ダゴン王国の焦り
予定より1日遅れでハリー侯爵達の帝国への使節団はダゴン王国に帰国した。
その馬車の中に第一王女エーデルの姿はない。
ちなみに使節団の全員が“写し身”であることに気付いたダゴン王国の者はいない。
当然、本物の彼らが帝国に囚われていることも。
ゴードン国王は宰相とハリー侯爵を自室に呼び寄せる。他の者はすべて人払いした。
「ハリー侯爵。帝国への使節役をご苦労だった。」
「は…。もったいないお言葉。」
「して、エーデルは?」
「それが…。暗殺に失敗しまして。意識不明の重体で帝国に留め置かれております。」
「何!?」
「その…。襲撃の場になぜか帝国騎士団が駆け付けて、瀕死の姫を皇宮に連れて行ってしまい。…会わせてもらいましたが、意識は戻っておらず…。わたくしの見たところ、いつ亡くなってもおかしくない…状態ではありましたが…。付き添うことを拒否され追い出されるように帰国させられまして。ただ、我が国の侍女3名は残すことを許されましたので、彼女たちにはうまくやるよう言い含めてありますが。」
「ぐっ。…帝国に襲撃の文句は言えそうか?」
「…無理かと。襲撃者は全員、その場で殺されました。抵抗せず投降し帝国貴族に命じられたと話すように命じていた者共も皆、投降を許されず、その場で切り殺されました。従って山賊の襲撃ということに帝国は片付けてしまいましたので、抗議のしようがございません。」
「…なんと…。」
「王よ。こうなりましたら、エーデル姫を我が国に搬送するよう帝国に掛け合うしかありませぬ。意識が戻ったら何を言い出すかわかったものではありません。」
宰相が焦った声を出す。
「うむ。確かに……。ハリー侯爵。足労をかけるが、再度帝国に行ってくれぬか?王家の病人用の大型馬車を出させるし、王宮騎士団の魔術医師も当然付ける。父たるダゴン王が跡継娘の重体を聞き心を痛めている、と言えば、帰すことを拒否はできまい。…とりあえず、我が国まで生かして連れてきてもらって構わん。つまり帝国からの医師も同道させて良いということじゃ。」
「は。承知しました。大型馬車や医師の支度ができ次第、出立します。」
「頼む。」
慌ただしく退室していくハリー侯爵の背中を見ながら、ゴードン王はため息をついた。
「なぜ、一息に死なせなんだか?役目を言いつけた者は女騎士が侍女に変装しておった。即死させることは簡単だったはずなのに。」
「…その侍女が帝国に残っております。殺害のチャンスをあらためて密かに狙っているはず…。」
「ともかく、ハリー侯爵を可及的速やかに帝国へと急がせよ。…それと、エーデルの侍女。彼女はもう用済みだ。始末しておくように。」
「承知しました。」
宰相バンダース公爵は、王宮騎士団の地下牢に放り込んでおいた侍女ドリーを密かに始末するよう、部下に命じた。
「こ、公爵閣下!大変でございます!」
「どうした?」
「ドリーが消えました!」
「何?」
「と、扉には確かに鍵が掛っていたのですが…。扉を開けたところ誰もおらず。見張りに聞いても全く気付かなかったと。食事は昨夜までちゃんと食べられていた。朝見たら空の食器が扉の下の差し入れ口から出されて床に置かれていたから、と。居なくなったとしたら昨夜から今朝にかけてではないか…と。」
「な、なんということだ!?…まさか、帝国がドリーを連れ出した?」
「帝国がドリーのことを知っているとは思えませんが?」
「あ、ああ、だが、それならどうして?…ともかく、探せ。もしかして脱獄したのかもしれん。床や壁に抜け道が無いか調べよ。」
「はっ!」
大騒ぎをした結果、ベッドの後ろに小柄な人間がやっと這って通れるほどの狭い抜け道が見つかり、抜け道を辿らせたところ途中で崩れて埋まっていることがわかった。
「抜け道を埋めるほどの余裕は無かったはずだ…。這って出ている途中で落盤に会い、命を落としたか?」
「そうだと思われますが…。」
「念のため掘り返せ。」
「…それは難しいです。兵士の体格ではあの抜け道に潜れません。今回、兵士の子供を使って潜らせましたが、子供では土砂を掘ることは難しいでしょう。上から掘り進めるとしたら、牢の石畳をはがさねばなりませんし、どの位置にトンネルがあるかわかりません。」
「ちっ。厄介な。…落盤で命を落としたか、それとも、抜け道から抜け出せたのか。逃げ出した可能性を含め捜査させよ。見つけたらその場で殺せ。あと国境にも知らせを。生きていた場合、帝国に向かう可能性が高い。」
「はっ。」
ゴードン王は宰相から報告を受けて顔を曇らせた。
「牢に抜け道?女一人で掘れるものではあるまい?」
「わたくしが行き調べたところ、古いものでした。抜け道があった壁をよくよく見ると、うっすらとその部分だけ色が違うのです。ドリーが気付いてそこを何かで掻いてみたんだと思われます。抜け道を完全に埋めず壁だけ塞いでいたようで。そこが経年劣化で崩しやすくなっていたと思われます。…他の地下牢に同様の抜け道が無いか、急ぎ調査を命じました。」
「そうか…。」
ゴードン王はため息をついた。
エーデルは何時意識を取り戻し、帝国に助けを求めるかわからない。
そのエーデルの侍女は生死不明。
「ハリー侯爵が早くエーデルを連れ戻してくれるといいのだが……。」
ハリー侯爵が帝国に再度出発したその日に、突然、帝国からレオナルド・ヴォルト公爵が数人の貴族を連れてダゴン王国に来訪したと王に報告が入った。
特に帝国からは何も知らせは無く、ヴォルト公爵の私的旅行らしい。
私的旅行とはいえ、帝国の公爵…皇帝の遠縁にあたる貴族を小国が無視するわけにはいかない。
「こんな時に一体何なのだ?」
ゴードン王は渋い顔をする。エーデルがらみで余裕がない状況だけれど、歓迎のダンスパーティの開催を命じる。
ただし、国王の自分は、愛娘が瀕死の状態で嘆きのあまり社交の場には出られない。と伝え、名代として第二王女レダーシアを指名した。
レダーシアは入国の挨拶に来たヴォルト公爵を遠くから見かけて、一目ぼれしていたから、大喜びで名代を受けた。
「ドーラ、ドーラ!どのドレスにしましょう?わたくし、絶対にヴォルト公爵の心を射止めて見せるわ!」
乳母のドーラはため息をついてレダーシアを諫める。
「レダーシア様。ヴォルト公爵は帝国の方でございます。レダーシア様はこのダゴン王国の次期女王。伴侶は王配として婿を迎える必要がございます。帝国の公爵を婿に迎えることは難しいかと…。」
「何言ってるのよ!ドーラ。公爵様だって王位は魅力的なはずよ?ヴォルト公爵家は彼の遠縁の者が継げば良いのよ!」
「…そううまくいきますかどうか…。」
乳母のドーラはため息をつく。
レダーシアの祖父であるバンダース公爵からは、「王配にダゴン王国と同じくらいの小国の第三王子を迎える予定だ」と聞いている。この第三王子は身分が低い側妃の子供で目立たぬようひっそりと育ってきたらしく、バンダース公爵の傀儡にするのに最適らしい。
帝国の公爵など、傀儡にできまい。絶対、バンダース公爵は認めないだろう。
おそらく、レダーシア姫の希望はかなわないだろうけれど。
政略結婚をさせられるであろうレダーシアがせめて初恋を実らせるくらいのささやかな幸せを一時的にだけでも味わえることを乳母としては祈りたい。