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Wolfs Bane  作者: 天秤屋
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王国の話

 海を抱くように腕をひろげる大陸は、ゴンド族の(ゴンドワナ)と呼ばれた。広大な大陸ゴンドワナには、砂漠、密林、湿地帯、渓谷、火山、雪山、森林……思いつくかぎりの気候と地形がそろっている。

 あらゆる土地にそれぞれ国が興り、彼らは己の持たぬ新しい冨を求めてやまなかった。他国を攻め滅ぼし、我が物にし、小さな国々は少しずつ肥大化していった。

 大陸の中心にかまえる大国、神聖で公平なる(サンジュスト)もまた、日々を他国との小競り合いに費やしていた。

 ――正確にいえば、正々堂々と大国サンジュストと刃を交える国はない。小国どうしが、サンジュストと、大国を攻め滅ぼしたい国との代理戦争をくり返しているのであった。

 今、盤石たるサンジュスト王の関心は戦争になく、跡継ぎとなる王子のご機嫌取りに向けられている。十五歳の誕生日を迎える王子のために、サンジュスト王は王侯貴族たちに言った。

「王子に満足のいく贈り物をしてくれたなら、そのすばらしさに応じて地位と冨とを授けよう」

 貴族たちは色めき立ち、次々に贈り物の準備にかかった。気難しく変わり者の王子の望みを探って、間者は主に告げた。

「王子は、オオカミをご所望のようです」

 とうに滅びたという伝説の獣が、どこに生き残っているのか。貴族たちは血眼になって探した。彼らはオオカミを探しながら考えた。

「獣をご所望というのはどういうことだろう」

「剥製をお望みなのだろうか」

「毛皮をお望みなのだろうか」

「肉をお望みなのかもしれない」

「いいや、生け捕りにして飼い慣らし、さらなる畏敬をお求めになるのでは」

「それ以上わからないのだから、生け捕りにすれば間違いないであろう」

 軍部との繋がりが深かったシラバルは、陸軍大佐ウィーズル=フォン=モルゲンシュタイン辺境伯と手を組み、早々にレヴァンネンダールにたどり着いた。

 ウィーズルは小隊と路銀とをシラバルに預けて言った。

「急がれるが良い。東の果ては遠いこともあるが、領主も配属されない少領ゆえ、いつ他国に奪われても不思議はない。王子の祝賀会までにその獣を生け捕りにして帰るのは骨ですよ」

 シラバルは口ひげを撫でて頷いた。

「ウィーズル殿のはからいに、充分に報いましょう」


 祝賀の雰囲気は城下町にも届き、上流階級の国民たちは身も心も春の風に吹かれたように浮かれていた。

「何でも、王子さまにすばらしい贈り物をすることができれば、どんな望みも叶えてもらえるとか」

 噂話は、街角のくず入れにもたれた淋しい男にも、雑貨屋の軒先にとまった鳥を追う少女にも、祭事の道具を手入れする職人の耳にも届いた。

 愉快な遊戯と思う者、出世の機会を狙う者、忠誠を誓った者、狂おしいほどの願望に突き動かされる者、さまざまな欲望がサンジュストに渦巻いていた。



「たちの悪い伝染病のように、噂は人々の心を冒した。私もその一人だ」

 シラバルはロッキングチェアに深くかけて、パイプをふかしながら言った。付き従う猟犬使いのバーツは、煙を手で払って戸口のほうへさがった。

「明日の朝、もう一度犬たちを放ちます」

「ああ、獣どもの足の骨でも折ってやるといい。奴らはすばしこいからな」

 バーツが出ていくと、シラバルは椅子にもたれたまま受話器を持ちあげた。

「キューエル・ハウストに繋いでくれ」

 そう告げると、何も知らない交換手は何も知らないまま、ウィーズル=フォン=モルゲンシュタイン辺境伯に回線を繋いだ。

「首尾は?」

 電話の向こうのウィーズルは上機嫌だった。酒をつぐ音を聞いて、シラバルは不機嫌な顔をした。

(すでに勝利の美酒に酔っているのか、たいした定時報告も行なうことができない、こちらの苦労も知らずに)

 シラバルは咳払いして、明日は猟犬と全兵士による森狩りを行ない、必要とあらば火をかけて獣どもをあぶり出す、と告げた。

「猟犬がオオカミと遭遇したことは確かです。探索中にねぐらの目星もいくつかつけました」

「さすが、シラバル卿は仕事が早い。私はこちらで、獣を捕らえた後の準備をすませておきましょう」

 乾杯をもちかけられたシラバルは、存在しないグラスを掲げて応えた。

「我々の勝利に、乾杯」



 ――……オオカミは毒を持っている。すてきな毒を。

「その毒は、人間によく効く。私はそれがほしい」

 末子でありながら王位を約束された愛子(まなご)、サンジュストの王子サンゴルゴナ。その珊瑚色の瞳から、サンゴ王子とも呼ばれる。

 サンゴは巨大な檻のなかで、順番に白い犬たちの頭を撫でた。ひとしきり犬たちを撫でると、サンゴは檻を出て、厳重に鍵をかけた。

「誕生日には、きっと間に合う」



 その日は朝からぼんやりとした空模様だったが、昼にさしかかると森は霧につつまれた。湿った草葉のかげで、虫や小さな獣がじっと休んでいた。そうして眠っているひとつの生き物のように、森はひっそりと鼓動していた。

 ジャックは霧のなかを狩りに出て、キジマキジを仕留めた。二羽のごちそうを白い犬の前に置き、ぶるっと毛皮を振るう。飛びちった水滴が犬を起こした。

「腹、空いてるだろう?」

 ジャックは鼻先についた泥を前足でこすり取った。キジは地面に巣をつくる。泥にまみれに出かけたようなものだが、ジャックはあまり気にしていなかった。

「当たり障りのない肉だ。口に合えば、だけど」

 犬の口の中には立派な牙がある。オオカミの遠縁である証で、肉を食むためのものだ。

 半身を起こした犬は、白いまつげのむこうからじっとジャックを見つめた。

「遠慮するな。全部食っていい」

「君には命を救われた。本当に感謝しています」

 落ちこむような声だが、昨日よりは張りが出ている。

 犬の一挙手一投足は気品にあふれ、ジャックとはなにもかもが対照的だった。

「ですが……」

 犬は、血のにおいをさせているキジに顔をしかめた。

「これが肉だと、頭ではわかっていても、生き物の形をしていると……」

「よほど良い暮らしをしていたとみえる」

「申し訳ない。私はあなたの助けにすがってばかりで……」

 かしこまって謝る犬に、ジャックは唇を結んだ。

(こいつは本当におかしなことになった)

 ジャックは首を振ると、キジを咥えなおした。

「まあ、アテはあるんだ。こいつをお前さんの食えるようにしてくる」

 犬はきょとんとして、霧のなかにとけていくオオカミの背中を見送った。



「なんだ、この忌々しい霧は!」

 シラバルは長の家を出て、開口一番に悪態をついた。これでは、森を丸裸にしてオオカミを炙り出す計画が台無しだ。焦りと苛立ちに、シラバルは眉間に深いしわを寄せた。

「サー・シラバル。犬たちはいつでも出られますが」

 静かに声をかけたのはバーツだった。シラバルは怒りでせり上がった肩を戻し、首を振った。

「犬ではオオカミに太刀打ちできないと証明されたばかりだろう。頭数も足りん。兵士の目が利かないうちは何もできんのだ」

「我々は、あの森の土を踏んだときから、魔女の呪いをこうむったのかもしれませんな」

「おい、何か言ったかね?」

「サー・シラバル。次の機会を待ちましょう」

機会(チャンス)があといくら残っている? こうしている間にも刻一刻と、わしに残された時間は減っていく! オオカミどもを差し出せなければわしは……!」

 老いたバーツは、小さくなった体で静かに一礼した。

 シラバルは黒革のブーツに群がってくる水滴を、鼻息荒く振り払った。

 白く煙る森を眺める彼らの頭上を、不気味な影と鳴き声を落とし、シマフクロウが飛んでいった。いやに間延びする声は、まるで呪詛のようだった。



 深まっていく霧のなか、うごめく、それぞれに交錯する思い。


 ジャックはロブローを手伝い、せっせと薪を集めていた。

「巣作りでもはじめたのかって、アオスズメのやつに笑われたぜ。こんな霧のなかでも火が起きるかよ?」

「任せろ! それにしても肉を焼いて食おうなんて、お前さん、変わったことを考えたな」

「俺じゃ……ああ、うん」

 ジャックはあわてて口を結んだ。

 ロブローは石英を結びつけた枝を咥え、鍋の破片に勢いよく打ちつけた。散った火花がロブローの抜け毛に灯って、小さな火種になった。

「俺の毛は脂が多いからな。霧なんかには負けないぜ」

 湿気た枝がパチパチと爆ぜながら、小さなたき火が揺らいだ。その上に、枝をとおしたキジを渡す。器用に枝を回しながら、ロブローは言った。

「確かに、肉ってのは焼くと美味そうなにおいがするぜ。けどな、こんなモンばっかり食ってると、そのうちイヌになっちまうかもしれないぞ」

 ジャックは苦笑いを返して、そっと尻尾を脚のあいだに挟んだ。

 ロブローにおすそわけして、ジャックはキジの丸焼きを咥えた。とたんによだれが溢れる。

(いけねえ、こいつは劇薬だ)

 焼き鳥がよだれまみれになる前に、ジャックは急いでねぐらへ戻った。香ばしいにおいをそこらじゅうに振りまいて、組み合った木々の根を飛びこえ、蔓の絨毯を飛びこえ、エニシダのカーテンを突き破った。

 においにつられたのか、白い犬は顔をあげて待っていた。入り口にはリスたちが集まっている。リスは警戒心の強さだけ好奇心も強い。いつも、何か嗅ぎつけてはお祭り騒ぎをしている連中だ。

「しっしっ! 誰かにこいつのことを言ってみろ、食っちまうぞ!」

 ジャックはリスを追い払い、苦労して焼いたキジを白い犬の前に置く。犬はしかし、肉に目もくれずにジャックを見つめていた。

「わざわざ私のためにありがとう、ジャック。ところで、リスから聞いたのですが。あなたは五十年生きているとか」

「ああ、たった五十年だ。俺なんかまだまだ若いほうだぜ……冷めちまうぞ」

 犬はおずおずと食事に口をつけた。上品な立ち居振る舞いをしていた犬は、そこらの獣と同じように肉をおさえてかぶりつき、骨ごとかみ砕いて平らげてしまった。

「思ったより豪快なんだな」

「お恥ずかしい……食事は久しぶりで、つい」

「良い食いっぷりだぜ、親しみがわいた」

 ――……さすがに、あそこまで骨は食べないが。

 犬は口のまわりを前肢でぬぐうと、改まってジャックに向き合った。

「私はクラウド=ヴォルケ=ゾネンモントフィンスターニス」

「何だって?」

 ジャックには、犬が何を言ったのかすぐに理解できなかった。

「名前です。私はクラウド。ああ、ジャック。気高い我々の祖先にお会いできて光栄です」

 犬は人間のするように、低く頭を下げた。よせよ、とジャックは面食う。

「その妙にかしこまった調子は苦手なんだ。クラウド、その足が治るまで、長い付き合いになるだろうからな。気安くしてくれ」

「私をこのまま置いてくださるのですか」

「どうやってこの森にたどり着いたかは知らないが、放っておけばレギアのやつが何をするか……」

 言いさして、ジャックは体に芯でも通ったかのように姿勢をただした。直後、地面に雷が激突したような轟音が鳴り響き、ジャックは背中を丸めて耳を伏せた。クラウドとお互いに耳を伏せた顔を見合わせ、歯の隙間から声を漏らす。

「噂をすれば、影だ」

 ジャックは唐突に穴を掘りはじめた。そこにクラウドを圧しいれ、上におおいかぶさり、また歯の隙間から声を漏らした。

「苦しいだろうが我慢してくれよ。声も出すな」

 しばらくして、レギアそのオオカミがねぐらの入り口に現れた。

「ようレギア、こんなむさ苦しいところに何か用か?」

 ジャックがあくびしながら尋ねると、レギアは鉄の残骸をふり返った。

「人間どもの仕掛けを壊してまわっている。お前のねぐらも勘づかれたようだ」

「罠か。人間が獲物をだまし討ちで捕まえるための道具だな」

「人間のことはお前のほうが詳しかろうな、ジャック。働いてくれても俺は文句は言わんぞ」

「ああ、ちゃんとやるよ」

 どぎまぎしたジャックの態度を不審に思いながら、レギアはため息を残して立ち去った。

 ほっと胸をなでおろし、ジャックは汗まみれの肉球を地面に置いた。

「もういいぞ、クラウド」

 ジャックが退くと、クラウドは首をのばしてレギアの去った方を見た。

「彼は?」

「あれがレギア、カラスみたいに真っ黒な、この森のボスだ。レギアににらまれると、ろくなことはない。俺みたいに」

 肩をすくめたジャックを前に、クラウドはおかしそうに笑った。

「君にも苦手なものがあるんですね、ジャック」

 おどけてみせたジャックは、また鋭い顔つきになって巣の外へ飛び出した。霧は深く、音とにおい意外に周りのようすを知る術はない。

「どうしたんですか」

「人間だ。森の入り口のほうに大勢……それと、油のにおい……鉄」

 ジャックは耳を弾き、東を向いて低く構え、唸った。何事かとクラウドは立ち上がり、よろめきながら様子をうかがう。ジャックの目の前には、人間――サー・シラバル――が立っていた。

「お前はいつかの」

「お前はいつかの」

 ジャックとシラバルは同時に言った。

「やはりここがねぐらで間違いない……しかし一匹だけか」

 シラバルはジャックをにらんだまま、わずかに視線を上げた。

「ああ、もう一匹」

 その言葉にジャックは素早くふり返った。巣の入り口に、クラウドがもたれている。人間の目には少し痩せたオオカミにしか見えないだろう。

「戻ってろ! クラウド」

「ジャック、危ない」

 クラウドは喘ぐように言った。ジャックが目を離したすきに、シラバルは猟銃を構えていた。ジャックは鼻筋に深くしわを刻んで唸った。

「お前は壊しすぎる。これ以上好き勝手やられるくらいなら、俺だって働くぜ」

「獣が、いくら脅しても無駄だぞ。妙な動きをしてみろ、お前のツレから先に始末をつけてやる」

 シラバルは銃口をクラウドに向けた。

「さあ、おとなしくこいつに入ってもらおう」

 シラバルは黒鉄のケージを蹴ってジャックに迫ったが、クラウドがゆっくりと銃口の前へ進み出た。

「……構いませんよ。撃ちなさい」

 その言葉は、しっかりとシラバルに届いた。

「何だ……今、この獣が喋ったのか?」

 動揺しながら、シラバルはしっかりと猟銃を構えなおした。

「化け物め」

「撃ってみなさい、さあ」

 臆さず近づいてくるクラウドに、シラバルは後ずさりした。ジャックはすかさず、突き通るような遠吠えをあげた。

 間もなく、霧を裂き、森を割き、鋭い獣の足音が猛烈な速さで近づいてきた。霧に煙る姿は低く滑空する大鴉に見える。

「ギャアッ ギャアッ」

 大鴉の影は不気味な声を上げ、森の守護者がシラバルに躍りかかった。

「う、うわああ」

 シラバルは子供のように力ない叫びを上げるのが精一杯だった。恐ろしい黒い影の前に、銃を持った人間など風前の灯火にひとしく思えた。

「ガウッ ガルルル」

 シラバルの前に赤い犬が飛び出した。犬は勇敢に影に向かって吠え、注意が逸れたところに、大きな犬が突進してきた。影は翼でもあるかのように、空中でひらりと向きを変え、突進をかわした。

 巣の間近に降り立った影は、恐れを知らない犬たちをにらんだ。

「あれが犬か」

「レギア、来てくれて助かった」

「お前はそのまま引っこんでいろ」

「そうして良いなら助かる」

 ジャックは、レギアが到着するまでにクラウドを巣へ連れ戻し、穴のなかに匿っていた。

 シラバルはすっかり怯えていたが、銃をおろし、犬たちに毅然として号令をかけた。

「戻るぞ、引き上げだ!」

 来た道を転げるように走りながら、シラバルは息を乱し、目を揺らした。

(やつらは普通の獣じゃない。ばかげた伝承通りの、ばかげた化け物だ!)

 逃げ去る者を追わず、レギアは大地に柱のような四肢を立て、敗走者が森を出るまでじっとにらみを効かせ続けた。

「悪かったな、レギア。今日は不調だろ?」

「この森の長には、不調など存在してはならないものだ」

 レギアはすん、と鼻を鳴らした。

「ここはいつ来ても不快なにおいがする」

「ちゃんと片づけておくさ」

 レギアがねぐらへ帰ってから、ジャックはまた汗まみれの肉球をクラウドから退けた。

「クラウド! さっきは無茶だったぞ、どういうつもりだ?」

 叱られて、クラウドはきょとんとしてジャックを見つめた。困った顔をして、心配していることがありありと伝わってくる。クラウドは嬉しくなって微笑んだが、すぐにその表情を曇らせた。

「……ジャック、君の恩を仇で返すことになるけれど……私は、死ぬためにこの森へ逃げてきたのです」

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