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Wolfs Bane  作者: 天秤屋
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追うものたちの話

 陽気な町シャンタンスの人々は、日が落ちても愉快に躍っている。サンジュストの内地にあり戦線と離れているためか、サンジュストが無敗の大国であるためか、軍は属国の徴兵でまかなわれているからか、シャンタンスでは特に戦争の自覚がうすい。

 その陽気な町に立ち寄った騎士の一団を、宿屋は大盤振る舞いでもてなした。

 労働の対価として酒をあおる部下たちを眺め、ドレイクはため息を吐いた。主が憂鬱であることは茶飯事だが、大柄な馬は漆黒の首をめぐらせ、窓から声をかけた。

「どうしました。今さら後悔があるわけでもなし」

「王子の企てが成ろうと成らずと、奴隷は働きを示すのみ。とはいえ私にも人並みの感情はある……胸がすくものでもないと思ってな」

「めずらしく反抗的ですな。酒でも召したので?」

 ドレイクはうつむき、グラスの水を見つめた。銀の眼と目があう。

「一族を救うための奴隷が一族を滅ぼした。忌まわしい夜に酒には酔えん」

 すっかりできあがった騎士が裸踊りを始め、どっと笑いがおこった。新兵は笑うものか目をそらすものか迷って気まずそうにしている。

 馬は唇をならした。

「まったく暢気な連中ですな」

 あたたかな灯りのなか、騒ぐ部下たちを眺めるドレイクは笑みを浮かべた。

「そこが良いのさ、ゾルレン」

 穏やかな空気が刺すようにゆれる。ドレイクと愛馬ゾルレンは宿の扉を睨んだ。風のたてるきしみのようなか細い音をたて、扉がゆっくりと開く。夜の町を賑わす灯りをすべて吸いとるかのような、黒い外套の男が立っていた。

 ドレイクは宿の主人よりも先に男の前に立った。いなないて警戒するゾルレンを片手で制す。

「シラバル卿では」

 いつの間にか静まりかえっていた宿の酒場で、いっせいに騎士の顔が男に向いた。

 頬はこけて髭がのび、目の落ち窪んだ顔色の悪い男は、ゆっくりと黒くすすけた外套を脱いだ。くたびれたハンターウェアからは古い血のにおいがする。彼がドレイクの言うとおりシラバルであるならば、油絵の絵の具が溶けたかのような豹変ぶりだった。

 ドレイクは臆せず、一礼して道をあけた。部下も慌ててそれに倣う。

「部下が不躾な有り様ですが、お許しいただければ」

 シラバルは何も言わず、背負った猟銃をおろし、宿のカウンターにもたれた。置かれた一泊分の料金を受けとって、宿の主人はシラバルを上へ案内した。

 幽鬼のようなシラバルの姿が見えなくなると、誰も言えずにいることをゾルレンが言った。

「何ですかあれは」

 ドレイクはゾルレンの鼻筋をなで、愛馬にしか聞こえないよう囁いた。

「誰かのようにとり憑かれているのだろう。さしづめ、オオカミに」

 窓の外ではいつの間にか歌声が止み、はたはたと雨が降っていた。ドレイクは皆に休むよう言いつけ、ゾルレンが厩に戻るのを見送ってから、曇った空を眺めた。

 ――一族が城に囚われたあの日も雨が降っていた。滅ぶ日もまた雨が降るのならば、あれは誰かの涙なのかもしれない。


 宿の梁では、チッカとフェルが不安そうに手を繋いでいる。



 ウィーズルは機械の獣を補充するため、サンジュスト北東のフェノメノンを訪れていた。

 フェノメノンはかつて、機械兵器によりサンジュストの侵攻をしのいだが、小国ゆえの資金と持久力の不足により敗戦を期した。サンジュストはフェノメノン国民にどのような仕打ちをしたものか、属地と化したフェノメノンには技術者らと最高権力者のみが囚われている。

 ウィーズルのかたわらで機械生産の工場を見下ろす、義足隻眼の軍人は腕組みに力をこめた。少年のようで少女のようでもある容姿端麗な男の名はアイギス・ガルベラ。彼はかつてフェノメノンの最高権力者であったが、今や奴隷あがりの成金貴族の御用聞きだった。

 仕上がったばかりの機械を金の杖でつつき、ウィーズルは穏やかに言った。

「それで? アイギス」

 アイギスは膝を折り、(こうべ)をたれて、何度もくり返したセリフをまた唱える。

「オサリビやガーデャニアとの交易にかかる関税を減らしていただけなければ、我々は生活がままなりません。機械を納めることもできなくなります」

「我がサンジュストが充分な値で買い上げているではないか。不満だとでも?」

 ウィーズルの高圧的な物言いは奴隷に対するそれであった。ここがサンジュストであれば、彼はいかな一兵卒一般人ふぜいにも丁寧に話しただろう。ここフェノメノンの民が置かれているのは礼節の外側だった。

 アイギスは敗戦の責任を感じながら、きしみ痛む義足のつけ根を拳でおさえ、声の震えをおさえ、懇願した。

「モルゲンシュタイン卿。技術者たちは食うや食わず、一時も休まず機械を造り続けなければ暮らしていけません。このままでは我々は立ちゆきません」

 ウィーズルは金の杖で機械の獣を叩いた。

「お前たちに利益が必要か? 今以上の暮らしが必要? ただ生きているだけで重罪の敗戦国であるのに、我がサンジュストの慈悲によって存在意義まで与えられた立場で?」

 杖で機械の獣を叩き壊し、ウィーズルはつま先をアイギスに向けた。

「見ろ、汚れた」

 アイギスは怒りにうち震えながら、ウィーズルの足を膝に載せ、褪せた紺のコートでどす黒い機械油を拭った。その様を見下ろして、ウィーズルの美しい(かんばせ)はゆがむ。

「この世は身分がすべてだ。王侯、貴族こそが絶対だ。民草に議会は必要ない。ただ我らに(こうべ)を垂れ粉を挽き、王国の糧として生きる姿こそが真理だ。お前達も本分をわきまえるべきだ。感謝しろ。生かしてやっているのだから」

 膝に体重がかかる。アイギスは歯を食いしばり、血を吐くように言った。

「感謝しています。貴方がたサンジュストに微力ながら貢献できることを」

 アイギスの右半身を支える義肢は、金の輝きと芸術的な装飾から、かつて天の星にたとえられた。その星が今、サンジュストによって踏みにじられている。

 散々機械の獣を買い叩き、満足そうに馬車に乗りこんだウィーズルは、扉を閉めながら吐き捨てた。

「アイギス、その悪趣味な義肢と眼帯をいい加減に外せ」

 赤と金の絢爛な馬車が走り去ると、アイギスは絢爛な義足で轍を蹴った。祖国の誇りを奪った男にいつか報いるための牙を研ぎ、アイギスの左目はらんらんと輝いていた。

「いつまでも己の天下と思うな。我がフェノメノンの牙は折れてなどいない」



 属地とされた国には、たとえば南端の火山地帯オサリビがある。度重なる噴火によって地上は黒く染まったが、地下に発展し、良質な温泉と鉱山を有す。

 利益を成すフェノメノンとオサリビに対しては、サンジュストはまだ友好的だといえる。

 温暖で湿度と緑に恵まれた広大な国、南西のガーデャニアは、国土にくらべ国民の数がずっと少なく、兵を率いて戦うこともしない平和の国だった。サンジュストの侵攻を受けた折も、ガーデャニアはほとんど抵抗しなかった。

 ガーデャニアの民は老若男女すべてが農奴とされ、豊かな森を焼いて畑や放牧地を開拓し、荒廃の国土と呼ばれたサンジュストに作物や家畜をもたらすよう強いられた。あまりにも人を人とも思わぬ重労働を課せられ、ガーデャニアの元長であるトリヒ・テルフォフォは民の扱いを良くしようとつとめたが、サンジュストの牢獄に縛られることとなった。以来、ガーデャニアの民は奴隷と化してサンジュストのためにのみ生きているという。

 反駁すればガーデャニアのようになる。サンジュストの吐く火の息から逃れるため、敗戦国の長はすすんで民に口をつぐめと命じるのだ。

 だが、心からサンジュストに忠誠を誓う属地などありはしない。



 サンジュストの戦線は今、大海の対岸にある大陸オウガスタ=ヒンメルイアにあった。

 騎士道精神と文化を重んじるニールとは長く睨みあいが続いている。ニールの兵力はサンジュストほどではないが、首相ガスター・ヘイズは自国を守るため戦車や飛行艇を戦地に投じた。

 ヘイズ首相いわく、「ニールは文化人の国である。文化の発展が文明を発展させる」。ニールは国を挙げて芸術や学問に支援し、結果、国防に耐えうる兵器の開発にも至った。財政は厳しい局面を迎えたものの、善戦が続いている。

 辺境のヨグニはいまだ文字を持たず、文明はサンジュストには遠く及ばない。しかしシャーマンと呼ばれる占星師や医療者などの魔法使いを多く抱えており、一筋縄ではいかない。

 極東の島国ナコクにおいては、近年になって金鉱が豊富なことと高い技術力を有することがわかり、いったんは侵攻が始まった。しかし大群で挑んだサンジュストをものともしない決死の兵団と、ナコクに巣食う異形の何者かに阻まれ、一度目の侵攻はサンジュストが初の敗北を期した。

 さらに、ナコクはサンジュストが率いた機械の獣を解体し、自国の兵器として昇華した。十二神将と名づけられたナコクの機械は、搭乗可能なものや装備するものなどフェノメノンの技術力を凌駕して発展し、サンジュストも手を焼くこととなった。

 そうした血の歴史を刻みつづけるサンジュストを、大陸間の海で阻む船団がある。彼らはディンバヤの民、かつて花の国とうたわれたディンバヤの生き残り。故郷を滅ぼされた彼らは大海賊船団となり、サンジュストの船を蛇のように追いまわしている。

 オウガスタ=ヒンメルイア侵攻のため海を渡ったサンジュストの船団は、その半分が海に沈むといわれている。



 血で血を洗う一方的な侵攻をつづける大国サンジュストの中枢、王都にそびえる象牙城には一点の穢れもない。他国の阿鼻叫喚を風にも聞かぬ純白の王子は、象牙城の白い壁を撫でて輿にのった。

 白い輿は王城の庭をまわり、城下の民や方々から集まった王侯貴族などが花をなげた。



 白い扉に閉ざされたクッションだらけの部屋で、ジャックはようやく目を覚ました。首を反らせ、大理石の柱に映してみるが、額の青薔薇は消えている。左後肢には枷のかわりに薔薇の蔦がからみ、口にはどこかで見たような口輪がはめられていた。起き上がろうとしても体が重い。体じゅうに花びらがついているのはなぜだろう。

 白い扉が音もなく開き、礼装のサンゴ王子が現れた。

「生誕祭はとどこおりなく済んだ。これでサンゴは十五になった。これでようやく儀式に絶えうる」

 微笑むサンゴの背後から、白い大きな犬が出てきた。

「これはスコール、これはハティ。クラウドの兄と姉だ。仲良くね」

 二頭の白い犬に見張られながら、ジャックはなんとかうめいた。

「どこへ行く」

 サンゴは閉じる扉の向こうで、肩ごしにジャックを見た。

「我が大神とともに、私は私の世界を手に入れる」

 サンゴの後ろ姿が一瞬、かつての青薔薇の魔女(レヴァンネンデール)に見えた。この世界は終わる。この、王子の姿をした化け物によって。

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