(1)噂の冒険者
泣き叫ぶ声。
逃げ惑う人々。
村のあちこちに付けられた火は激しさを増し、もう逃げる場所もない。
でも、恐ろしいものを見ないよう、頭の後ろに大きな手を添えて、強く抱きしめてくれている腕があるから。
大丈夫。怖くない。
……だが、突然。その束縛は解かれた。
驚いて、優しい瞳を見上げる。
「……父さん?」
「行け、お前だけでも……生き残らねばならん。死ぬな」
言われた言葉の意味が理解できず、咄嗟に叫んだ。
「やだよ!無理だよ……!父さんも、いっしょに行こう!」
「私は行けない。足が動かないんだ……
お前なら必ず逃げ延びる事ができる。大丈夫だ」
父さんのすぐ後ろにまで迫っている炎が見える。その勢いに恐怖し、視線を下に下げれば、崩れ落ちた床柱に巻き込まれた父さんの右足が目に映る。
父さんは今までしっかりと包み守ってくれていた腕で、下半身に力が入らずにいる体を立たせ、背中をどんっ……と強く、押した。
その衝撃にもんどりうって転び、泣きべそをかきながら振り返った目の前に、炎に焼かれて支えを失った梁が、轟音を響かせて落ちてきた。
炎の向こうに目を凝らしても、もう父さんの姿は見えなかった。
「父さん!父さん!やだよ!一人にしないで……父さん!!」
何もできず、泣き叫ぶだけ。その声も、燃え盛る炎にかき消される。
燃え落ちた屋根の隙間に見える夜空の向こうから、幾筋もの青白い光が自分に向かって飛んでくるのを、ただ呆然と眺めていた。
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洞窟探索の旅から帰って、昨日はひさしぶりにベッドで眠った。
無事に依頼を済ませた事で気が抜けたのか、ひさしぶりに昔の夢を見てうなされたが、なんとか、体の疲れはとれたようだ。
併設された食堂の、いつもの席……カウンターの一番右端に腰を下ろす。何も注文しなくても、よく知った店主がパンとチーズ、野菜を煮込んだスープを、カウンターの上に並べる。
「エイジャ、貼り出し見たか?招集がかかってる。組合に顔出せよ」
パンにかぶりついた所に声をかけられ、ぐっと喉を詰まらせそうになった。
慌てて水でパンを流し込んで、知らせを持ってきた顔なじみの男に向き直る。
「昨日の今日だぞ……。もう少し休みたかったのになぁ……」
「いい事じゃないか。この王都中にどれだけの冒険者がいると思ってる?仕事があるだけ有難いと思え」
カウンターの向こうから、すっかり口癖になったセリフを投げかけてくる店主をちらと一瞥する。
「分かってるよ」
知らせてくれたお礼がわりの銅貨を一枚男に寄越す。冒険者達の間の礼儀だ。
男はそのまま横の席に腰を落とした。その銅貨で一杯飲むつもりなんだろう。まだ日が高いというのに。
「そうだぜ、エイジャ。まったくうらやましいよなぁ、引く手あまたの売れっ子冒険者。
俺なんてもう1ヶ月仕事待ちだってのに。秘訣を教えてくれよ。組合の女事務員でもたらしこんでんのかよ?色男」
このまま戯れ言に付き合ってやる気もない。食事をかきこみ、立ち上がる。
「ちゃんと仕事をやってるだけだ。オヤジ、勘定」
「ほい、15ディール」
「ごちそうさん」
銅貨を3枚カウンターに置き、店を出た。
砂漠にほど近いここ王都に暮らす人々には、色よく日焼けした肌が多い。その中で、エイジャの真っ白な肌はそれだけで珍しいものだ。
細身の体にすらりと伸びた手足。18の男にしては小柄な方と言えるが、姿勢良く歩く姿は街の雑踏の中でも目を引く。
肩辺りまでを緩く編み込み、背中まで伸ばした艶やかな髪は漆黒。
そして、碧玉の如く深い青緑をたたえた大きな瞳に影を落とす、長い睫毛。
精巧に作られたガラス細工のような顔立ちの中で、桜色に色づいた唇だけが少しぽってりとあどけなさを残している。
つば広の帽子でそれらを隠してはいても、最近活躍目覚ましい「美少年冒険者」はこの王都城下町でちょっとした噂になっている。
エイジャとしてはただ与えられた仕事を律儀にこなしてきただけなのだが、どうもおもしろおかしく尾ひれを付けて語っているやつがいるらしい。
自分を主人公にした絵物語のようなものまで出回っているという噂は果たして本当なのだろうか、確認するのも気が滅入る。
冒険者組合の建物の前にある掲示板で、貼り出しを確認する。
『エイジャ・キュラビオ、新規案件あり、早急に組合へ』
そのまま扉を開き、馴染みの受付嬢に声を掛ける。
「呼び出しがあったって聞いたんだけど」
「ああエイジャ、ごめんなさいね。帰ってきたばっかりでまた仕事だなんて」
「いいよ、君のせいじゃないだろ?」
笑顔を見せたエイジャに、受付嬢はさっと頬を染めると、名簿をめくり、声を潜めて説明する。
「また王宮からの案件なの。いつも通り、詳細は王宮に来てから直々に話があるって」
「ああ……分かった」
大陸アイサルを三分する一つ、アストニエル王国。
その王宮を中心に配し、多くの貴族が居を構えるここ王都は、言うまでもなくこの国で一番の都市であり、同時に仕事を求める冒険者達が数多く集まる場所でもある。
特定の貴族に仕える者もいるが、多くはエイジャのようにどこにも属さないフリーの冒険者であり、冒険者組合へ登録して依頼を受け、生計を立てていた。
王宮にもお抱えの優れた冒険者達がいるが、身分制限や身辺調査が厳しく、求められる能力が相当に高いせいで、その数は多くないらしい。
仕事が溢れ彼等だけでこなしきれなくなると、それほど重要でないと判断された案件は、こうして冒険者組合に回ってくる。
それでも他の案件に比べれば秘密厳守、普通は依頼内容や報酬を先に組合に明らかにした上で仕事が入ってくるものだが、王宮案件についてはその全てが「詳しくは王宮で」となっている。
そうした「特別案件」を組合から振られるのは、所属する冒険者達の中でもわずか一握りだ。
エイジャはこれまで上げてきた成果や誠実な人柄から組合での信頼も厚い為、王宮案件を受ける事もこれで何度目かになる。
王宮の方も案件毎に新しい人間がやってくるよりも、何度か無事に仕事をこなしてきて信頼の置ける人物を使いたがる。
今回も王宮側からエイジャを指名してきたのだと受付嬢は語った。
「かなり急ぎらしいの。今、エイジャを探しに人をやろうとしていた所だったのよ。できればすぐに王宮へ上がってほしいんだけど……、いつものように、裏口からね」
「分かった。すぐに行くよ」
チップを渡そうと懐を探り、思い直したように腰に付けた鞄に手を入れる。
「お礼。こういうのの方がいいよね」
それは先の仕事で訪れた魔物の洞窟で見つけた、乳白色に輝く小さな石。女性の間でアクセサリーに加工して身につけるのが流行っている。
「まあ、エイジャ……本当に?もらってもいいの?こんな……」
「俺が持ってても仕方がないからね。良ければ」
「嬉しい!大事にするわ。でも、エイジャにもらったなんて言ったら、街の女の子達に殺されそうよ」
「あはは、オーバーだな。じゃ、行ってくるよ」
ひらひらと手を振って出ていくエイジャに微笑みを返しながら、あながちオーバーじゃないんだけどなー、と受付嬢はつぶやいて、大切そうに石を引き出しに仕舞った。