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帝国へ向かう準備


 帝国に向かうまであと2週間。

私は父王ゴードンの呼び出しを受けて14年ぶりに王宮に足を踏み入れた。

赤子の時に数か月だけ王宮で暮らしたと聞いているけれど、当然ながら全く記憶に残っていない。王宮に自分の足で歩いて入るのは初めて。


 案内されたのは謁見の間。

公的な謁見でなく、どちらかというと私的な謁見に使われる小さな広間だった。

正面の数段高いところに王座があり、眉間に深い縦皺を寄せた茶髪で緑色の瞳を持つ大柄な男性が座っている。


…あれが、お父様…。


そしてその左側には吊り目で唇の薄い冷たい表情をした男性が立っている。

…たぶん宰相のバンダース公爵だわ。レダーシア姫の祖父にあたる。


 その時、隣に立っていた近衛兵が軽く咳払いしたので、はっと我に返って数歩正面に進み出てカーテーシーをとる。


「王国の太陽、ゴードン陛下にご挨拶を申し上げます。」

「…頭を上げよ。」

 低い声が聞こえたので姿勢を元に戻すと、ゴードン王がなんだか泣きそうな辛そうな、それでいて憎しみが籠った目をして複雑な表情をしているのがわかった。


「エーデル様。本日お呼びしたのは、フェアリーリーフ帝国滞在時の行動について陛下からの命令をお伝えするためです。」


 父王から何か言ってもらえるかと思ったけれど、声を発したのは宰相だった。


「帝国にはこちらで用意した侍女と侍従を付けます。彼らから離れないように。」

「帝国皇帝への挨拶もこちらで事前に用意します。行くまでに暗記しその通りに述べてください。勝手に付け加えてはなりません。」

「帝国滞在中はできるだけ口をつぐむように。会話は同伴する私の息子…ハリー侯爵に任せる。」

「帝国からの質問についても事前に質疑応答をまとめてあるので暗記しその通りに回答すること。」

「帝国滞在は3日間。皇帝生誕祭の前日に到着し、2日目は生誕祭に参加。3日目の生誕祭の翌日早朝に帝国皇宮を発ってもらいます。滞在の延長は認めません。」


 そして、宰相は胸元に抱えていた分厚い紙の束を取り上げると私に押しつけた。

「2週間で暗記してください。」


「あの!ちょっと待ってくださいませ。帝国にはおじい様だけでなく他にも親類の方がいらっしゃいます。」

「それが何か?」

「その方たちとお茶会などを愉しむ時間はいただけないのでしょうか?」

「必要ありません。」

「な、なぜ?」

「陛下が不要と判断したからです。」

「そ、そんな!横暴です。」

「横暴?陛下に対して、何という不敬な!」

平手打ちが飛んできた。

「…帝国の皇帝に理不尽を訴えますわ!」

きっと睨みつけると、宰相の薄い唇がゆがんだ笑みを浮かべる。

「お渡しした書類に書かれた内容以外のことを帝国でしゃべったら。…ドリーを殺します。」

「な…!?」

「ドリーは帝国には行かせません。この国であなたの帰りを待ってもらいます。…いわば人質ですな。しかも、滞在先は地下牢です。」

「ひ…酷い!」

「エーデル様。帝国に我が国にとって不利なことはお話にならないように。元気なドリーとまた再会したいでしょう?…帝国に長く滞在しても構いませんが、あなたが長く帝国に留まるとドリーが地下牢に居る日も伸びるだけですよ。どんどん衰弱していくでしょうねえ。あそこは非常に劣悪な環境だから。見てみます?」


唇を噛む。

ドリーは帝国に帰省できるのを楽しみにしていたのに。

帝国には彼女の両親も友達もいる。それなのに行かれないなんて。

ドリーは私のたった一人の家族。育ててくれて側にずっと居てくれたのはドリーだけ。実の母のように愛して頼りにしている人。

彼女を見捨てるような真似は、…できない。


私のその思いを宰相は理解したのだろう。くっと喉で嫌な笑いを漏らし、

「エーデル様は賢明でいらっしゃる。ちゃんと陛下の言う通りにして戻ってくれば…。またドリーと一緒に過ごせますよ。」




 書類を持たされたまま塔に連れ戻されれば、ドリーが駆け寄ってくる。

「姫様、どうなさいました?真っ青なお顔をされています!」

「ドリー…。」


 我慢していたのがぷつんと切れて泣きだせば、ドリーが慌てて抱き寄せ背中を撫でてくれる。そのおかげで少しずつ昂った気持ちも収まっていく。



「あのね……。」

 涙がだいぶ引っ込んでから、何があったか話をすると最後まで黙って聞いていたドリーは眉をひそめながら言った。

「…まずはその書類をお読みなさいませ。わたくしも読ませていただけますね?」

「もちろん。」


 その後、2人で一緒に宰相が作成しただろう書類を読んで、呆れかえった。

簡単にまとめると、

私はずっと病弱でほとんど寝込んでいたことになっている。

病弱のため国を治めることなどできるはずもなく、自分よりはるかに賢く何をしても優秀な妹のレダーシア姫に王位を譲りたいと思っている。

ダゴン王国では自分を大事にしてくれている大好きな人もたくさんいるので、将来はレダーシア姫をサポートしながら母の墓所の近くで静かに暮らしたい。

…だそうだ。

想定される質問と回答もダゴン王国にとって有利な内容になっており、それだけでなく、どれだけ自分が大事にされているか、ダゴン王国を愛しているかをアピールする内容でまとめられていた。


「…ずいぶん嘘で塗り固めておりますこと。ここまで来るとあっぱれですわ。」

ドリーが王宮の方角を睨みつける。


「…エーデル姫様。この書類は暗記しなくても結構です。」

「え?でも?」

「わたくしのことはお気になさらず。エーデル姫様が帝国に到着する日になりましたら、わたくしは自害いたします。」

「ドリー!」

「ですから、姫様は帝国皇帝に御身が虐待されていることをお伝えください。…そうすれば、姫様だけは助かります。」

「そんなこと、できるわけないじゃない!」


 ドリーは私の手を取った。


「大事な大事なブランカ様からお預かりしたお子。ブランカ様をお助けすることができなかったのがわたくしの最大の苦しみ、罪でございました。…その罪滅ぼしのために、わたくしは生きてきただけでございます。エーデル様が帝国に保護されれば、ブランカ様ももうわたくしを許してくださいますでしょう。だから、エーデル様はわたくしのことは気にされないで良いのです。」

「嫌!だめよ!ドリーはわたくしの大事な家族なんだもの!」

「…わたくしは身分が低い単なる侍女でございます。」

「身分なんて関係ない!ドリーはわたくしのお母様も同然なんだからあ!」

「ひ、姫様…。」


 ドリーの首の後ろに両腕を巻き付けて抱きつき泣きだせば、ドリーも泣いているのがわかった。2人で泣きながら抱き合って、どれくらいの時間が経ったのだろう…。


 ドリーを必死で説得してようやく自害を思いとどまってもらう。

地下牢は辛いだろうけど我慢して待っていてくれることになった。

生きてさえいれば、いつかは2人で逃げ出せるか、もしくは帝国に助けてもらえると信じて。


「話は自由にできないと思ってよろしいでしょう。」

そうと決まればドリーは気持ちを切り替えて、帝国にどうやって助けを求めるか一緒に考えてくれる。

「そうね。…帰る時にこっそり助けてほしいという手紙を部屋に残せないかしら?」

「なるほど、それは良い考えですね。…でもきっと24時間見張られて手紙を書く暇はないでしょう。持ち物もおそらく宰相が用意したものだけになるでしょう。」

「うーん…。下着の中にしのばせるのは?」

「侍女が着替えさせるんですから、すぐばれますね。…でも衣服に忍ばせる以外の方法はございません。ふむ…。旅装のマントに隠しポケットを作りましょう。ポケットに手紙を入れたらその上から簡単に縫い付けてしまいます。その糸を切って引っ張ったら手紙をすぐ取り出せるでしょう。部屋を出るときうまいことその手紙を花瓶の下などに滑り込ませられれば。」

「やってみる。」

「うまくいくことを祈っておりますわ。」


 あらかじめこの国での扱いと帝国に亡命したい旨を簡潔にまとめた手紙を封筒に入れ、母の唯一の形見の指輪…帝国皇帝の子供が成人すると与えられる印章…で封蝋をする。

この指輪は母が毒杯を仰ぐ直前、父にも内緒でこっそりドリーに渡したものだそうだ。

私が成人したら渡してほしいと頼んで。



 帝国に行く前日の夜、着ていく衣服一式が届いた。早朝出発なので、起床後すぐに着て待っているようにという伝言とともに。


ドリーはマントに急ぎ秘密ポケットを追加してくれた。

「ドレスは同じ服に袖を通すことはないでしょう。でもマントはダゴン王国王家の紋章が身分証明代わりに刺繍されています。こればっかりは行きも帰りも着なければなりません。ポケットの口は縫い付けたから1枚の生地のように見えます。マントを調べられても見つからない…はず。」




 帝国へ出発する日の早朝、ドリーと私は地下牢まで連れていかれ、ドリーだけ地下牢に入れられた。換気が悪くむっとすえた臭い、湿気も多く地下牢のベッドや寝具は明らかに不潔でボロボロだった。


「こんなところに乳母を長く入れておきたくはないでしょう?」

冷ややかに宰相が言う。

「早くお迎えにきてあげないと、ね?エーデル様。」



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