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Wolfs Bane  作者: 天秤屋
14/20

賭け事の町の話

 馬は足をとめると高くいなないた。その声にジャックとクラウドは目を覚ます。ダーマが御者席をおりるより早く、三匹は荷台から飛びおりた。

 ひとまず軒のかげに身をひそめながら、小さなネズミが困ったように言った。

「この町までは、まだ事情が伝わっていません。ネズミに会えるといいのですが……」

「そんなら賭場に行くんだなあ」

 空から声が降ってきた。屋根をあおげば、カラスが羽づくろいをしていた。

「賭場はネズミの天国だ」

 親切なカラスにクラウドが礼を言う。

「ありがとうございます」

 その水面のたゆたうような青い目を、カラスはじっと見つめた。

「きれいな目だねえ」

 ジャックがとっさにクラウドの前へ出た。

「背中の干し肉をわけてやる。それでいいか」

 カラスは少し残念そうに首をかしげ、ふわりとジャックの背中におりた。器用に風呂敷のすきまから肉の一片を取り出すと、カラスは名残惜しくクラウドの目を見つめた。

「こりゃ上等な肉だな。きれいな目は我慢するよ……」

「この目が欲しかったのですか?」

 クラウドはきょとんとして言った。カラスは肉を足で掴みなおして頷く。

「カラスってやつは純粋無垢に光ってるものに惹かれるのさ……俺の仲間には気をつけろ、向こう見ずで血の気が多くってなあ。よいしょ」

 カラスはバタバタと飛び去っていった。

「あげても良かったのですが……きれいに取り出せるかは疑問です」

 クラウドは物騒なことを呟いた。ジャックは首を振る。

「やめろよ、そういうこと言うの」

「でも、再生しますよ?」

「そういう問題じゃねえ」


 ネズミが方々走りまわって、賭場の場所をつきとめた。

「こっちです、オオカミさま、高貴なお方」

「あの、クラウドと呼んでもらえれば」

「俺もジャックでいい」

「そんな、畏れ多いです」

 先導するネズミを、クラウドが呼びとめた。

「君の名前は何というのですか?」

 小さなネズミは足をとめた。

「名前はありません。たくさんの家族のなかの一匹です。兄弟どうしでも、兄ちゃんとか弟とか呼びあっていました」

 その淋しそうな背中に、クラウドがささやいた。

「私の勝手で君に名前を贈るのは迷惑でしょうか」

 小さなネズミは驚いてふり返った。

「そんな、もったいない。でももし……そうしていただけたら嬉しいです」

 遠慮がちなネズミに、ジャックは鼻を鳴らした。

「いいじゃねえか。名前つけようぜ、いろいろ不便だしな」

「では、フェル。この名を君に贈ります」

 ネズミは小さな目をいっぱいに見開いて、胸の前で組んだ手をぎゅっとにぎった。

「こんなにすてきなことが世の中にあるなんて」

 フェルは細長い尻尾を揺らして路地をでた。

「ここが賭場です」

 戸や窓のすきまから、昼さがりでも明るい光が漏れている。音楽とざわめきが体を震わせる大騒ぎのなかへ、三匹はそろそろと入っていった。

 賭場は半狂乱のありさまで、誰かが的を銃で撃つたびに鼓膜をやぶるような爆音がした。グラスが乾杯でかちあっているのか、割れているのかわからない音もひっきりなしにしている。女も男も叫ぶように笑って、体じゅうから強い酒のにおいがした。

 騒ぎのおかげで、隅をそろそろと歩く獣たちには誰も気づいていない。ジャックは顔をしかめた。

「このなかでどうやってネズミを探すんだ」

 フェルはきょろきょろと辺りを見回し、ジャックの背から飛びおりた。

「待っていてください」

 ジャックとクラウドは横倒しになったテーブルに身をひそめ、フェルを見守った。フェルはカウンターに近づきたいようだが、酒盛りに有頂天の男たちの足下を右往左往していた。

「危ない」

 とっさに飛びだしたのはクラウドだった。ジャックが吠えるが間に合わない。酔っ払いの数人がクラウドに気がついた。

「見ろよ、ぼろ雑巾みたいな犬だ」

「誰かつまみ出せぇ」

 踊るようにふらついている男たちに、カウンターの男が言った。

「ここはロダンズヘルム。その犬を撃ち殺せたらチェックをやろう」

「正気かロダン、このワン公は、お犬さまって言うんだぜ。銃創なんか見つけられりゃ、俺たち全員縛り首だ」

 賭場は静まりかえった。しかしカウンターのロダンはグラスを磨きながら続けた。

「ウィール・オブ・フォーチュンでもスロットでも、飲み食いしながらのキノでも、ダーツでもクラップスでも何でもいいぞ。俺を相手にバカラをしたっていい。チップだろうがチェックだろうが矢だろうが、何でも100万ぶんやろう。しかもテーブルリミットはなしだ。乗るか?」

 がた、と方々の机から女や男が立ちあがった。自分の得物がないものは射的場から銃をとり、クラウドに狙いをさだめた。

 気がついたフェルが戻ろうとするのを、クラウド自身がとめた。

「行ってください、私のことは心配いらない」

 フェルはクラウドの「再生する」という言葉を思いだし、苦虫を噛みつぶしたような顔で走りだした。

 ジャックがテーブルの陰から飛びだすのと同時に引き金がひかれる。銃弾はクラウドの耳や足に当たり、尾を吹き飛ばし、灰色の毛並みを赤黒く染めていった。

「やめろ!」

 ジャックがクラウドに覆いかぶさろうとするのを、クラウドが体当たりで阻んだ。のそのそと起きあがったクラウドの、銃弾で射貫かれた体がまばらに白く再生していく。

「嫌だ、何なのこの犬」

 ちぎれたはずの尾が再び生えて、空の雲より真っ白な毛並みが現れる。銃撃がやんだところで、クラウドは人の言葉で語りかけた。

「やめてください。我々はすぐに立ち去ります」

「嘘だ」「喋った!」「化け物なんじゃないか」

「おい、やめだやめ。お前らだらしないぞ、誰も犬っころを殺せないなんて」

 カウンターからロダンが出てきた。ロダンはクラウドの前に膝をつき、コインを弾いた。

「簡単な賭けをやろうぜ。お前たちがこの町から無事に出て行けるか、仲間を質にとられて無限に毛皮を剥がれるか……コインの裏表で決める」

 キーン、とコインが甲高く鳴いた。ロダンはジャックに銃口を向ける。

「かばったってことは、あっちは不死身じゃないんだろ? あの足。千切れたままみたいだしな……どうする化け物」

 クラウドは澄んだ水面にロダンをうつす。ロダンは口の端で笑んでいるように見えて、その目は虚ろに影をおとし、コインの光だけを反射していた。

「この町ロダンズヘルムは、俺が賭け事ひとつで大きくした。兵隊相手に自分のヘルムで始めた丁半博打から、少しずつ発展させてきたんだ。ここじゃ賭け事なしに運命は決められねえよ。さあ、今から放るコインが落ちたとき、上にくるのは表か、裏か? 俺が賭けるのはお前の選ばなかったほうだ」

 クラウドはゆっくりと体を伏した。ジャックは身をのりだす。

「やめろクラウド!」

「動くなワン公。銃口はひとつじゃないぜ」

 獰猛な獣の唸りもロダンには通じない。ジャックには賭場じゅうの客から銃が向けられていた。クラウドは静かに言った。

「どちらでもない、それに賭けます」

 口にした瞬間、ロダンはコインを弾いた。くるくると回転しながら落ちたコインは、床の上でスピンしたまま止まった。上を向いているのはコインの側面だ。酒場からどよめきがあがる。

「たいした犬だ」

 クラウドは食い下がった。

「賭けに勝って無事に帰るだけ、というのは割りにあいません。我々にも利益を要求します」

 ロダンは両手を挙げた。

「何が要る、金か?」

「水と食べ物と、休める場所を。私の毛皮にかけるのなら、次の町まで馬車で送っていただきたいくらいです」

 ロダンは奇妙な喋る犬に頷いてみせた。

「このロダンに二言はない。てめえら聞いたな」

「正気じゃないぜこの男」

 客は呆れながらも、喋る犬に関わりたくない様子で宴席にもどった。賑わいを取り戻す賭場の裏口からジャックとクラウドは出て、ロダンの家に案内された。狭い平屋のなかには生活感がない。家具はベッドと、その脇のテーブルだけだった。

「この町で俺の家に悪さをする奴はいねえ。馬小屋のほうがマシかもしれねえが、くつろぎな。妹に飯を用意させる」

 ロダンが賭場に戻ってから、クラウドは大きなため息を吐き、ジャックの背中に顎をのせた。

「話の通じる人間でよかった……」

「よくあるか! あんな無茶な注文しやがって」

 ジャックはクラウドが言ったように、混沌の力を使ってコインを立たせた。そうでなければコインは表か裏に倒れていただろう。

「頭のネジが飛んでるおかげでイカサマを信じたし、俺たちの要求を飲んだんだ。あいつはまともじゃないぜ」

「混沌の使徒である君が言うのですか?」

 くすくす笑うクラウドに、こんどはジャックがため息を吐いた。

「隠すつもりも無かったけどよ……わかるだろ、俺は普通の獣とは違う」

「私もそうです、ジャック」

 クラウドはきらめく水面を細めて語った。



 ――最も神さまに近い模造品が私です。

 はじまりは私たちの父ヨハネ、サンゴルゴナ王子が密かに手にした神の犬歯と爪から造りだした白い犬でした。

 私とすべての兄弟は、父ヨハネの骨から造られた。私たちには神と同じく、雄雌の性別がないので、自然に生まれることはありません。犬の奇妙な出自を隠すために、サンゴルゴナ王子は「母犬」を用意しました。年老いて毛が白く抜けた犬をさらに白く染めた、偽の家族でした。名前はルーチェといいました。

 私は兄弟のなかで最も神に近しいとサンゴルゴナ王子は言いました。私は口輪をつけられ、ほかの兄弟と離れて暮らすことになりました。

 不意に、私は与えられた棟の二階へと赴きました。そこには真鍮で台座にとめられた、父ヨハネの剥製と骨壺、大きな写真が飾ってありました。窓からは春の風がふいて、ただ静かな物言わぬ父と私とがあるだけ。

 すると声がしました。「還りたい」と。風の音かと辺りを見回すと、また声がしました。「谷を、野を、沼地を越えてあの森へ還りたい」と。どこか安心できるような、不思議な声でした。

 春風が父と私の毛並みを揺らすと、また声がしました。声は私に問うのです、「お前は世界を壊すことを望んでいるか」と。声は私に、大神レグナムブレスとは何か、魔女レヴァンネンデールとは何か、私たちが造られたのは何故かを教え、静かになりました。

 私が茫然としていると、ルーチェが現れ、こう言ったのです。「お行きなさい。あなたの骨が導くほうへ、魂の欲するままにお行きなさい。そこで出逢うものがあなたを導くでしょう」と。

 私はルーチェの協力あって城を抜けだし、荷馬車に身をひそめ、あの森へとたどりついた。



「そこであたなと出逢いました、ジャック」

 ジャックは体を倒して首を振った。

「お前がレグナムブレスの模造品? そんなご大層なもんかね、ただの犬にしか見えねえけど」

 クラウドは苦笑してジャックの隣に伏せた。静かな水面は遠い日々を見つめてさざめいている。

「魔女レヴァンネンデールの目的は、レグナムブレスを復活させて今の世界を壊すこと。彼女は獣だけの世界を築こうとしているのです。私は人間が嫌いではありません、おかしな話ですが、私の子も同然なのだから」

「すっかり大神さま気取りで心が広いな。今も戦争なんてバカやってるんだぜ」

「あの子たちが生きる世界も守りたいんですよ、ジャック。不要な命などありません」

「そういうところからティーダが生まれたんだな、たぶん」

 ジャックは大あくびをした。

「人間だけ滅ぼすなんて都合のいい話があるわけねえ。世界を変えるだけのことをやらかせば絶対にツケがまわってくる。止めねえとな」

「それでこそ混沌と調律の使徒」

 クラウドはジャックにもたれ、そろった前肢に首をのせた。

「確実で最も早い解決策があります。私を殺せるのは君だけ……そのように創られたという君だけです、オルトロスケィス」

 ジャックはぴくりと体を震わせ、クラウドの首に自分の首をのせた。

「親とあっちゃ余計に殺せねえだろ、ばか」

 仲良くくっついている犬を、銀の盆を持った女がしげしげと眺めていた。女は何を言うでもなく、表情を変えるでもなく、淡々と銀の盆をジャックとクラウドにさしだす。

 銀の盆にはゆでた牛肉と牛の骨、ぬるい鶏ガラのスープ、犬が好んで食む牧草がのっている。

 ジャックはクラウドをうながし、豪勢な食事に口をつけた。

「美味い」

 不服そうに唸ってジャックは肉を噛んだ。

 女はじっと犬が食事を終えるまで待っていた。女の髪は灰色にくすんでぼさぼさ、体は痩せ細り、腕や脚に包帯を巻きつけていた。

 ジャックとクラウドが銀の盆を空にすると、女は優しい笑みを浮かべたが、すぐに表情のない顔に戻って盆をさげていった。

「今のがロダンの妹?」

「血は繋がっていないかも知れません。彼女から魔法使いの気配がします」

「そういや、城の地下にいた灰色のやつらに似てたな」

「逃げだしたのか……他にも魔法使いが隠れ住んでいるかも知れませんね。ロダンのように匿ってくれる人間のもとで」

 嬉しそうに目を細めるクラウドに、ジャックは首を振った。

「性善説はそのくらいにしておけよ。人間って生き物は混沌そのものみてえなもんだからな」


 少しのあいだ眠っていたらしい。日がすっかり傾いた頃、ロダンの妹が扉をたたいた。彼女の肩にはフェルが乗っている。手招きするほうへついていくと、二頭だての立派な馬車が用意されていた。

 三匹が座席に乗ると、ロダンが様子を見にきた。

「次の町まで送る。それ以上はアガタが危険だから勘弁しろよ」

「約束します、あなたに二言がないように」

 ロダンは後ろ手を振って賭場にもどっていった。

 アガタが手綱をとる馬車は、静かに揺れながらロダンズヘルムをあとにした。

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