白い町の話
ジャックとクラウドがたどりついた次の町はキセだった。町を囲う正方形の壁には白い石だけを積み、家々も白い石や板でできている。この町では白こそ尊き色とさだめ、反対に黒は悪魔の色として忌み嫌っていた。
「ここには、いい思い出がない気がしますが……ティーダの道がまだ残ってたとしても、ここは避けられないのですよね」
「ここでもネズミたちに救われたな。けどよ、いい加減かゆくなってきた」
ジャックは後ろ肢で首を掻こうとしてよろけた。クラウドはジャックの首に前肢をかけた。そのままなでるように掻いてやる。
「うわっ やめろ、くすぐってえ!」
ジャックは笑って逃げた。門柱に首をすりつけると、白木に薄紅色が萌えた。クラウドは自分の足を確かめる。撃たれて再生した毛皮は純白の斑になり、染料もずいぶん薄くなった気がした。
「ジャック、変装が解けかけています。君の口の周りも……この塗料は溶けやすいのかも知れません」
クラウドが言いさした瞬間、ぽつりと地面に雨粒が落ちた。ジャックとクラウドは跳ねるようにキセの町に飛びこんだ。軒のはりだした家へ身を寄せると、上から洗濯物が落ちてきた。ジャックとクラウドは白い布を振り払おうとして、よけいに絡まってしまった。
雨はひとしきり降ってすぐに止んでしまった。晴れ々れとした空の下、ジャックとクラウドのもとに白い装束の人間たちが集まってきた。
「珍しいな、犬だよ」
「白い衣をまとっているわ。神の御遣いじゃないかしら」
ジャックは鼻面にしわを寄せた。
「おい、何かまずいことになってないか」
雪だるまのようになったクラウドが首を傾げると、湿った布がずり落ちた。ねずみ色の染料はすっかり拭われ、白い布の下から真っ白な犬が出てきた。
「高貴なお方じゃないの!?」
誰かが叫ぶと、あっという間に町中の人間が集まった。口々にクラウドのことを褒めそやし、白木の神輿で担ぎまわり、教会へと連れていった。そこでは司祭が白い綿のようなものを振りまわしていた。
「高貴なお方は大神レグナムブレスと同じ白き生き物! これほど神聖なものはない、祭壇へ! 我らを戦乱より守っていただくのだ!」
祭壇と呼ばれた場所には檻があり、その中には大小さまざまな白い獣が入れられていた。白い鳥、白いウサギ、白いロバ、白い蛇、白い獅子。そのうち、息絶えて平べったくのびていないのは獅子だけだった。
檻へおしこめようとする人々の手を、クラウドは精一杯拒もうとした。しかしあえなく檻へ突っこまれ、錠がかかる。
「ジャック」
はぐれてしまった頼れる相棒を呼んでみるが、姿は見えない。ジャックはもともと暗灰色の毛並みで、赤茶に染まった今も白と比べれば黒く見える。大鴉レギアほどではないが。
(ひどい目に遭っていなければ良いのですが……)
仲間を案じるクラウドに、横たわった獅子が低く鳴いた。
「ここじゃ肉は手に入らんぞ。皆ひからびてしまった。俺もじきそうなる…‥もう、お前を食う元気もない」
不穏な境遇とは裏腹に、獅子の目は穏やかだった。すべてを諦めているかのように。クラウドは人だかりの向こうにジャックの影を探しながら、獅子を激励した。
「きっとジャックが……友達がここから出してくれます。爪と牙がまだあるのなら、研いでおくといい」
犬の戯れ言と聞き流さず、獅子は満足そうに笑んだ。
「俺は南の国ザウーガで神と崇められた獅子の末裔だ。たいそうな肩書きだが、仔猫のうちに冒険に出たままさらわれて、今こうしている……それでも俺が獅子ならば、誇りは捨てるべきではないか」
白い獅子は爪を噛んでととのえた。
ジャックはクラウドの檻に近づく機会をうかがっていたが、なかなか人だかりがはけない。教会に入れずうろうろしている間に、また雨が降る。布が水をすって、今度こそジャックの染料は落ちきってしまった。
「キャーッ 悪魔!」
間の悪いことに教会から出てきた人間に見つかってしまった。ジャックはまとわりつく白い布を噛みきり、逃げようとする。しかし白装束に囲まれてしまった。
「犬にしては大きくないか?」
「それに、足が一本ないぞ」
「悪魔に違いない!」
ジャックを囲む人間の壁は松明を受けとり、燃え弾ける炎をジャックに近づけた。湿気た空気にも雨粒にも負けず、赤々と松やにが炎を吹く。
「悪魔は火に弱いんだ! それ!」
ジャックのわき腹を炎がかすめた。毛の焦げるにおいがする。ジャックは三本足で人間の輪のなかを回転した。どこを向いても影の落ちた正義の顔がジャックをにらんでいる。
ジャックは歯がみした。
(こういう時はグリモワールの能力でなけりゃ分が悪い)
クラウドには嫌われそうだが仕方がない。ジャックは混沌の力をつかい、人々の心を掻き乱した。
突然、誰かが叫び声をあげた。誰かが松明を振りまわし、隣人に殴りかかるものや、石灰をまいた地面を掘って土を食うもの、自分の体に火をはなつものなど、異様な光景がひろがる。狂える人々を尻目にジャックは走りだした。
「死なない程度にやっとけよ」
ジャックはがらんどうの教会に飛びこみ、祭壇の檻へと一直線に駆けた。白い毛並みがふたつ、首をあげてジャックを見つめる。
「ジャック!」
クラウドの尻尾にわき腹を叩かれ、獅子はやや不機嫌に鞭のような尾を振った。ジャックはかわいた屍臭のする檻にとりつき、離れていろと吠える。混沌の力で鋼と大理石をねじまげてしまうと、ジャックはぱたりと倒れた。クラウドは獅子とともに檻から出て、鼻先をジャックの体におしつけた。
「ジャック、大丈夫ですか。ジャック」
呼びかけてもジャックが目を覚ます気配はない。そこへ、正気にもどった人々がほうほうの体でおし寄せた。服が黒焦げになった男が叫ぶ。
「大変だ! 神の獣たちが逃げてしまう!」
キセの男たちは武器を手に、女たちは罠を手に集う。
「捕まえろ! 我々を戦火から守ってもらわなければ!」
うろたえるクラウドの前に獅子が進み出た。獅子はジャックを咥えて背中にほうりあげると、悠々と扉へ向かい、道をふさぐ人々に向かって吠えた。
「我はザウーガの神、ウィング!」
人垣が少し崩れた。獅子はさらに前へ出て吠えたてた。
「祖国の空を流れる雲のように、我が身は二度と囚われぬ!」
痩せぎすの骨が浮き出た体に、しぼんでしまった白いたてがみはみすぼらしいが、獅子は誇り高くそこに在った。人々は畏れをなして道をあける。獅子は堂々と教会を出て、町の端までジャックを負って歩いた。
クラウドはジャックを気遣いながら、獅子に礼を言った。
「ありがとうございます。私と同じ雲の名をもつあなたの道行きが、明るいものとなりますように」
獅子はそっとジャックを横たえ、南の空を仰いだ。
「人間たちの争いの果てに、いまだ我が祖国が絶えていない保障はない。向こうの空は赤く染まっているかもしれん。それでも、ふがいない不在の神となった私にもでき得ることがあるだろう」
獅子は空の色をうつした目でクラウドを見つめた。
「死ぬために生きるな、生きるために生きろ」
細い影をつれて、獅子はゆっくりと南へ向かった。けわしい岩山のような背が見えなくなるまで、クラウドは起きないジャックの首に顎をのせ、獅子を見送った。
日が傾いてもジャックは目を覚まさない。クラウドは静かに動いているジャックの腹を見つめ、鼻を鳴らした。
(ジャックは力を使いすぎた……私のために)
かつて無限であった使徒の力は、レグナムブレスが滅びて以来限りあるものとなった。ジャックはいま、命を削って力を行使している。
クラウドは揺れる水面から透明な雫をこぼした。
「ジャック、私は君がすきです。レギアやティーダや、ロブローもすきだ。私はいずれ君たちを害してしまう。すでに君の足を奪い、君を巻きこみ、君に大いなる力を何度も使わせた。私が、君のいう『ただの犬』であれば良かったのに」
暗灰色の毛並みが吸いとって、こぼれる涙は跡形もなくなる。クラウドはジャックの毛並みに首を埋め、目を閉じた。
ゆらゆら揺られて目を開けると、クラウドはジャックに背負われて荒野を進んでいた。
「ジャック」
「起きたか」
三本足でひょこひょこと、クラウドを落とさないように危なっかしく揺れるジャックの背中から、クラウドは星降る夜空を仰いだ。
「降ろして、自分で歩けます」
ジャックは前肢をたたみ、ゆっくりと左の後肢を折って伏せた。クラウドはジャックをまたぎ越し、体を寄せて立ち上がるのを手伝った。
「もう君に迷惑はかけられないのに……すみませんでした、ジャック」
「謝られるほど重くないぜ、もっと食わせないとだめだな」
笑ってみせるジャックを正面から見られない、クラウドは苦しそうに顔をそむけた。
「なぜ私を生かそうとするのですか。私は君に殺してほしいと願った。穏やかに暮らしていた君たちをこれ以上傷つけたくありません。もう一度君に願います、私を」
ジャックはクラウドの口に噛みついた。すっぽり覆われてしまった鼻面は、少し引いたくらいでは甘噛みした牙から逃れられない。反芻した肉を与えられる時に少し似ている。
クラウドがもたもたと抵抗すると、ジャックはようやく口を放した。
「初対面の犬を殺すには理由が足りねえ。ここまでお前に付き合った今、なおさら理由が足りねえ」
「理由ならあるでしょう。君と君の仲間を、人間も含めたあらゆる獣たちを、この世界を守るためです。私が神の器となってすべてを滅ぼしてしまう前に私を殺すべきだ。それが唯一できるのは君だけなんですよ、ジャック」
「笑わせるなよ、クラウド」
ジャックの黒曜石の暗い輝きは、クラウドの水面に揺れて映る。
「傍で見てきたけどよ、お前はレグナムブレス以上の甘ちゃんだ。大神は自分じゃ誰も傷つけられねえ。お前が次の神になったところで誰かを傷つけるか? 世界を滅ぼす? 無理だな。大神の心を代弁するために生まれた俺が断言する」
クラウドは何か言いさして、何も言えなくなって失笑した。
「君にはかないません。でもこのまま君たちに守られているわけにはいかない……ならばいっそのこと、私は運命に任せてみようと思うのです」
「ようやく死ぬのを諦めたってことか?」
首を傾げるジャックに、クラウドは微笑んだ。
「ええ、生きようと思います。そして私は神に成り、君たちと世界を守ろうと思うのです」
ジャックは目を丸くした。クラウドの白い毛並みのふちが、ふわふわと風に遊んでいる。夜空を背に、白い犬はいっそうの輝きをもって佇んでいた。
「そうきたか……だが、それには……いや何でもねえ」
ジャックは言い淀み、ひょこひょこと歩きだした。クラウドは暗灰色の背中を追う。
「私がもし牙を剥いたらその時こそお願いしますよ、ジャック」
ジャックは夜風に溶けるような声で応えた。
「期待するな」