レオナルドとレダーシア姫
「不味い。」
レオナルドはダゴン王国のダンスパーティに招待され、ウェルカムドリンクを受け取り一口飲んで、うんざりしたようにつぶやいた。
「レオナルド。そう言うな。小国のワインなんてこんなものさ。」
「そうそう。帝国と比べたら可哀そうだよ。」
連れてきた友人達が苦笑している。
「帝国から輸入しているだろう。それを提供しろよ。」
「まあまあ、どこの国も輸出したくて自国のワインを提供するんだから、諦めな。」
「こんな不味いのを飲まされたら輸入なぞするものか。」
「あはは。それもそうだ。…でも輸入はしてるよ。安いからね、帝国の低所得者向けにちょうど良いってとこで。」
「平民のワインを王宮で出すのか…。」
「おっと。それをこの国の貴族どもに言うなよ?レオナルド。」
「それくらいの分別は持っているさ。」
レオナルドは友人達と軽口をたきながら、ぐるりと会場を見渡す。
友人達には自分がこの国に来た本当の目的は話していない。
ただ、今、帝国で話題のエーデル姫が育った国を見に行ってみるか?と悪友たちに声をかけただけだ。
悪友たちはちょうど暇を持て余していたので、大喜びでついてきた。
レオナルドは帝国でもトップクラスの魔術師。
帝国からこのダゴン王国王宮まで通常だと片道7日はかかるところを、彼の使役獣であるグリフォンの背中に乗せてもらえば、わずか1日で到着した。
ただし、このダゴン王国にグリフォンのことを知られるわけにはいかないので、王都の近くの村にある帝国が秘密裏に持っている館に降りてグリフォンを隠し、そこからは馬車で王都に乗り付けたけれど。
「ワインは不味いけど、綺麗な子が結構いるね?」
「…遊んでも構わんが、あとくされないように気を付けろ。」
「わかってる。レオナルド。心配ないさ。」
友人達がこれはと目星をつけた令嬢達のところに散らばって彼女たちを口説き始めた直後、ラッパがファンファーレを奏でて
「ダゴン王国第二王女レダーシア様ご来臨!」
というアナウンスと同時に、恐ろしくごてごてと着飾ったレダーシア姫が後ろに大勢の侍女を付き従えて入ってきた。
レオナルドはレダーシア姫を見た途端、思わず鳥肌が立ち、腕をさすった。
薄い茶色の髪はこてこてに縦ロールに巻かれ、全体にキラキラ光るダイヤモンドがまぶされている。頭の上にはダイヤモンドと彼女の瞳と同じ緑色のエメラルドがちりばめられたティアラを被っている。
顔立ちは整って美人だと思われるが、厚化粧が過ぎる。
なぜだ、目の周りを真っ青に塗りたくっているのは?
その化粧に負けないようにしたのか、ドレスは派手な赤色の生地に金糸でびっしりバラの模様が刺繍されその刺繍にもダイヤモンドがちりばめられ、天井のシャンデリアの光を受けてキラキラ輝いている。
ドレスの胸元は大きく開いていて、大きな胸をこれでもかと言わんばかりに下品に主張し、その胸元にも大粒のエメラルととダイヤモンドが輝く。
袖口や裾にはたっぷりのレースのフリルがうんざりするほどのボリュームで、派手な身頃と合っていない。
これほどセンスがないデザイナーがいるとは…。
腕と指にはこれまた大粒のルビーと真珠とダイヤモンドが嵌められ、さながら歩く宝石見本市だ。
その宝石の美しさに意識が行かないのは、あまりにも数が多すぎ、かえって安っぽく見えているからか。
「あれが第二王女?」
いつの間にか自分の元に戻ってきた一人の悪友がつぶやく。
「ひでえセンス……。元は美人だと思うんだが……。」
その時突然、レダーシア姫がこちらを見る。
思わず踵を返したくなったけれど、挨拶に向かってきているのが明らかにわかっている以上、帝国貴族としては逃げられない。
「レオナルド様、初めまして。ダゴン王国第二王女レダーシアと申します。」
レオナルドは眉をひそめた。名前で呼ぶことを許した覚えはない。
…それにしても臭い。香水を一瓶、頭からかぶってきたのか?
「ヴォルト公爵です。第二王女殿下。」
「まあ…。恥ずかしがらないでくださいませ。わたくしとあなたの仲ではございませんか。どうぞ、レダーシアとお呼びくださいませ。」
真っ赤な口紅が塗られた唇からとんでもない言葉が発せられた。
「第二王女殿下?わたし達は初対面だと思いますが?」
「ええ。そうですわね。でも、わたくし第二王女、いいえ。次代の女王としてレオナルド様に命じます。わたくしの王配になりなさい。」
「レダーシア様!」
レダーシア姫の後ろに控えていた乳母のドーラが悲鳴をあげる。
理解不能に陥り、レオナルドは思考が一時的に停止し固まった。
どん、と後ろから悪友が背中をたたく。
「おい。レオナルド。王配だってよ。」
耳元でささやくその声は震えており必死で笑いをこらえているのが明らかだ。
…後で覚えていろ。ささやき返すと同時に、どうにか失った意識をかき集め、レダーシア姫に答える。
「…わたしは帝国の公爵家当主であり、婿に入ることはできませぬ。」
「そんなこと!次代の女王たるわたくしの命令です。公爵爵位は親類の誰かに継がせればよいのです!」
「…大変失礼ながら。わたしはこの国の貴族ではありません。わたしに命令ができるのは帝国皇帝のみ。」
「あら!だったら、帝国皇帝にお願いしますわ。レオナルド様。あなたをわたくしの婿にくださいって。うふふ。きっと、皇帝は叶えてくれますわ。…では、レオナルド様、明日、わたくしのお茶会に招待しますので来てくださいね。良いですわね?」
必死でレダーシア姫をレオナルドから引き離そうと引っ張っている乳母のドーラに根負けしたようで、彼女はようやくレオナルドから離れ、他の貴族達に声をかけていく。
「あの王女…。帝国とダゴン王国の格差を絶対わかっていないな?」
悪友が呆れたようにつぶやく。
「大丈夫か、この国は?……って、おい。レオナルド。頼むから怒りで魔力を暴走させてくれるなよ?」
慌てて悪友がレオナルドをバルコニーへの引きずっていく。
「ほら。レモネードもらってきた。頭を冷やせ。」
「すまん。」
「貧相なダゴン王国王宮も馬鹿な第二王女も見たし。もう帝国に帰るか?」
「いや……。あの第二王女のことで気になることがあるからもう少し残るよ?」
「げっ。レオナルド、お前、ああいうのがタイプ?」
「な…!違うっ!俺が好きなのはっ!」
「あ?誰か好きな子いるんだ?」
悪友がニヤニヤしだす。
「誰だ?俺も知ってる子?帝国の令嬢だよな?」
「…誰が教えるか。…そうじゃなくて、第二王女が気になることを言っていただろう?次代の女王だと。」
「…そういえば。」
「第一王女が次代の女王のはずだ。なぜ、彼女は自分が次代の女王だと言っている?」
「そういえば、そうだな…。」
「ちょっと他の令嬢達から情報を仕入れてきてくれないか?」
「へ?いいけど。…お前はどうするんだ?」
「俺は帝国の息がかかった貴族に当たってみる。」
「ふん。相変わらず女性嫌いだな。そのお前に好きな女性?帝国に帰ったら誰か絶対吐かせてやる。」
「なんとでも言え。ともかく頼んだ。」
「任せろ。」
レダーシア姫はヴォルト公爵たち帝国貴族たちを歓迎するパーティで必要最小限の挨拶をした後、無理やり自室に引き戻されていた。
部屋には青い顔をした乳母のドリーと額に青筋を立てた祖父のバンダース公爵の3名のみ。
「レダーシア様!ヴォルト公爵になんということをおっしゃったのです!?」
バンダース公爵が叱りつける。
「帝国貴族に命じるなど、この国が滅んでもおかしくないのですよ!」
「えー、どういうこと?わたくしは次代のダゴン国女王なんだから、公爵なんて格下。命令してもおかしくないでしょう?」
「そもそも、なぜ、次代の女王と公の場で発言された!表向きは第一王女が次代の女王の筆頭候補だとご存じないはずはないでしょう!」
「エーデルが次代の女王?バカを言わないで。お父様の血が流れていない不義の子なのに!」
「そのご認識は正しい。でも、父王様からも言われていませんでしたか?しかるべき時に公表されるまでそのことは秘すように。と。」
「覚えてないわ。」
「ぐっ……。次代の女王については一旦置いておきましょう。ヴォルト公爵には無礼な態度を取ったことをお詫びしてください。」
「嫌。謝る理由が無いもの。」
「謝る理由があるから、言っているのです!…いいですか、レダーシア様。帝国を怒らせたら、我が国など1日も持たず滅びます。彼の国は強大な軍隊を持つだけでなく、『灰燼の悪魔』と呼ばれる魔術師が居ると聞いています。彼の国を怒らせるわけにはいかんのです。」
「『灰燼の悪魔』?何それ?」
「歴史で学ばなかったのですか…。」
バンダース公爵が額の汗をぬぐう。
「知らない。」
「はあ。10年ほど前に我がダゴン王国北方の隣国ノースランド王国がたったの1日で全土が燃やし尽くされ滅んだことをご存じですか?」
「さあ?聞いたような聞かないような。」
「ん!とにかく、10年ほど前にノースランド王国は滅んだ。我が国よりも小国だったとはいえ、それをやってのけたのが、たった一人の帝国の魔術師。『灰燼の悪魔』と呼ばれる魔術師です。」
「えー、たった一人で1国を滅ぼせるわけないじゃなーい。」
「信じられないのもごもっとも。でも。あの時の恐怖を儂は忘れておりませんよ。」
バンダース公爵は目を瞑る。
10年ほど前に突然、「帝国を王が怒らせてしまった、頼むから仲裁してくれ。」とノースランド王国の自分と付き合いが深い貴族が泣きついてきた。
何をやって怒らせたんだ、と情報を集めているその最中に、耳に入ってきたのはわずか1日でノースランド王国が滅びたというニュースだった。
信じられず、自ら馬に飛び乗って100人ほどの騎士と一緒に駆け付けた彼の目に映ったのは、一面の焼け野原だった。
まだあちこちで炎が残っていて、全土から立ち上る煙で空が暗くなっている。
すでに帝国軍は引き上げたようで生きている者が誰もいないノースランド王国の焦土を王宮に生き残りがいないか探しに行き、恐怖に震えたあの日が昨日のことのように思い出される。
結局、王宮は跡を留めぬほどに破壊され、王宮に何度か行ったことがあるバンダース公爵でさえ、「ここに王宮があったはず?」と悩むほどに何も残っていなかった。
何をしてノースランド王国が帝国を怒らせたのかは、わからない。助けを求めてきた貴族も灰燼に帰していたから。
その後、必死で情報を集めた結果、わかったのは帝国軍は一人も出陣していなかったということ。
たった一人の魔術師がノースランドを滅ぼした、ということ。
帝国でもそれは驚愕をもって迎えられたようで、「灰燼の悪魔」という二つ名が囁かれるようになる。でも、誰が「灰燼の悪魔」なのかは手を尽くしてもわからず。
帝国内でも知っている者が皆無で、皇帝しか知らないのではないかと思われる。
その「灰燼の悪魔」がまだ存命しているかはわからない。
しかし、存命していれば、帝国を怒らせることはノースランド王国同様、ダゴン王国のような小国は1日で焦土と化す。ということだ。
存命していなくても、帝国軍が攻めてきたら1カ月と持つまい。
それほどに国力と兵力には差がある。
ヴォルト公爵は皇帝の遠縁の貴族だ。
そのような人物がダゴン王国に婿入りすることは絶対に無く、レダーシア姫が何かを命令できるような者でもない。
ヴォルト公爵が怒ってレダーシア姫に死ね。と言ったら、ゴードン王は逆らえないだろう。必死で命乞いして認められなければ、確実にレダーシア姫を殺すしかない。
それほどの立場の者に、なんということをレダーシア姫は言ったのだ。
バンダース公爵は目を開き、目の前で不貞腐れているレダーシア姫に再び意識を向ける。
孫娘の頭が悪いのは今日に始まったことではない。頭が悪い、構わん。
だが、最低限の常識は持ってもらわなければ。
バンダース公爵と乳母のドリーは、小さな子供に説明するように簡単な言葉を選んで、レダーシア姫を諭し、明日のお茶会でヴォルト公爵に謝罪する約束をようやく取り付けたときは、皆が疲労困憊して倒れそうになっていた。