レダーシア姫
「レダーシア様、今日はどのドレスになさいますか?」
ずらりと並んだドレスを着たトルソーを見ながらレダーシアはむっつりと黙り込む。
どれもなんとなく気に入らないのだ。
なぜなら、全て1度は着たことがあるドレスだから。
「1度でも着たドレスは嫌。」
「…それは…。」
困ったように侍女たちが顔を見合わせる。
「無いの?だったら、仕立て屋を呼んでよ!新しいドレスが欲しいわ!」
侍女たちがますます困ったようにうつむく。
レダーシア姫に与えられている今年の被服費はまだ年度の半分も過ぎていないのにとっくに無くなっている。
財務省から今年はもう新しいドレスを作るお金はありません。と先日怒られたばかりだ。
「…何よ!呼べないって言うの!?」
癇癪を起したレダーシア姫が手近にあった花瓶をつかんで侍女に投げつける。
悲鳴が部屋に満ちた。
「まあまあ、レダーシア様。」
その時入ってきたのはレダーシア姫の乳母のドーラ。
「バンダース公爵から新しいドレスが先ほど届きましたわ。ドレスルームにございます。お召替えなさいませんか?」
「おじい様から!?」
ぱっと喜色に顔が染まる。ドーラと一緒にドレスルームに移動しながら聞く。
「ドレスは何着届いたの?」
「3着でございます。」
「…3着かあ。ぜんっぜん足りない。お父様におねだりしようかしら。」
「そうなさいませ。」
レダーシア姫は父のゴードン王に溺愛されている。
王の血を引くたった一人の子供だから。
でも、母のグレタはゴードン王から疎まれ離宮で暮らしている。
グレタはこの国の宰相でもあるバンダース公爵の次女。そのバンダース公爵の母親は先々代のダゴン王国国王の第二王女だったから王家の血を引いた高貴な女性。
けれど、ブランカ王妃亡き後も王妃に立后は許されず、側妃として側に上がることも許されていない。
社交の場にも出られず、離宮でひっそりと生かされているだけ。
父が母の離宮を訪れることも無い。
レダーシア姫はどうして父王が母を疎んじているのかわからない。
もっとも最近は王宮で暮らすレダーシア姫も離宮にめったに足を向けない。
母が嫌いなわけではないけれど、苦手なのだ。
うんと小さい頃は母と一緒に離宮で育った。
その母はいつもレダーシア姫に毒のある言葉を与え続けた。
自分のもとに来ない父王への恨み言。
王妃に立后してくれない父王への恨み言。
父王が振り向いてくれない原因となった亡き王妃ブランカへの憎悪。
そのブランカ王妃の子供エーデルとレダーシア姫の比較。
「あなたはあの女の産んだ子供なんかに負けるんじゃないわよ。」
「あなたがこの国の女王になるの。あんな女の子供じゃなくって。良いわね?」
母に会いに行っても聞き飽きた愚痴や恨み言を聞くだけで、自分の話を全く聞いてくれないから自然と足も遠のいた。
新しいドレスに袖を通して朝食を食べ始めたレダーシア姫に、乳母のドーラは今日の予定を伝える。
「午前中は歴史学と帝国語の講義がございます。昼食後はダンスと刺繍の講義で、その後、マナーレッスンを兼ねてのお茶会。お茶会の参加者は、」
「嫌。今日は午前中、お父様の所に行くわ。講義はキャンセルして。」
レダーシア姫がドーラの言葉をさえぎる。
「レダーシア様、最近は講義をお休みしがちではございませんか。陛下の元へはお茶会を少し早めに終わらせてその後でよろしいかと…。」
「嫌!」
口元をぬぐったナプキンをテーブルに叩きつけて、レダーシア姫は荒々しく席を立つ。
引き留めるドーラを無視して部屋を脱兎のごとく飛び出し、レダーシア姫は父王ゴードンの居室に駆け込んだ。
「レダーシア様。またノックもしないで駆けこまれるとは…。」
困ったように声をかけてくるのは、父王の横で何か話をしていた宰相バンダース公爵。レダーシアの祖父だ。
「あら。おじい様。いらしたの?」
「急な決裁が必要になりまして…。」
「ふうん?…ねえ、お父様、ねえ!」
「どうした?レダーシア?」
「あのねえ。お願いがあって!」
父王ゴードンに甘えてしなだれかかれば、ゴードン王も苦笑いし、バンダース公爵に退室するよう手で合図する。
ため息をついた宰相が従僕らも連れて退室し、姫と2人きりになってからゴードン王はレダーシア姫に笑顔を向ける。
「お願い?何だ?私のかわいいレダーシア。」
「新しいドレスが欲しいの!」
「ドレス?ドレスだったらいつでも作って良いと言っているのになぜわざわざ?」
「だって、侍女達が仕立て屋を呼んでくれないんだもの!」
レダーシア姫が頬をぷくっと膨らませ、地団太を踏む。
…なるほど、予算を使い切ったか。
本来は予算管理もしてほしいところだが……。
自分にそっくりな淡い茶色の髪と緑色の目を持つレダーシアは親の贔屓目から見ても美人だ。
彼女の美しさを引き立てるドレスは何枚あっても困るまい。
「侍女達を罰しよう。お前が望んだら拒否は許されないのだから。」
「本当?お父様?」
「わたしの後を継ぎ、この国の女王になるお前の望みは王の望みと同じだ。好きなだけドレスを買いなさい。財務省にもそう命じておく。」
「わあ、ありがとう、お父様、大好き!」
レダーシア姫は父のゴードン王の頬にキスすると、さっそく仕立て屋を呼んでもらうの!とバタバタと飛び出していった。
「やれやれ…。」
苦笑いするゴードン王のところにのっそりと戻ってきた宰相バンダース公爵は眉をしかめて苦言を呈する。
「姫に甘いのはわかっていますが、本来の服飾費の予算はもう使い切っているのですよ、レダーシア様は。予算を上乗せなさるのですか?」
「予備費があるだろう。それを姫に回せ。」
小さくため息をつきながらも宰相は承諾して、財務省に命令書を届けます。とゴードン王の元を辞し廊下で肩をすくめる。
孫娘とはいえレダーシア姫ははっきりいって愚者だ。
だけれど、彼女が女王になった時、裏でこの国を支配するのは祖父である自分だ。
レダーシア姫が政治を理解できるほどの頭を持っていないのは把握している。
彼女はお飾りで良い。なまじ余計な知恵を持ったら傀儡にするのが大変だ。
…だが、その前に。
エーデル姫を排除せねば、な。
彼女がいる限り、帝国は彼女を女王にするよう言ってくるだろうから。
冷たい笑みがバンダース公爵の顔に浮かぶ。




