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Wolfs Bane  作者: 天秤屋
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カミサマの話

 月の光をはなつ白銀の毛並み、星のように優しい光をたたえた瞳。その声は柔らかな風となり、あらゆるものへ優しくささやきかける。

 神の森レヴァンネンダールにおわした、創世神レグナムブレス。



 レヴァンネンダールから二百米ほど下った丘の上に、わずかな人々によって築かれた小さな村があった。煉瓦と漆喰の壁に半割丸太の屋根をわたし、細い煙突からぽくぽく白い煙を上げている。軒先には干した野菜や果実がさがり、家のわきには薪と藁が積み上げられている。彼らは畑をたがやし野菜を育て、果樹を植え、ふもとの草原で羊や牛を育てていた。

 朝露にぬれた草を踏み、子どもたちがひとつの家に集う。日曜日の朝は語り部の大婆(おおばば)が暖炉に火をくべて、子どもたちを待っている。

「全員そろったかね、では、お話をはじめようか」


 ――千年も昔のこと。

 世界のはじまりの場所には、深い森がありました。森には神さまがおわしました。月の光をはなつ白銀の毛並み。オーロラのように波うち、らせんを描くすばらしい角。

 神さまは森の獣たちにおっしゃいました。命をとりすぎてはならないと。神さまの、すべての命を慈しむ深い心を、みな学びました。

 みなは神さまを畏れ、敬いました。

 森はながらく、静かで平和なところでした。

 ところが。あるとき、神さまは、その体にまとう燐光(りんこう)をうしないました。神さまは大きな体をたおし、それきり動かなくなってしまわれました。

 というのも、森に人間たちがやってきて、木の実や森の獣をたくさんとったので、神さまの命の力が減ってしまったからでした。

 やがて神さまが姿をけしてしまわれると、それまでの豊かな自然や生き物もまた、つぎつぎと姿をけしていきました。人間は、じぶんで畑をたがやし、動物を飼わなければ、暮らしていけなくなってしまいました。

 人間たちは口々に言いました。神さまがいらしたころは、こんな苦労をしなくても暮らしてゆかれたのに。欲をすてて、すこしのがまんをすれば恵みを失わなかったのに。

 けれども、どんなに反省して嘆いても、神さまはもどってきません。

 それ以来、神さまのお暮らしになった森は聖域となり、わずかにのこった神さまの力を守るため、人間は立ちいってはならない禁域となりました。


 大婆は一呼吸おくと、話に聞き入る子どもたちに注意深く教えた。

「オオカミは聖なる御遣い、その姿を見ることすら畏れ多いことだよ」

 子どもの幾人かは、大婆の話を聞きながら、窓のそとに夢中になっていた。

「おばばさま、だれかくるよ」

 その男は高価な葉巻をふかし、隠しもせずに猟銃をたずさえていた。男の前には村人が五人ばかりかたまって壁を作っていた。

「猟師も材木屋も、人間はこの森には入れないぞ」

「その人間というのは、お前たちの言うところの下等な部類の者どもだろう? はした者どもが」

 高圧的な男は、小隊と、猟犬連れの男をともなっていた。

「あんたが貴族だろうが、どこぞの領主だろうが、この森は誰の持ち物でもない。ましてや、貴族の楽しみのためにあるんじゃないんだ」

 食い下がる村人に、男は一枚の書状をつきつけた。

「王命だ。このシラバル卿ユーモリスは王の代理人。逆らえば反逆罪、この場で斬り捨てる」

「そ、そんな」

 村人は困りはて、長となる大婆の家をたずねたが、そこには子どもたちの姿しかなかった。

「大婆さまはどうしたのだ」

「わからない。きがついたら、いなかったよ」


 村人たちは恐怖におののき、銃声の響く森を見つめていた。

「神の森なのに、きっと祟りがあるぞ」

「あの男たちを止められなかった我々もただでは済むまい」

 怯える農民たちを、兵士たちは笑い飛ばした。

「神話だ祟りだなどと、迷信の心配をしているだけでいいなら、俺たちは戦争なんかやってないぜ」

 干した果実を盗み食いする兵士たちは、シラバルの姿を見て姿勢を正した。

「ふん、試しに鳥を仕留めたが、別段変わったことは起こらん。オオカミ狩りはまた明日だ。明日は全軍で突入する」

「はっ」

「返事だけは威勢がいいな。電話は見つかったか?」

「はい、長の家に一台、隠してありました」

 子どもたちは家のなかに閉じこもり、兵士がかじりかけて捨てた干物を、指をくわえて見ていた。



 ジャックは呼び声を追っていた。徐々に声は弱っていき、近づいているのか遠ざかっているのかも判じ難い。

「ォー……オー」

 最後の力を振りしぼるように、声が一瞬大きくなった。

 木々の天井を抜け、ジャックは遮るもののない日の光の下へ飛び出した。切り立つ崖のへりに、白い獣が伏していた。オオカミに似ているがにおいが違う。純白の毛並みを持つその獣には、動く力も残っていないようだ。

 様子をうかがっていたジャックの背後から、力強い遠吠えが届いた。集合を呼びかけるレギアの声だ。

 ジャックは衰弱した白い獣に後ろ髪をひかれながら、ひとまずレギアのもとへ引き返すことにした。


 沼のほとりに、森のオオカミが集った。

 中央で仁王立ちしているのがリーダーのレギア、くせの強い漆黒の毛並みに鋭い目つき、近寄りがたさが毛皮を着ているようなオオカミだ。

 あらゆる後ろめたさにジャックは足がすくんだ。下がりぎみの腰に、ふくよかな茶色の毛並みが体当たりした。

「よう、ジャック。また痩せたんじゃねえか?」

「ロブロー、あんたはまたでかくなったな」

 ジャックはよろけながら苦笑した。和気あいあいとしている空気を沈め、レギアは鋭い口調で命じた。

「ジャック、侵入者について知っていることを全て話せ」

 協力を求めているのか、従わなければ殺すと脅しているのかわからないレギアの前に、ジャックはおずおずと進みでた。

「俺が見た人間はひとり。あいつらが狩りに使う道具、銃を持っていた。獲物を飛び出すつぶてで殺す。草や肉を切り裂く刃物も持っていた。それから、犬を連れていた」

「犬だと」

 レギアはあからさまに顔をしかめた。

「人間が飼う犬のことは前に話したが、今回の侵入者は可愛いペット様じゃない。獣を狩る手伝いをする猟犬、人間よりも面倒なやつらだ。確認できたのは四頭だが、まだ仲間がいるようなことを言っていた」

 レギアは不快感をあらわにして(うな)った。

「この森の土を、二度と犬などという神性を持たぬおぞましい家畜どもに踏ませてなるか。やつらは村を拠点にしているのか」

 怒りに満ちた声だけで獲物を殺せそうな剣幕のレギアに対し、ロブローはただ狼狽している。

 ――……犬。一匹オオカミなどの弱い個体で人に慣れるものを選りすぐり、他のイヌ科動物と意図的な交配をくり返し、人間の都合だけで作られた生き物。

「実在すら疑っていたぜ、俺は」

「猟犬のなかに、オオカミ狩りの犬というのがいた。あいつは輪をかけて厄介だぜ。たしかアッシュと呼ばれていた」

「犬の名前などどうでもいい。やつらを留まらせているならば、村の人間どもも同罪だ。諸共、喉笛を嚙み切ってやる」

 有無を言わせぬレギアに、亜麻色の毛並みが駆け寄った。

「遅れてごめんなさい。村のようすを見に行っていたの」

 ジャックはほっとしたのも束の間、レギアが首をめぐらせ、ティーダの口もとに鼻を近づけたのを見て血の気が引いた。

「血のにおいだ」

「ジャックを襲った犬に噛みついたのよ」

 ティーダは沼で口をすすぐと、またレギアの隣に戻ってくつろいだ。レギアは鋭い一瞥をジャックにくれて、ティーダを見つめた。

「それで、お前は怪我はないのか」

「大丈夫。村はなんだか人間が増えていたわ。銀色のきらきら光る、お鍋みたいなものを体につけていた」

 ここぞとばかり、ジャックは説明責任をはたした。

「きっと甲冑だ。人間が戦うとき、身を守るために着る。石より硬くて、俺たちの牙も通さない」

「人間が、この森に攻め入ろうっていうのか? またどうして」

 深刻な話に加わりながら、ロブローは尻尾の先に蔦をくくりつけて釣りをしていた。

「赦すものか」

「待ってくれ、レギア。武装した人間は厄介だ。甲冑のやつらが全員、銃を持っているかもしれない。森に油をまいて火を点けるかもしれない」

「お前はずいぶんと人間に肩入れするな、ジャック。次にティーダの身を危険にさらしてみろ、貴様の喉笛から先に嚙みきってやる」

「あ、その話終わってなかったのか。悪いと思ってる、本当に……」

 レギアに睨まれると次の言葉が出ない。どんな言い訳もレギアが牙を剥くトリガーになりそうで、ジャックは耳を寝かせて腹ばいなるしかなかった。

「ねえレギア、ジャックだって襲われたのよ。私は助けられたの」

「……わかっている」

 レギアは苛立ちながら、伴侶であるからこそ、ティーダにだけは甘い。

「ひとまず様子見だな、レギア」

 ロブローはのんびり釣りをしながら結論づけ、レギアはそれに異論を唱えなかった。

 ジャックはこそこそと立ち上がり、ねぐらに戻るふりをして、崖を目指した。


 白い獣は、ぐったりを通りこして横倒しになっていた。

(死んだ、かな)

 そろそろと近づくと、痩せた腹がかすかに膨らんだりしぼんだりしている。薄汚れた毛並みは風に遊ばれるまま、獣は目も開けない。

 よくよく近づいて見れば、限りなくオオカミに似せた犬だった。あばら骨が浮き出て、足は泥まみれで怪我もしていた。鼻面は、なんとも丈夫そうな口輪にすっかり覆われている。

 この犬には人間の影がある。レギアに見つかればどうなることか。

 ジャックは犬の胸の下に鼻を突っこむと、体をすり寄せながら前肢をつかって、器用に背に担いだ。脱力した体は重い。舌を垂らし、ぜいぜい息をきらして犬を運ぶジャックの上を、小鳥が飛びまわる。

「カミサマだ、カミサマだ」

「カミサマ!」

「カミサマがかえってきた!」

 リスやら縞フクロウやらも加わった囁きに、ジャックは牙をむいて吼えた。

「こら! カミサマなもんか。レギアの耳に余計な話を入れるなよ!」

 オオカミに吼えられた森のやじうまたちは、最初からそこにいなかったかのように静まりかえった。だが、囁きあうことはやめなかった。

 ねぐらまで、やっとのことでたどり着いたジャックは、背中の犬をそっとおろした。太い根の下を掘り下げて、掘り下げて、ジャックは快適な半地下に白い犬をかくまった。

 ジャックはかいがいしく白い犬を世話した。ヤシュロの実が落ちて割れたものに沼の水をくみ、栄養のある果物を集め、ティーダに教わった傷に効く薬草を探した。ティーダがいつかしてくれたように、薬草を噛んで柔らかくして、犬の傷に貼りつけた。独特の苦みに顔をしかめながら、ジャックは犬の体のほとんどに薬草を貼った。

「う、う……」

 傷にしみるのだろう、犬はうなり声をあげ、うっすらと目を開けた。

 ジャックは鼻面で水の容れ物を近づけた。

「飲めるか、水だ」

 犬は震える体を起こした。苦しそうに息をする犬に鼻先を近づけ、ジャックは口輪の革紐を噛んだ。

「グルル」

 唸られていったん口を離す。

「このままじゃ何も食えないだろ。死んじまうぞ」

「……」

 犬は目を伏せ、人間のするようにうなだれた。ジャックは再び太い革紐を噛み、一気に食いちぎった。犬の顔を覆っている戒めを、一本ずつ解き、とうとう銀の覆いは地面に転がった。

 犬は目を細め、改めて辺りの空気を嗅いで、ふう、と大きな息を吐いた。そのままぐったりと伏せてしまう。

「おい、飲めって」

 犬は億劫そうに、差し出された容れ物に首をのばす。ジャックは慎重にヤシュロの実を傾けた。少しずつ口に入る水を、犬は喉を鳴らして飲みこんだ。

「あとは、何か口に入れないと。果物はどうだ?」

「くだ、なに……?」

 犬はすっかりかすれた声で復唱した。とても不思議そうな表情をしている。

「知らないか? 肉には劣るが、毒じゃないことは確かだ」

 ジャックは小さめの木の実を咥えて転がしてやったが、犬には噛む元気がなく、丸呑みもできずに吐き出した。しかたなく、ジャックは果実をあらかた食べ、犬の口を咥えた。犬はわずかに抵抗し、うめいたが、吐き戻された柔らかい果肉をやっと飲みこんだ。

 ひと心地ついた犬は、伏し目がちにジャックを見つめた。

「……ここは?」

「俺の巣だ」

「あなたは……」

「ジャックって呼ばれてるぜ」

 ジャックが応えると、犬は他にもなにか言いたそうにしながら眠ってしまった。ジャックはその場でぐるぐると回ってから、犬のそばに寝そべった。



 小さな獣たちは、こっそりと囁きあっていた。

「知ってる?」

「知ってる!」

「ジャックが、カミサマをひろったんだって!」

 日が西の地平に沈みゆく空は、夜の紺と太陽の赤が混じりあう。木々の陰は見知らぬ世界へ誘うように揺れる。誰かがこの刻限を、逢う魔が時と名づけた。

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