第11話「舞台の上、きみからのアドリブ」
体育館の舞台袖は、独特の熱気と緊張感に包まれていた。これから始まるクラス劇『星降る夜のソナタ』の開演を前に、衣装を身につけたクラスメイトたちが、そわそわと落ち着かない様子で行き来している。
私は、脚本家兼裏方の照明係として、舞台の端にある調光卓の前に座っていた。ここからなら、舞台全体と、客席の様子がよく見える。
客席は、すでに満員だった。私たちの劇の噂が広まったのか、他のクラスの生徒だけでなく、先生や保護者の姿も見える。
『大丈夫。きっと、うまくいく』
自分に言い聞かせるように、ぎゅっと拳を握りしめる。心臓は、破裂しそうなくらい高鳴っていた。
やがて、客席の照明が落ち、舞台袖の空気は張り詰め、その緊張は最高潮に達する。
ブザーが鳴り、ゆっくりと幕が上がった。
私の書いた物語が、今、始まる。
舞台の上では、クラスメイトたちが、私が想像していた以上に、生き生きと役を演じてくれていた。孤独な星の王女、彼女に寄り添う天文学者の青年。二人の出会い、心の交流、そして避けられない別れ。
照明を操作しながら、私は自分の書いた台詞の一つ一つを噛み締めていた。それは、紛れもなく、私の心の叫びだった。孤独だった私の、誰かと繋がりたいという切実な願いが、物語の中に込められていた。
観客は、静まり返って舞台に見入っていた。時々、鼻をすする音も聞こえてくる。私の物語が、ちゃんと、人の心に届いている。その事実が、胸を熱くした。
物語は、クライマックスへと向かう。
王女が、自分の星へと帰らなければならない時が来た。青年は、彼女を引き留めたいと願いながらも、彼女の幸せを思って、笑顔で送り出すことを決意する。
舞台の上には、青年役の橘くんと、王女役の女子生徒が二人きり。
「君と出会えて、僕は幸せだった。この星の片隅で、君のことを、ずっと想っている」
橘くんの、切ない声が響く。それは、台本にある台詞だ。
王女が、涙をこらえて答える。
「私もよ。あなたのことは、決して忘れないわ。遠い星から、あなたの幸せを、ずっと祈っている」
これも、台本通りの台詞。
そして、王女は青年に背を向けて、宇宙船へと歩き出す。ここで、舞台は暗転し、物語は幕を閉じるはずだった。
その時だった。
「――待って!」
橘くんが、叫んだ。
それは、台本にはない台詞だった。
王女役の女子生徒が、驚いて振り返る。私も、照明を落とす手を止めて、固唾をのんで彼を見つめた。客席も、ざわめいている。
アドリブだ。
橘くんは、ゆっくりと王女に歩み寄ると、彼女の、というよりも、舞台袖の、その奥にいる私にまっすぐ視線を向けて、言った。
「俺は、君がいなければ、意味がない」
体育館中が、しんと静まり返る。
「君がいない世界で、幸せになんてなれるはずがない。遠い星から祈ってくれるだけじゃ嫌だ。俺は、君の隣で、君と一緒に、幸せになりたい」
彼の瞳は、真剣そのものだった。それはもう、天文学者の青年の言葉ではなかった。橘慶一郎くん自身の、心の叫びだった。
「周りの目なんて、もうどうでもいい。誰にどう思われたって構わない。俺は、君が好きなんだ。だから……俺の隣に、いてくれませんか」
それは、紛れもない、告白だった。
舞台の上の物語と、現実の私たちの物語が、重なり合う。
客席から、誰かの「きゃー!」という悲鳴が上がり、それを皮切りに、割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こった。
王女役の女子生徒は、顔を真っ赤にして、ただ立ち尽くしている。
私は、照明卓の前で、動けずにいた。全身の血液が沸騰しそうなくらい熱い。
橘くんが、私を見ている。大勢の観客の前で、たった一人、私だけを。
舞台袖にいたクラスメイトたちが、私の背中をぽん、と押した。
「行けよ、山崎!」
「主役の登場だぜ!」
みんなが、にやにやと笑っている。
私は、震える足で、一歩、また一歩と、光の中へ踏み出した。
舞台の上で、橘くんが、私に向かって手を差し伸べている。
その手を取った瞬間、体育館は、この日一番の歓声に包まれた。
幕が下りる。
でも、私たちの物語は、まだ始まったばかりだ。




