダさん、俺はもう女装の必要ないでしょ……?」
「ああ、そうだったわね。残念〜。エイジャを着飾らせるの、楽しいのに!
じゃ、エイジャは劇場に行く前にタキシードを買いに行きましょ」
「この格好じゃダメですか?」
エイジャは自らの服装を見下ろす。
ユズールの町でルチアに買ってもらったコートとレザーパンツ。これまでエイジャが着ていた服とは比べ物にならないほど良い品だ。
買った当初に比べれば少しくたびれてきているが、ザクセアのフェルダの家に泊まった時にきれいに洗濯もしたし、手入れはしているつもりだが。
「その格好もステキだけど、アタシのエスコート役にはやっぱりちゃんと正装してもらわないとね」
「だめよっ、エイジャは私のエスコート役なんだから!ねっ、エイジャ!」
「あらちょっとベルちゃん、じゃあアタシはどうすればいいのよ?ルチアは帰ってこないし」
エイジャがフェルダとベル、どちらをエスコートするかで二人が揉めだしたのを見て、エイジャは慌てて間に入った。
「分かりました、二人をエスコートしますから。後で、タキシード買いに行きます」
「ねえエイジャ、私、変じゃない?」
胸元とスカートにふんだんにレースがあしらわれた、薄いピンクのロングドレスを身に纏い、髪をフェルダに結い上げてもらって、薄く化粧を施したベルは、いつもの擦れた言い方をおさめて自信なさげにエイジャに問いかけた。
「全然、変じゃないよ。すごくかわいいよ」
エイジャはそう言って微笑んだ。ベルもはにかみながら笑顔を見せる。
お世辞ではなく、本当に愛らしい淑女といった雰囲気だった。エイジャがこれまでに接してきた貴族の娘達にも全く見劣りしない。
「こんな、貴族みたいな格好……した事ないから、落ち着かないわ」
ベルはそわそわと自分の身なりを確かめている。
「なんだかベル、話し方も女の子らしくなったみたいだ」
エイジャが言うと、ベルは口をとがらせた。
「私、いつもそんなに口が悪いかしら?ルチアのせいよ、きっと」
「そういえばルチア、遅いね。今夜は帰ってこないのかな?」
「ま、気にしないでアタシ達は楽しんじゃいましょ。ああ、こんな所でロミーナ=アイマーロの舞台が見られるなんて!しかも挨拶ができるなんて夢みたい!」
基本的に普段からドレスアップしているフェルダは、今夜はさらに気合いの入ったゴージャスなロングドレスに身を包んでいる。
「会わせてもらえるかどうか、分かんないよ?俺の知らないボディガードが付いてるだろうし、王都ではファンが訪ねてきても、断ってたから」
「な〜に言ってるの。エイジャは別よ。王都での公演がある時は、必ずエイジャが呼ばれてるんでしょう?よっぽどお気に入りなのよ」
フェルダは自信たっぷりに言い放った。
ホテルを後にして、劇場へ向かう途中でエイジャは服屋に連れて行かれ、正装に着替えさせられた。
「やっだぁーーーっ!超似合う〜っ!」
「ステキ!エイジャったらそんな格好もいいわ〜!」
試着室から出てきたエイジャを見て、ベルとフェルダの絶叫が店に響き渡る。
店内にいた他の客が、声に釣られてこちらをじろじろと見てくるのに気付き、エイジャは顔を赤らめた。
光沢のある深い黒のタキシードがエイジャのしなやかな体躯に映え、白い肌と漆黒の長い髪を引き立たせている。
「本当によくお似合いですわ。まるで異国の若き王子様のようで……とっても素敵です」
店員までがうっとりとエイジャの姿を眺めているのに気づき、ベルが周りの女性達を牽制するようにエイジャの腕に抱きついた。
「ねっ、これで決まり!早く行きましょ」
「ちょっとベルちゃん、ひとりじめはダメよ。今夜はエイジャはアタシ達二人のものなんだから!」
二人から両腕を掴まれ、エイジャはずるずると引きずられるように店を後にした。
劇場のロビーでも、エイジャ達三人は他の客の視線をひとりじめにしていた。
「気分いいわね〜。皆こっちを見てるわよ」
フェルダが楽しそうに葡萄酒のグラスを傾ける。
「落ち着かないよ……俺、変じゃないかな」
今度はエイジャがそわそわと身なりを気にする。
「ぜんっっぜん変じゃないから!エイジャがステキだから皆見てるのよ。うふふっ、優越感〜!」
ベルはさっきまでの自信なさげな態度はどこへやら、エイジャの腕に抱きついたまま嬉しそうに笑った。
開演の時間になって席へ着くと、程なくして舞台が幕を開けた。
オーケストラの演奏に合わせ、演者達が登場する。
今日の演目は王宮を舞台にした悲恋物だ。
貴族の一人息子が美しい庶民の娘と恋に落ち、親の決めた縁談に背いて駆け落ちするが、捕らえられて二人は引き裂かれ、娘は恋人の父親によって町を追われてしまう。
その娘役がロミーナだった。
ロミーナが舞台に登場し、第一声を発した瞬間、客席はしんと静まり返ってその歌声に聞き惚れた。
初めて客席でロミーナの歌を聞いたエイジャは、すっかりその歌声に魅了されていた。
思えば、今までいつも舞台袖で聞いていたはずだったが、不審人物はいないかと周りに神経を集中させていた為、こうしてじっくりと歌を聞いた事はなかったのだ。
身分という越えられない壁を嘆き、離れがたい想いを切々と歌い上げるロミーナ。
やがてロミーナ演じる娘は、町を追われて彷徨っていた所を、偶然出会った王に見初められ、強引に王宮へ上がらされる。
王の妾となった娘は王宮で青年と再会するが、すでに青年は親の決めた相手と結婚しており、娘は絶望して命を断つ。
割れんばかりの拍手の中、何度目かのカーテンコールを終えて幕が降り、終演を告げるアナウンスが聞こえても、エイジャは席を立つ事もできずに涙をぬぐっていた。
「エイジャったらこういうの、弱かったのね〜」
二枚目のハンカチを差し出しながら、フェルダが苦笑した。
「うっ…ず…ずいばぜん……だって……がわいそうで…うううっ……」
「こういうエイジャもかわいい♪」
泣きじゃくるエイジャの頭を、ベルがよしよしと撫でた。
「泣きまくってるとこ悪いんだけどエイジャ、早く楽屋に行かないと、ロミーナが帰っちゃう〜」
フェルダはどうしても今日ロミーナにサインをもらいたいようだ。
「ううっ、はい、わがってます……ずいまぜん…」
鼻をすすりながら、エイジャは立ち上がった。
客席を出て、関係者用の通路に足を踏み入れると、今ボディガードをつとめているらしい恰幅の良い男が、エイジャ達の前に立ち塞がった。
「どちらさまですか?」
威圧的に聞いてくる男に、フェルダが胸を張って答える。
「関係者よ。ね、エイジャ」
まだしゃくりあげながら、エイジャは名前を名乗り、取り次ぎを頼んだ。
男はいぶかしげな視線を向けつつも、通路の奥の部屋に入って行き、しばらくして戻ってきた。
「ロミーナさんがお会いになるそうです。こちらへどうぞ」