(13)潜入捜査-1
日が落ちた歓楽街に、人が溢れ始める。
問題の店、「クラブアルトローゼ」も準備中の札を返し、営業を始めていた。
入り口に立っていた呼び込みの若い男が、近付いてきた少女に気づいてそちらに顔を向ける。
「あの、すいません。お、私、ここで働きたいんですが」
そう話しかけてきたのは、店で着飾ったきれいな娘をたくさん見てきた男でも思わず見蕩れてしまうほどの、美しい少女だった。
ほっそりとした身体に青いドレスを纏い、漆黒の長い髪を緩く編んで背に垂らしている。
彫刻のように整った顔立ちの中でも殊更目を引く、深く澄んだ青緑の瞳。人形の如く長い睫毛。
「……あの?」
顔を覗き込むように尋ねられて、男ははっと我に返った。
「あ、ああ、うちの店で働きたいのかい!?」
「はい、とてもお給金が良いと聞いたので」
「何かお金がいる事情でもあるの、そりゃうちは給金は良いけれど……」
言い淀んでいると、店の扉が乱暴に開いた。
「おい、ザック!何してる、店内手伝え!……」
中から出てきた男はそう怒鳴りかけて、横にいた少女に気がついた。
「なんだ、働きたいのか?もしかして」
「はい、お願いします」
機嫌悪そうに歪んでいた表情を幾分崩して、男は扉の中に招き入れるように、少女の背を抱く。
「いやいや、こりゃきれいなお嬢さんだ。あんたみたいな女は大歓迎だよ。さ、早速入ってくれ」
ザックと呼ばれた若い男が、慌ててその後を追って店内に入って行く。
「ディノさん、待って下さい!あの、その、彼女は……」
「なんだ?ザック。もういい、お前は外で呼び込み続けてろ」
そう言い捨てられ、ザックはディノに肩を抱かれた少女を心配そうに振り返りながら、持ち場に戻って行った。
「じゃあ、きれいに支度してあるんで、すぐにお客さんの前に出てもらおうかな。あんたみたいなのが好きな方が来てるんだよ」
ディノに肩を抱かれたまま、店内を歩く。
エイジャはむきだしの肩に添えられた手を振りほどきたい衝動を必死に抑えながら、笑顔を作った。
「そうですか、嬉しいです……でも、私、こういうお仕事は初めてなので、何をすればいいのか……」
「いやあ、あんたみたいなキレイな女は、何もしなくていい。ただ座ってへらへら笑ってりゃいいんだ。今日は他の女が酒を作るから、じっと座ってお客さんの話を聞いてりゃいいさ」
「そ、そうなんですか、でも、あの、やっぱり急にお客さんの前に出るのは……」
エイジャの訴えなどまったく聞こえていないかのように、ディノは店の隅の一角へエイジャを誘導する。
「リナルド様、たった今入店したばかりの新人でございます。どうぞよしなに」
どん、と背中を押されたエイジャは、つんのめるように前へ出た。
みっともなく太った中年の男が、左右に若い女の子達をはべらせて座っていた。
「おおっ、こりゃきれいな娘だな。こんな上玉はなかなかおらんぞ、どこに隠しとったんだ」
「先程入ったばかりの女で。まずはリナルド様に可愛がっていただくのが筋でございますから」
ディノは手揉みしながらにやにやと笑う。
「うむ、よく分かっとるな。どれ、わしの隣に座れ。名前はなんだ?」
エイジャは強引に腕を引かれて、リナルドの隣に座らされた。
「あ、あの、エミリー……と申します」
「エミリーか、名前も可憐だな、気に入ったぞ。もっと近くに来い」
腰を寄せられて、エイジャは悲鳴を上げそうになるのをこらえる。
(ガマン、ガマン……ここで根を上げたら、全て水の泡だ……)
いつのまにか出て行ってしまって戻ってこなかったルチアを除いて、フェルダとベルと三人で打ち合わせた筋書きはこうだ。
エイジャは店にスタッフとして潜り込み、休憩時間や閉店後を見計らって他の女の子達から話を聞き出す。
王都へ転勤したという女の子達から、連絡が来る事はあるのか。
戻ってきた子はいるのか。
次の転勤の機会はいつなのか。
全員が揃って休憩を取れるわけはないから、休憩時間に話を聞ける子は良くて一人か二人ぐらいだろう。
たくさんの話を聞けるチャンスは終業後になるだろうから、どれだけ鳥肌が立っても、何とか閉店まで乗り切らなくてはいけない。
それにしても、「お触りはなし」だとあの貼紙に書いていなかったか!?
リナルドはべたべたと肩や腰に触てくる。
顔を寄せてくるのは、グラスを口にして何とかかわした。
ディノの態度や、一人で5人も6人も女の子をはべらせている所から見て、金払いの良い上客なのだろう。
飽食と運動不足で太ったのであろう巨体を揺らして、気分良さそうに笑っている。
この店の裏稼業が人身売買だとしても、表稼業の店運営もうまくいっているようだ。店内はほぼ満席で、各テーブルに1人か2人の女の子が付いている。
これでは、一気に女の子達をブローカーに引き渡してしまっては、表稼業の運営がなりたたなくなるな。
フェルダの話では、店の裏口から東へ向かって馬車が出るのは、だいたい半月に一度程度。
そうなると、一度に連れて行くのは2人か3人か、補充可能な範囲内なのではないかと推測した。
「どうしたエミリー。ぼうっとして、もう酒に酔ったか?ほら、もっと飲め」
リナルドが他の女の子を促し、エイジャのグラスに酒を継ぎ足させる。
「は、はい、でも、もうとてもたくさん頂いたので……」
「何だ、これっぽっちで酔っぱらっていてはこの商売はやっていけんぞ。
よし、分かった!おまえはわしの秘書になれ!雇ってやる。とりあえず今日は店が終わってからわしに付き合え」
げっ!と思わず表情に出そうになり、エイジャは何とか笑顔を作った。
「いえ、そんな、私のような者には秘書だなんて……到底勤まりません。それに、今日は初日ですから、お店が終わったら皆さんにご挨拶をしないと……」
「この店はわしで持ってるんだ。そのわしがいいと言えば誰も文句は言わん。口答えは許さんぞ、エミリー」
すっと表情に残虐さを浮かべ、リナルドが威圧的に言い放つ。
「そうだな、店が終わるまでここにいる必要はない。さあ、もう出るか」
エイジャの腕を引っぱり、席を立とうとしたリナルドの前にその時、女性が立ちはだかった。
「あーらあなた、ご機嫌ですこと。新しい秘書を雇うのですって?わたくしにも紹介して下さいな」
リナルドを見下ろしてそう言い放ったのは、高級そうな身なりをした中年女性だった。
「ロジーナ!?お、おまえ、なんだこんな所まで来て……」
「まー、こぉーんなに若い女の子をはべらせて、随分羽振りの良いご様子ですわね。この分でしたらわたくしの実家の援助など、もう必要ないんじゃございません?」
みるみるうちに顔色をなくしていくリナルドに向かって、女性はさらに畳み掛ける。
「つい先日わたくしにもう女遊びは控えるとお約束なさった舌の根の乾かないうちにこれだけお遊びなんですもの、それ相応のお覚悟がおありなんでしょう?
あなたのお気持ちはよーく分かりましたから、わたくしこれで失礼致しますわね。
あ、そうそう、あの家はわたくしの両親の物ですから、あなたはどこかあなたご自身のお家にお帰り下さいませね」
くるりと踵を返して歩き出した女性を、リナルドが慌てて追いかける。
「いや、違うんだ、これはな、仕事でどうしても必要があってな……聞いてくれ、わしは来たくはなかったのだがな、もちろんお前とした約束を忘れる事なんてなかろうが、待ってくれ、話を聞いて……」
足早に店を出て行こうとする女性に縋るように、リナルドが足下をもたつかせて追いかけて行く。
女性は扉の前に立っていた先程の呼び込み役のザックに、ちらりと意味ありげな視線をやって店を出て行った。