ダゴン王国の地下牢
「シルバーニア様から通信。ドリー・アガタ伯爵令嬢は王宮騎士団本部の地下牢に囚われているそうだ。」
「探し回る手間が省けて助かったな。」
「地下牢への侵入は?」
「見張りの騎士の交代を狙う。ダゴン王国騎士団の騎士服に着替えるぞ。」
ドリーは地下牢に入れられてわずか7日の間にすっかり衰弱していた。
食事は固い黒パン1個と具が入っていない薄いスープが1杯。それが日に2回。
部屋の隅には水が湧き出る水盤がありそこからいつでも水を飲めるようになっているが、腐ったような臭いがして、それでもやむなく飲んだ直後にお腹を壊した。だから喉の渇きに耐えられなくなった時に少ししか飲めない。
日が差さず湿度が高いこの地下牢は窓が無く、廊下から覗きこめる小窓が付いた頑丈な厚い木の扉で閉ざされて外が見えない。部屋の中にはランプが1つ終日灯っていて薄暗いけれど真っ暗でないのが救いだ。
ほとんど掃除がされたことも無いようで据えた臭いが酷い。そのためか、むかむかするだけでなく頭痛がずっと続いている。
弱った身体を横たえる寝台は木でできていてマットレスなんて当然無い。木の寝台に直接色が変わってあちこち綻びた汚い布がシーツ代わりに敷かれ、身体の上にかける布団はかつては毛布だっただろう、毛羽が立ち虫食いの穴とシミだらけの古布しかない。
「エーデル様が帰国するまで生きている」と約束はしたけれど守れないかもしれないとつい弱気になる気持ちを必死でドリーは抑え込む。
「交代の時間だ。」
地下牢の入り口の方から騎士の声がいつも通り響き、
「ありがたい。仕事とはいえ、ここの見張りは辛いからなあ。」
と何人かのほっとした声が聞こえた。
しばらくの間地下牢の入り口がにぎやかになり、やがてまた沈黙が落ちる。
ほどなくして、数人の足音がドリーの居る部屋の扉の前に近づき立ち止まる音がした。
扉の外から小さな低い声がかかる。
「こちらにいらっしゃいますか?ドリー・アガタ伯爵令嬢?」
ドリーはハッとした。
懐かしい母国の帝国語だ。
それに、アガタ伯爵令嬢などと呼ぶ者はこのダゴン王国には居ない。
帝国語で答える。
「…帝国の方ですか?」
その瞬間、扉の鍵穴に鍵が差し込まれガチャリと言う音と共に1人のダゴン王国騎士団の服を着た男性が入ってくる。
「アガタ伯爵令嬢。間に合って良かった。皇帝陛下の命で貴女を帝国にお連れしにまいりました。」
「…暗部の方?」
「はい。名乗らないこと、お許しを。とりあえずジョンとお呼びください。」
「…ジョンさん、ですね。わかりました。」
「脱出します。歩けますか?」
ドリーはベッドから降り歩こうとしてよろけた。
「失礼。」
その瞬間、ドリーはジョンに抱き上げられる。
「時間がありません。このままお連れします。」
「お手数をおかけして…。」
謝ろうとしたドリーの言葉がさえぎられる。
「謝る必要はありません。これほどの劣悪な環境。よくぞ生きていてくださいました。」
部屋を出れば、2人のダゴン王国騎士団の服を着た男性が周囲を警戒して待っていた。
一瞬、見つかったかとドキッとするも、帝国の暗部の者が変装しているとドリーもすぐに気づく。
「出るぞ。」
地下牢の入り口の扉は使わず、入り口と反対側の地下牢の奥に向かう。
ドリーが不思議に思っているうちに一番奥の部屋に到着すると先導していた一人が扉の鍵を開ける。中にドリーとジョンが入ると後ろで再び扉が閉じられ、外で鍵の掛かる音がした。
ジョンは慌てず、ドリーを一度下ろすと
「この部屋には王宮の外に出られる地下道への隠し扉があるんです。魔力が無いと開きませんがね。」
ジョンが水盤に手をかざし、自分の魔力を注ぎ込む。
すると、床の一部が光り、ぽっかりと空洞が現れた。
「この階段だけは狭いので抱いて降りることが難しい。恐れ入りますが、手を引きますので自力で降りていただけますか?」
「はい。」
ジョンの先導でドリーが階段を降りると、ジョンは地下道で1か所だけ丸く光っているところに手を当てまたも魔力を注ぐ。と、頭の上に空いていた入り口が閉まって一瞬、地下道が真っ暗になる。
でも真っ暗になったのは本当に一瞬で、ぽぅっと淡い光が進行方向の両側に灯る。
「この灯りに沿って歩いていくと王宮の外の森に出られるのです。」
そう言いながら、ジョンはまたドリーを抱き上げて歩き始める。
「…なぜ、それをご存じなのですか。」
「この隠された道は帝国の暗部が数百年前に作ったものだからです。一方通行で外から地下牢には入れませんが。ダゴン王国の者どもは知らないはずですよ。」
「そうなのですね…。あの、姫様…エーデル様はご無事ですか?」
「ええ。ご無事です。ダゴン王国の連中からは引き離して皇帝陛下が保護されました。エーデル姫があなたの居場所を教えてくれたので我々も探す手間が省けて助かりました。」
「ああ…。良かった。教えてくれてありがとうございます…。」
ほっと安心したドリーはそのまま意識を手放した。