描く明日は蜃気楼のように
直角に曲がる道がある。
ブロック塀に囲まれ、90度に折れ曲がった細い路地は、僕たちの間では「肘関節」と呼ばれていた。
その肘関節を曲がった突き当りに、真っ黒な煙を立ち昇らせる長い長い煙突があった。
「松乃湯」という屋号の銭湯は、この街唯一の銭湯だ。
特別なものはないけど、入口にある立派な「破風」とくたびれた暖簾は、街の人々を温かく出迎えてくれた。
番台に小銭を置いて脱衣かごに一日の疲れを吸い込んだ衣服を投げ入れる。
タオル一枚片手に浴場の引き戸をカラリと開けると、僕の好きな匂いが鼻腔を刺激した。
奥に地平線が見える。
白いタイルの壁に描かれたアーチ状の線。
上半分が白、下半分は半円を描くような形で土色になっている。
右上には赤い太陽が描かれていた。
番台のおじいさんに一度聞いたことがある、どこまでも続く地平線を模して、先代が職人に頼んで描いてくれたとのことだ。
地平線を背に、熱い風呂でため息をつくのが至福だった。
この街に来て5年が経った頃だろうか。
肘関節を曲がると、10代の女の子とすれ違うようになった。
田舎から上京してきた子らしい。
僕たちが行く時間にはすでに入浴済みらしく、いつもすれ違いになった。
声をかけたのはどちらからだっただろうか。
思い出せないが、いつも顔を合わせるので、挨拶がてら軽く会話をするようになった。
この街に来て7年が経った頃だろうか。
肘関節を曲がると、いつもすれ違っていた女の子の顔を見なくなった。
毎回顔を合わせていたので、いないのが不思議だった。
松乃湯の暖簾は、いつもと変わらず僕らを温かく出迎えてくれた。
この街に来て10年が経った頃だろうか。
肘関節を曲がると、女の子がいた。
女の子は少し大人になっていた。
女の子にどうしたのか聞くと、僕に奥さんはどうしたのかと聞いてきた。
ああ…そうか。
僕たちはもう僕たちではなかったんだった。
僕は肘関節の塀の角に備えてある献花を指さした。
自転車との衝突事故だった。
打ちどころが悪かったようで、彼女は病院に運ばれて間もなく帰らぬ人となった。
彼女とその日喧嘩した。
怒って家を出た彼女が向かった先がここだというのを電話で知った。
不思議と悲しくはなかった。
僕は花が添えてある瓶に新しい花をさした。
すると彼女も同じことをしてきた。
彼女は3年前に友達をここで亡くしていた。
通り魔の犯行だった。
犯人は捕まったけど、女の子はここに来るのが怖くなっていた。
けど、3年ぶりに足を運んだらしい。
僕の持つ小さな風呂桶に入った小さな石鹸がカタリと音を立てた。
僕は女の子にもう行くよと声をかけた。
今日も松乃湯の暖簾をくぐる。
特別なものはないけど、入口にある立派な破風とくたびれた暖簾は、街の人々を温かく出迎えてくれた。
何も考えずに思い浮かべたことを書きたくて書きました。
物語ってわけでもないので、セリフはなしです。