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塔の中の生活


 賑やかな笑い声が窓の外から聞こえて、ついそちらに目をとられる。

塔の3階から外を見下ろせば、この建物の周りをぐるりと囲む生け垣の向こうの美しい庭園で、数人の男女が談笑しつつ歩いているのが見える。

ひときわ目立つのは豪華なドレスと宝石を身に着けて高い声で笑っている私、エーデルの妹…レダーシア姫。


「よそ見をするなぞ、はしたない!」

いきなり、肩を小枝で強く叩かれた。

「つっ!…申し訳ございません。」


 忘れていたわ。今は帝国の歴史学を学んでいるところだった。

でも、すでに覚えている話なので眠くなりかけて。だから窓の外の笑い声につい気を取られてしまった。


 舌打ちをした教師はエーデルを見るのも嫌だという態度を露骨に示しながら、また歴史の教科書を読みだす。


「今日はここまでです。明日までに完全に覚えておくように。明日テストしますからね。」

 ツンと肩をいからせて歴史の教師が部屋から出ていくのを、カーテーシーをして見送る。


「…本来なら、姫様がカーテーシーを取る相手ではございませんのに!」

扉が閉まると同時に、部屋の隅に控えていた乳母のドリーがプリプリ怒りながら近づいてきて首のボタンを手早くプチプチとはずし、肩を覗き込む。

怪我をしていないか確認してくれるのが日常茶飯事だから慣れたもの、私も軽く首をかしげて良く見えるようにする。

「少し赤くなった程度で皮膚は裂けていません。…痕になるような傷はつけられないと彼らも知っているでしょうが。」


 そう。もっと小さい時は血が出るほど何度も叩かれた。

最初の頃はドリーが「姫様の代わりに私を!」とかばってくれたけれど、「侍女の躾がなっていないから姫の出来が悪いのだ。」とドリーと2人で罰を受けることになっただけでなく、「侍女の躾がなっていない。」と私への罰がさらに増える結果に終わったため、ドリーには私が折檻されても無視するように命じてある。

それに、彼らの折檻は命が危険になるほど酷く無かったし。


「姫様の身体に傷をつけたと帝国が知ったら、この国にどんな報復がくるかわかりませんからね。」

ドリーが目をぎらつかせる。

「ドリーったら…。」

「本当のことでございます。…姫様が帝国に行くまであと3か月しかございません。今の時期は特に絶対、傷をつけないように厳命されていることでしょう。」

「帝国に行ったら、もうここには戻らなくても良いの?」

「それは…。わかりませぬ。」

ドリーが辛そうに見つめる。

「帝国は姫様がブランカ様とゴードン王の間に生まれた御子だと信じています。だから、姫様が王配を迎えてこの国を継ぐものと考えておりましょう。つまり、帝国の皇帝…姫様のおじい様…にご挨拶をされたらきっとこちらに帰国となるでしょう。」

「…お父様はわたくしをご自分の子ではないとおっしゃっているのに?」

「姫様。……姫様はゴードン王の御子でございますよ。誰が何と言おうと。」




 私ことエーデルはこの国…ダゴン王国の国王ゴードンとブランカ王妃…、この世界で最も広大な領土と最強の軍隊を持つフェアリーリーフ帝国皇帝の長女姫ブランカとの間に生まれた第一王女のはず、だった。

はず、というのは王の血を引いている子供かどうか神託を受けるクリスタルが光らなかったので、王妃の不義によって生まれた子だと父王から言われているからだ。

ただしそれはごく一部の者しか知らない。

この国の貴族や外国に向けての表向きの話は、第一王女は病弱のため塔で静養していると伝えられている。

特に帝国には絶対に不義の子と知られないように気をとがらせているという話だ。

帝国にしてみれば、帝国王女ブランカの子供であることが重要だから。

ゴードン王の血を引いていないとなったら、即時、ゴードン王を何らかの理由で殺し、エーデルを女王に祭り上げて彼女が成人するまでは帝国から誰かを後見人として送り込んでくるだろう。

ダゴン王国の王家の血が流れていなくともダゴン王国王妃の血が流れていれば問題ない。その王妃が元帝国皇女なのだから、帝国が後見に付く。帝国の理論はそういうものだ。


 でも、乳母のドリーは、「ブランカ様は絶対に不貞をされていません。クリスタルが正しくないのです。」と頑なにエーデルが不義の子とは認めていない。

でも、ドリーはブランカが嫁ぐときに帝国から一緒にやってきた侍女で、ブランカの乳姉妹だから身内贔屓していると思われ、ドリーの言葉を真に受ける者はこの国にはいないのだけど。

それに…。神託のクリスタルは絶対に正しいはず?



 母はエーデルが生後3か月になった時。

レダーシア姫が神託を受ける儀式で王の子と認められた日の翌日、父から毒杯を渡されて亡くなった。

その直後からエーデルはドリーと一緒にこの塔に閉じ込められた。


 対外的には、ブランカ王妃は産後の肥立ちが悪く病死したことになっている。

母はエーデルを産んでから1か月後には軟禁されて部屋から出られなかったし、公的には軟禁でなく臥せっていることになっていたので、それはすんなりと受け入れられたと聞く。

 母の葬儀には、母の兄にあたるフェアリーリーフ帝国皇太子が参列された。

その皇太子が葬儀後、父王に

「ブランカの忘れ形見の姫が14歳になったら帝国に遊びに来させてほしい。皇帝が孫娘に会いたがっている。」

と言ったのだそうだ。

この世界では15歳が成人なので、成人してしまったら気軽に他国には出られないだろう。その前に、という配慮みたい。


 その14歳の誕生日まであと3か月。

3か月後には、フェアリーリーフ帝国へ祖父の皇帝の戴冠30年の祝賀を兼ねた挨拶に行くことになっている。

 そして、その約束があったから、父のゴードン王はこの塔に閉じ込めながらも王女として恥ずかしくない教育を受けさせてくれているのだ。


 軟禁された場所もある意味でラッキーだった。

塔の1階はぎっしり本が詰まった図書室になっており、閉じ込められた私達にとっては多く学ぶ機会が与えられただけでなく、それ自体が娯楽だったのだ。

この塔はもともと古い時代の書物が集められた書庫でめったに人が使わなかったため、監禁場所に選ばれたらしい。

図書室の本は古代語で書かれた本ばかり。この国では古代語を読める人間が非常に少なくなっていて滅多に使われなかった場所。そのため読まれて困る本があるとは考えなかったみたい。

何より、ドリーは侍女なので学が無いと侮られていたようだ。

 けれど、忘れてはいけない。

ドリーは非常に頭がいいのだ。高い教育を受けている淑女なのだ。

何しろ、ドリーは帝国皇帝の第一皇女の乳母の子供。

帝国の第一王女の乳母ともなれば高位の貴族から選ばれるのでドリーの実家は伯爵家。

そして幼いころから第一皇女と一緒に家庭教師から学んだ彼女は、第一皇女たる母と同様の知識と教養を持つ。

母についてこの国に来なければ、今頃、帝国で高位の貴族と結婚して幸せな人生を歩んでいただろう。それを考えると胸が痛む。


そのドリーは当然、古代語にも精通していたので私は文字を教えてもらえ、今ではこの図書室のどの本でもすらすらと読める。

そのおかげである意味、講義で教わる内容が全て頭に入っていて家庭教師の授業が退屈になってしまったのだけれど。


 食事も最小限提供されている。

もっとも、塔に運んでくるまでに冷え切ってしまっているし、ドリーに言わせると王族の食事としては質素だそうだけれども。

ドレスも体に合ったサイズのものがきちんと支給されている。

ずっと同じデザインで成長したらサイズが変わるだけだけど。飾りがまったく無い黒い喪服で首が詰まった肌を極力見せないデザイン。

「王女が着る服ではございません!」

とドリーが怒っているけれど、そう言うドリーが着ている服だって王宮の下働きが着る制服。本来の侍女が着る制服とは質が違う。


 それでも、フェアリーリーフ帝国に行かせる約束が無かったら、おそらく幼少時に病気または事故に見せかけて殺されていただろうから……。

こうして王女として最低限でも生かしてもらえているのは、伯父様の帝国皇太子が招待してくれたから。本当に助かった。




 もしかしたら本当の王女と別の赤子を取り替えられたのかもしれないと父王も一瞬考えたらしいけれど、残念ながら、少なくとも母の実子…あるいは帝国皇帝の血族であることは私の容姿が証明していた。

プラチナブロンドの髪と紫色の瞳。

光の加減によって銀色にも見える淡い金髪はフェアリーリーフ帝国でも皇帝または高位の貴族しか持たない髪の色。

そして何より、紫色の瞳はフェアリーリーフ帝国皇帝の血族以外に現れない色。

帝国皇帝の親族の中には紫色の瞳を持たない者も多いそうで、それだけに紫色の瞳を持つ者は皇帝の血が濃いとされ、大切に扱われると聞く。

 母の瞳は紫に近い深い青色だったそうだ。

紫色の瞳をもっていたら、このような小国には絶対に嫁がせられなかっただろうとドリーは言っていた。

 母に似るだけではなく、少しでも父のゴードン王に似ている部分があればもしかしたら、実の子と信じてくれたかもしれないけれど、母にそっくりに育ち父に似ている部分がほとんど無いらしい。

らしいと言うのは母の肖像画はどこにもなく、生後3か月で亡くなった母を覚えていないから…。

母を死に追いやったゴードン王を憎んでいるドリーは「姫様が王にこれっぽちも似なくて良かったです!」と言い張るけれど。





 「散策の時間だ。」

荒々しく扉が叩かれ、面倒くさそうな声が響く。

急いでストールを肩からかけて、ドリーと一緒に扉から出る。

ぐずぐずしていると兵士が部屋に入ってきて「出ろ!」と槍の柄でこづいてくるから急がないといけないのだ。


「今日は30分だ。」

兵士にそっけなく言われる。

散策の時間は最短で30分、長いと2時間に及ぶ。時間が長いのは親切からでなく嫌がらせ。雨の日や冬の寒い日などはニヤニヤ笑われながら「2時間」と言われることが多い。決められた時間より前に部屋に戻ることは許されないし、その時間は歩いていなければならない。なぜなら、「健康のために運動する」ための散策だからだ。

まあ、辛いことも時々あるけれど、外の空気を思い切り吸える散策の時間は嫌いではない。



 この塔は周囲をぐるりと茎と葉にトゲがある樹木が複雑にからみあってできた自然の高い塀で囲まれており、外に出るためには1つしかない門を通る必要がある。でも、その門には常に兵士が常駐しており、普段は外から鍵が掛っていてエーデルとドリーは出られない。

そして、塔と樹木の塀の間はかなり敷地が広く取られているけれど、目を楽しませるような花々は無く、芝生も植えられていない。

雑草だけがぼうぼうに繁っている荒れた庭だ。

雨の日やその翌日はぬかるんで歩きづらいし泥はねも注意が必要な庭。

それでも薄暗い塔の中よりも空は高く明るく、かび臭い塔の中よりも空気は澄んでいてリフレッシュできる。




「まだ生きてるのねえ。」

冷ややかな声が突然、背後から響く。

この塔の敷地には誰も入ってはならないとゴードン王が命令している。

それを無視して入り込んでくるのは、妹レダーシア姫。


 初めてレダーシア姫がこの塔に現れたのは私が10歳になった頃だろうか。

いきなり現れて、

「お前が淫売王妃の娘?」

と声をかけてきたのでびっくりした。

その時はじろじろと不躾に私を上から下まで見て、フン!とすぐ出て行ったのだけれど、その後、家庭教師の授業から逃げ出してきては、甚振るようになった。

ぬかるんだ地面に突き飛ばして転ばせたり、扇子で打ち据えたり、といった暴力だけでなく、侮辱する言葉もたくさん浴びせられた。


 最初の頃は、レダーシア姫が私に接触するのを恐れるレダーシア姫の乳母や侍女、護衛が見つけ次第すぐに引き戻してくれていたけれど、やがて私を甚振ったあとはレダーシア姫の機嫌が良いことに気付くと、黙認するようになった。

それだけでなく、彼女たちも何かストレスが溜まると私の所にやってきて暴力を振るうようになる。

平手打ちや突き飛ばすなど、身体に怪我が残らない程度に。

そして、本来、この塔の敷地に誰も入れてはいけないと王に命令されているはずの門番たちも…。

いじめられているのを見るのが楽しみになったようで、初めはこっそりと門の中へ通していたのに、今では堂々と通すようになっている。


 レダーシア姫が口の片端をつりあげ、こっちに来いと手招く。

行きたくないわと思いながらも渋々近づく。

逆らえば、レダーシア姫の背後の護衛が手ひどい暴力を振るってくるから。


「王国の星にご挨拶を申し上げます。」

 レダーシア姫の前に近づくと、決められた挨拶をしながらカーテーシーを取る。

臣下の礼だ。

レダーシア姫は私を姉とは認めていない。


「あらぁ。嫌だ。お前が近づいたから、ドレスに泥がはねたじゃなぁい?」

左頬に痛みが走る。

レダーシア姫が扇子で私の左頬を打ったのだ。


「…レダーシア様。見えるところに傷をつけてはなりません。」

護衛がたしなめる。

だけれど、止めてくれるわけではない。

「見えないところになさいませ。」


「めんどくさいわねえ。」

レダーシア姫が私の後ろにカツカツと靴音を立てながら回り、首から背中にかけてドレスをビリっと引き裂いた。

それと同時に、扇子が何度も振り下ろされ、私は痛みに唇をきつく噛みしめる。

…このような折檻は今回が初めてではない。

痛みで意識を失いそうになったとき、レダーシア姫の護衛の声がした。

「…レダーシア様、そろそろお戻りにならないと…。」

折檻の手が止まる。

「…もうタイムリミット?つまらないこと。」

血で汚れた扇子を地面にたたきつけ、じろりと私を見ながらレダーシア姫は自分の部屋に戻っていく。

「さっさと死ねば良いのに。お前みたいな不義の穢れた子は!」

と吐き捨てながら。




「…この傷は少し痕が残りそうです。」

 塔に戻るが早いか、ドリーは扇子に打たれたところに薬を塗りながら、ギリッと歯ぎしりしながら、つぶやく。

「でも、傷がついていることが帝国にわかれば…。」

その時、荒々しく扉が叩かれ、ドリーは口をつぐんだ。

入ってきたのは王宮魔術師団に所属する医師。

傷の手当てをしているドリーを押しのけ、エーデルの背中の傷を見て舌打ちをすると、嫌そうにエーデルの肌に手の平を向け、

「ヒール!」

と唱える。

手の平から白い光があふれれば、切れた皮膚がふさがり赤いミミズばれも薄くなっていく。

完全に治すわけではなく、数日たてば傷が消えるだろうくらいになったのを見届けて医師は一言もしゃべらずに来た時同様、荒々しく出て行った。


 2人きりになると、ドリーが悔しそうに唇を噛む。

「傷痕が残らない程度に治療されましたね。…エーデル様の痛みが和らぎ、身体に醜い痕が残らないのはありがたいのですが、帝国に虐待を訴えても証拠がございませんね。」

 …そう。

子供の時から沢山の暴力を受けたけれど、私の肌には傷が残っていない。

なぜなら、“痕が残りそうな怪我”をしたときは、王宮魔術師団に所属している医師がさしむけられ痕が残らないように治癒魔法で治療されたからだ。

 レダーシア姫には小剣で刺されて死にかけたこともある。

その傷痕でさえ治癒魔法のおかげで残っていない。

もっともこの時は治癒魔法の使い過ぎで魔力が枯渇しかけた医師が数日寝込み、王宮騎士達の治療に差しさわりが出る騒ぎになったため、レダーシア姫の武器の持ち込みは禁止されたのだけど。




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