(13)潜入捜査-5
ディノが言った「もう少しだったのに」という言葉は真実だったらしく、程なくして馬車は動きを止めた。
「危ないから、あなた達はここで待ってて」
エイジャは女の子達にそう言い聞かせ、細く開けた扉の隙間から素早く客車を降りると、馬車の下に体を滑り込ませた。
馬車の前には同じような大きさのもう一台の馬車が止まっていた。
取引相手の男達が二人、馬車から降りてきてディノに話しかけている。
「ディノ、なんだ、商品にナイフなんて突きつけて。物騒な事だな」
「こっちの男は?これも商品か?」
「ああ、そいつも頼む」
ディノの返答の後、ザックの「なっ、やめろっ!」という声が聞こえた。
エイジャの頭上で車体がガタガタと揺れ、ガツンと殴りつける音が聞こえたかと思うと、御者席から地面に転げ落ちたザックの姿が見えた。
「大人しくしてりゃ痛い目見ずに済むんだ。おい、縛っとけ」
男の声に、抵抗したザックが暴力を振るわれた事を知る。
(ザック、ごめん!少しの間、我慢してて……)
エイジャは心の中でザックに詫び、静かに詠唱を開始した。
男の一人がザックを縛り上げている間、もう一人がディノと話を続けていた。
「今日はこの男とその女だけか?後ろには?」
「ああ、今日はあと女が3人もいる。
一人は上玉だぞ。髪は黒いが、真っ白な肌の人形みてえな美人だ。そういうのが好みなんだろう。お前らの主は」
「ああ、そりゃいい。そういうのを探してるんだ」
一人が馬車の後ろに廻ってきた。客車の扉に手をかけた、その瞬間。
「フィアマ・エスト!」
エイジャは詠唱していた術を発動させた。男の全身から一瞬にして炎が噴き上がる。
「ぐあああっ!!」
「なんだ!?どうしたっ!?」
仲間の異常に気がついたもう一人の男が馬車の後方へ走り込んでくるのを確認して、エイジャは馬車の下から逆方向に飛び出した。
横目に、後方から走って来る一頭の馬が見えた。
騎乗している人物のシルエットを確認して安心する。
ルチアだ。良かった、やっぱりちゃんと来てくれていた。
これで馬車の後ろに廻った取引相手の二人はルチアに任せられる。
素早く御者席へ廻りこむ。ディノは何が起こったのか分からず、客車のドアの方を見ようと御者席で腰を浮かせている。ナイフを持った手がノーラの喉元から離れていた。
「ノーラさん、避けてっ!」
突然名前を呼ばれ、ノーラは驚いてこちらを振り返る。エイジャの指示を理解したのか、走り込んで来たエイジャを反射的に避けただけなのか、転がるように御者席から飛び降りた。
「なっ、お前……!」
振り返ったディノに、エイジャは走り込んだ勢いのまま、思い切り体当たりを食らわせた。
「うわっ……!!」
御者席から転げ落ちたディノを追って飛び降り、地面に転がったナイフを拾う。
ディノの体に体重をかけて抑え、首筋にナイフを当てた。だが次の瞬間、エイジャの体はすごい力でディノから引き離され、後方へ引っ張られた。
「わあっ!」
エイジャは後ろから羽交い締めにされ、手で口を塞がれた。言葉を発する事ができなければ、詠唱はできない。
「お嬢ちゃん、魔術師か?勇ましいなぁ。だめじゃないか、いたずらが過ぎるぞ」
頭の上から落ちて来たのは、聞いた事のない声。
(しまったっ……三人目がいたのか……!)
「エイジャ!!」
ルチアの声が遠くに聞こえる。
だがその姿を目にする前に、ギラギラと怒りに燃えた目をしてエイジャの前に立ったのは、ナイフを取り返したディノだった。
「こいつ……!やってくれたな……!」
ディノは怒りにまかせたように、裏手でエイジャの頬を打った。
頭蓋骨への衝撃に、一瞬気が遠くなる。
そのまま男に抱えられ、男達が乗ってきた馬車の客車に乱暴に投げ込まれた。
朦朧とする頭で必死に足を動かして男を蹴り上げるが、大柄で筋肉質な体をした男には効く様子もなかった。
「この野郎……っ、大人しくしろ!!」
怒鳴りつけられたのと、太腿に熱湯を浴びたような激痛が走ったのは同時だった。
もう一度頬を殴りつけられて座席に額を打ち付け、今度こそエイジャは意識を失った。
大柄の男に羽交い締めにされたエイジャの姿が目に入り、ルチアの背筋に冷たいものが走った。
「エイジャ!!」
ルチアは相手にしていた男を一太刀に切って捨て、エイジャの方へ駆け出した。
エイジャが力任せに殴りつけられ、がくりと頭を垂れるのが見えた。そのまま馬車の方へ連れられて行く。
「こ……の……っ」
怒りに我を忘れる、という感情を初めて知った。
エイジャを殴りつけた男を背中から切って倒し、エイジャが連れ込まれた馬車へ走った。
馬車の客車から出てきて御者席に乗り込もうとしていた大柄の男を切り、客車に駆け込むと、目に入ったのは血まみれのエイジャの姿だった。
「エイジャ……!!」
その光景に血の気が引き、目眩を覚えながらエイジャを抱き起こす。
「エイジャ!大丈夫か!?返事をしてくれ、エイジャ……!!」
「ルチア!エイジャは……」
後を追って客車に駆け込んできたフェルダは、エイジャの姿を見て絶句したが、すぐに気を持ち直して状況を把握した。
「貸して、すぐに手当をするわ。ベルが男達を捕縛しているから、ルチアもそっちに行って」
呆然とエイジャを抱いたまま動かないルチアの後頭部を、フェルダが思い切りはたいた。
「ルチア!しっかりしなさい!」
「あ……フェルダ……」
「ここはアタシに任せなさい!早く行って!」
鋭い声で一喝され、ルチアははっと表情を変えてフェルダに焦点を合わせた。
頷いたフェルダにエイジャの身体を譲り、客車を飛び出して行った。
「ルチア!何やってんのよっ!早く!」
外に飛び出すとすぐに、ベルの声が聞こえた。
見回すと、エイジャ達を乗せてきた馬車の横で、ベルが先程ルチアによって切られた二人の男に手際良く縄をかけている。
敵はもう二人いるはずだ。
エイジャ達を馬車に乗せてきた、店のオーナー…ディノと言ったか…は、ルチアが切り倒した場所にそのまま身体を横たえている。
自分の与えた傷が致命傷になったか、身動き一つせず、遠目にはすでに絶命しているように見えた。とどめは刺さず、生かして話を聞き出すつもりだったが、あの時は頭に血が昇っていて、そんな事はすっかり忘れていた。
近付いて確かめると、微かに息があった。意識が戻っても自力で逃げられるとも思えなかったが、念のために縄で縛り、辺りを見渡した。
もう一人、エイジャを馬車に連れ込んだ図体のでかい男も切ったが、奴はどこだ?
目を凝らすと、すでに追いつけないほど遠く、馬を駆って逃げ去って行く大きな背中が見えた。
「逃げられたか……」
馬を確かめると、ベルが乗ってきた馬が消えていた。あの男が乗って行ったのだろう。
エイジャが助けた店の女が下男らしき若い男の縄をほどいているのを横に見ながら、ルチアは捕縛した取引相手の男達を見張っていたベルに声を掛けた。
「ベル、そいつらの見張りを頼めるか」
「いいけど……私一人に任せるわけ〜!?まだ気失ってるけど、目が覚めたら私一人じゃ不安なんだけど!」
「あ、俺も見張ってますから!」
縄を解かれた下男が手を挙げた。横にいた女も頷いている。
ルチアは足早にエイジャの元へ戻った。
客車に飛び込むと、そこにはフェルダによって応急処置を施されながら、いまだ意識の戻らないエイジャの姿があった。
「フェルダ……エイジャは……」
「頭の傷の出血がひどかったの。額は出血量が多くなるものだから、見た目よりは傷は深くないはずなんだけど……まだ気を失ってるわ。しばらく安静に……」
フェルダが止める間もなく、ルチアは客車の床に横たえられていたエイジャの身体を抱き起こした。
閉じられたままの瞳を目にして、ルチアはエイジャを失うかもしれないという恐怖に、自らの身体が震えるのを感じた。
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