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Wolfs Bane  作者: 天秤屋
8/20

白い犬の話

 サンゴは白い犬たちに囲まれ、指折り誕生日までを数えていた。

「あと七日したら、すべてが叶う」

 痩せぎすの二頭の犬の頭を抱え、サンゴはそれぞれの舌に指先で触れた。二頭の舌に、太陽と月の紋様が浮かび上がる。

「お前たちにも待ち遠しいだろう」

 白い犬たちは力なく尾を振った。



 小さな村の長の家では、シラバルと、長身の騎士がにらみ合っていた。彫りの深い顔に影を落とす騎士の威圧に、シラバルは一歩も退かない。

「後から来た者に追い抜かれるのは納得がいきませんな」

 見守る村人やバーツの前で、騎士は小さくため息をついた。

「我々としても、引き続きオオカミの確保はシラバル卿にお任せしたい」

 騎士の視線を受け、すかさず従者が書状を広げてみせた。書状にはサンゴ王子の署名があった。

「これより西の崖で我々は使命を果たします。シラバル卿にはご迷惑をおかけすることの無いよう、あらかじめご挨拶に伺った次第です」

 深々と一礼する騎士に倣い、少数精鋭の配下たちが片膝をつく。シラバルは威厳をたもって胸をはり、よろしい、とだけ答えた。

 いかめしい一団が去ると、バーツがシラバルの顔色をうかがった。

「サンゴ王子のお考えが、ますます解らなくなって参りました」

「とにかくオオカミを生け捕りにするのだ。それで、我々の人生は上手くいく」

 シラバルは鼻息荒く、負傷した兵士たちを激励した。

「お前たち、よくやってくれた! 後は四方から火をかけ、猟犬によって例の場所へ追いこむだけだ。立ち上がれる者はわしに続け!」

 幾人かの兵士がよろよろと立ち上がり、敬礼した。シラバルは顔を赤くして頷いた。

(奴隷上がりの騎士になど、負けていられるか)



 湖にたどりついたジャックは、ティーダの負傷を嘆いていた。

「俺が残っていれば、少しは」

「この俺がいての体たらくだ。貴様など毛ほどの役にも立たん」

 慰めているのか、けなしているのかわからないレギアは、かたくなにクラウドを直視しようとしない。

 洞窟からロブローの声がした。

「ティーダが目を覚ましたぜ」

 暗い洞窟の中ほどで、ティーダはロブローの抜け毛とウンベラータの葉を敷き詰めたベッドに横たわっていた。心配そうに覗きこむオオカミたちに、ティーダは眉をハの字にして微笑んだ。

「ごめんなさい」

 謝ることはないと言う代わりに、レギアはかいがいしくティーダの顔や体を舐めた。

 ジャックはそわそわと落ちつかない。

「リスやフクロウが言うには、奴ら、今日にも森に火を放つそうだぜ」

「だけどよ、今ティーダを動かすわけにはいかねえ」

 ロブローは薬草とウサギ肉のかゆをティーダに差し出す。その隣で、レギアは牙を剥いてうなった。

「やることは決まっている」

「人間どもを皆殺しか? 奴らの鉄の武器は俺たちに効くんだ。無謀すぎる」

 ジャックが止めると、レギアは腹いせのように吼えた。ティーダがそっとなだめる。

「レギア、ここにいて」

 その願いを無碍にはできない。レギアはうなだれ、ティーダのそばに伏せた。レギアを御すことができる者は、ティーダをおいて他にいない。

 やれやれと首を振るジャックに、クラウドが頷いた。

「私がここにいる限り、猟犬たちに手出しはさせません」

 レギアが鼻面にしわを寄せる。いかにも「猟犬どもと通じているのか」と言いたげだが、何も言えずに怒りをおさめた。

 ジャックとロブローがきょとんとしていると、クラウドは静かに笑んだ。


 西の空は青い影と茜色の美しいグラデーションに染まっていた。

「相入れないはずのものが時に見せる調和は、何よりも美しいとは思いませんか」

 風に毛並みを遊ばせながら、クラウドはジャックとともに空を、もしかするともっと遠くを眺めていた。ジャックは首を傾げる。

「よくわかんねえなあ。そんなにハッキリと色が見えるわけでもないし」

 ちら、とジャックはクラウドの毛並みを見た。この輝くような白だけは、どこにあってもはっきりと浮かび上がる。

 クラウドはジャックに視線を移した。不意に目が合う。

「私たちの祖先は、白と黒しか判らなかったそうです。ジャック、君の暗灰色はその世界から抜けだしてきたようだ。君を見ていると、知るはずのない遠く昔の記憶が呼び起こされるような心地がします」

「あー、それは……良いことか?」

「ええ」

 クラウドは嬉しそうに笑み、また空へと視線を戻した。



 一方で、招かれざる客は刻一刻と獲物に迫っていた。

「コッチ! コッチだぜ!」

 ドーイはぴょんぴょん跳ねながら先導する。小さな体は地面に近いぶん鼻が利き、枝葉を避けて、たくみに下生えのなかを走っていく。その素早い背中にコスモスが声をかけた。

「少しスピードを落として、ドーイ。グラヴィを置いてきているわ。ちょっと興奮しすぎよ」

 コスモスの後ろにウェインとアッシュ、グラヴィが続く。ウェインは一声吼えた。

「必ず仕留めるぞ!」


 森の入り口には、シラバルとバーツの姿があった。

「犬の退路はしっかり確保されているのですね?」

「再三言った通りだ。お前の猟犬が使えなくなるのは、わしにとっても大きな痛手だからな」

 シラバルは虫を追い払うように手を振り、天に向かって銃を撃った。銃声を合図に、兵士たちが方々で火を放つ。シラバルは立ち上る黒い煙を見止め、にやりと口角を上げた。

「クジラの油脂とザリアンタールを混ぜた特性の着火剤だ。燃やすものが無くなろうと燃え続ける」

 シラバルには出世の野望の他にも、何としてでもオオカミを持ち帰らねばならない理由があった。

(手ぶらで戻ってみろ、わしの首など、モルゲンシュタイン(あのイタチ)にとって羽よりも軽いのだ)



 猟犬たちは煙にまかれる前に、湖に到達した。彼らは血の臭気に顔をしかめながら、洞窟に向かう。

 ドーイは得意げに跳ねた。

「ここだ! 間違いないぜ!」

 しかしその浮かれ顔も長くは続かない。洞窟の暗がりからゆっくりと姿を現した白い犬を前に、猟犬たちは反射のように伏せた。ドーイは飛び上がってグラヴィの後ろに隠れる。ウェインが顔を伏したまま言った。

「これは、高貴なお方! こちらにいらっしゃるとは思いがけず……」

 焦る猟犬たちに、クラウドは無表情で命じた。

「立ち去りなさい。火の手がまわればお前たちも逃げ場はない。オオカミはここにはいませんよ」

 高貴なお方が黒を白だと言えば、それは白だ。猟犬ごときが口を挟めるものか、とウェインは悔しそうに鼻面にしわを寄せて吼えた。

「ご無礼をお赦しください!」

 ウェインが身をひるがえして駆け出すと、猟犬たちはいっせいに続いた。その後ろ姿を見送ってから、クラウドは洞窟に引き返した。

 あっけにとられるジャックに、いぶかしげなロブローに、警戒するレギアに、不安そうなティーダに、クラウドは目を伏せて語る。

「私は大神(おおかみ)、あなたがたが云うところの、レグナムブレスの骨から造られた。神を復活させるための身勝手な依り代です」

 レギアが牙を剥く前に、ジャックが尋ねた。

「どういうことだ?」

 クラウドは白銀のまつげを涼し気な水面にかけて続けた。

「この世には魔女がいて、その魂を宿した王子がいる。彼はかつての怪物を呼び覚まそうと、怪物の骨から白い犬を造った。私たちは怪物の力や意思を継ぐもの。やがてこの世を黄昏戦争(ラグナロク)に陥れる……破壊こそが魔女の目的なのです」

「さっぱりわからん」

 ロブローは目を白黒させた。レギアも、とっくにクラウドに食いついて良い頃だが、立ち向かえずに戸惑っている。

 暗灰色の体を揺らしてジャックが呟いた。

「怪物ってのは、大神レグナムブレスのことか」

「ええ、殆どの人間はこう呼びます。貪食のフェンリル、と」



 猟犬はひた走る。ウェインはチームを先導し、ジャックのねぐらへと向かっていた。誰もが動揺を隠せない。ドーイが飛び跳ねながら言った。

「どうすんだよぅ、リーダぁ」

「どうもこうもない。ただ、高貴なお方が絡んでいることは伝えなければ」

 大木の切り株に潜りこみ、ウェインはクラウドの口輪を咥えた。再び、猟犬たちは矢のように主のもとへ向かっていった。

 犬のあいだでも、親は仔によく教えるものだ。白い犬は自然にはいない、あの毛並みこそが王家の一員たる証。高貴なお方は、犬にも人間にも犬とは呼ばれない。

 コスモスが悲しそうに鼻を鳴らした。

「ダッドはきっと悲しむわ」



 洞窟には静寂が満ち、時折クラウドの声だけが反響する。

「私にはきょうだいがいて、フェンリルの仕業をそれぞれ担っています。太陽と月をこの世から奪う役割、首を切り落とされることで止まらない血の洪水を起こす役割。彼らの覚醒の鍵は、フェンリルの魂を受け継いだこの私」

 だから、とクラウドは続けた。

「私は、私を唯一傷つけることのできるあなたに殺されるため、この森にたどり着いたのです。ジャック」

 美しい水面の青がまっすぐにジャックを見つめた。たじろぐジャックをおし退け、レギアが唸りながら間に立った。

「貴様らの勝手でこの森に争いを持ちこんだな」

「このようなことになって……お詫びとして、まずこの森を焼けただれる以前のように戻すお手伝いをさせていただけませんか」

 一同はきょとんとしてクラウドを見つめた。ロブローがかすれた声で言う。

「あるのか、そんな方法が」

 森はひどい有り様だ。木々は余すところなく焼け、下生えはいまだ火が爆ぜている。黒い煙に覆いつくされた森のなかで、小さな住民たちははたして生きているのかどうか。油と敵意と血で汚れきった原初の森を、あの平和で清らかだった頃にどう戻すというのだろう。

 しかし、クラウドはしっかりと頷いた。

「王都に行けば方法が見つかるはず……」

「信用できん。貴様も、魔女も、人間も」

 レギアが噛みつくような勢いでクラウドを遮った。

「この森に人間も、人間の作った薄汚い獣も必要ない」

 睨みすえてクラウドに立ち向かうレギアの四肢は、わずかに震えていた。

「あなたがたを守るために必要な手立てです。森の加護はとうに消えています。であればこそ、人間や犬が好き勝手に森を蹂躙した今があるのです」

「なぜそんなことが貴様にわかる」

「迂闊でした。私がこの地を踏んだ時、フェンリル――レグナムブレスの魂を揺り起こしてしまったのでしょう。逃げてきたはずが、主の望みを叶える形となってしまいました」

 レギアは大鴉の声を上げ、クラウドに飛びかかった。

「レギア!」「レギアやめろ!」

「やめて!」

 ジャック、ロブロー、ティーダが同時に叫ぶ。しかしレギアは躊躇なく理性を振り払い、クラウドの首に深々と牙を突き立てた。鈍い音がして、純白の雪毛が赤く染まっていく。

「クラウド!」

 ジャックが牙を剥いた瞬間、レギアは岩壁に向かって叩きつけられる寸前で、四肢でしっかりと岩壁をとらえた。

「やめてレギア!」

 ティーダは無理にも立ち上がり、クラウドに歩み寄ろうとしてつまづいた。慌ててロブローがクッションになる。

「やめて」

 レギアは牙についた血を吐きだし、ティーダの行く手を阻んだ。

「お前こそやめろ、ティーダ。その体で力を使うことは許さん」

「おい、いい加減にしろよレギア! クラウドのやつは俺たちのために……ジャック、クラウドはどうだ?」

 倒れ伏したクラウドのにおいを嗅いでいたジャックは飛び退った。クラウドはゆっくりとまばたきしていた。血染めの首から奇妙な音がして、ため息が漏れる。

「あなたに私は殺せない。私を殺せるのはジャック、あなただけです」

「なんで俺が」

 すべてが圧し黙った後、クラウドは優しい声で言った。

「ジャック、今はまずこの森を癒すために力を貸してください。私とともに王都へ行ってはくれませんか」

 はぐれオオカミだったジャックは人間や外の世界に詳しい。そのうえ、いざとなればクラウドを見限って殺すこともできるという提案だった。

 レギアは低く唸り、ジャックを一瞥した。

「この臆病者を信用はできないが……」

 ロブローが首を振った。

「お前さんや俺が森を離れるわけにはいかんだろ。ジャック、頼んでいいか」

 皆の視線がジャックに集まる。ジャックはその場を少しうろうろしてから頷いた。クラウドは嬉しそうに微笑んだ。これから先、自分を殺すことになるかもしれない相手へ。

「では行きましょう、王都へ」

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