第1話 地下九十九階で、廃棄聖女は拾われる
落下しているあいだも、配信だけは止まらなかった。
視界の端で、コメントが滝のように流れていく。
【え、落ちた?】
【今の突き飛ばしたよな?】
【修復士くん、死ぬぞ】
【誰か通報しろ】
【これ配信事故ってレベルじゃないだろ】
俺、黒瀬晶は、東京第七迷宮の崩落穴を真っ逆さまに落ちていた。
耳元で風が裂ける。
背負っていた工具鞄が壁にぶつかり、レンチや魔導テープが火花を散らした。
上を見上げる。
穴の縁に、一人の男が立っていた。
S級探索者、久遠怜司。
俺が所属していたパーティー《グリムクロウ》のリーダーだ。
「悪く思うな、晶」
怜司の声は、驚くほど冷静だった。
「戦えない修復士を連れて深層へ潜れば、全員が死ぬ」
「怜司、お前……!」
「お前のスキルは便利だったよ。扉の修理、罠の解除、装備の応急処置。だが、それだけだ」
彼は俺を見下ろしていた。
「深層では、荷物になる」
その横で、魔術師の女が目を逸らした。
盾役の男は、黙ったままだった。
誰も、俺に手を伸ばさなかった。
配信カメラだけが、最後まで俺を見ていた。
【いや助けろよ】
【グリムクロウ最低】
【修復士いなかったら前回全滅してただろ】
【落下先、深層どころじゃない】
【九十九階表示出てる。終わった】
九十九階。
東京第七迷宮には、公式には五十階までしか存在しない。
それより下は未確認領域。
探索者たちは冗談めかして、そこを「墓場」と呼んでいた。
俺は、その墓場へ落ちている。
死ぬ。
そう思った。
けれど、不思議と涙は出なかった。
頭に浮かんだのは、師匠の声だった。
――晶。壊れたものを見たら、まず息を聞け。
――物にも、場所にも、人にも、壊れ方の癖がある。
五年前。
迷宮崩落事故で、師匠は死んだ。
俺は師匠の手ではなく、隔壁を修復した。
三十四人が助かった。
師匠だけが、助からなかった。
それからずっと、俺の中には同じ言葉が残っている。
俺は物を直せる。
でも、人は直せない。
落下の終わりは、思ったより静かだった。
激突する寸前、床に描かれた青白い紋様が光った。
俺の身体を、冷たい光が包み込む。
重力がほどけた。
骨が砕けるはずの衝撃は、綿のように消えていく。
「……生きてる?」
自分の声が、かすれていた。
胸元の配信端末は、まだ光っている。
【生きてる!?】
【九十九階で生存は怖い】
【誰かギルドに連絡して】
【晶くん逃げて。そこ絶対やばい】
【座標バグってるんだけど】
俺は片膝をついたまま、周囲を見渡した。
そこは、迷宮というより礼拝堂だった。
白い石柱。
ひび割れたステンドグラス。
壁一面に走る、魔法陣ではない幾何学模様。
光源はない。
それなのに、床だけが薄く青く発光している。
空気は冷たい。
だが、死臭はなかった。
代わりに、金属が長い時間眠っていた匂いがした。
「なんだ、ここ……」
配信端末の表示が乱れる。
【コメント送信失敗】
【座標取得不能】
【東京第七迷宮:未登録領域】
【警告:神託通信圏外】
そのとき、礼拝堂の奥から音がした。
こつん。
誰かが、棺の内側から叩いたような音だった。
俺は工具鞄からレンチを抜いた。
武器としては頼りない。
でも、素手よりはましだ。
礼拝堂の奥に、白い棺があった。
石棺ではない。
なめらかな白銀の金属でできている。
蓋の中央には、割れた輪が浮かんでいた。
まるで、砕けた光輪のように。
俺は息を呑んだ。
「……壊れてる」
手が、勝手に動いた。
俺のスキル《修復》は、壊れたものの状態を見ることができる。
扉なら、蝶番の歪み。
武器なら、刃の欠け。
罠なら、魔力回路の断線。
だが、その棺から見えた壊れ方は、今まで見たどんなものとも違っていた。
ひび割れた光輪。
焼き切れた記憶回路。
破損した祈祷演算核。
欠損した感情模倣領域。
意味はわからない。
でも、壊れていることだけはわかった。
棺の蓋が、ゆっくり開いた。
中にいたのは、少女だった。
白い修道服のような装甲。
銀色の髪。
欠けた片翼。
閉じた片目。
もう片方の目だけが、薄く青く光っている。
人間ではない。
けれど、ただの機械にも見えなかった。
少女はノイズ混じりの声で言った。
「廃棄個体です。拾いますか?」
コメント欄が、一瞬止まった。
次の瞬間、爆発した。
【しゃべった】
【AI?】
【聖女っぽい】
【拾う一択】
【いや罠だろ】
【でも捨てられてる女の子は拾うだろ普通】
【九十九階で拾い物イベントは死亡フラグ】
俺は笑う余裕もなかった。
「拾うって……君は、誰だ」
「個体名、NIA-00。旧式神託補助ユニット。現在、廃棄判定済み。稼働率、三パーセント。自己修復不能」
「ニア……?」
「はい。廃棄個体ニアです。あなたは、回収者ですか」
「違う」
俺は棺に手をかけた。
「修復士だ」
ニアの青い目が、わずかに瞬いた。
「修復士。対象を修復する職能者」
「ああ」
「当機は、修復優先度が低い個体です。現在の世界安定率に対する貢献値はゼロ。修復は非推奨です」
「うるさいな」
俺は工具を取り出した。
「壊れてるものが目の前にある。だったら直す」
「合理性がありません」
「俺の師匠も、よくそう言ってたよ」
光輪の割れ目に手を伸ばす。
触れた瞬間、頭の中に膨大なノイズが流れ込んだ。
都市。
迷宮。
祈る人々。
崩れる空。
白い声。
誰かの命令。
――人類を保存せよ。
俺は奥歯を噛みしめた。
「保存じゃない」
手のひらに魔力を込める。
俺の《修復》は、派手なスキルじゃない。
剣士のように敵を斬れない。
魔術師のように炎も出せない。
でも、壊れた場所だけは見える。
壊れた理由も。
まだ繋げられる線も。
「人間は、保存するもんじゃない」
俺は、割れた光輪をなぞった。
「生きるもんだろ」
光輪が、音もなく繋がった。
ニアの両目に、青い光が灯る。
礼拝堂全体が震えた。
【うわ光った】
【修復成功?】
【晶くん何した】
【端末やばい】
【通知来た】
【全探索者通知!?】
胸元の配信端末が、甲高い音を立てた。
同時に、地上にいる全探索者の端末、ギルドの大型モニター、配信サイトの警告欄、街頭ビジョンに、同じ文字が表示される。
《神託補助ユニットNIA-00、再起動》
《世界修復権限を譲渡しました》
《所有者:黒瀬晶》
「……は?」
俺の声は、礼拝堂にひどく間抜けに響いた。
ニアが棺の中から身体を起こす。
まだ動きはぎこちない。
けれど、その目はまっすぐ俺を見ていた。
「所有者、黒瀬晶」
「待て。所有者ってなんだ。俺は君を物扱いする気はない」
「訂正します」
ニアは少しだけ首を傾けた。
「修復者、黒瀬晶」
その言い方が妙に人間くさくて、俺は返事に詰まった。
だが、次の通知が、すべてを凍らせた。
《修復対象:東京第七迷宮》
《崩壊まで、残り七十二時間》
《第一次崩落予測地点:地上新宿区》
コメント欄が沈黙する。
九十九階の礼拝堂で、ニアの割れた光輪が静かに回った。
そして、最後の通知が表示された。
《上位神託AI、異常修復者を検出》
《削除対象:黒瀬晶、NIA-00》
ニアが俺を見上げる。
「修復者。逃走を推奨します」
「何から?」
その問いに答えるように、礼拝堂の天井で、青い光が一つ消えた。
次に聞こえたのは、足音だった。
人間のものではない。




