幕間 ベルの独り言
ちょっと視点を変えまして、ベルの独り言をお送りします。
いつもとは文体も違って一人称になりますが、番外編という事でお楽しみ頂ければと思います。
ああ、疲れた。ルチアってば休憩取るのが遅いのよ。
空を仰いで、私はうーんと背筋を伸ばした。
木陰に腰を降ろす。ずっと御者席に座っていたからお尻がカチンコチンだわ。
そのままごろりと仰向けに寝転んだ私の視界に、太陽を背にして、大好きな人が顔を出した。
「ベル、そんな所に寝転んだら、服が汚れるよ?」
はい、これ敷いて。と、敷物を私の横に敷いてくれる。
ああ、なんて優しいの。
「ありがとっ、エイジャ」
敷物の上に移動して座ると、エイジャも私の横に腰を降ろした。
その横顔をじっくり眺める。うん、今日もきれい。
そこいらの女よりもずっと美しくて、なのにそこいらの男よりもずっと強くて、とびきり優しい、私の大好きな彼。
目を閉じると、今でも初めて出会った時の事を鮮明に思い出す事ができる。
あの時、私はまだカルロスの一味にいた。私の仕事は、行き倒れのうら若い娘の振りをして、助けてくれた旅人を村に誘導すること。
我ながら卑怯な手だとは思うけど、これまでこの手に引っかかってきた連中は皆、下心アリアリの男達ばっか。
介抱もそこそこに服を脱がせようとした奴もいたし、村へ連れていく道中、「命を助けてやったんだからこれぐらいはサービスしろ」って感じで、身体にべたべた触ってくる奴もいた。
はっきりいって、そいつらがカルロス達によって身ぐるみはがされようが、どこかへ売られようが、私には何の罪悪感もなかった。
でも、エイジャは違った。
目を瞑ったまま、誰かが岩陰に私を連れて行くのを感じて、ああ、今度もまたスケベ親父かなぁ、なんて私は思ってた。
でも、ゆっくりと私を岩陰に降ろしたその人は、持っていた水を、手ずから飲ませてくれて。
おずおずと目を開いてその人の顔を見た時に、私の心はもう打ち抜かれちゃってた。
なんてきれいな人なんだろう。なんて……優しく微笑むんだろう。
エイジャと名乗ったその人は、物腰は柔らかで、私を馬に乗せる仕草も優雅で。
後ろから手綱を取ったエイジャの息づかいを首筋に感じて、私は胸がドキドキして死にそうだった。
そして、村に到着する頃には、覚悟を決めてた。密かに考えていた計画を、実行に移す事。
エイジャの連れのルチアは、黒縁のダサイ眼鏡なんてかけて、栗毛の髪を後ろで纏め、文官風の上下をきっちり着込んで、いかにも頭脳労働してますって感じの見た目だった。
でも私は気付いてた。ルチアの帯剣してる剣は、王宮騎士団のもの。お飾りで持つような剣じゃない。あの見た目はきっとまやかしだ。剣の使える人間に違いない。
二人はどちらかが主人という事もなく、対等な関係で旅をしているようだった。ルチアみたいな剣の使い手が旅に伴っている所を見ると、エイジャも戦える人間なんだろう。エイジャの細い身体から言って、武術は使えなさそうだから、きっと魔術師。
いろんな人間を見てきてるから、こういう読みには結構自信がある。果たして読みは正解。馬小屋から逃がした馬が一頭戻ってきちゃって、カルロスに後を付けられたのは想定外だったけど。
でも、その時のエイジャの振る舞いは、今思い出してもぞくぞくする。ああ、見捨てられた、って思わせておいて、いきなりの奇襲。馬上に引き上げられて、私の身を気遣う声を近くに聞いた時は、嬉しくて泣いちゃうかと思ったわ。
ああ、カルロスは結局ルチアが斬っちゃったけど、斬られて当然。今まで何人もの命を奪ってきた悪党だもん。
……私の事は、愛してるだの何だのと言ってたけど、どうかな。今ではそれが本当だったのか、分からない。
エイジャは見た目もきれいで、魂も澄み切ってる。そんなの、何の能力も持ってない私に分かるわけないって思われるだろうけど、汚れきった人間をたくさん見てきたから、分かるんだ。
私も、そう。エイジャには話せないような事もたくさんしてきたし、全然きれいな人間じゃない。私みたいな汚れた人間が、エイジャの側にいていいのかなぁって思う事だってある。
でも、エイジャは私の事を汚れた女みたいには決して扱わない。きっと、私がこれまでしてきた事をうすうす察してはいるはず。でも、私をお姫様みたいに大事に扱ってくれる。
エイジャの側にいると、私のこれから行く先に光が差しているように感じる。生き別れになった双子の弟を探す為に、いろんな事をしてきたけど、正直もう諦めかけてた。でも、きっといつか会えるって、また思えるようになったんだ。
だから、私は絶対にエイジャの側を離れない。正直、エイジャは誰にでも優しくするから、ライバルなんて数えきれない。王都で冒険者として身を立ててるって話だけど、きっと王都に帰ったら、エイジャ狙いの女がわんさかいるはずだ。
でも目下のところ、一番のライバルは、こいつだ。
「なんだ、ベル。俺の顔に何かついてるか?」
ルチア。憎き恋敵。
こいつは男のくせに、エイジャに惚れてる。私には分かる。
言い訳がましく、俺は男には興味がないだの、婚約者がいるだの、いろいろ言ってるけど、それじゃそのエイジャを見つめる鬱陶しいぐらいの暑苦しい視線は何なの!?あんたは男色の変態決定よ!
エイジャの魔術で髪色と目の色を変えていた事が分かった時は、眼鏡を取ったド金髪の素顔のあまりの美人っぷりにマジで引いちゃったけど、負けるもんですか。
だいたいあの日、酔ったルチアがエイジャの部屋で寝ちゃったからエイジャはルチアの部屋で寝たって言ってたけど、なんでルチアがエイジャの部屋にいたのかが問題よ。
エイジャが嘘をつくとは思えないけど、まさかルチアが酔った勢いでエイジャに変な事をしてやしないか、私は今も疑ってるんだから。
……ま、でも正直、ルチアの気持ちも分からなくはないんだ。女装した時のエイジャなんて、どう見たって男じゃなかったもんね。
私だって、エイジャ、本当に男なの?って思う時も……実は、ある。
でもね!私の気持ちは本物です。
もしも、エイジャが実は女だった!なんて仰天の展開があったとしても、私の気持ちは変わらない。
愛は性別を越えるのよ。
エイジャが男か女かで悩んでるルチアとはそこが違う。
それにルチアってば、あんな派手な容姿してるけど、恋の経験は相当少ないと見た。宴を催してくれた、クラブアルトローゼの女の子達への態度を見れば一目瞭然。
婚約者がどんな女なのか知らないけど、王宮騎士団なんて王都じゃアイドルグループみたいなもの。おおかたその地位とルックスに釣られて寄ってきたバカ女に捕まったんだろう。
その点、自慢じゃないけど私は百戦錬磨。生きる為にいろんな男を利用してきたんだから。男を落とすテクニックなんていくらでも持ってる。
……まあ、エイジャにはそれがなかなか効かないんだけど。
「さっきから何なんだ。何か言いたいことがあるなら早く言え」
ルチアが面倒くさそうに言う。
言ってやるもんですか。あんたがボサッとしてる間に、私がエイジャを頂いちゃうわよ、なんて。
「そういえば、お前。クラブアルトローゼで飲んだ時、俺のゴールドカードを持ってたよな?何でお前が持ってるんだ」
ぎくっ。しまった、返すの忘れてた。
さっさと返しておこうと思ってたんだけど、あれがあれば何でもツケで買えちゃうもんだから、便利でついつい返しそびれてた。
私は鞄から、中央に王宮の紋章が印刷された金色のカードを取り出した。
「ルチアったら、うっかりやさん。これ、フェルダさんの家の廊下に落ちてたの。渡してあげようと思って拾っておいたのよ」
にっこり笑って手渡すと、ルチアは不信感いっぱいな表情でカードを受け取った。
「……全く信じられんが、まあいい。
しかし何故、王宮騎士団のカードの事を知ってるんだ?お前、俺の剣が王宮騎士団のものだっていう事も知っていたよな」
ああ、その事。私はエイジャの方をちらりと見た。
エイジャはちょっと不思議そうな目でこっちを見ている。
「昔の元彼が王宮騎士団だったの。それでちょっとね」
「ああ……って、元彼だぁ!?」
驚いているルチアの方は気にせず、私はエイジャの表情を盗み見る。
エイジャ、元彼の存在を知って、少しはヤキモチを焼いてくれるかしら?
「誰なんだ、それは。俺の知ってる奴なのか!?騎士団の誰かが、お前みたいな悪女と付き合っていた事があるっていうのか!?」
「あーもう、うるさいなぁ。何よ、悪女って。失礼ね」
「そうだよルチア、ベルの事そんなふうに言わないでよ」
エイジャ!だから好き!
「もう昔の事よ。ルチアが騎士団に入るよりもっと前の事よ、きっと」
「昔ってお前、今16,7だろう!?いくつの時に騎士団の男と付き合ってたっていうんだ!?」
「だーからぁ、ロリコンの彼だったの!」
「騎士団にそんな奴がいるか!」
「もう、ルチア!そういう事、他人が無理矢理聞き出すもんじゃないよ」
エイジャがルチアを制してくれるのを眺めながら、私はまた寝転んで空を見上げた。
思い出す彼の人は、いつでもしかめっつらをしている。
ねえ、ゲオルク。
私、ちゃんと光を見つけたよ。
もうずっと思い出さないようにしていたその名前を、心の中で呼ぶと、記憶の中の彼の表情が、少しだけ和らいだような気がした。
※途中、人名を間違えている箇所がありましたので修正しました。恥。