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Wolfs Bane  作者: 天秤屋
12/20

ある魔女の話

 ――魔性の森に深く眠るは神の骨。

 なべて命を創られて、森の土へと還られた。

 裁かれ斬られた魔女の血が、神の骨へと染みている。

 魔女の名を冠す森は魔性、名こそそのものの命なれ。

 大神の身こそ滅びれど、魂はいまだ捕らわれて、器を求めて迷い()ず。


 我こそは魔女。

 大神をいざ呼び起こし、驕れる世をまさに滅ぼさん。



 ネズミたちに導かれ、ジャックとクラウドは城の裏手の堀に出た。老いたネズミが、小さな手でぐるりと堀を指した。

「この先、城の北には防衛線の駐屯地があります。堀をまわって城下町から西へ、魔法の森を目指すと良いでしょう。お前たち」

 若いネズミたちが、パンや燻製肉の入った風呂敷をジャックとクラウドの背中にのせた。

「わずかですが、オオカミさまのお口に合いそうなものを見つくろって参りました」

「何から何まで世話になるな。感謝するぜ」

「ありがとうございます」

 ジャックとクラウドに、ネズミたちは大げさなほど身振りをした。

「そんな、もったいない」

 ジャックとクラウドは城のネズミたちと別れ、三匹のネズミを供にして城下町を目指した。

 狭い堀のへりを駆けるのは、三本足になったばかりのジャックにとって少し難しい課題だった。たまによろめくジャックを、先導するネズミが心配そうにふり返る。

「堀には落ちないでくださいね。透明すぎる妙な水が張ってあるんです」

 ジャックは空っぽに見える堀を見下ろした。

「風が吹いても波ひとつ立たないけれど、ガラスのように透き通った水があるんです。きっと変なまじないをしてあるんですよ……並みの獣は恐れて近寄りません。さあ、参りましょう」

 前に踏み出そうとしたジャックは、後ろでじっと堀を見つめているクラウドに気づいた。神妙な面持ちをして、クラウドはにらむように堀を眺めている。

「クラウド」

 呼びかけると、いつもの丸みを帯びた優しげな目がジャックを見た。

「ええ、行きましょう」


 城のネズミは、町の入り口で別のネズミに水先案内をたくした。

「ここからは我ら町のネズミがご案内いたします」

 城のネズミたちは、ジャックとクラウドが裏路地に消えるまで見送った。

 町のネズミは用心深く、少し行ってはすぐ止まり、あたりを警戒した。まったく進まない道行だが、おかげで誰の目にもとまらず町の半分まで来ることができた。

「あなた方が城から出たことはすでに知れているのでしょう。町にも兵士が入っています。それに何より、城下町ってやつは人の目が多くていけない」

 窓の下を這い、ごみの陰に隠れ、酒樽の中に入り……狩りをする時だってこんなにも息を殺したことはない。ジャックは三本足でようやくネズミに追いつくと、舌を出した。その様を見て、ネズミたちは申し訳なさそうにした。

「本当なら、町のネズミが集えばお二方をお運びすることもできるのですが。なにせ都市でネズミが大群になっていると目立ってしまうのです」

「ああ、これでいい。大丈夫だ。充分やってくれてるさ」

 三本足で踏ん張るジャックを、クラウドがそっと支えた。

「無理をしないでください、ジャック……君の足は」

「言うな」

 ジャックは、春に草原をそっと揺らす風のように言った。

「たぶん、謝らなきゃいけないのは俺のほうだ」

 クラウドには、まだジャックの言う意味がわからない。

 一行は順調に町を進んでいたが、隠れる場所のない大きな通りにぶつかった。ここを越えなければ町の出口にはたどり着けない。方々との戦争のただ中にある国の城下町となれば、四方に巨大な鉄門扉を築き、高い防壁に囲まれているのは当然のことだ。門の外には見張りの(やぐら)が建ち、常に四人ばかりの兵が目をこらしている。監視の目をかいくぐって森を目指すなら、逃亡路の最短距離、西の門から出るよりほかにない。

「ここから西に向かいます。大通りを越えたら、あとは通りにそって行けば」

 話の途中で、ネズミは凍りついたように動きをとめた。

「どうした、猫でもいたか?」

「それより悪いものが」

 ネズミたちは耳と鼻とひげをせわしなく動かし、走りだした。

「オオカミさま、お早く! 追手が!」

 ジャックとクラウドはうながされるままに駆けだした。ジャックはあたりに視線を飛ばし、ふと空を仰いだ。軒のせまい隙間にのびた空を、おぞましいほど黒々とした鳥の影が飛んでいる。執拗に頭上を旋回するその鳥は、影そのものであった。

「あの男」

 ジャックが呟いた刹那、遠くから複数の足音が聞こえた。

「ち、犬だ」

 遠くから吠えたて、わざと存在を誇示しながら猟犬が迫ってくる。不安そうに首を低くしたクラウドに、ジャックがペースを落として並んだ。

「後ろから追ってるってことは、すでに四方を囲まれてるな」

「ジャック、何をしているんです」

 ジャックはさらにペースを落とし、殿を走るネズミより退がった。

「時間をかせぐ。心配するな、必ず追いつく」

「ジャック」

 クラウドは留まろうと足をゆるめたが、突然、自分の右後肢が言うことを聞かなくなった。つられるように、四本の足が速度を上げる。

「ジャック!」

「大丈夫だ、行け! お前たちがいると都合が悪いんだよ」

 ジャックはにやりと笑ってみせた。

 ネズミはオオカミの言葉に逆らえない。何度もジャックをふり返りながら、ネズミたちとクラウドは町の影に見えなくなった。

 ジャックは三本足で石畳を噛み、首をもたげて天を仰いだ。この世のすべてを震え上がらせるような遠吠えを、暗灰色のオオカミは遥か雲の向こうまで轟かせる。不気味でいて神聖な遠吠えに、猟犬たちは引き寄せられていった。

 すべての足音が自分に向かってくることを確かめると、ジャックはさらに地を揺るがし大気を震わせて、獣の歌を奏でた。

 最初に誘い出されたのは、おそらくにおいを追って先導していた小さな猟犬ドーイだった。

「うへええっ 助けてリーダー! コスモスぅ! グラヴィ、誰かっ!」

 ドーイの意思とは関係なく、その体は抗いがたい歌に呼ばれてジャックに近寄っていく。

「誰でもいい! 助けてえ!」

「ドーイ!」

 追いついた赤毛の猟犬が、自分から小さな犬とジャックとの間に飛びこんだ。

「うわあっ リーダー!!」

 ドーイは心底安堵して赤毛の猟犬ウェインを見つめた。自ら渦中に飛びこんだウェインは、オオカミ狩りの犬ではなくとも果敢にジャックに挑もうとした。しかしなぜか、悠々と歌うオオカミに一歩たりとも近づくことができない。

 揚々と轟く遠吠えに聞き入れば、背筋を冷たいものが這う。危険だ。逃げなければ。いますぐあれから遠ざからなければ。本能が警鐘を鳴らし続ける。

「ドーイ、動けるか」

「逃げ足自慢の俺がいつまでもこんなところにいるわけが、わかるかい」

 ウェインは暗灰色のオオカミを見据えた。あれは何だ。一介の獣ではないことは確かだった。

 おののく彼らの背後から、気づかいに満ちた声がした。

「リーダー、ドーイ!」

「来るな、コスモス!」

 しかしイングリッシュコッカースパニエルのふわりとした白い足は、否応なく歌声に惹きよせられていく。

「すぐにグラヴィも追いつくわ。大丈夫、私たちが集えばきっと」

 コスモスは言葉を続けることができなかった。



 国王が末子、第百位サンゴルゴナ・サンジュスト、通称サンゴ王子が象牙城を与えられたのはわずか三つの時だった。幼少のおりより、百人の料理人、百人の召使い、百人の掃除婦、百人の大臣、百人の踊り子、百人の奴隷、百人の家畜番、百人の将軍、百人の近衛兵、百人の研究者が常にサンゴを取りまいていた。

 王はことあるごとに九十九人の息子や娘をさしおいて、力持たぬ幼子のサンゴを重用した。サンゴの肌は生まれた時から日に焼けた小麦色をして、毛髪は抜けるような白であった。この子は祖先の英霊がくださった宝だと王はかたくなに信じていた。

 ある時、サンゴは一匹の白い犬を抱いて庭遊びから戻ってきた。どこから迷いこんだものか、一点の斑もない純白の犬は、世界にこの犬ただ一匹であった。王はたいそう喜んだ。サンゴと同じ特別な犬であるとして、これを重んじた。

 齢三つとなっても言葉を発しなかったサンゴが初めて話した。

「これはヨハネ」

 ヨハネと名づけられた犬は、臣下によって「高貴なお方」と呼ばわれた。

 後にヨハネの番となる「尊き母」がサンゴのもとに現れ、「高貴なる一族」を築いた。多くの兄弟のなかの一匹、クラウドをサンゴは何より大切にした。

「このクラウドこそ我が生涯の望み」

 サンゴの言葉を受け、臣下もまたクラウドを「最も高貴なお方」と呼んだ。


 サンゴは雑多に撒かれたクッションの上に寝ころび、ぼろ(きれ)のようになったウィーズルから報告を受けていた。

「高貴なお方とオオカミとは城より逃れ、城下町に。門の番兵からの報告はなく、猟犬が追っています」

 サンゴは寝返りをうち、ウィーズルに背をむけた。

「いいよ、君も休むといい。クラウドにはまだ、森でやってもらうことがある。悪いけど見張りにもう一度、君の部下をつけなくちゃ。ここに魔法使いたちとフェンリルの骨があるだけで今はじゅうぶんだ」

「はい」

 ウィーズルは敬礼して白い部屋を出た。

(腹の読めぬお人だが、功績をたてた者は公平に評価される。魔法使いも奴隷あがりも別はない。この世で最も仕えるに値する人間だ)

 握りしめた腕はひび割れ、肌の下から呪いが黒くたちのぼる。美しい見かけは醜い己の本性を隠す。あの王子の肌の下にも醜いなにかが潜むかもしれないと、ウィーズルはひとり北叟(ほくそ)笑んだ。



 かつて大神として世にあった巨狼(おおかみ)と、伴にあった魔女の逸話は、人の世に、魔法使いの血に、どのような歴史の謂れを残したであろう。その真実を知るものはもはや魔女の魂のみであった。

 魔女レヴァンネンデールは強い魔力を有していた。彼の者は慈愛に満ち、世の迫害にあって傷ついた同胞をなべて受け入れ、平穏の道へと導いた。

 かつて魔法使いの一族は神の血を分かたれた神聖なる血統であったが、人間の大半をしめる只人たちはこれを恐れ、羨み、劣等感をつのらせていった。只人たちは魔法使いを疎み、只人だけの王国を築いた。只人は命を殺すことに長けていた。その知恵で、技術で、あらゆる生き物を殺すことができた。

 ある時、只人たちは気づいた。自分たちが見つけて鍛えた鉄の武器ならば、精霊を殺せるということを。只人たちは精霊を鉄の檻にとらえ、魔法の力をむさぼり、さらなる繁栄をとげた。

 只人の大国ができあがった時、精霊は世界から姿を消していた。

 次に只人が標的としたのは、魔法使いたちであった。同じように鉄の武器で弱らせ、孫子の代まで鉄の檻にいれ、国の主要な場所へ配った。只人は魔法の恩恵をほしいままにした。

 魔法使いの一族はつぎつぎに過ぎた魔力をつかって身を滅ぼし、薪のように燃え尽きては新しいものと替えられた。こうして魔法使いは、只人の王にとらわれた者たちを残して死に絶えた。

 これを嘆いたレヴァンネンデールはひとり戦いを挑むが、鉄の武器を前になすすべもない。死にかけた体を引きずり、魔女は沼地を訪れた。星を動かすほどの魔法の力を贄として、魔女は(こいねが)う。

「人の世に悪評高きフローズヴィトニル、破壊の杖ヴァナルガンド! 地を揺らすフェンリル、生命の息吹レグナムブレスよ! 最初の獣らよ! いま還りきて汝の子らを救え! 血の川を()かび(みだ)れさせよ!」

 魔女の祈りが死した大神の骨に魂をひき戻し、深い眠りについていた四使徒の獣らを解きはなった。

 はじめに混沌と調律の獣が目を覚ました。この獣が鳴くと、次々に使徒が目覚めた。創世と構築の獣が鉄の力を弱め、破壊と無我の獣が鉄の檻を壊し、慈愛と導きの獣が魔法使いたちを守った。

 そして大神レグナムブレスが顕現した沼地が、魔法使いの終の棲家となった。

 只人は畏れを失くし、かつてこの世を創りたもうた神にすら鉄の穂先を向けた。大神と魔法使いたちは沼地に囲まれた鉄の(イアールンヴィズ)にて急襲をうけ、森に溶けた鉄が流しこまれた。鉄と、その熱があげる炎に魔法はきかない。

 焼けだされた魔法使いたちに向け、只人の軍勢は鉄の矢を射かけた。大神レグナムブレスは自らの体を盾として魔法使いらを守り、両目を射抜かれた。とたんに月と太陽とが失せ、なにもかもが闇に覆われた。その暗闇から混沌と調律の獣オルトロスケィスが踊りでて、只人の軍勢を襲った。

 負けじと只人らが鉄の矢を射かけると、再びレグナムブレスがこれを受けた。傷ついたもののため、血を流すレグナムブレスが吐息のような声で呼ばうと、慈愛と導きの獣ティーダ=ティダリッカが駆けつけた。ティーダの力で魔法使いやレグナムブレスが息を吹きかえす。

 次に軍勢が鉄の矢を放ったとき、レグナムブレスは創生と構築の獣グリモワールに命じ、鉄をもろい錆のかたまりに変えた。しかしすべての矢には毒が塗られ、触れたものは悶え苦しんで死んだ。

 レグナムブレスは最後まで封じていた、破壊と無我の獣レギアクルスを呼びよせた。その咆哮に応え、レギアクルスはオルトロスケィスに加勢して多くの只人を葬った。

 それでも只人の勢いは衰えず、呪術師がグリモワールに魂を移して反撃にでた。操られたグリモワールは、月のはしご、世捨て人の金貨、魚の涙、鳥の三本目の足、雨の色を織りこんだ、ミスリル銀となめし革の(グレイプニル)をつくった。グレイプニルはグリモワールも含めすべての使徒を大地に縛りつけた。

 只人は群がってレグナムブレスに槍を突き刺した。天を雷が駆けぬけるなか、魔女レヴァンネンデールはレグナムブレスをかばおうとして鉄の剣に斬られた。その血が、倒れふしたレグナムブレスの舌にかかった。

 グレイプニルはレグナムブレスの口吻を縛ったが、只人たちが何百何千と鎖に群がってもレグナムブレスを動かすことはできなかった。

 レグナムブレスは創世のおわりに死をもたらしたように、自らの命を終わらせる死の遠吠えを歌った。オルトロスケィス、ティーダ、グリモワール、レギアクルスは地に縫いとめられたまま遠吠えに応えた。五つの不気味な遠吠えは大地を揺るがし、沼地をせり上がらせ、レグナムブレス、ティーダ、レギアクルス、魔法使いたちをおし上げていった。

 只人の大軍勢は遠吠えに命を失い、逃れたものも、ことの顛末を国王に告げたのちにオオカミの毒に冒され、ひとり残さず息絶えた。

 イアールンヴィズは絶壁の円柱のいただきにのぼり、魔女の名を冠してレヴァンネンダールと呼ばれるようになった。側近くに村を築いた魔法使いの末裔たちによれば、レグナムブレスはレヴァンネンダールで息絶え、ティーダとレギアクルスが墓守をしているのだという。



 サンゴは鏡の前に立つ。みごとな日に焼けたような小麦色。抜けるような白い髪。線が細く整った美しい顔立ち。女のようであり男のようでもある。

 ――私の肉体はなにもかも、魂も寸分狂わず私のものだ。犯した過ちを、あれだけの罪を忘れて生を謳歌する只人どもに手を下すため、戻ってきた。

  レグナムブレス、あなたの築く世界に行きたい。私は戻ってきた、私の呪いを果たすために。願わくば、私は人ではありたくない。あなたのように、四使徒のように、気高く畏ろしいオオカミになりたい。

  もうすぐだ。


 ここに在るのは、人の子の形をした化け物。

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