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Wolfs Bane  作者: 天秤屋
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王子と狩り猟(あさ)る者の話

「死ぬためだって?」

 驚くジャックに、クラウドは静かに答えた。

「この脚の傷は癒えることなく私を苛む……狩られたオオカミの牙でつけられた傷です。オオカミの毒を受けた獣はなべて命を失う、ですが私は」

 クラウドはうなだれ、ジャックに首を差し出すような格好になった。

「銃で撃たれようと、刃物で切られようと、噛み砕かれようと……死ぬことがないのです。唯一、癒えなかった、オオカミのつけた傷だけが私の希望です」

「死なない……それが本当だとして、あんな真似はもう二度とするな」

 ジャックはクラウドの顎下に首を入れ、ぐい、と顔を上げさせた。

「俺の勝手だとしても、せっかく存えた命をないがしろにしないでくれ」

「どうして君はそこまで、私を思ってくれるのですか?」

「思う……とかはよくわかんねえけど、助けたやつが死にたいなんて言ったら、良い気分がしないだけだ」

 ジャックの脳裡に、あの痛々しい遠吠えがこだました。傷つき倒れ、か細い声で呼び求めていた救いとは、オオカミがもたらす死であったというのか。

(でも、呼ばれたのは俺だ)

 後ろを向いて丸くなったジャックの背中に、(ぬく)い背中が重なった。

「私がどんな者であるか、君は知らない。それでも君が私を助け、生きろと言ってくれるなら……そうしてみようと、心から思えます」



 王都には豪奢な王の城がそびえているが、そこから少し離れた山のふもとにも、ひけをとらぬほど立派な城が建っていた。白亜のその城は「象牙城」と呼ばれ、城じゅうに誰も見たことのない美しい宝石をちりばめてあった。そのすばらしい象牙城は、たった一人の王子のためにつくられた。

 象牙城下町の人々はほとんど貴族や議員などで、その城下町に住まうことを勲章のように誇っていた。

 王の城には百人のお妃と、九十九人の王子や王女たちがいるが、象牙城も人で溢れかえる。百人の貴族の娘たち、百人の料理人、百人の召使い、百人の掃除婦、百人の大臣、百人の踊り子、百人の奴隷、百人の家畜番、百人の将軍、百人の近衛兵、百人の研究者……彼らは皆、たった一人の王子に仕えていた。

 サンジュスト王家の末子、サンゴルゴナ。真名を呼ぶことは畏れ多いと通称で呼ばれる「サンゴ王子」は、小さな頃から何でも手に入った。九十九人の王子や王女たちをおしのけて、サンゴは父王からの寵愛をひとりじめにしていた。

 はじめに城を、次に使用人達を、結婚の候補者たちを、軍隊を、王は次々に与えた。そしてとうとう、サンゴが十五歳になった暁には、正式に第一王位継承者とすると決めたのだった。

 当然やっかみも大いに受けたが、父王が配した文武それぞれの精鋭たちがサンゴを守っているので、誰も文句を言うことができなかった。

 そのサンゴにもただひとつ、手に入らないものがあった。

「もうすぐ会えるよ、ね」

 サンゴは象牙城の広い中庭に設けた研究施設で、白い犬たちの頭をなでていた。犬たちは揃いの口輪をつけて、じっとサンゴに寄り添っている。

「クラウド……もう少しだったのに、どこに行ってしまったのだろう。今ごろ口輪が外れなくて、ひもじい思いをしているだろうか」

 サンゴは腰の短剣をなでた。犬たちに緊張が走る。サンゴは微笑み、短剣から手を離した。

「傷つけたりしないよ。君たちにちゃんとオオカミの毒への耐性があることはクラウドで実証した。欲を言えば、オオカミがつけた傷も癒えるように改良したかったけれど……もう、時間がない」

 白い犬に囲まれ、サンゴは夜半の月を眺めた。

「お前たち、私の誕生日には、きっと務めを果たしておくれ」


 象牙城の城下町でも、人々は我先にとオオカミ狩りの準備を進めていた。狩り(あさ)る者たちは歌うようにとなえた。

「オオカミさえ差し出せば、サンゴ様は見たこともない微笑みで褒美を取らすに違いない」

「銃を持て! やつらを仕留めろ!」

「罠を施せ! やつらを捕らえろ!」

「火をつけろ! やつらを(いぶ)りだせ!」

「放て、放て! 猟犬を森へ、やつらを狩れ!」



 長の家でのびているシラバルのもとへ、雇い主から電話があった。相変わらず、ウィーズルは電話の向こうでワインを嗜んでいるようだった。

「まさか、これに懲りて降りるなどと言いますまいな」

「ここまで出資していただいたのだ、結果は出しますとも」

 シラバルは額に乗せた手ぬぐいを持ち上げ、そばのタライに落とした。

「急がれた方が良い。そちらへ、他の手の者もそろそろ到着するでしょう。なかなか厄介な猟犬をお持ちのお偉方がいてね」

 ワインを注ぐ音が嫌味に聞こえた。

「小隊では心許ないので、一個中隊をそちらへ向かわせました。だが、厄介な犬どもの方が先に行きそうです。ご武運を、シラバル卿」

 受話器を置いて、シラバルはむっとした顔で寝返りをうった。



 翌朝、ジャックはクラウドに野ウサギをとってきた、と言った。地面に引きずりそうな大物だったと言いながら、彼は何も咥えていない。

「まさか……ジャック、できればその、あまりそれは」

「ロブローも、いつも都合よく一匹でふらふらしてるわけじゃないからな。臭み消しにいろいろ食べたんだ、目でもつぶって味見してみろって」

「嫌というわけではないんです。君の負担が……それに、せっかく君が食べたものを横取りするようで気が引けます」

「俺は良いんだよ。皆こうやって育ってきたし」

 クラウドは首を傾げた。

「そう、なのですか?」

「小さい頃は、群れの成獣がとってきた獲物をこうやって分けてもらうんだ。俺も群れにいた頃は……」

 ジャックは急に失速し、少しのあいだうつむいて黙っていた。

「ジャック」

「慣れっこってこと。よいしょ」

 なかば強引にクラウドの鼻面を咥えて、ジャックは食事を与えた。

「う、血のにおいが」

「まだダメか……俺もたき火を起こせりゃいいんだが」

「いえ、だいぶましですよ。ジャック、君がいろいろ食べてくれたおかげで……それに私も、慣れておかないと」

 クラウドは目を伏した。透きとおる青い水面が、白い枝葉のかげで揺らめいていた。クラウドはジャックに向き直り、吹きだした。

「どうしたんです、ジャック。それは草の種ですか?」

 ジャックは体中に草に実をくっつけていた。

「ああ、こんなのは放っておけばそのうちとれるさ……ところでクラウド、お前の言葉が人間にも通じたのはどういう……」

 言いかけたところで、背後に鋭い気配を感じ、ジャックは背中を丸めた。リスたちの空気よりも軽い口が、とうとうレギアを呼び寄せてしまったのだ。

 巣穴のなかを覗かれる前に、ジャックはレギアの前に進み出た。

「ジャック、家畜が忍びこんでいるらしいな」

 レギアは静かだが、視線だけでジャックを射殺せそうな剣幕だった。

「猟犬のことだろ?」

「忌々しいにおいがいつまでも貴様から離れないのは、どういうわけだ」

「猟犬にやられた傷だろ?」

 グル、とレギアが軽く唸ると、ジャックは尻尾を丸めて耳を伏せた。それでもジャックは退かない。

「よそ者が嫌いな気持ちはわかる。あんたにとっちゃ、猟犬も俺も似たようなもんだろうから」

「では、よそ者の流儀に倣え。ニル湖に連れてこい。話はそれからだ」

 レギアが去った後、ジャックはしゅんとしてクラウドの元に戻ってきた。

「あ~ 公開処刑にだけはならないように、頑張る」

「申し訳ない。私を助けたばかりに……」

「気にするな、レギアとはずっとこんな感じだ。レギアには誰も逆らえない……あいつの感情が一番強いから」

「感情……」

 クラウドはまた首を傾げたが、ジャックがそれ以上語ることはなかった。


 オオカミたちの集会場、ニル湖。木々はつい先日から紅葉を初め、静かな湖面に鏡映しとなった秋の風情が絶景だった。

「ありがとうございます、ジャック」

 クラウドはジャックの背に負われていた。道中、ジャックの一見ぼさぼさとした毛並みが、風に吹かれると野の若草のようになびくさまを、クラウドは飽きずに眺めていた。

 大樹に絡みつく蔦、朽ちた果肉、青々とした草花のにおい。ジャックのにおいは森そのもののにおいだ、とクラウドは思った。

 ふと、自分の体にも同じ草の種がついているのを見つけて、クラウドは嬉しそうに笑んだ。

 不意に、空気が研ぎ澄まされ、ジャックが及び腰になると、段になった岩の頂上にレギアが現れた。二段下には、ティーダとロブローも控えている。

「では、犬。なぜこの森に入ったか話してもらおう」

 クラウドはそっと下ろされ、上品に伏せて顔を上げた。上向きになると、陽の光が純白の毛並みに反射して、川のように光った。澄んだ青い目を見たレギアは、わずかに脚を震わせ、クラウドに倣って伏せた。

「私はただ、生きてみたかったのです。そして死んでみたかった……」

 クラウドは話した。オオカミの持つ毒でのみ己を殺せること、すべての生き物の言葉を話せること。しかし、どこで生まれ、どのように育ったかは語らなかった。

「ずっと箱のなかに囚われていることが、自分自身を生きられないことが苦痛でした。この森には、あなた方の嫌っている侵入者たちの荷にまぎれて来ました。きっと私を殺せる者がいるだろうと」

「死にたがりとは気味の悪い犬だ」

 レギアは吐き捨てたが、明らかに動揺していた。クラウドを直視することがためらわれるような、これ以上話すこともしたくないような、奇妙な態度だ。

「ジャック」

 腹いせのように、レギアはジャックをにらんだ。

「犬から目を離すな、片時もだ」

「わ、わかった」

 レギアは逃げるようにその場を去ってしまったが、ティーダとロブローは懐っこく近寄ってきた。

「きれいな毛並みね。まるで光の川みたいだわ」

「雪とか雲とかみてえに真っ白だな。目は空みたいだ」

 好きににおいを嗅がせているクラウドに、ジャックが二匹を紹介した。

「こっちはティーダ、こっちがロブロー」

 礼儀正しく一礼するクラウドを見つめ、ロブローは合点がいった。

「ああ、焼いた肉はこいつのためだったのか」

「ご明察。もうレギアにも顔見せが澄んだことだし、これからは焼き肉担当として頑張ってくれよ」

「そのくらいならお安い御用だ」

「ご迷惑ではありませんか? ロブローさん」

 尋ねられたロブローは、ぶるっと体を震わせた。

「ロブローさん、だって! こいつは育ちが違うなあ! なあ、ジャック」

「何で俺に言うんだよお」

 しばし歓談して、クラウドはジャックを呼んだ。

「すみません。楽しくて、少しお喋りをしすぎたようです」

 ジャックは慣れた動きでクラウドの下に潜りこみ、ひょいと背負い上げた。

「疲れちまったみたいだ。まだ体力も戻ってないんだろう」

「あら、じゃあこれからは私たちもプレゼントを届けるわよ」

「おう、群れは助け合いだからな」

 クラウドは寝かせていた耳を起こした。

「群れ……私も加えていただけるのですか?」

「もちろん! レギアも許したでしょう?」

 ティーダの輝く笑顔に、クラウドは負けないほど輝く笑顔を返した。

「とても光栄です。ああ、生きていて良かったとこんなにも思う日があるなんて……ありがとうございます」

 いたく感動したクラウドを背負って、ジャックは慣れた道を歩きはじめた。

「これであいつら、うるさいくらい俺のねぐらを訪ねてくるぞ……寝たっていいんだぜ、クラウド」

「はい、少し眠ります」

 しばらくして、背中のクラウドがぐんと重くなった。無防備に眠ったクラウドを背負いながら、ジャックは考えを巡らせる。

 クラウドは人間のもとから自分の意志で逃げてきた。衣食住には困らなくても、よほどの理由があったのだろう。整えた形跡のある毛先、赤いなめし革の口輪と首輪、金の鑑札。さほど汚れていなかった爪、短く整えられ存在意義を失った狼爪。礼儀正しさ。ひどい扱いを受けていたようには見えない。

 強いて言うならば、オオカミの牙でつけられたという傷。

(こいつの飼い主だろうか。何だってそんなことをしたんだ?)

 わからない。

 塞ぎこんだジャックの前に、リスが走ってきた。

「あっ このお喋りめ」

「ジャック、ジャック! また森にイヌがはいってきたよ!」

「何だって?」

 背中の大事な荷物をどうしようか。ジャックは頭を抱えた。

「レギアたちにも伝えてくれ!」

 小さな広報担当に頼んで、ジャックは脚を急がせた。ねぐらには帰れない。知られてしまっている。

(おまけにあの男、クラウドまでオオカミだと勘違いしてるしな)

 蔦の群生地を避け、段差を避け、森の入り口から遠ざかろうとする。その脚は奇しくも、クラウドと出逢った場所に向かっていた。



 森がいつになく騒がしい。

 レギアは森の入り口から広がってくる異臭にいち早く気づき、駆け出していた。その爪は地面を抉り、呼気は草花を分け、レギアのための道ができあがっていく。

 黒い瞳に揺らめく赤い光を見て、レギアは憤怒した。

「一匹たりとも生かして帰すか!」

 急速に広がる炎のなかに、レギアは突っこんだ。


 一方、ティーダはロブローとともに森の北端へ向かっていた。

「こいつは火に間違いないが、ひどいにおいだ。ジャックのねぐらは周りに燃えるもんがねえ。そこに行けば安全だ」

「ジャックたち、火事に気がついているかしら」

 案じるティーダの耳が、左右にぱたぱたと動く。

「……火事だけじゃない。ロブロー、走って! 犬がくる!」

 二頭が駆け出した時、すでに猟犬たちは間近に迫っていた。煙で鼻が利かないのはお互いさまだが、見つけたからには獲物を逃さないのが猟犬の務めだ。

 コスモスはグラヴィをふり返らずに言った。

「見つけた! 追うわよ!」

「わしは大きいほうを追う!」

 とっさに二手に分かれたティーダとロブローを、猟犬も分かれて追った。

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