(17)身に覚えのない朝
最初に目に入ったのは、白い天井だった。
抗いがたい眠気に再度目を閉じると、外から鳥のさえずる声が聞こえてくる。
(朝か……)
ゆっくりと頭を動かした瞬間、激しい痛みがルチアの脳天をつらぬいた。
「……ったぁ……」
(なんだ、この頭痛は……)
そのまましばらく痛みに耐えた後、そろりと体勢を変え、頭部に振動を与えないように注意しながら、ルチアはベッドの上に上半身を起こした。
ズキズキと痛む額に手を添えて思い出す。
(そうか……昨夜は例の店で飲んだんだったな……)
左右を店の女達に囲まれて質問責めに合い、それをかわすのに、随分酒を過ごした記憶がある。
ぼんやりと昨夜の事を思い返していたルチアは、突然戻った記憶に愕然として青ざめた。
衝撃に痛みを増した額を抑えながら、慌てて周りを見回す。
ベッドには……自分一人だ。
だが、今いるこの部屋は自分の部屋ではない。
書斎を備えたルチアの部屋よりもこじんまりとしており、何より壁に掛けられた風景画。
この絵が知った景色によく似ているとかでエイジャがひどく気に入って、この部屋で眠れる事を喜んでいたのだ。
一気に顔色をなくし、ルチアは狼狽した。
(まさか……俺は……!?)
その時、部屋の扉がコンコン、とノックされた。
心臓が止まる程驚き、ルチアは扉を見つめて硬直した。
「ルチア?起きてる〜?」
掛けられた声はエイジャのもの。
ルチアは混乱しながらも、「ああ、起きてる」と慌てて返事を返した。
ドアが開き、エイジャが入ってきた。鍵は掛けていなかったようだ。
「具合はどう?頭痛くない?」
「ああ……大丈……いや、頭痛はひどいな……
それより、俺は……?ここはお前の部屋、だよな?」
エイジャはくすりと笑った。
「やっぱり全然覚えてないんだ。俺、おかげですっかり腰が痛いのに」
ルチアは身を堅くして観念した。
「エイジャ……その、俺は……
何かしたのか?……お前に……」
エイジャはきょとんとした表情の後、おかしそうに笑った。
「ルチアってば、昨夜バルコニーで俺にもたれたまま寝ちゃったんだよ。もー、ここまで引きずってくるの、すっごく重かったんだから!
それより、ベッドに乗せる方が大変だったよ。こうやって、背負い投げみたいにしてベッドに乗せたんだよ。ルチア、まったく目が覚めなくてさ。俺はルチアの部屋で寝させてもらったけど、もう、一晩寝てもまだ腰痛治んないよ」
エイジャの答えを聞き、ルチアはハァァッと大きなため息をついて、ベッドに再び倒れ込んだ。
(ああ……良かった……)
安堵と、少しの落胆。
いやいや、何で落胆なんだ。
自分に突っ込み、ルチアは顔を回してエイジャを見た。
昨夜の事は、どこまでが現実なのか、夢なのか……
腕に抱いた身体の柔らかな感触は、今でも思い出せるのに。
このエイジャの全くいつもと変わらない態度は何なのだろう。
全部夢?いやいや、今こうしてエイジャの部屋で目覚めた事実が証明している。あれは現実だったんだ。
恨めしい気持ちでエイジャを見上げていると、エイジャが腕を伸ばしてきた。
ルチアはそのまま腕を取って抱き寄せたくなる気持ちを抑え込む。
「はい、起きて。髪、する?先にお湯浴びてくる?」
エイジャがルチアの肩に手を添えて、身体を起こすのを手助けしながら聞いた。
気付くと、寝ている間に結い紐が外れていたらしい。頭は金髪に戻っていた。
エイジャがベッドのサイドテーブルに置かれた眼鏡を手にする。
「ああ、眼鏡はちゃんと外して寝たのか、俺」
「何言ってんの。俺が外して行ったんだよ」
額に手を当てながらルチアは立ち上がった。
「湯を使ってくる。その後で髪を頼む」
「頭痛そうだねー……、大丈夫……?」
エイジャが後に付いて歩き、扉を開けてやった。
揃って部屋を出た時、廊下の向こうから声が飛んできた。
「エイジャ……!?なに、その男っ!?」
今一番聞きたくない人間の声に、ルチアが不機嫌さを露にしてベルを睨む。
「ちょっとその金切り声、押さえてくれ……頭に響く」
「な、なんなのその歩く女神像みたいな男っ!?なんでエイジャの部屋から出てくるわけ!?
何連れ込んでんのよっエイジャ!!バカァーーーーッ!!!」
「……で、これがルチアの本当の姿ってわけね」
ルチアが湯を使っている間に事の次第をベルに説明し、エイジャは湯上がりのルチアの髪を整えていた。
椅子に座りエイジャに髪を委ねているルチアの姿をしげしげと眺め、ベルがつぶやく。
「……まあ、ライバルとして相手に不足はないわ」
ルチアがちらりとベルを横目に見ると、ベルがびくっと肩を揺らした。
「ちょっと!その顔でこっち見ないで!士気が萎える!」
眼鏡かけなさい眼鏡!とベルに強引に眼鏡を掛けさせられ、ルチアは迷惑そうにしながらもそれに従った。
エイジャが結い終わった髪に手を添え、詠唱する。目に痛い金色が輝きを失い、地味な栗色へと変化した。
「はあ……やっと落ち着いた。それにしてもあんた、よくそんなド派手な容姿で王宮騎士団にいられたわね〜。目立って仕方がないじゃないの」
「あ、俺も思った。騎士団ってずっと王宮内にいるわけじゃないじゃん、街なんか歩く時、注目浴びてやりにくくなかったの?」
ベルの質問に、エイジャも同意する。
ルチアはため息をついて説明した。
「王都で民衆の前に立つ時は、正装で兜を付けていたからな……。だがそういえば、他所の街を歩く時は、仲間に周りを取り囲まれていた。今思えば、この髪色や瞳の色が人々の目につくのを防いでくれていたのかもしれないな。
……それにしても、そんなに奇異か。俺の外見は」
「……そこまでいくと奇異ね」
ベルの言葉に、ルチアはがくりと肩を落とした。
「奇異っていうか!その、ちょっと人間離れしてるっていうか!派手すぎてあんまり直視できないっていうか……」
エイジャのフォローもあまりフォローになっているとは言えず、ルチアはまた頭痛がひどくなったような気がした。
朝食の前にフェルダが入れてくれた、とびきり苦い薬草茶のおかげで、昼近くにはルチアの頭痛も随分良くなったようだった。
「さて……じゃあ、出発しましょうか」
準備を整えたフェルダが言い、ルチアが頷く。
「フェルダさ〜ん、次の町についたら御者交代してよね〜」
馬車の御者席でベルが不満を漏らす。
この馬車は、先日の人買い達が乗り捨てて行ったものだ。
乗馬するのは嫌だが馬車ならOK、と言うフェルダの為の馬車ではあるが、道中戦闘に巻き込まれた時の為、エイジャとルチアはそれぞれの馬を使う事になった。
街の外れまで進んだ時、エイジャは後ろから自分を呼ぶ声に気がついた。
「エイジャ〜!」
振り向いて確認する。声の主はザックだった。
「ザック!見送りに来てくれたの?」
「うん、昼には発つって言ってたからさ……」
エイジャは急いで馬から降りた。
走ってきたザックは息を整える。
「いろいろ、ありがとう。本当に世話になったよ。昨夜も結局、お礼するつもりが逆に酒代を払ってもらっちゃったし……」
礼を述べるザックに、エイジャは微笑んだ。
「こっちこそ!これからお店、がんばって盛り上げていってね」
「うん。そんで、いつか自分達の力で、本当に王都に店を出すよ」
そん時はよろしくな、とザックは馬上のルチアに声を掛ける。
詳しい事は分からなくても、ルチアが王宮に顔が利くという事は分かっているようだった。
「ああ、その時は口添えする」
ルチアも馬上から返答する。
ザックはエイジャに右手を差し出した。
手を取って握手を交わすと、ザックが照れたように笑う。
「初めて会った時、この子は俺のお姫様だ、って思ったよ。結局、俺よりずっと強くて男らしかったけどさ。
秘密結社の任務って危険が多いんだろうけど、気を付けて。またこの街に寄る事があったら、絶対顔見せに来てくれよな」
「ザック……ありがとう……」
涙声になったエイジャがまた抱きついてきそうになったのを察し、ザックが素早く身を引いた。
「それはやめとく!怖ぇから!」
手を振るザックの姿が見えなくなり、エイジャは前を向いて少し鼻を啜った。
「そんなに別れが辛いか?」
ルチアがつまらなそうに言う。
「うん……ザックって、なんだかお兄ちゃんみたいでさ。会ったばかりの俺の事、すごく心配してくれて、ほんと、いいやつだよね」
「お兄ちゃんか……」
(ザックが兄なら俺はなんだ?)
ルチアはそう聞きたかったが、なかなか聞きにくい質問ではある。
なにしろ、エイジャが昨夜の出来事をどう思っているのかも謎なのだ。
「ルチアは……」
エイジャの言葉に、ルチアははっとして次の言葉を待った。
「ルチアは、父さんみたいだ」
「……」
(と う さ ん だと!?)
「昨夜、ルチアは酔っぱらって覚えてないだろうけど、俺、ちょっと落ち込んでてさ……。
でも、ルチアがぎゅーっとしてくれて、俺、父さんの事思い出して、すごく気分が落ち着いたんだ」
えへへ、と心無しか頬を染めて話すエイジャの顔を、冷えた頭で眺める。
(父さん……それって……喜ぶべきなのか?悲しむべきなのか?そんなに親父扱いされているのか、俺は?)
嬉しそうなエイジャとは対照的に、沈みこんでいく気持ちを抑えられないルチアだった。